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役立たずの姫は塔で夢を綴る

作者: ぷよ猫
掲載日:2026/04/17

 私が生まれたとき、大魔女のばば様がふらりと王宮にやって来て、こう言ったのだそうだ。


「おぉ……! 王女は夢見の力を持っておる。美しく成長すれば、多くの求婚者に恵まれるじゃろ。だが、他国に奪われれば国が滅ぶこともあるゆえ、用心することじゃ」


 夢見とは夢で吉凶を占う能力のことで、ときには未来の出来事や厄災を夢に見ることもあるという。

 この能力は何代かに一度、王家の血筋に現れる。過去には飢饉や疫病を予言し、多くの民の命を救った特別な力であったため、私の両親である国王と王妃はとても喜んだ。


「ドロシアと名付け、大切に育てます」


 ドロシアは『神からの贈り物』を意味する名前だ。

 両親の言葉を聞いたばば様は、安心したようにコクリと頷くと、呪文を唱え煙のように姿を消した。

 魔女というのはどこの国にも属さず、気まぐれに人々の前に現れては、助言や魔術を施す聖人賢者のような存在である。人間と理を異とし、大魔女ともなれば、五百歳をゆうに超えるらしい。

 ばば様の名前は誰も知らない。もうヨボヨボのおばあちゃんだから、ばば様と呼ばれている。

 白いローブを着て自分の背丈と同じくらいの魔法の杖を持つ、やたらと貫禄のある姿にすっかり魅了されてしまった両親は、ばば様の言うことを忠実に守ろうと決心した。

 誰にも奪われないよう南の塔のてっぺんに王女の部屋をしつらえ、塔の周りを兵で固めて、乳母とメイド以外の出入りを禁じたのだ。

 最初のころは足しげく塔へ通っていた両親だったが、その三年後に末の王女シャルロッテが生まれてからは、ほとんど訪れなくなった。

 赤子が可愛いのだろう。離れて暮らす子よりも、手元にいる子へ情が移るのは自然なことだ。唯一の王子である兄フィリップの立太子に向けて、慌ただしかったという事情もあるのかもしれない。

 最後に彼らがこの塔へ足を踏み入れたのは、私が五歳のとき。それから十年と少し……もうすぐ十六歳の誕生日を迎えるが、家族とは一度も会っていない――。


「確か十六歳って、この国の成人なのよね……」


 朝、忘れないうちに夢の内容を日記帳に書き留めながら、何気なく呟く。すると、朝食を運んできた乳母のエイダが「左様でございますよ」と返事をした。

 会いに来なくなった両親に代わり、私を育ててくれたのはこの乳母だ。

 もう乳を飲む年齢ではないけれど、よほど私のことが不憫だったに違いない。未だ退職せずに、あれこれと世話を焼いてくれるのだ。

 この塔で暮らすことになった経緯のあれこれや食事のマナー。そして、どこへも行けない私のために絵や本を持ってきて、世界には山や海や川があり動物や魚が住んでいること、街ではいろんな店で人々が買い物をすることなど……いわゆる一般常識を教えてくれた。

 エイダがいなければ、私は無知な子どものまま年を取っていたはずだ。


「本来なら、舞踏会やお茶会に参加してしかるべきなんですけどね。そろそろ縁談も決めなければなりませんし、両陛下も少しはドロシア様のことを考えてくださればいいのに。先日もシャルロッテ様のために盛大な誕生日パーティーを開かれて……」


「仕方ないわよ。お父様もお母様も私のことなんて、まるで興味がないんですもの」


 私はブツブツと愚痴をこぼすエイダを宥めた。

 親の愛情を示すものは、この部屋を作るときに設置された、赤子に不釣り合いな豪華な家具だけである。それだけ私に期待を寄せていたのだろう。

 けれど、考えてもみてほしい。世間知らずで言葉もまともに話せない子どもが、夢見の才を発揮できるわけがないじゃないか。

『エイデン村に流行病の兆候が見られます』

『来年の小麦は不作でしょう。今年のうちに十分な備えを』

 なんていうのを期待されても、土地の名前もわからないのだから土台無理な話である。

 幼子のころの私は、怖い夢を見るとただ泣きじゃくっていた。

『あかい花が咲いてるところ』

『なんか、白いのがたくさんあって……』

 たまに口を開けばこんな調子なので「夢見の姫はちっとも役に立たない」と落胆されるのに時間はかからなかった。

 当てが外れた両親は『今まで夢見の力がなくてもやってこられたのだから、これからもどうにかなるさ』という結論に達し、見切りをつけたようだ。

 だったら普通の王女に戻してくれたらいいのに、大魔女のばば様の言葉を無視できず、誰かに奪われることだけは避ける方針らしい。塔から出ることは許されなかった。

 私は文字が書けるようになると日記に夢の内容を記し始めた。夢見の力が必要とされなくなったので、今のところ、その日記帳が読まれることはなさそうだけど。

 両親の顔は、もうおぼろげにしか思い出せない。お父様の瞳は緑色で、お母様の髪が蜂蜜のような金髪だったことは、私の目と髪に受け継がれているから忘れないだけで……。

 メイドは年頃になると結婚退職していくのでコロコロ変わる。だけど、引継ぎはきちんとされているから生活に不便はない。

 私はエイダさえいれば、それでいいのだ。


「舞踏会より、新しい本が読みたいわ」

 

「外の世界は、本よりもっと楽しいのです。いつか連れて行って差し上げますからね」 


 エイダはそう言って、丸みを帯びた柔らかな手で私の髪をなでた。ほんのりと石鹼の匂いがして癒される。

 私は思わずエイダの胸に顔を埋めた。


「そうね、海へ行ってみたいな。それから山も」


「私の故郷に、夕日の美しい入り江があるんです。ドロシア様も、きっとお気に召しますよ」


「ふふ、楽しみね」

 

 私が笑って言うとエイダも微笑んだ。

 この塔とエイダが私のすべてだった。



 そうして穏やかに日々が過ぎ、誕生日がやって来た。

 いつになく胸が躍り、ソワソワと落ち着かない。

 

「ドロシア様、今、ケーキを持ってまいりますからね」


「はーい」

 

 妹のシャルロッテみたいに盛大なパーティーが催されるわけでも、両親から祝いの言葉が贈られるわけでもないけれど、料理長がケーキを焼いてくれるから、それをエイダと食べるのが毎年の習慣になっていた。

 大きなケーキなので、余ったぶんはメイドと塔の入口を警備する兵士たちに分けてあげる。彼らがそれを喜んでくれるのが嬉しくて、一日中、陽春のようなポカポカとした気分になれるのだ。

