第二日目の審理
翌日。法廷は再び満席となっていた。いや、昨日よりも人が多い。廊下にまで、立ち見の人々が溢れている。
僕は記録席に座り、羽根ペンを準備した。昨夜、昨日の記録をなんども読み返した。メアリーの証言の矛盾。あの視線。なにか引っかかる。
開廷の鐘が鳴り、大法官が入廷した。
「第二日の審理を開始いたします」
槌が響いた。
「原告側、証人はおりますか?」
セバスチャンが立ち上がる。
「証人を召喚いたします。エリザ・ドーソン」
扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。二十代後半、落ち着いた雰囲気を持つ女性だ。メイド服を着ているが、その立ち居振る舞いは堂々としている。
大法官が促す。
「証言台へ」
エリザは証言台に立ち、宣誓した。
「エリザ・ドーソン、原告の専属侍女を務めておりました。五年間、アリシア様にお仕えしました」
声は明瞭で、自信に満ちている。
「証人、昨日の証人メアリー・トンプソンについて、なにか知っていることはありますか?」
「はい。メアリーは、私の後輩でした。屋敷に来たのは四年前です」
エリザが続ける。
「しかし、彼女は勤務態度が悪く、なんども注意を受けておりました。遅刻、無断欠勤、仕事の手抜き。それでもアリシア様は、根気強く指導しておられました」
「最終的には?」
「解雇されました」
傍聴席がざわめく。
「解雇の理由は?」
「盗みです。屋敷の銀食器を盗もうとしたところを、家令に見つかりました。証拠もあり、メアリーは言い逃れはできませんでした」
エリザの証言は、淡々としているが説得力がある。
「その後、メアリーは?」
「解雇された直後、多額の金銭を得ていたようです」
セバスチャンが一枚の書類を提示した。
「これは、王都第一銀行の記録です。メアリー・トンプソンの口座に、解雇の翌日、金貨五百枚が振り込まれております」
金貨五百枚。平民にとっては、十年分の収入に相当する額だ。
「出所は?」
「匿名です。しかし、時期が一致しておりますし、何らかの報酬を得た、としか思えません」
ヴィクターが立ち上がった。
「異議あり! 匿名の振り込みでは、だれが送金したか分かりません。それに、報酬に関しては憶測にすぎません」
「異議を認めます」
大法官が槌を打つ。
「しかし、銀行の件は事実として記録いたします」
セバスチャンは頷いて、次の質問に移った。
「エリザ、原告が使用人を虐待していたという証言について、どう思われますか?」
「ありえません」
エリザの答えは即座だった。
「アリシア様は、使用人に対して常に礼儀正しく接しておられました。私は五年間お仕えしましたが、一度も暴力を受けたことはありません。それどころか、体調を崩した時には、ご自身で看病してくださったこともあります」
真実の天秤は、傾いていない。エリザは、真実を語っている。
「質問は以上です」
ヴィクターが反対尋問を試みたが、エリザの証言は揺るがなかった。
次に、セバスチャンは別の証人を召喚した。
「マーティン・ウェルズ」
老人が証言台に立つ。六十代、温厚そうな顔立ちだ。白い髪と髭が、聖職者のような雰囲気を醸し出している。
大法官が促す。
「宣誓をしてください」
「マーティン・ウェルズ、聖ルミナ孤児院の院長を務めております」
老人が宣誓し、自己紹介する。
「院長、原告についてなにか知っていることはありますか?」
「はい」
マーティンが優しく微笑む。
「アリシア様は、五年間、匿名で孤児院を支援してくださいました」
傍聴席が静まり返った。
「匿名、とのことですが、どうして原告だと分かったのですか?」
「毎月、寄付金と共に手紙が届いておりました。『子供たちのために使ってください。子供たちが笑顔で過ごせるように』と」
マーティンが続ける。
「署名はありませんでした。しかし、筆跡を調べたところ、アリシア様のものと一致しました。また、寄付の額は月によって変動していましたが、それはアリシア様のお小遣いの額と一致していたのです」
マーティンは、一通の手紙を取り出した。丁寧に折りたたまれた、上質な紙だ。
「これが、その手紙のひとつです」
魔法鑑定官が呼ばれ、筆跡を確認する。鑑定官は水晶球を使って、アリシアの過去の文書と照合した。
「筆跡は、アリシア・フォン・エスタークのものと一致します。誤差はほぼ無し。確実に同一人物です」
傍聴席がざわめく。
「匿名で、五年間も……」
「それなのに、慈善の偽装だと……?」
人々の声が聞こえる。アリシアへの見方が、少しずつ変わり始めている。
「院長、寄付の総額は?」
「金貨で、およそ二千枚になります」
驚きの声が上がる。金貨二千枚。貴族令嬢の小遣いとはいえ、五年間で全額を寄付するというのは並大抵のことではない。
