第1話:氷のエルフと執着の始まり
人は、執着でできている。
金に執着する者。
名誉に執着する者。
そして——誰か一人に、異常なまでに執着する者。
俺は、それに触れられる。
強めることも、歪めることもできる。
だから人は、簡単に壊れる。
⸻
「ひ、ひぃ……!」
目の前の盗賊は、剣を握っているくせに腰が引けていた。
足は震え、呼吸は浅く、目は完全に焦点が合っていない。
理由は簡単だ。
俺が、ほんの少しだけ“いじった”からだ。
——恐怖への執着。
それを、ほんのわずかに強めただけ。
「お前、逃げたいんだろ」
「や、やめろ……近づくな……!」
男は剣を取り落とし、そのまま背を向けて走り出した。
仲間もいない森の奥へ、ただ一目散に。
追う必要はない。
執着は、人の行動を決める。
恐怖に囚われた人間は、二度と戻ってこない。
「……便利な力だ」
小さく呟く。
誰かの心に触れて、ほんの少し傾けるだけでいい。
それだけで、人は簡単に崩れる。
——だからこそ。
これは、まともな力じゃない。
⸻
その時だった。
空気が、変わった。
風が止まる。
森が、静まり返る。
「……なんだ?」
次の瞬間。
——閃光。
視界が白に染まり、遅れて轟音が響く。
盗賊たちがいた方向で、光が弾けた。
「……は?」
思わず目を細める。
そして、その中心にいたのは——
一人の女だった。
長い銀髪。
透き通るような白い肌。
そして、感情というものを削ぎ落としたような、冷たい瞳。
エルフだ。
だが——普通じゃない。
足元には、焼け焦げた盗賊たち。
さっきまで複数いた連中が、一瞬で消えていた。
「……今の、魔法か?」
思わず声が漏れる。
女は答えない。
ただゆっくりと、こちらを見た。
その視線だけで理解する。
——格が違う。
こいつは、俺が今まで見てきたどの戦士よりも強い。
⸻
「……生存者か」
淡々とした声だった。
感情がない。
ただ事実だけを処理しているような口調。
「まあな」
俺は肩をすくめる。
「助けに来てくれたのか?」
「違う」
即答だった。
「任務の途中で、敵性反応があっただけだ」
「盗賊だぞ、あいつら」
「同じだ」
バッサリだな。
⸻
女は一歩近づく。
「お前、何をした」
「何って?」
「先ほどの盗賊だ」
見られていたらしい。
「逃げただけだろ」
「違う」
その瞳が、わずかに細められる。
「恐怖に支配されていた」
「……よく見てるな」
「300年、生きている」
さらっと、とんでもないことを言った。
300年。
なるほど。
この“圧”も納得だ。
⸻
「……で?」
俺は笑う。
「それで、どうする?」
エルフは一瞬だけ考え、
「監視する」
と言った。
「お前は異常だ」
「ひどい言い方だな」
「事実だ」
即答。
「精神に干渉する能力」
「……」
「危険だ」
全部バレてるじゃねえか。
⸻
「安心しろ」
俺は手を上げる。
「敵には使うが、味方には——」
そこで、言葉が止まる。
ほんの一瞬の迷い。
エルフは見逃さなかった。
「……今、躊躇したな」
「気のせいだ」
「違う」
断言。
⸻
面白い。
300年の経験ってやつか。
誤魔化しが効かない。
だから——
試してみることにした。
⸻
「なあ、エルフ」
「名前で呼べ」
「じゃあ教えろ」
「必要ない」
「じゃあエルフでいいな」
「……好きにしろ」
⸻
その瞬間。
俺は、ほんの少しだけ触れる。
——“執着”に。
⸻
対象:このエルフ。
項目:任務への執着。
それを、ほんのわずかに——
強める。
⸻
変化は、ほとんどない。
外から見れば。
だが分かる。
こいつの中で何かが、ほんの少しだけズレた。
⸻
エルフは俺を見る。
じっと。
数秒。
⸻
「……決めた」
静かに言う。
「お前を同行させる」
「は?」
「監視のためだ」
「急すぎるだろ」
「必要だ」
⸻
そして一歩近づく。
距離が、近い。
「お前は危険だ」
「さっきも聞いた」
「だから」
一瞬、言葉が止まる。
ほんのわずかな違和感。
⸻
「……私が見ていなければならない」
⸻
その言葉に、俺は内心で笑った。
——効いてる。
ほんの少しのはずなのに。
⸻
「……どうした」
エルフが言う。
「いや」
俺は肩をすくめる。
「なんでもない」
⸻
だがその時。
エルフが、わずかに眉をひそめた。
⸻
「……妙だな」
「何が?」
「今」
胸元に手を当てる。
⸻
「執着が、強い」
⸻
その視線が、俺に向けられる。
真っ直ぐに。
⸻
「……お前」
⸻
空気が張り詰める。
⸻
「私に、何をした?」