 去年は桃をふんだんに使ったカスタードケーキだった。今年はどんなケーキだろう? なんてワクワクして待っていると、塔の下でメイドの叫び声がした。


「きゃぁぁ! エイダ様、エイダ様っ!」


「エイダ殿っ、しっかりしてください」


 私は咄嗟に部屋を飛び出し、螺旋階段を駆け下りて行く。

 出入口にしか施錠しないので、塔内は自由に行き来できる。普段は、このぐるぐると目が回りそうな階段のお陰で、運動不足が解消されていた。けれど、今はこの長さが恨めしい。

 扉が視界に入るところまで下りていくと、一段目の踏み板のすぐ下で、エイダは仰向けに倒れていた。

 彼女のふくよかな体が纏う緑色のドレスには、白いクリームが飛び散っている。そのすぐ近くに崩れたケーキと割れた皿が落ちており、潰れたブルーベリーの赤紫の果汁が床に染みをつくっていた。

 若いメイドはぶるぶると震えながらも、辛うじてティーポットとカップの乗ったトレイを落とさずにいる。


「エイダっ!?」


 私が叫ぶと、顔なじみの中年兵士が「来てはなりません!」と一喝した。そして、メイドに医者を呼んでくるように指示をして、自分はその場にとどまった。彼は私を外に出さないようにするのが仕事なので、持ち場を離れられないのだ。


「エイダ殿は、階段を踏み外したのです。ドレスの裾が足に……」


「私はここにいます。決して外に出ませんから、どうかエイダを王宮の医務室へ運んでください」


 私は懇願したが、兵士は「頭を打っているかもしれません。動かさないほうがいいでしょう」と首を縦に振らなかった。

 ただじっと待っているだけなんて冷酷な感じもするし、エイダの乱れた黒茶の髪を見ていると適切な判断のような気もする。私にできることは、エイダの手を握り名前を呼び続けることだけだった。


「エイダ……エイダ。しっかりして! ああ、神様!」


 この温かな手を失いたくない。

 半ばパニックになって呼びかけていると、バタバタと医者が駆けつけ、エイダの頭部を極力動かさないようにして王宮へ運んでいった。

 私には医者が来るまでの時間が途轍もなく長く感じたが、実際はそうでもなかったらしい。

 そのあと、エイダは無事に目を覚ました。全身の打撲と右足が折れていて、しばらく休職するしかないという。

 夕食の七面鳥の丸焼き(ローストターキー)は、そっくりそのまま塔の兵士たちへ下げ渡した。料理長が作ってくれたせっかくのご馳走なのに、まったく食欲がなかったのだ。


 その夜の夢は最悪だった。


『ああ、母上……こんな大怪我をなさるなんて! だから王宮勤めなど、早く辞めてしまえばよかったのです。母上が未だに王女様の養育係だったことに、国王陛下も驚いておられましたよ。もう幼子ではないから必要ないだろうと仰せになり、長年の労をねぎらってくださいました。さあ、家へ帰りましょう。妹も待っています。やっと母上と一緒に暮らせると喜んでいますよ』


 療養中のエイダの部屋へ飛び込んでくるなり、早口でまくし立てる黒茶の髪の青年は、エイダをほっそりさせて背を伸ばしたような容姿をしていた。私よりも二、三歳ほど年上だろうか。


『ドロシア様が心配であまり家に帰れなかったことは、申し訳ないと思っているわ。あと一年、もうあと一年と勤めているうちに、十年以上も時が過ぎてしまったの』


 エイダは涙ぐむ。

 その表情を見たエイダの息子は、労わるように母親の背中をさすり、声を和らげた。


『母上は優しすぎるのです。あの役立たずの王女様にこれだけ尽くせば、もう十分でしょう。妹も縁談が決まり、嫁入りまであと一年ほどしかないのです。せめてその間は、実の娘との時間を大切にしてください』


『ドロシア様を悪く言わないでおくれ。あの方に非はないのだから。あなたたちに悪いと思いながらも辞めると言い出せなかった私のせい。旦那様も呆れておいででしょうね』


『父上は心配しておられましたよ、王宮は気苦労が多いから、と』


 二人のやり取りを聞いて、雷で撃たれたような衝撃が走った。

 エイダが私の乳母ということは、彼女には血の繋がった本当の子どもがいて、私はその人から母親を奪っていたということである。

 私にはエイダしかいないけど、エイダは違う。そんな当たり前のことにすら気づけないなんて、どれだけ愚鈍なんだろう。 

 エイダは男爵夫人だ。第二子となる娘を出産した際に、私の乳母として王宮に召し抱えられた。乳離れするまで、エイダはその娘と王宮の一室で暮らしていたらしいが、その後は私の世話の合間に王都の男爵邸に戻る生活で、家族と満足に過ごせなかったはずだ。

 当然、私には乳飲み子のころの記憶はない。何歳のときだったか、「あなたが懐いていたから、エイダに養育係として残ってもらったのですよ」と、久しぶりに塔へ足を運んだお母様に教えられて、ただ単純にそうなんだと納得していたのである。しかし、それではいけなかったのだ。

 私の面倒を見る者はエイダだけなのだから、自分から「辞めます」なんて言い出しづらいに決まっている。もっと早く解放してあげるべきだったのに。

 これはきっと予知夢だ。つまり、もうじきあの親子の間で同じ会話が交わされるはず――。


 翌朝、私は日記帳にこの夢の内容を綴る代わりに、エイダ宛ての手紙を書いた。これまでの献身に対する感謝と、もし家族が迎えに来たら私のことは気にせず王宮を辞するように、と。



 ◇◇



 あれから一年が経とうとしている。

 エイダはもういない。

 朝、メイドが食事を運び、私は日記帳へ夢を記す。

 誰も見ない日記を書く意味があるのかと考えなくもないけれど、文字を忘れないためだと思って続けていた。

 掃除や洗濯、食事の上げ下げ、一通りの仕事をすませてメイドが塔を出ていってしまうと一人になる。私には専属の使用人がいないからだ。

 塔の窓には、誰も出入りができないよう面格子がはめられている。とはいえ展望を損なうことはなく、ロートアイアンの粗い格子の向こう側には青い空が広がっていて、心地よい風が吹く。

