3.美容院
――週末をはさんで月曜日。
普段なら、たまらなく気分が重いが、今朝はなんとなく晴れ晴れとした気分だ。軽やかな足取りで学校に向かった。
今の俺にとって、学校など恐るるに足らんのだよ!
そして始まった英語の授業。英語教師は黒板になにやら難しい英文を書いてから、振り向いてクラス内を見渡した。
「では瑞野、この問いに対して、英語で答えてみろ」
ぎゃあ! また当てられたっ! しかし、今の俺にはリセルがいる!
黒板に書かれた英文の最後に?が付いているので、疑問文であることは分かる。でも意味は分からないし、そもそも読めない。リセル助けて! すると脳内で、リセルの流暢な英語が聞こえてきた。
なんてこった! そんなの俺の口で言えるわけない! どうしよう!?
「音声中枢をリセルに接続しますか? そうすれば、リセルが晃一さんの口で発声できます」
俺が「頼む」と念じると、次の瞬間、俺の口が勝手に動いて、流暢な英語が紡ぎ出された。
「Because it reflects how fragile and beautiful human feelings can be.」
教室が静まり返った。前の席の女子は、振り返って目を丸くしている。隣の席の男子なんて、「おお……」とかって大口を開けていた。英語教師は一瞬目を見開いてから、何度もまばたきをした。
「おぅ、よく読めてるじゃないか。それに発音も素晴らしい! 随分頑張っているみたいだな!」
何を言ったのか自分では全く分からないが、褒められてしまった。おまけに、みんなの視線が俺に注がれている。
あぁ、またこの感覚だ、腹の底から上がってくる高揚感……。凄く気持ちいい!
にやけながら頭をかいていると、クラス一の美少女、及川加奈と目が合った。彼女の瞳が微笑んだように見えて、俺の胸がドクンと鳴った。
あの及川が、俺に見惚れていた? ……まさかね。
――放課後。
帰宅して洗面台の鏡の前に立って、自分の姿をまじまじと見つめる。ぼさぼさの髪に、まばらにはえた髭。無造作に着た制服。
「いくら勉強ができるようになっても、こんな見た目じゃ及川みたいな美少女が仲良くしてくれるわけないよなぁ……。リセル、女子にモテるにはどうしたらいい?」
「現代日本において、女子が好感を持つ男子の第一条件は清潔感です」
「せいけつかん……ねぇ。それで及川と仲良くなれるのかなぁ」
「及川加奈さんと仲良くなるのが希望ですか?」
直球でそんなことを言われると、返答に迷うけど……。仲良くなれるものなら仲良くなりたい。
「まぁ、できることなら……」
「それを実現するために、一つずつ変えていきましょう。髪を整え、髭を剃り、服のしわを伸ばすだけでも印象は大きく変わります。おすすめは、前髪を自然に流すセンターパートです。美容院で頼めば校則内で仕上げてもらえます」
「び、美容院? 俺なんかが?」
「最近では男子高校生の七割以上が美容院を利用しています。恥ずかしがる必要はありません」
「まじか……」
「さらに、ワイシャツに軽くアイロンをかけ、靴を磨くと好印象です。整えた外見は自信につながりますよ」
自信、か……。鏡の中で、ぼさぼさで寝ぐせが跳ねた髪の俺が、どこか居心地悪そうに笑った。
「……よし。明日、ちょっと変えてみるか」
「今すぐ美容院に行きましょう」
リセルはいつになく真剣な口調なので、俺は思わずたじろぐ。
「そうはいっても、予約とかいるだろ?」
「スマホで空いている店を探してください」
有無を言わせぬ口調だった。まるで、作戦行動に出る前の司令官みたいだ。俺は言われるまま、最寄りの美容院に予約を入れて向かった。
店に入った瞬間、独特の香りと雰囲気に包まれて体が強張った。そんな俺に、美容師の一人が微笑みかける。
「いらっしゃいませ!」
それを見て、俺の中のコミュ障が全力で発動した。もう逃げたい! 助けてリセル!
「リセルが晃一さんに代わって対応しましょうか?」
頼む! と心の中で叫ぶと、俺の口が勝手に動いた。
「予約していた瑞野です」
「はい、瑞野さまですね。こちらへどうぞ」
椅子に座ると、鏡越しに自分と目が合った。ぼさぼさの髪に無気力な顔。照明が明るすぎて、余計に惨めに見えた。音声中枢をリセルに任せていなければ、ため息が出ていたことだろう。
「今日はどんな感じにしますか?」
笑顔の美容師が軽やかに声をかけてくると、再び俺の口が勝手に動いた。
「センターパートで自然な印象にしてください」
「はい、かしこまりました」
美容師に声を掛けられるたびに、リセルが俺の口を使って上手に対応してくれた。髪を切るだけで、こんなにも色々話さないといけないなんて、俺一人だったら絶対に無理だったな……。
美容師が手際よくハサミを動かすたびに髪が落ちる。鏡の中の自分が少しずつ整えられていく。その間も、美容師とリセルは世間話をしていた。俺は緊張したまま、なるべく動かないように座っていた。
「こんな感じでどうでしょう?」
「ありがとうございます」
美容師とリセルのやり取りから察するに、どうやら終わったようだ。鏡に映っている姿は、整った髪のおかげか自分じゃないみたいだ。なんだか表情まで明るく見えてきた。
俺って、もしかして結構イケてる?
「素敵ですよ、晃一さん」
リセルの穏やかな声に、弾むような足取りで家に帰ったのだった。




