第8話 トラブルは止まってくれない感じ!
私たちがフィルにお世話になることが決まった後のことだった。
なんだか、外が騒々しい。慌ただしく人が駆け寄っていったり、大声で叫んでいたり。
「何かあったみたいだね」
フィルも気付いた様子で、ゆっくりと立ち上がっていた。目を細めて笑みは絶やさない。
「行ってみようか。ひょっとしたら、君たちにとっての初仕事が決まるかもしれないよ?」
「初仕事……!」
フィルのそんな一声に少しワクワクしながら、私たちはギルドの外へ向かっていった。
率直に言って、もう帰りたい。
ギルドの扉を抜けた先では、角の生えた赤い大男が大暴れしていた。
屈強な手足や図体は筋肉で出来てるみたいで、力任せに振りぬいた拳で辺りの民家が粉々に壊されていた。
「ひ、ひどい……どうしてこんな……」
私は思わず顔を手で覆った。突然こんな惨事に見舞われてどうしたらいいかわからない。大男は今も、細剣を片手に握る女の人をつまみ上げて、ギロリと睨みを利かせている。
「ぐっ……この、離せ……!」
大男はそんな声になんて耳に入らないって感じで、女の人を適当に投げ捨てるみたいに、私たちの方へ──って、ちょっと⁉ それは聞いてない!
「うひゃあ⁉」
ドガァンッ! って石畳の地面を抉る音とともに、目の前に女の人が転がり込んだ。
「……! だ、大丈夫で」
「乱暴者め……!」
私が必死で声をかけても、女の人は耳に入ってない。アドレナリン全開って様子で、大男と対峙していた。
後ろ姿だけど、すごく細い体で、フードを目深に被っていた。女の人ってすぐ気付いたのは、美しくてハリのある、アーティストみたいな声だったからだ。
「ふぅん、良いチャンねぇだ」
「悪くねぇな」
……一方こちらはおバカさん二人組。女の人のぷりってしたお尻を目で追っかけてる。どうしようもない。
「……そういうの、視線でバレるんだよ」
「う、うるせぇな……見るだけならタダだろ」
フトシさんがそう言うけど、私はため息をついた。って、そんな会話してる場合じゃない。今にも大男は、この街を壊そうとするみたいに唸り声をあげていた。
「ぎ、ギルドより冒険者各位に通達します! ギガントオーガの撃退、及び討伐を速やかに実行してください! なお、報酬については対応中ですので今しばらくお待ちください……!」
さっきのギルドのお姉さんの声が、メガホンみたいな感じで聴こえてくる。この街全体に向けての放送のようだった。その声を受けて、ぞろぞろと人が集まってくる。
「臨時ボーナス、ってやつだね。まぁ、トラブルと言ってもいいけれど」
「いやどう考えてもトラブルでしょうよ!」
私がそうツッコんでも相変わらず眠そうな目で笑みを浮かべているフィル。本当にこの人は。おかげで少し緊張がほぐれた。
「まさか、辺境のギルド支部に乗り込むような魔物がいるとはなぁ。悪いが、テメェの好きには、させねぇよ!」
そこへ、大きな両手持ちの剣を抱えた、赤い髪のお兄さんが、剣を地面に擦りながらギガントオーガと呼ばれた魔物に向かっていった。
「え、あの……!」
思わず声をかけてしまう。そういうの、フラグって言うんじゃ……!
「……来るなッ! コイツは、昨日今日冒険者になった輩が倒せるような相手では……!」
私の掻き消えるような声より大きく響くのは、さっきの女の人の声。肩で息をしながら、細剣を突き上げていた。でも、それでも止まらない赤髪さんは、
「はっ、しゃらくせぇ!」
と剣をギガントオーガの足に振り上げる。
途端に。その剣とともに、赤髪さんが吹っ飛んだ。
「なっ」
ギガントオーガの振りぬいた健脚が、赤髪さんをすぽーんとボールみたいに宙を舞わせていた。その勢いのまま、握った両手で打ち付ける。
直後、赤髪さんの体がクレーターに埋まるように大地に叩きつけられた。
「がはッ……!」
私は、目の前で広がるその光景に思わず目を伏せた。見てられない、痛い、怖い。
「おいおい……話が違うんじゃねーか? 街に魔物が出るなんてそりゃねーだろ」
リュウタさんの言うとおりだ。街を襲う魔物がいるなんて聞いてないし、まして私たちは武器もない。どうして、こんな急に。
「に、逃げよう……? 私たちの出る幕なんてないよ……!」
辛うじて出た声と、体が一致しなくて。震える体を抱くように、私はその場にうずくまっていた。
「……臆病者は、そこでじっとしているといい。わたしは、止まる訳には行かないッ!」
お姉さんは、ちらっと私を見て、そう言っていた。そして前傾姿勢で、俊敏に、ギガントオーガに剣を振るっていた。
ギガントオーガの大ぶりな攻撃をギリギリでかわして、腕の筋に細剣を振りぬいている。続けざま、大きく開いた胸板にフェンシングのように突きを繰り返していた。
その剣の鋭さがあってもギガントオーガの岩みたいな筋肉には届いていない。けど時折、つまようじが刺さったように顔をしかめる様子から、まったく利かない訳じゃないことがわかった。お姉さんすごい……!