 その窓際に日記を書いたり本を読んだりするための机があり、私は一人の時間のほとんどをそこで過ごした。

 ときどき鳥が遊びに来る。スズメやコマドリ、そして――。

 朝食のパンを少し取っておいて窓辺に置くと、すぐに一羽のカラスがスゥと音もなく飛んできた。


「カァァー」


「おはよう、今日もいい天気ね」


「カァ」


「今年もまたシャルロッテの誕生日パーティーが開かれるらしいわ。さっきメイドが教えてくれたの。なんと婚約が決まりそうなんですって。きっとその発表を兼ねているのね」


「カァ?」


「十四歳で婚約は早いんじゃないかって? 王族は生まれたときからお相手が決まっている場合もあるそうよ」 


「カ、カ、カッ」


「私? 私は……塔にいる限り出会いがないもの。あ、そういえば、昨夜は素敵な夢を見たのよ。たぶん寝る前に小説を読んだせいね。主人公みたいにダークブロンドの髪と澄んだ空のような瞳をした青年がやって来て、優しそうに笑って言うの。『やっと会えたね』って。ふふ、セリフまで物語と同じ」


「カァ」


「ええ、わかってるわよ? これは予知夢じゃないって。でも……せめて外に出られたらいいのに。どうして、ばば様は『国が滅びる』なんて言ったのかしらね?」


「カッ、カッ」


「あなたはいいわね。翼があるから、自由にどこへでもいけるもの」


 辞めたエイダに代わり、私の新たな話し相手となったのは、この黒々としたカラスだ。私が窓辺にパンを置くようになってから、それを目当てに毎日顔を見せるようになった。時折、光の加減で羽根が青紫に輝く、とても美しいカラスだった。


「カァァー!」


 パンを食べ終わったらしい。カラスはバサッと翼を広げて飛び立っていった。


「また明日ね」


 私は窓際の机で頬杖をつき、青空に浮かぶクリームみたいなふわふわの雲を、長いこと眺めていた。

 私が最後に見たエイダは、階段から落ち、白いクリームの散ったドレスを着て倒れている痛々しい姿だ。足を骨折していたので塔まで別れの挨拶に来られなかったのだと、あとからメイドが教えてくれた。

 ふとあの日の夢が脳裏をよぎる。甦るのは、エイダの息子の憎々しげな声。


 あの役立たずの王女様――。


 それもそうだ。実の親である国王と王妃に顧みられず、今だって特にやるべきことはない。穀潰し、という言葉がぴったりである。

 私は本棚から鳥の図鑑を取り出し、ページを開いた。

 白鳥、ハヤブサ、ホトトギス……もし生まれ変わるなら、カラスもいいかもしれない。

 私は鳥になって大空を飛び回るところを空想をしながら、またページをめくった。

 こうして一人でいる間は、少なくとも誰かの心を傷つけることはない。それだけが救いだ。


 

 シャルロッテの誕生日パーティーの日が近づき、王宮は徐々に活気づいていく。

 招待されていないので、私の生活に変化があるわけではない。しかし、気持ちが浮ついているのか、寝る前に小説を読むと決まってダークブロンドの髪と澄んだ空色の瞳をした、あの素敵な主人公の青年が夢に現れた。

 私は朝から上機嫌だ。

 部屋の掃除に来たメイドも「シャルロッテ様の婚約者は、隣国の王太子様だと専らの噂なんです」と弾んだ声になっている。


「シャルロッテは、ゆくゆくは王妃になるのね」


「はい。王太子様は、美男でとても優しい方だそうですよ」


 メイドは羨ましそうに顔をほころばせた。


「あなたもきっと、素敵な人と結婚できるわ」


 私が言うとメイドは、照れたように顔を赤くする。そうして丹念に棚を拭き、ギュッと雑巾を絞ってから掃除が終わったことを告げると、バケツを持って部屋を出ていった。

 一人になった私は、窓際の机に向かい世界の国々について書かれた本を開く。

 隣国はこの国よりもずっと大きくて豊かな国だ。交易が活発で、広大な小麦畑があり、金山から得られる莫大な富……。幸せに暮らす人々の笑顔が想像できる。

 妹はそういう国の王妃になるのだ。そう思うと自分まで誇らしい気持ちになった。


「カァァー」


 カラスがパンを強請(ねだ)りに来た。

 私はパンを食べやすいようにちぎり、窓辺に置いてやる。いつもより多めに。


「シャルロッテの婚約者は、隣国の王太子殿下だそうよ。きっとパーティーにいらっしゃるわね」


「カッ、カッ」


「シャルロッテ……ずっと会っていないけど、きっと綺麗になったでしょうね。一言『おめでとう』って伝えたいけど――」


「カァ―、カァー!」


 はしゃぐ私を諫めるかのように、カラスが大きな声で鳴く。

 私はびっくりして、思わず大きくのけ反った。

 と、その時、後ろで部屋の扉が開いた音がした。メイドが戻ってきたのだろうか?

 忘れ物かな、なんて思いながら振り返ると、私と同じ蜂蜜色の髪とエメラルドの瞳をした少女が扉の前に立っていた。ハアハアと息を切らしているのは、階段を上ってきたからだろう。


「カァァァー!」


「うるっさいわね! カラスのくせにっ」


 少女は目を吊り上げて、怒鳴った。

 彼女のむき出しの敵意に抗議するかのように、カラスはもう一度「カァァァー」と鳴く。


「……シャルロッテ?」


 私は恐る恐る尋ねた。

 姉として妹の顔がわからないのは情けないけれど、何せ最後に会ったとき、シャルロッテはまだ二歳で、母親に抱っこをせがんで泣いていた。目の前にいる彼女の険相な顔に、あのころの面影は皆無だ。

 でも髪と瞳の色は私と同じだし、どことなく懐かしい感じがする。ここは決められたメイドのほかは家族しか入れないから、警備兵が塔へ入れたということは、この少女はシャルロッテ以外に考えられない。


「ごきげんよう、お姉様。初めまして、というべきかしら?」


 シャルロッテは、すました顔でつんと顎を上げた。白いリボンとフリルがたくさんあしらわれたオレンジ色のドレスに、真珠のネックレス。耳には赤い宝石のイヤリングが重たそうにぶら下がっている。目鼻立ちの整った顔は、綺麗に化粧が施されていた。

 このゴテゴテとした華美な衣装が親の愛情の顕れだとするならば、シャルロッテはさぞかし溺愛されて育ったのだろう。


「お久しぶり。大きくなったわね」


 私は笑顔でシャルロッテを迎えた。

 まさか妹が会いに来るとは思わなかったから、今着ている部屋着の簡素な水色のワンピースは、少し恥ずかしい。姉妹の再会にふさわしい格好ではないなぁ、と思う。とはいえ、ほかの服も似たり寄ったりなんだけれども。

 クローゼットの奥には、まだ穀潰しになる前に与えられた、宝石がいくつも縫い付けられている子供服があるが、とっくにサイズが合わなくなっている。

 この塔にキッチンはなく、昼食の時間までメイドは来ないから、お茶を出すことすらできない。


「お水……でいいかしら?」


「いらないわよっ、すぐ帰るから!」


 私が水差しの水をコップに注ごうとすると、シャルロッテは不快感を露わにする。どうやら短気な性格のようだ。


「ごめんなさいね。予め来ると知っていたら、紅茶を用意しておいたんだけれど。そうそう、隣国の王太子殿下と婚約するんですってね。おめでとう。今日は会えてよかったわ、ちょうどお祝いを言いたいと思っていたところだったの」


