4.サッカー
――翌日、気合を入れて家を出た。
髪を整えたし、シャツにもアイロンがけしたし、靴も綺麗にした。これなら少しは好印象になっただろうか。
学校に向かって歩いていると、不安になってきた。俺の髪型、変じゃないだろうか? そう思うと自然と俯いてしまう。
「晃一さん、背筋を伸ばして歩いてください。その方が素敵ですよ」
「そ、そうかな……」
リセルの励まされると、不思議と心が軽くなる。俺は背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いて歩いた。
学校に着き、恐る恐る教室に入ると、陰キャ仲間たちが俺を見て目を丸くしていた。
「お、お前、瑞野……だよな?」
陰キャ仲間の一人が小声で言い、もう一人が隣にいた奴の肩をつついた。
「髪切った……のは分かるけど、なんか雰囲気変わってね? なんつーか、お前らしくないって言うか……」
二人は何度も目をまばたかせて俺を見ている。やはり変だっただろうか? 急激に恥ずかしくなってきた。この場から逃げだしたい。
「晃一さん、落ち着いて下さい。彼らは晃一さんの変化に戸惑っていますが、晃一さんの髪がおかしいと感じているわけではありません」
なんでリセルにそんなことが分かるんだよ!?
「彼らの瞳孔、声色、表情から判断しています」
そんなんで分かるのか、さすがだな……。俺は落ち着きを取り戻して、息を吐いた。すると、背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「おー、瑞野。髪切ったんだな? イイ感じじゃん!」
今まで接点のなかった陽キャ男子グループの一人が、俺にひょいと近づいて、声をかけてきた。
倉山大樹、クラスの中でも序列上位の陽キャだ。なんでそんな奴が俺に声を掛けるんだ!? 再び緊張が高まって沈黙している俺に、倉山は爽やかな笑顔を向けた。
「昨日の英語、凄かったよな! あの発音、まじでネイティブみたいだったー。瑞野って英会話とかやってるのか?」
「え、あ、あぁ……」
突然話し掛けられても、言葉が出ない。コミュ障の俺は、瞬時に脳がフリーズしてしまった。助けて、リセル!
「リセルが代わりに対応しましょうか?」
リセルの穏やかな声が頭の中で囁いたので、俺は即座に「頼む!」と返した。次の瞬間、俺の口が勝手に動いた。
「俺、実はオヤジがアメリカ人でさー」
すると倉山は、呆れたような口調だ。
「はぁ? お前、どう見ても100パー国産だろ!?」
すかさず俺の口が、流れるように言葉を紡いだ。
「ふふ、カラコンを外すとブルーアイズなのですよ」
「ブルーアイズって! まじかよー!」
倉山が軽快に笑い声をあげると、周りの男子も笑って俺の周辺が軽く盛り上がった。
リセルのやり取りは口調も間も自然で、相手のテンションにちゃんと合わせていた。俺だったら、絶対あんな話し方できない。
俺が唖然としていると、リセルの声が頭の中で響いた。
「彼らは晃一さんを『面白い奴』と認識しました。今の晃一さんに対する好感度は、平均よりも高い水準です」
……そっか、ありがとな。
教室の笑い声の中心に、自分がいる。それだけで胸が熱くなった。
不意に視線を感じてそちらを見ると、黒髪が陽の光を受けてきらりと光った。及川加奈の大きな瞳が、こちらをまっすぐ見ていた。
クラス一の美少女と目が合って、俺の心臓はドクンと跳ねた。すぐに彼女は顔を逸らしたけど、微笑んだような気がして俺は息を呑んだ。
でもちょっと待て。及川みたいな天上の女神みたいな子が、俺ごときに微笑んでくれるわけないんだ。
そうやって、自分自身に言い聞かせていると、リセルの声が聞こえてきた。
「及川加奈さんの視線は、晃一さんに向けられていました」
「マ、マジで? 及川は俺に惚れたのか?」
