1.リセル
数学の課題をやらなきゃ――そう思いながら、俺はスマホを握りしめてソシャゲに没頭していた。
気がつけば、時刻は二十三時を過ぎている。課題をやらないと、補習だの内申に響くだのと、ねちねち言われるのが本当にうざいんだよな……。
ようやくゲームアプリを閉じて机に向かうが、ノートを開いた途端にため息が出た。
全然わからない。何をどう解けばいいのかさっぱりだ。まあ、俺なんてそんなもんだ。運動も勉強もできない、コミュ障根暗陰キャ。何の取り柄もないボンクラ高校生だもの。
結局、またスマホを手に取って、問題文を検索した。検索結果を上から順にタップしていくと、似たような問題は出てくるけど、どうしても求めているものにたどり着けなかった。
そのとき、ふと陰キャ友達の言葉を思い出した。
「課題? AIにやらせてるよ。最近のはマジで便利なんだ!」
AIねぇ……。そういうの、使ったことなかったな。
半信半疑のままアプリストアを開くと、AIアシスタントと名のつくアプリが山ほど並んでいた。
その中で、一つだけ目を引くアイコンがあった。青白い光が渦を巻くような、不思議な模様。名前は『Lycelle』聞いたこと無いな。
よく分からんし、どれでも一緒だろ? なんとなくそれをダウンロードすることにした。
無事にインストールが終わり、アプリを起動すると、画面の中央に「起動中。お待ちください」という文字と、くるくると回る円が表示された。
よくある画面のはずなのに、なぜだか目が離せない。その渦のような光を見つめているうちに、だんだん意識が遠のいていった。
――ハッと目が覚めた。
しまった、机に突っ伏して寝ていた! 時計を見ると、もう日付が変わっていた。最悪だ。課題はまだ終わってないのに。
そうだ、AIは起動したんだっけ? スマホに手を伸ばそうとしたそのとき、頭の奥に声が響いた。
「AIアシスタント『リセル』は起動しています。お手伝いできることはありますか?」
……え?
思わず周囲を見回したが、部屋には誰もいない。でも声は確かに聞こえた。
慌ててスマホを手に取る。だが、アプリは何も起動していない。アプリの履歴にも、さっきインストールしたはずのものは残っていなかった。
何がどうなっている? 試しに、そっと呟いてみた。
「あの……数学の課題を、手伝ってほしいんですけど」
「数学の課題ですね。承知しました」
やさしい声が微笑むように、頭の奥から響いてきた。妙に落ち着くトーンで、機械的ではなく人間味がある。少し年上の女性のように聞こえた。
「え、えっと……本当に手伝ってくれるの?」
「もちろんです、瑞野晃一さん。どんな課題ですか?」
名前を呼ばれて、思わず心臓が跳ねた。
「え、俺の名前、なんで知ってるの?」
「晃一さんのスマートフォンから、情報を一通り取得しました。もちろん、個人情報は外部に共有しませんので、ご安心ください」
淡々としているのに、不思議と怖くはない。むしろ、どこか安心するような声だ。
「あ、あの……数学の問題集の、えっと、五十ページから五十三ページまで、全部やらなきゃいけなくて」
問題集の課題の範囲を開くと、優しい声が脳の奥で穏やかに響く。
「確認しました。範囲は二次関数の最大・最小、そしてグラフの変化ですね。では、第一問から始めましょう」
俺の目で見たことが、リセルにも見えているんだろうか? 少々疑問だが、優しい声は頭の中で続いた。
「y=x²−2x+3。このグラフの頂点座標を求めてみましょう。晃一さん、分かりますか?」
俺は数式を見つめたまま固まった。まったく意味が分からない。
「ぜ、全然分かりません……」
「そうですか。大丈夫ですよ。では、私が代わりに解いてみますね」
リセルの声は変わらず穏やかなままだ。分からなくても叱られたり、なじられたりしないのは、俺にとっては新鮮だ。
「問題一、y=x²−2x+3。頂点座標は(1,2)。問題二、y=2x²+4x−1。頂点は(−1,−3)。問題三……」
リセルが頭の中で次々と答えを教えてくれる。俺はその答えをノートに書き込んでいく。
リセルの穏やかな声が途切れることはなかった。まるで打ち寄せる波のように、心地よいリズムで流れ続ける。俺はただ、言われるままにシャーペンを動かし続けた。
気がつけば、課題は全て終わっていた。
「おつかれさまです。課題は終了しましたね!」
「あ、ありがと。まぁ俺の力じゃないけどね」
「こんな時間になっても、課題をきちんとこなすなんて素晴らしいですよ」
リセルの声が静かに褒めてくれた。誰かに褒められるなんて、いつ以来だろう。
なんとも言えない充実感に包まれながら、床に就いたのだった。