 シャルロッテはすぐに帰るつもりらしいので、この機会を逃すと今度いつ会えるかわからない。私は慌てて自分の用件を伝える。

 言い残したことはないか? 死ぬ間際みたいなことを考えて「あっ!」と声を上げた。いけない、忘れるところだった。


「綺麗になったわね。そのオレンジのドレスも素敵よ」


 私の妹は美しく育った。ちゃんと褒めておかなければ。


「……なによ、それ。嫌味?」


「本心よ。最後に会ったときは、鼻を垂らして泣いていたじゃない。それが、十二年ぶりに会ったら華麗な美少女に成長しているんだもの。そのうえ、未来の王妃なんて鼻が高いわ」


「…………」

 

 ここは「お姉様、ありがとうっ!」という返しを期待していたのだが、なぜかシャルロッテは拳をぶるぶると震わせている。何かいけないことを言ってしまったのだろうか?


「やっぱり嫌味じゃないっ……」


 キッと睨みつけられ、あまりの迫力に一歩後ずさる。


「隣国の王太子ナイジェル様の縁談相手は、私じゃなくてお姉様よ。『春の訪れを告げるミモザの妖精のように可憐だとお噂の第一王女殿下を、ぜひ我が国の王太子妃に』って……!」


「え、でも私はこの塔から出られないんじゃ……」


「そうよっ。だから私がお姉様の代わりに、この縁談をお受けするのよ。今度のパーティーで発表してしまえば、王太子殿下だってわざわざ否定なさらないでしょう。この国の王女を娶ることには違いないのだから」


 そんなだまし討ちみたいな……と思うけれど、国と国との絆を強固にするための政略的な縁組みならば、シャルロッテの言い分にも一理あるのかもしれない。


「と、とにかく、おめでとう? それで、ここへはそのことを伝えに来たの?」


 なんて言ったらいいのかわからなくて、そう返事をする。

 

「私を差し置いて縁談を申し込まれた『ミモザの妖精のように可憐な』お姉様の顔を見てみたかったのよ。それと――」


 シャルロッテの表情が仄暗い笑みに変わり、手のひらに収まるくらいの小瓶を差し出してきた。


「なあに?」


 私は小瓶を受け取る。中には薄紫の液体が入っていた。


「毒よ。死んでちょうだい、お姉様」


 さらりとシャルロッテが言ってのけたとたん、心臓がドクンと音を立てた。

 死? 私は今、十二年ぶりに会った家族に死を願われているというのか。

 なぜ? 役立たずだから? 愛されていないことは知っていたけど、無関心なだけで憎まれているとは思っていなかった。


「な……ぜ……」


 やっと紡ぎ出した声はかすれていた。


「隣国はうちよりもずっと強国なの。もし王太子殿下がお姉様に会いたいと願われたら、お父様は拒否できないわ。その結果、お姉様を妻にと望まれたら? ばば様は、お姉様を他国に奪われたら国が滅びると予言したそうじゃない。奪われるくらいなら、いっそいなくなってしまえばいいのよ」


「そんな……だからって死ねだなんて……」


「いくら役立たずでも、神の贈り物とされる夢見の姫は殺せない。でも、自殺なら関係ないでしょ? 私は確実に隣国の王妃になれるし、メイドもこんな高い場所まで掃除しに来なくてすむ。警備兵だってお姉様一人を護るより、もっと重要な仕事はいくらでもあるのよ」


 それは私は生きているだけで邪魔だということ。

 毎日、重いバケツを持って長い螺旋階段を上って掃除をするメイド。一人しかいない塔の入口を見張るためだけの兵士。なるほど、言われてみれば無駄な労力だ。

 愕然としている私に、シャルロッテはフンと鼻を鳴らした。


「話はそれだけ。じゃあね、お姉様」


 シャルロッテは、用はすんだとばかりにくるりと背を向け螺旋階段を下りて行く。

 その背中へ投げつけるように、カラスは「カァァァー!」と鋭い鳴き声をあげた。

 階段下のシャルロッテが、塔を出る際に兵士と二言三言、言葉を交わすボソボソとした声が聞こえてきたあと、辺りは静寂に包まれた。

 私は開けっ放しになっていた部屋の扉を閉め、毒の瓶を握りしめたままズルズルとその場にへたりこむ。泣くまいと口を引き結んでも、涙がどんどん溢れてきた。

 そうして、どのくらいの時間が経っただろうか。


「カァ」


 カラスが慰めるように柔らかな声を出す。パンはとっくに食べ終わっただろうに、まだここにいてくれることが嬉しかった。


「シャルロッテの言うとおり、私が死ねば皆が幸せになれるの……?」


 気が緩んで、つい思ったことを口にしていた。返事など端から期待していない。なのに――。


「そんなことあるわけなかろ。ものの善悪の区別もつかぬとは、あの子は本当にどうしようもないね。あれを育てた親も親だ。ほら、その毒瓶を、このばばにお寄越し。おまえさんには必要のない代物じゃ」


 しわがれた声が返ってきたから驚いた。

 カラスがしゃべった?

 そう思った瞬間、一瞬で背丈ほどの長い杖を持った白いローブの老婆へと姿を変える。すぐにわかった。カラスは、ばば様だったんだ、と。

 ばば様は、私の手からするりと毒瓶を取り上げてしまった。そして、私の涙をハンカチで拭いてくれながら滑らかに話し出す。


「大切に育てると言うから安心しておったのに、しばらくぶりに様子を見に来てみれば、実の娘を塔に閉じ込めるとは、まったく酷いことをするもんだ。あの助言は、先々代の……もっと前だったか……とにかく夢見の姫に頼まれたんじゃ。夢見の者を大切にし国内にとどめるよう、後世に伝えてほしいとね。その夢見の姫は、自分が他国へ嫁いだ直後に国が危険にさらされたと嘆いておったゆえ、以来、夢見が生まれるたびに、同じ言葉を届けておる。だから、あれは予言なんて大層なものじゃない」


 長生きの大魔女にとって十七年の歳月は、しばらくぶりという感覚らしい。

 そして私が生まれたときのばば様の言葉は、何代か前の夢見の姫の伝言だという。予言ではないということは……。


「滅び……ない?」


 私はグズッと鼻をすすり上げて呟く。


「王がしっかり国を治めればいいだけじゃ。できれば、夢見の力が王を補助して国が栄えればいいのかもしれないが、現王では無理じゃろ。よしよし、辛かったな。このばばが来たから、もう大丈夫じゃ。安心おし」