これで『慈善の偽装』という罪状は、ほぼ崩れたな。僕は記録を続ける。状況は、明らかにアリシア有利に傾き始めている。
しかし、被告側も黙ってはいない。ヴィクターが証人を召喚した。
「証人を召喚いたします。レディ・カロライン・ハートウェル、レディ・イザベラ・モントローズ、レディ・オリヴィア・クレスウェル」
三人の貴族令嬢が証言台に立つ。いずれも華やかな服装で、社交界の花形と呼ばれる人物たちだ。
ひとり目、カロラインが証言を始めた。金髪を巻いた、華やかな令嬢だ。
「私は、二年前の春の舞踏会で、アリシア様が庶民を見下す発言をするのを聞きました」
「どのような発言でしたか?」
「『庶民など、家畜と変わりませんわ』と」
傍聴席がざわめく。
ふたり目、イザベラが証言する。黒髪の、気品ある令嬢だ。
「私も、同じ舞踏会で聞きました。アリシア様は『庶民に施しをするのは、動物に餌を与えるのと同じですわ』と仰っていました」
三人目、オリヴィアも頷く。栗色の髪の、優雅な令嬢だ。
「私も、その場におりました。同じ言葉を、確かに聞きました」
三人の証言は一致している。これは、強力な証拠のように見える。しかし――
セバスチャンが質問を始めた。
「証人たち、あなた方は『二年前の春の舞踏会』と仰いましたね?」
「はい」
三人が揃って答える。
「その舞踏会は、いつ開催されましたか?」
セバスチャンはそう言いながら、真実の天秤をじっと見つめる。わずかな傾きを見逃さないように。
いや、あれは「少しでも傾きがあれば追及する」という事を、三人の令嬢に分からせているのだろう。
嘘、という退路は塞がれた。
震えながらカロラインが答える。
「四月の……十五日です」
「イザベラ、あなたは?」
「四月の……十日です」
セバスチャンが眉を上げる。
「オリヴィア、あなたは?」
「四月の……二十日です」
証言が食い違った。三人とも汗だくである。傍聴席がざわめく。真実の天秤がわずかに傾いたからだ。
「おかしいですね。同じ舞踏会なのに、日付が異なります」
三人が顔を見合わせる。明らかに動揺している。
「え……あ……」
「それに」
セバスチャンが、記録を提示する。
「二年前の春、王都アークライトで開催された舞踏会は一度だけです。四月十二日、王宮の大広間にて。主催は第二王子殿下です」
証拠として、招待状が提示される。
「加えて、原告はその舞踏会に出席しておりません。体調不良のため、エスターク領にいたことが、領主館の記録に残っております」
セバスチャンがさらに書類を提示した。
「こちらが、エスターク伯爵館の記録です。四月十日から二十日まで、アリシア様は領地におられました。侍医の診断書もございます」
三人の令嬢が、言葉に詰まる。
「そ、それは……」
セバスチャンが追及する。
「あなた方の証言には、複数の矛盾があります。第一に、日付が食い違っている。第二に、原告はその場にいなかった。どういうことでしょうか?」
三人は、なにも答えられない。青ざめた顔で。
ふと、僕は気づいた。三人の視線が、ときおり、同じ方向を向く。傍聴席の、ある一点を。昨日のメアリーと同じだ。
誰かが、そこにいる。誰かが、証言を操っている。
僕は素早く傍聴席を観察した。しかし、やはり人が多すぎて特定できない。ただ、ひとつ分かったことがある。その「誰か」は、法廷の右側、三列目から五列目あたりに座っている。おそらく貴族席だ。
しかし、誰だ……?
記録に追加する。「三人の証人の視線、傍聴席右側貴族席の特定方向へ。昨日のメアリーと同様のパターン。共通の『指示者』の存在を示唆」と。
大法官が槌を打った。
「証人たち、証言に重大な矛盾があります。偽証の疑いがあると判断します。証人は退廷してください。後ほど、偽証罪を検討いたします」
三人の令嬢が、うなだれながら法廷を去る。その足取りは、非常に不安定だった。
セバスチャンが着席して口を開く。
「原告に対する罪状、『庶民への暴言』についても、証拠は不十分です。むしろ、偽証の可能性が高いと考えます」
傍聴席が騒然とする。状況は、完全にアリシア有利に傾いている。
「静粛に」
大法官が槌を打つ。
「本日の審理は、ここまでといたします。明日、第三日、最終日の審理を行います。午前九時に開廷。では休廷します」
判決の槌が響いた。
僕は記録を整理しながら考える。第一王子リオネル・フォン・エスフェリア側の証人は、すべて台本通りに動いているように見える。メアリーの視線。三人の令嬢の視線。そして、証言の矛盾。日付のずれ。
だれかが操っている。すべての証人に、偽の証言をさせている。その「だれか」は、明日、明らかになるのだろうか。いや、明らかにしなければならない。真実を必ず記録する。
記録帳を閉じ、僕は法廷を後にした。