第67話 【Side:候補生】訓練が意外と優しくて楽で助かっ……
「まず君たちには、コレの使い方に慣れてもらう必要がある」
そう言ったアラヤと、その秘書 (?)らしき美人な女性に配られたのは黒い装丁をした薄い魔導書だった。
スワンは手渡されたそれの表裏をたんねんに眺める。余計な装飾などはない。ただ表紙には白抜き文字で " 黒癒の書 " と書いてあった。それがこの本のタイトルなのだろう。
「すでに聞いているだろう通り、君たちに目指してもらうのは万能型のダークヒーラーだ。だが、それだけであればこの時点ですでに半分ほどは達成していると言ってもいい」
アラヤはスワンたちに黒癒の書が行き渡ったのを確認すると、自らの手に持つそれを掲げてみせる。
「すでに君たちの持っているであろう基本的な医療知識と、この黒癒の書のギミックを利用して使うことのできる治療術をもってすれば、たいていの種族の治療は可能であるからだ」
ざわり。
スワンの同輩たちがどよめいた。
スワン自身も思わず口を開けてあぜんとしてしまう。
……少しでも医療知識をかじったことがあれば誰にでもわかる。それがどれだけとんでもないことなのかが。
この魔国に住む者たちは大枠として魔族とひとくくりにされてはいるものの、しかし種族ごとの身体的特徴は様々だ。
骨格・筋肉・神経系が違うのはもちろんのこと、内臓の位置・形・数も違って当然。さらに踏み込んで言えば、そもそも骨や筋肉、内臓が無い種族や死んだまま活動をしているアンデッド種さえもいる。
それを、この薄い魔導書一冊でほとんどすべてがカバーできる……?
そんな夢物語が現実にあっていいのだろうか?
「では、君たちにこの訓練で期待されていることは何か。それは " 実践を通じて経験を積むこと " である」
アラヤは候補生の列の前を、彼らの顔をのぞきながらゆっくりと歩く。
「この黒癒の書にはあらゆる施術の術式が再現可能となっているが、その施術がどういった種族にどう有効なのかの正しい判断が伴わなければ宝の持ち腐れとなってしまう。だから君たちには、いざ診たことのない種族の魔族が患者として目の前にこようとも、それまでの経験を元に即座に正解の施術を導き出せるような柔軟な思考を身につけてほしい」
アラヤはもっともな話をする。
しかし、そんなことが果たして可能なのだろうか……?
百年前の魔国統一戦争以後、多くの種族が混在して暮らす文化ができはしたものの、いまだ多くの種族主義が魔国には根付いている。
買い物は近親種族の専門店で、髪や羽・尾の手入れは同一種族の専門店で、そして傷病のたぐいはもちろん同一種族専門のダークヒーラーのいる医院で。
実践経験を積もうにも、そんな場所がいったいどこに──
……あっ。そうか。この魔都デルモンドになら、一つだけそれができる場所がある。
「いかにも」
ささやくような低い声が間近で聞こえて、スワンはギョッとして両肩を吊り上げた。
いつの間にか眼前に来ていたアラヤが、スワンの心の声を聴いたかのようにニヤリとしながら、その顔をのぞき込んでいたのだ。なんと心臓に悪い……速くなった鼓動が耳のすぐ真裏でバクバク聞こえていた。
「君たちには七名ずつ三班に分かれ、これからの一週間で二日ずつわがアラヤ総合医院に研修に来てくれたまえ。そこで実際の患者を対象として、この黒癒の書の " イントロダクション " を果たしてもらう」
アラヤ総合医院──数カ月前に開院し、エルデンを占領されてから特にひっ迫するようになっていた魔都デルモンドの民間医療を救った、キウイ・アラヤが院長を務める全種族診療可能な伝説の医院である。
「ウチの一日の外来数は多いと二百件を超える……素晴らしいだろう? 手を止めるヒマもなく練習にいそしめるのだから」
ゴクリ。
浮足立っていたさすがの同輩たちも、その圧倒的な数を耳にして息を飲んだようだ。
……それもそうよね。私の実家の医院でも、一日の外来数なんて多くて三十~四十程度。その五倍以上の件数をドクター・アラヤは一人でさばくだなんて。
だが、同輩たちはただ驚いただけ。その表情から意気が減退した者はいない。むしろビシビシと、『厳しい特訓となるだろうが、俺はきっと乗り越えてみせる!』とでも言いたげな雄々しい気迫すら感じるほどだ。
「さて、では今日はこの黒癒の書の使い方のうち……最も重要な " 診察 " 、 " 消毒・滅菌 " 、" 自己治癒力促進 " についての術式を発現させるための節の組み合わせをレクチャーしておこう。この書自体の通読と、他の組み合わせについては解説書を渡すからおのおので理解を深めておくように」
アラヤはそう言ってレクチャーを始めた。
執務デスクに軽く腰を掛け、丁寧に話すその姿は教師のようでもある。
スワンはチラリとその姿を眺めつつ、
……思ったよりも、マトモそうな人でよかった。
ホッと胸を撫で下ろした。
やはり、ウワサはアテにならない。
確かにアラヤはちょっと癖のある人みたいだし、どことなく禍々しい雰囲気が少し怖いけど、しかし話している内容は理路整然としたもの。それに、アラヤ自身が言っていた " 相当に過酷 " という訓練とやらも、確かに診ることになる患者数は多いのだろうが一人当たり三十名ほどと常識の範囲内だ。
……身構えすぎて損しちゃったな。もっと毎日、寝る間も惜しんでダークヒール三昧になるかと思っていたけど、そんなことはないみたい。
よくよく講義に耳を傾ければ、解説も非常にわかりやすい。試しに黒癒の書を使った術式の空打ち練習の際の手ほどきも優しく、これなら問題なくやっていけそうだ。
だから、余念さえ生まれてしまうほど。
例えば、
──アラヤ総合医院での実践訓練は一週間らしいけど、その後はいったいどんな訓練をするのだろう?
とか。
まあ、いま考えることではないけれど。
きっとこのドクター・アラヤならば、適切な訓練を施してくれるに違いない。
……だなんて、甘く考えているこの頃の私へと、二ヶ月後の私はどうにかして伝えたい。
『決死の覚悟をせよ、スワン・ヴァイステール。
おまえはこれからの二ヶ月で何度となく涙を流し、胃液を逆流させ、失禁し、そして途方もない無力感に包まれることになるだろう。
しかし、それらは必ず報われるものだ。
だからどうか……強く生きてほしい』
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次のエピソードは「第68話 【Side:候補生】天国と地獄」です。
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