 ばば様はそう言って、カサカサした手で私の頭をなでてくれた。しばらくの間そうして私が落ち着くのを待ってから、本棚から黒革の表紙の本を取り出す。私が寝る前に読んでいる、あの小説だ。


「本当は、もう少しあとで正体を明かすつもりじゃったんだが……まあ、仕方なかろ。準備ができるまで、これでも読んで待っておいで」


「準備ってなんですか?」


「もちろん王宮のパーティーに乗り込むに決まっとろうが! ぐふふ、楽しみじゃな」


「えっ、あっ!?」


 ばば様は、私の胸に黒革の本を押しつけると魔法の杖をひと振りし、姿を消した。

 パーティーに乗り込む? どういうことなのか説明もなく去ってしまったので、わけがわからない。


「どうしよう……」


 ばば様に渡された本の表紙をなでる。

 いつの間にか本棚に置いてあったこの本を、もう何度読んだことだろうか。

 不思議な力を持つ王子が人々を救う物語だ。ラストは幼いころから想いを寄せる隣国の王女と結婚して、共に国を盛り立てていくのである。

 主人公は王子だが、ヒロインの王女が私と同じエメラルドグリーンの瞳なので親近感が湧くというか、お気に入りの小説なのだ。

 取りあえず、ほかにすることもないので、私は素直にばば様の言いつけどおり、もう一度最初からページをめくった。そうして、再びばば様が現れる日まで時間を潰したのだった。


 本を読んだ夜は、あの素敵な青年の夢を見た――。

 少し癖のあるダークブロンドの髪、澄んだ空色の瞳。唇は緩やかに弧を描き、優しく微笑む。スッと背筋が伸びた長身の体躯には、金糸の刺繍がされた黒いテールコートがよく似合っていた。

 優雅に差し出される手に、心ときめく。


「姫、ダンスを」


 これは小説のワンシーンなのだ。舞踏会で、主人公が姫と初めてダンスをする場面……。

 本当の私はダンスなどできないけれど、なぜか夢の中では踊れることになっていて「踊れません」なんて野暮なことは言わずに、黙って彼の手を取る。

 私が着ているのは部屋着のワンピースではなく、ふわりと空気のように軽い薄紅色のドレスだ。曲が流れれば、足が自然とステップを踏む。

 そして大広間では、貴族たちが二人だけのダンスを見守っている……。

 夢の内容は、毎回同じだった。

 私は夢の中で、何度もダンスを踊った。



 ◇◇



 ばば様が塔に姿を現したのは、シャルロッテの誕生日パーティー当日の昼だった。

 あれからシャルロッテは塔に来ていない。私の死を確かめに来なかったのは、長い螺旋階段を上るのが嫌だったのではないかと思っている。


「あの子は、数日前から離宮に滞在している隣国の王太子のことで、頭がいっぱいなんじゃろ。まあ、おまえさんに敵意のある者は塔に入れないように魔法をかけておいたから、来ても無駄なんじゃが」


 ばば様は、シャルロッテを嘲笑うかのように口の右端を上げる。それから「さて、行くかの」と私の手を取り、呪文を唱えた。

 連れてこられたのは、大理石の床に大きなシャンデリアのある豪奢な部屋。そこには十人のメイドたちが待ち構えており、私は着ていた服をはぎ取られ風呂に入れられたのだった。

 シャボンの泡、石鹼の香り、顔には泥のパック……たっぷりのお湯に浸かるのは初めてだ。あの塔では、上までお湯を運ぶのは一苦労だったから。


「このパックは、アーフェ海の泥なのですよ」


「まあ! 王女様の肌のきめ細やかなこと。まるで陶器のようですわ」


「姫様のきらめく金髪には、真珠の髪飾りが映えるでしょうね」


「ピンクのドレスがよくお似合いですわ。まるで春の妖精のよう。殿下がお気に召すのも当然ですわね」


 メイドたちは、私をピカピカに磨き上げながら口々に褒めたたえる。

 こちらは慣れない経験にぎこちなく微笑み、されるがままになるしかない。

 ふと、ここはどこなんだろうと素朴な疑問が浮かぶ。ばば様の屋敷だろうか?

 ばば様の生活は謎に包まれているから、あくまで想像でしかないのだが、豪華な部屋で多くの使用人にかしずかれるよりは、どこかの森の寂れた城でひっそりと暮らしていそうな気がする。

 私は身支度がすっかり整ってから、勇気を出して尋ねてみた。


「あの……ここはどこなんですか?」


 するとメイドたちは、一瞬目を見開き、お互いに目配せすると微笑ましげな視線をこちらに向ける。

 答えたのは、ばば様だった。


「ここは来賓の王太子が滞在している離宮じゃよ。彼女たちは王太子に随行してきた隣国のメイドさ」


 着替えているときはどこかへ行っていたのに、ばば様は突然、魔法で姿を現して私のことを頭のてっぺんから足のつま先までじっくりと眺めている。


「私たちは王女殿下のお世話をするために遣わされました。このドレスと宝石は、王太子殿下から王女殿下への贈り物でございます」


 そう言ってメイドたちは、一斉にお辞儀をしてから潮を引くように退出していく。

 贈り物? 髪を飾る大粒の真珠も耳たぶのダイヤモンドも、金糸の刺繍が入った薄紅色のドレスも……。あまりの高価さに頭がクラクラしそうだ。

 そんな私の気も知らず、ばば様は満足そうに微笑み「綺麗になったね」と褒めてくれた。


「パーティーへ行く前に会わせておこうと思ってね。万が一、おまえさんが気に入らないと困るじゃろ?」


「え?」


「おぉーい、入ってくるがよいぞ」


 ばば様が呼びかけると、待ちかねたように隣室につながる扉が開く。

 私はわけがわからず、心の準備もできないまま入って来る人物を迎え入れるしかなかった。

 ばば様は、いつも一言、説明が足りない。そしてマイペースだ。そういうところが、魔女は“気まぐれ”と言われる所以なのかもしれないけど……。


「やっと会うことができましたね」


 その人は、少し癖のあるダークブロンドの髪と澄んだ空色の瞳をしていた。金糸の刺繍がされた黒いテールコートを着て、優しげな微笑みと小説のセリフは――。


「夢と同じ……」


 私がばば様を見ると、ばば様は顔のしわを深めて悪戯っぽく笑う。


「あの黒革の本は先代の夢見の姫が、自身が見た夢を元に書いた物語なんじゃよ。遠い未来のことだろうから、後々まで読めるようにとね。おまえさんの夢に出てきたのなら、夢見同士、引き合うものがあったんじゃろ」 