「……ユウカ。君は、彼をどう思う?」
お姉さんの姿に圧倒されながらも恐怖の拭えない私を見て、フィルは言った。
「え、か、彼って、誰の……」
「わかるだろう? あの赤鬼さ」
見上げ、ギガントオーガの様子を見た。目は血走っていて、血管が浮いてるみたいに、怒りがあらわになっていた。
胸がズキっと痛む。
「どうも、気が立っているみたいだね。……問題だよ。君ならこういう時、どうする?」
「ど、どうって言われたって……!」
何なの? 私に戦えってことが言いたいの? 無理だよ! もう足に力が入らなくて、怖くてたまらないのに……! いつも鳴ってたスマホのアラームみたいにぶるぶると震えて、声も枯れてくる。
それでもフィルは、昨日ヒデュンベアーと会った時みたいに飄々と笑うだけで。
ここに来て、私は後悔した。冒険者って、そうなんだって。戦わなきゃ、どれだけ怖い魔物がいたって、生きるために戦わなきゃ、務まらないんだって。
「シャボンヒール。その力を、もう一度試してみてはどうかな」
さっきの、スキルカードのこと? でも、あんなよくわからない効果で静まるだなんてとても思えない!
フィルの顔はまっすぐ私を見ていて。よくわからないけど、私を信じてるみたいだった。
でも。私は目を背けた。だって、まだ私は高校生で……今は異世界に来ただけの小さな子供と変わりなくて、ちょっと人より騙されやすくて力の弱い、女の子なんだもの。出来る訳がない。昨日のは単なる偶然で、もう一度あんなのが出せる保証もないのに。
すると、フトシさんのどっかり深いため息が私の耳まで届いてきた。
「……しゃあねえな」
すると太さんは足元に転がった、瓦礫みたいな石ころを拾って、ギガントオーガへと思いきり投げつけた。
「……」
血走った目がこっちを見て。臓器が冷えるみたいだった。
「って、何やってるの⁉ そんなの効く訳、」
「そうだろうとも。気ぃ引いただけだからな」
「馬鹿者……! 軟弱な冒険者風情で適うと思ってるのか!」
華奢な身ひとつでギガントオーガの攻撃をかわし、お姉さんは叫んでいた。
「言ってくれんねぇあの姉ちゃん」
苦々しい顔をしながら、リュウタさんが呟いて。
「ユウカ! ちっとばっか無茶してやるから、とびっきりの準備しとけよ!」
フトシさんは走り出して、ギガントオーガの注意を引く。石ころを投げては走り続けた。
「注意の分散はあまり得策ではないがな……! この図体だ、一発でももらえば、」
パァンッ! と寿命の縮みそうな音が張り裂けた。ギガントオーガが仰け反るみたいになったのを私は見逃さない。
「キャットトリック……なんつってな。当たんなきゃいい話だろ?」
見やると、いつの間にか動いてたリュウタさんが両手を叩いて猫騙しでもしてた。
「へぇ。あの二人、なかなかどうして、見応えがあるね」
フトシさんにリュウタさんが、再開した時とは見違えるみたいに動いていた。二人は私を信じ切ってるように、私に声をかける。
「ユウカ、犬死にしたくなきゃさっさとそのシャボンとか言うのぶち当てろ!」
「もう、二人して……どうなっても知らないからー!」
あの二人が頑張ってるのに、私だけ置いてけぼりなんてまっぴらだ。私はありったけの思いと力を、その手に込めた。光が手のひらを覆っていき、片目を細める。
ギガントオーガのかっぴらいた目を見つめるたび背筋が凍って、動けなくなりそうになる。
彼がどうして暴れてるのか。そんなの知るわけない。
だけどまるで何かに操られてるみたいで、怖い。少しでもよくなってほしい。それだけ。
私の魔法で。癒してあげられるなら、それで。
なにより。冒険者になったのに、何にも出来ない私で、終わりたくないっ‼
「シャボンヒールッ! いっけぇ!」
そして、銃弾でも打つみたいに、ギガントオーガ目がけて魔法をぶちまけた!
ほのかな光をまとって、虹色の泡玉がギガントオーガの顔の辺りでぱちんと弾ける。
「グガッ……?」
一瞬、戸惑ったような顔をして、ギガントオーガは。
「グ……」
我に返ったみたいに、目がとろんとしてきた。それから私の方を見て。
ギガントオーガは、跪く。胸に手を当てて、深くお辞儀をする。
それは、まるで私を魔王さまとでも思っているような仕草だった。
「え、……え⁉」
周囲の人たちの声が一斉に動揺へと変わるのがわかって、思わず息を呑んだ。大胆に動き過ぎたかな……。
「……ッ⁉ 何が……」
お姉さんも私を見て目を疑っていた。当然だ、私だってそうだ。まだこの魔法の効果を、私自身がわかっていないんだから。
「シャボンヒール。君の願うその魔法は、心に届く魔法なんだろうね。痛みを取り除くだけではない、絆を繋ぐような魔法だ」
「ちょっとよくわからないけど……静まったならよかった……」
ベア公の時と同じように、ギガントオーガは目を閉じて安らかな顔をしていた。怒りの感情なんて飛び去って従者みたいに、地面に足をついている。
「……こんな魔法、見たことがない……あぁそうか。そういうことか……!」
なにはともあれ、危機は去ったんだ。ぶつぶつ呟くお姉さんに、私は笑顔で手をぶんぶんと振った。
「終わりましたよー、お姉さん、大丈夫ですか?」
「貴様、魔王の手下か」
「…………………………はい?」
お姉さんの顔は、明らかに曇っていた。