「まだ恋愛感情を抱くには至っていません。ですが好感度は少しずつ良い方向に推移しています」
俺の鼓動はしばらく高鳴ったままだった。
三限目の体育は、サッカーだった。
体育着に着替えながら、憂鬱な気分になっていた。俺の運動神経はゼロ、いやマイナスだ。授業でサッカーなんてやろうものなら、惨めな姿を晒すことになるだろう。でも人気者になれそうなのに、みんなにカッコ悪いところは見せたくない。
あーあ、気が重い。体調悪いって帰ろうかな……。
軽く準備運動を終えると、先生の指示でチーム分けが始まった。俺は倉山と同じチームになった。
「瑞野と一緒か! 頑張ろうな!」
「えっ、お、うん」
倉山に声を掛けられて、軽くキョドってからグラウンドに散らばると、試合開始のホイッスルが鳴った。
みんなが一斉にボールめがけて走っていく。俺は遅れてゆっくりと走りだした。試合終了まで、気配を消す作戦だ。
ところが、俺の目の前にボールが転がってきた。仕方ないので、倉山がいる方に蹴ろうとすると、足がもつれて転倒してボールはどこかへ行ってしまった。
チームメイトから、ため息が漏れるのが聞こえるようだ。「瑞野、ドンマイ!」という、倉山の温かい言葉も、今の俺には少々辛い。
やばい……、体が動かない。
頭ではこう動く、と思っているのに、手足がその通りに動いてくれない。自分の不甲斐なさに胸が苦しくなった。このままじゃ、せっかく人気者になれそうなのに台無しだ。俺は頭の中でリセルに叫んだ。
「リセル、助けて! 何とかならない?」
「運動中枢をリセルに接続しますか?」
リセルの穏やかな声が頭の中で聞こえたので、俺は即座に「頼む!」と回答した。
次の瞬間、全身に電流が走ったような感覚がした。足の裏から頭のてっぺんまで、自分の意思とは違う、何かが操っているような感じだ。
不思議な感覚に戸惑っていると、俺の体が勝手に走りだした。
相手チームのパスコースを瞬時に読み華麗にカット。そのままドリブルで相手ディフェンスを一人、二人と抜き去っていく。
「すげぇ!」
「おぁ、瑞野、マジかよ!」
みんなが驚いている声が聞こえる。俺の体はそれらの声も意に介さず、正確無比な動きを続けた。
そして、ゴール前の絶好のポイントに差し掛かると、リセルが俺の口を動かした。
「倉山、右サイドに開け! 今だ!」
倉山は一瞬戸惑ったが、すぐに言われた通りに走る。俺の体はそこにパスを出し、倉山はそれをゴールに押し込んだ。
直後、歓声が上がった。みんなが俺のスーパープレイに湧いている。それを実感すると、胸がジーンと熱くなった。
その後も俺は大活躍して、試合は俺たちのチームの勝利で終わった。みんなが俺の周りに集まってきた。
「瑞野、ヤバすぎだろ! いつの間にそんな上手くなったんだよ!」
「お前、サッカー部か!? あのパス、マジで痺れたわ!」
みんなに口々に褒められて、俺の口角は上がってしまう。何とも言えない快感に浸っていると、女子の集団が遠巻きに俺を見ているのに気が付いた。その中には及川もいて、笑いながら何かを話しているようだった。
もしかして、女子たちも俺を見てるのかなぁ……何を話してるんだろ?
「及川加奈さんの口の動きを解析しました。『瑞野君って意外と運動できるんだね。ちょっとカッコいいかも』と発声したことが分かりました」
リセルの言葉に、俺の頭は沸騰した。
それって、俺のことが好きってことじゃないのか?
「現時点で、その可能性は低いです。ただ、今までのように視界にも入っていなかったのとは異なり、彼女の選択肢の中に入ったという点で、大きな前進と言えます」
「え? 俺にもワンチャンあるってこと?」
「はい、その通りです。今後の行動次第で、及川加奈さんと親密になることは可能です」
その後しばらく、夢見心地でいたのだった。