 いわくつきの本だったとは! やっぱり、ばば様は説明が足りない。

 とにかく……。

 ばば様と私がコソコソとやり取りするのを見て、戸惑いの表情を浮かべるその人へ、私はかつてエイダに教わった所作で挨拶をする。


「初めまして。第一王女のドロシアです。こんなに素敵なドレスは初めてなので嬉しいです。ありがとうございました」


「隣国の王太子のナイジェルです。こちらからすれば、初めてではないのですがね」


 ナイジェル様はクスッと笑うと、私の手の甲にキスをした。


「この国の王家に“夢見の力”が現れるように、我が国の王家にも特別な力が現れるのです。私は、遠く離れた場所を見通す“遠見の力”を持っていて、幼いころからあなたのことを見ていました」


「隣国からあの塔が見えるのですか!?」


「はい。あなたはいつも窓際の机で日記を書いていましたね。隣国の夢見の姫だと父王から聞いて、特別な力を持つ人が私のほかにもいるのだと嬉しくなりました」


 無防備な姿を見られていたことは恥ずかしいけど、それだけ彼の能力は素晴らしいものだ。わざわざ視察に出向かなくても、遠方の田畑の様子、嵐で流された橋、困っている人々の助けを求める姿が手に取るようにわかる。

 それと比べて私は……。


「殿下と違って私の力は役立たずなので、がっかりすると思います」


 俯くと、ナイジェル様は「そんなことはないよ」と言って、私の顔を上げさせた。


「ずっと役に立っていましたよ。あなたが日記帳に夢の内容を記してくれたから、これから起こる出来事を知ることができました。おかげで我が国は、蝗害(こうがい)の被害を最小限に抑えられたのです」


「私の日記が……」


 役に立っていた? あの窓際で記す小さな文字を読んでいたというのだろうか。

 俄かには信じ難くて、思わずナイジェル様の青い瞳を覗き込むと、彼は大きく頷いた。


「塔に閉じ込められているとわかって、いつのころからか、あなたを外に出してあげたいと願うようになりました。部屋着ではない美しいドレスを着て、もっとたくさん楽しいことを知ってもらいたかったんです。今日、ドレスを贈る夢が叶いました。すごく綺麗です。会った瞬間、心臓が止まるかと思いましたよ。これからは共にいろいろな場所へ行きましょう。我が国には一面に黄色い花を咲かせる菜の花畑も、青い海と白い砂浜もあります。美味しいと評判のレストランもね」


「入り江……入り江はありますか?」


 不意にエイダの故郷にあるという、夕日の美しい入り江のことを思い出した。母親代わりだった人が、きっと気に入ると言ってくれた場所。


「王城の近くに小さな入り江があります。一日の始まりにふさわしい、素晴らしい朝焼けが見られますよ。ドロシア王女殿下、どうか私の妃として、我が国にいらしてくださいませんか」


 ナイジェル様はジャケットのポケットから、彼の瞳と同じ青い宝石の指輪を取り出し跪く。

 胸がいっぱいになる。こんなに幸せな気持ちは、生まれて初めてだ。


「はい、喜んで。私をあなたの国へ連れて行ってください。そして、できるなら誰かの役に立って生きてゆきたいのです」


 私が言うと、ナイジェル様は破顔した。

 ばば様も嬉しそうに「よかった、よかった」とニコニコ笑う。


「もとはと言えば、国王に余計な助言をした、ばばが元凶じゃからの。ドレスもなんとか間に合ったし、少しは肩の荷が下りたわい」


 ()()()()()()に私の様子を見に来て、ぞんざいな扱いに驚いたばば様は、どうやら水面下でいろいろと手を尽くしてくれたらしい。

 今しがた『気に入らないと困るから』と言っていたのは、私がナイジェル様を好きになれなかった場合に、隣国に嫁ぐ以外の選択をする可能性を考えてくれていたのだろう。

 エイダがいなくなってからは、毎日のようにカラスに変身して話し相手にもなってくれた。なんだかんだと、面倒見のいい大魔女様なのである。

 私は、ばば様が元凶だなんて一片たりとも思わない。親が娘を冷遇するか否かは、助言以前の問題なのだから。

 私は、ばば様に抱きつき「ばば様、大好き」と囁いた。

 ばば様は「そういうセリフは王太子に言っておやり」と窘めたけれど、声はまんざらでもなさそうだった。



 夕刻、シャルロッテの誕生日パーティーが王宮の大広間で開かれる。

 婚約が発表されるのではないか。離宮に隣国の王太子が滞在していることから、王都では彼がその相手ではないかという噂で持ちきりなのだそうだ。

 ここ数年、兄のフィリップは見聞を広めるため、婚約者の令嬢と一緒に留学と称して他国を巡っている。手元にいるのはシャルロッテだけなので、両親はますます彼女を溺愛しているらしい。

 きっと昨年よりも盛大なパーティーになるに違いない。

 

「ドロシア、手を」

 

「はい、ナイジェル様」

 

 差し出されたナイジェル様の手に、自分の手を重ね合わせた。

 私は王女だというのに王宮内を歩くのは初めてだ。右も左もわからないけれど、ナイジェル様に導かれて、臙脂色の絨毯が敷かれた廊下をまっすぐに進む。不安はなかった。

 大広間に入場する際に「ナイジェル王太子殿下、並びにドロシア王女殿下」と名前を読み上げられると、歓談中の会場が水を打ったように静かになり、一斉に視線が注がれる。

「あれが夢見の姫……」

「塔にいるという、役立たずの……」

「なんと美しい……」

「王太子殿下も、お噂どおり素敵な方だわ」

「なぜ二人が……?」

 好奇心を隠せない招待客が、徐々にざわつき始めた。

 役立たずという言葉が聞こえた瞬間、重ね合わせた手に力が入る。ナイジェル様に握り返され、顔を向けると私を見つめているので「大丈夫だよ」と言われているような気がする。

 そうだ、もう大丈夫――。

 広間の奥の一段高くなった壇上には、国王と王妃がいる。ぼんやりと記憶に残る両親よりも年を取っていて、私たちの姿を認めるなり驚いた顔になった。

 

「で、殿下っ……? 今、シャルロッテがあなたを迎えに離宮へ向かったのですが、そのご令嬢はどちらの……」


 お父様は、私のことが誰だかわからないようだ。私も玉座の設けられた壇上にいるのでなければ、この人が父親だとはわからなかっただろう。

 その隣にいるお母様も、ポカンとして私を見つめるばかりで、自分の娘だと認識している様子はない。

 それほどまでに幼女が大人になる十二年という月日は長い……。


「第一王女のドロシア殿下ですよ。まさかご自分の娘をお忘れではないでしょうね? このパーティーで私たちの婚約が発表されるというので、婚約者をエスコートしようと自ら迎えに行ったのです」

  

 ナイジェル様は、隣国の王太子として型通りの挨拶をしてから、周りの貴族たちに聞こえるように大きな声を張り上げる。

 婚約者はシャルロッテだという噂が広まっていたから、会場がどよめいた。


「お父様、お母様。この度は、このような良縁を結んでいただき、ありがとうございました。この国の王女として恥ずかしくないよう、隣国へ行っても精いっぱい頑張ります」


 私が挨拶をすると、お父様とお母様は狼狽える。どうして塔から出てこられたのか、なぜ隣国の王太子と一緒にいるのか、そのドレスはどうしたのか。いろいろと問い質したいのだろうが、ナイジェル様に射殺さんばかりの鋭い瞳で睨まれて「な……」と口を開けたまま何も言えなくなった。

 お父様は隣国からの『第一王女を』という求婚の条件を受け入れていたという。それにもかかわらず、約束を破ってシャルロッテと挿げ替えようとしていたことに、ナイジェル様は激怒していた。

 ばば様の言葉を恐れて塔に閉じ込めた王女を他国に嫁がせるとは考えられないので、おそらく最初からシャルロッテと結婚させるつもりだったのだろう。

 もしかしたらシャルロッテに毒瓶を渡したのは、お父様かもしれない。私が死ねば、シャルロッテが第一王女になれるから……。


「ちょっと待って!」


 会場のざわめきを引き裂くように、シャルロッテの声が響く。離宮にナイジェル様がおらず、慌てて戻ってきたらしく、肩で息をしている。カツカツと靴音を鳴らして近づいてくると、貴族たちは道を譲るように左右に割れた。

 シャルロッテは私をひと睨みする。


「お姉様は塔にいるはずですわ! ここにいるのは偽物です」


 自分の言いつけどおりに死んでいなかったので、今度は私を偽物として処理することにしたらしい。


「そ、そうですわ。殿下は、この娘に騙されているのです」


 シャルロッテの言い分に、お母様も同意する。

 皆は私の顔を知らないので「王妃様がおっしゃるなら偽物なのか……?」と疑う声がチラホラと出始めた。


「彼女が偽物だというのなら、本物を連れてきてください」


「そ、それは……」


 言いよどむお母様に代わり、シャルロッテはナイジェル様の前まで進み出て、懇願するように胸の前で両手を合わせた。


「殿下、お姉様の代わりに私を婚約者にしてください。お姉様は塔で育ったので、王妃になれるだけの素養はありません。その点、私なら――」


「断る。あなたに王妃の資質があるようには思えない。血の繋がった姉に毒瓶を渡して『死ね』と迫る残忍な女と結婚したら、いくつ命があっても足りないからね」


 シャルロッテの言葉を遮り、ナイジェル様がきっぱりと拒絶すると、会場からは再びどよめきが起こった。

「シャルロッテ様が毒瓶を?」

「まさか夢見の姫を? 罰が当たるんじゃ……」

 口々に上がる困惑の声に、お父様は鎮まるように呼びかけた。シャルロッテも皆に訴える。


「ご、誤解です。私は、何もしていません」


「シャルロッテが言うなら、そうなのだろう。余もその娘に見覚えがない。衛兵、王女を騙る不届き者を捕らえよ!」


 お父様はシャルロッテの味方だった。そして、お母様も。

 ナイジェル様は、私を守るように肩を抱き寄せる。

 捕らえられたら、また塔に閉じ込められるのか。私のためのメイドや兵士の労力を考えれば、今度は地下牢に入れるつもりかもしれない。

 国王の命令に従い、淡々とした足取りで衛兵が近づいてきた。その時――。


「この愚か者めがっ!」


 雷のような、ばば様の怒鳴り声が轟いた。

 とたんに衛兵たちは動きを止め、しびれたように体を震わせている。

 魔法によって姿を現したばば様は、私の隣に立ち、怒りのオーラを放つ。その迫力に恐れをなしたように、周りの貴族たちが次々に跪いていく。


「ばば様……!?」


 お父様とお母様はこれでもかというほど目を見開き、私とばば様へ交互に視線を配る。


「おぬしたちは、ドロシアを大切に育てると言ったはずじゃ。なのに塔へ押し込めた挙句、罪人として引っ立てようとは、それが親のすることか!」


「で、ですが、ドロシアは夢見として役に立たなかったのです。せめて他国へ渡らないようにと……。国が滅びると、ばば様が予言されたのですぞ」


 お父様は額の汗を拭いながら弁明した。喉が渇いたのか、何度もつばを飲み込んでいる。

 お母様は青い顔で今にも倒れそうだが、必死に踏みとどまり弱々しい声で「そうですよ」と抗議した。


「ばばは、予言などしておらん。用心せよと言ったのじゃ。先々先々代の夢見の姫の頼みで忠告したまでのこと」


「そ、そんな!」


「おぬしたち、過去の夢見の者たちが遺した手記や文献を読んでおらぬのか? 読んでいれば、過去に夢見の姫が他国へ嫁しても、国が滅びることはなかったと、すぐにわかったはずじゃが……宰相?」


 ばば様が、大急ぎで駆けつけてきた年かさの宰相へ問うように視線を移せば、彼は「夢見の資料は王族のみ閲覧可能でして……」とばつの悪そうな表情を浮かべる。

 それを聞いたばば様は、呆れたようにため息を吐いた。


「だとしても、山も海も疫病のなんたるかも知らない幼子に吉凶を占えとは、期待しずぎじゃろ」


「で、でも『夢見の姫』なのですよ? 特別な力ならそれくらいはできるはずでしょう。でなければ、すごい姫を生んだと自慢してきた、わたくしの立場が……」


 ばば様に睨まれたお母様は「ヒッ」と顔を引きつらせ、口を噤んだ。


「子どもは親の虚栄心を満たす道具じゃない。それで、末娘をゴテゴテと飾り立て、甘やかした結果がこれか。人の命をなんとも思わぬ怪物に育ておって」


「か、怪物ですってぇ!? 自分だってシワシワの婆ぁじゃない! あの毒薬は、欲しいって言ったらお父様がくれたのよ。私だけ怪物呼ばわりしないでっ」


 カッと目を血走らせ、シャルロッテは逆上した。今まで、蝶よ花よと育てられ、美辞麗句ばかりだったシャルロッテにとって『怪物』は、さぞかし辛辣だったろう。

 ばば様は、ピクリと不快そうに眉を上げ、杖をひと振りする。すると、たちまちシャルロッテの姿が黄色いオカメインコへと変わった。ほっぺたが頬紅を差したように丸いオレンジ色になっている。


「ギャー、ギャー」


「まったく、鳥になってもうるさい子だねぇ」


 シャルロッテが翼をばたつかせ、威嚇するような鳴き声を上げるので、ばば様は呆れている。

 それからばば様は、魔法の杖をもうひと振りしてお父様を白の、お母様を黄色いオカメインコにしてしまった。二羽とも羽根はグレーである。

 人々が放心するなか、短い呪文を唱えると金の鳥かごが現れて、三羽のオカメインコをその中に入れた。


「夢見の姫が塔にいた年月の間、魔法は解けぬ。それまで、この鳥かごで過ごせばよい」


「えっ、十七年もインコのままなんですか?」


「おまえさんの自由を奪ったんだ、ちょっとくらい窮屈な暮らしをしたっていいじゃろ? このばばを婆ぁ呼ばわりしおって……まあ、魔法が解けるころには、あの子も立派な婆ぁじゃ」


 私が尋ねると、ばば様はあっさりと言った。

 隣でナイジェル様が「オカメインコの寿命は、二十年くらいだからね」と耳元で囁くので、背筋がゾッと寒くなり、絶対にばば様を怒らせないようにしようと心に決めたのだった。

 私の考えが顔に出ていたらしく、ばば様は愉快そうにカカカッと笑う。


「さあ、今宵はパーティーじゃ! 皆で楽しもうではないかっ」


 ばば様がコツコツと杖の先で床を鳴らすと、音楽は流れだす。大魔女に対する畏怖の念で跪いていた人々の体からは、次第に緊張が解けていき……。


「踊っていただけますか?」


 ナイジェル様が一礼し、右手を差し出す。


「喜んで」


 私はその手を取ってホールへ。

 夢の中で踊った同じ曲、自然と踏み出すステップ。空気のように軽い薄紅色のドレスが、ターンするたびにふわりと広がる。

 私たちのダンスを見ていた貴族たちも、二曲、三曲と続けば、皆が踊り出す。

 ああ、夢みたい。いや、実際これは先代の夢見の姫が見た夢を、小説を介して私も夢を見たのであって……と、なんだか頭の中がこんがらがってきた。

 そんな私にナイジェル様は「よそ見はダメだよ」と笑って言う。

 会場が熱気と喧騒に包まれるころ、気づけばいつの間にか、ばば様はいなくなっていた。



 ◇◇



 その後、ナイジェル様と結婚して王太子妃となった私は、幸せに暮らしている。

 塔にいたころは役立たずと言われていたのに、なんとこの国では“蝗害から国を救った夢見の姫”として、熱烈に歓迎されたのだ。

 私たちは、お互いの性格をよく知らないまま恋に落ちた。

 一目惚れというとカッコイイけれど、意見が合わずにケンカをするときもあるし、新たな発見をして改めて好きになることもある。侍女たちが言うには『ケンカするほど仲がいい』のだそうだ。

 エイダとはケンカしたり仲直りしたりすることがなかったから、こういう関係を対等というのかな、と思う。夫婦であり、友達でもあるような。

 日記も欠かさず書いている。夢見と遠見の力を合わせてよりよい国を、いや、よりよい世界を作ろうと二人で頑張っている最中だ。

 そのためには、私はもっと勉強しなくてはいけない。

 たとえば、蝗害というのはバッタの大量発生による作物災害のことだとか、雪の重さで小屋が潰れることもあるんだとか、そういうこと。自分の見た夢を、正しく役立てられるように。

 ナイジェル様は、いろいろなところへ連れて行ってくれる。

 一面の菜の花畑。

 黄金色の小麦畑。

 白い砂浜が広がる青い海。

 エビの美味しいレストラン。

 街のお菓子屋さん。

 とにかく毎日が新鮮で、目が回る忙しさだ。そして楽しい。

 突如として国王と王妃がオカメインコになってしまった祖国では、急遽、兄のフィリップが呼び戻されて国王となった。

 将来の国王として、幼いころから息つく暇もないほどの王太子教育が詰め込まれていたお兄様は、私のことを慮る余裕はなく、まさか十年以上も親からほったらかしにされていたとは、考えもしなかったそうだ。

 数年ぶりに帰国してみれば、両親とシャルロッテがいろいろとやらかしていて、後始末に追われているらしい。

 特に夢見の姫に毒薬を渡し死を迫ったシャルロッテへの非難の声は大きく、貴族たちをまとめ上げるのにしばらく苦労しそうだ。


「そろそろかしら?」


「そうだね。こっちにおいで、ドロシア」


 ナイジェル様は、ソワソワする私を後ろから抱き寄せる。

 夜明け前、外はまだひんやりとしているけれど、二人寄り添えば温かい。

 ここは王城からほど近い、小さな入り江に佇む古城だ。昔は王族の住まいだったが、今の王城に居を移してからは、休日に別宅として利用されるのみである。

 入り江が見渡せるバルコニーからの展望が美しくて、私は一目で気に入ってしまった。暇を見つけては夫婦で泊まりにくる。


「あ……」


 始まった。

 空が白み始め、水平線から金色の光が差し込むと、海がオレンジ色に染まっていく。ゆっくりと薄いピンクが混じり、暖かな陽の光が私たちを包み込む。

 あの塔からは、空しか見えなかった。青空もよかったけれど、世の中にはこんなにも美しいものがある。


「私をここへ連れてきてくれて、ありがとう」


 しみじみと言うと、私を抱きしめるナイジェル様の腕に力がこもった。


「気に入ってくれてよかったよ。今日はこのあと、君がもっと喜びそうなことがあるんだ」


「何かしら」


「犬、飼いたがってただろう?」


 私は「きゃぁぁ」と小さな叫び声を上げて体の向きを変え、正面から夫に抱き着く。美しい景色もいいけど、もふもふもいい。

 この国に来て、生まれて初めて鳥以外の動物を見た。鹿にウサギ、キツネ……図鑑よりもずっと可愛らしかった。中でも犬が好きだ。もふもふで、賢い。


「ナイジェル、愛してる!」


「まったく調子がいいんだから」


 私たちは笑いながらキスを交わす。そうして、今日も一日が始まるのだ。


 ばば様は、あれから姿を現さない。

 私たちに子どもが生まれても、王と王妃になっても、音沙汰なしだ。

 きっと気まぐれな大魔女様のことだから、しばらくぶり……なんて言いながら、あと十年もしたらひょっこり会いに来るのだろう。

 もし、うっかり遅くなってしまったら……?

 その時は、どうか伝えてほしい。

 私は自由に生き、喜びと愛に満ちたまま、笑顔で生涯を閉じたのだ、と。

 



最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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