第5話 決断
そうして俺がこの施設にやってきて、一週間が経過したころだった。
「ハァ……もうコイツから搾り取れる情報はないみてぇだなぁ」
西棟の拷問部屋の一室にて。
ゴルゴン少尉はムチを振るい続けて荒くなった息を整えながら、舌打ちする。
その正面には、背中の肉が削げ、生えているコウモリ羽をボロボロにされた魔族がいた。
天井から伸びる二本の鎖に両腕を繋がれて力なく吊るされている。
「ていうかよぉ、一日に三体も拷問しなきゃいけないなんて、スケジュールがキツ過ぎるんだよ。一体くらい、処分しちまってもいいだろぉ」
言うやいなや、腰のホルスターから拳銃を引き抜くと、魔族の頭に押し当てようとした。
「──お待ちを、少尉」
とっさに俺の体は動いていた。
銃口と魔族の間に割って入る。
「オイ、なんのマネだ、ダークヒーラー?」
こめかみに青筋を立てる。
横から口を出されていい気持ちがしないのは分かる
……だけどね、困るんだよ。
魔国幹部とのメッセージのやり取りは続いていた。
俺たちは、"囚われの魔族捕虜全員" を連れて脱出する、という前提でやり取りをしているのだ。
……ここで一人減ったら、ただでさえ不確定要素の多い協力関係が完全に瓦解しかねんっ!
さすがに、完全に死んでしまった魔族を復活させることは俺にもできない。
亡命の成功のためにも、この魔族は死守する必要がある!
「ど、独断の殺しはマズいのでは? この施設はシュワイゼン中佐の管轄なのでしょう?」
「……はぁ」
ゴルゴン少尉は眉間を押さえながら、大きなため息を吐いた。
「そうだなぁ、確かにそうだ。俺ごときが捕虜の扱いを俺が勝手に決めちゃいけねぇよなぁ……」
引きつったような笑みを浮かべると、銃口が下げられる。
ホッとした……
のもつかの間。
「なぁーんて、言うとでも思ったかこのボケがぁっ!」
ガツン、と。
拳銃のグリップの底で頭を思い切り殴られた。
ヌルリとした生温かな血液が額を伝う。
「出しゃばり野郎に良いことを教えてやるよ。この施設での拷問は俺に一任されている。その意味がわかるか?」
「……?」
「つまり、ちょっとばかり魔族を責め過ぎてぶっ殺しちまっても、それは業務上の小さな小さなミスに過ぎねーのさ」
ゴルゴン少尉は口端を歪めて笑うと、再び銃口を魔族へと向けた。
だから俺はとっさに、
「残念ですなぁ! 出世のチャンスを自ら潰してしまうなんて!」
大声でそう言ってみせた。
ピタリ。
ゴルゴン少尉の動きが止まる。
鋭い視線が再び俺へと向く。
「オイ、ダークヒーラー。"出世のチャンスが潰れる" だと? そりゃいったいどういうことだぁ?」
「……フ」
さて、どういうことでしょうね?
実は、俺の方こそそう問いたい。
──なにせ、"出世のチャンス" だなんて、とっさに口から出したデマカセの言葉だったから。
ゆえに、具体的な内容など何も考えていなかった。
「……フフッ」
とりあえず意味ありげな笑みを見せつつ、俺は必死で頭を回転させる。
チャンス……それも出世の?
どこに?
拷問という汚れ仕事を任されている中年のゴルゴン少尉が、いったいどう出世するというのだろう?
「……まさか!」
俺が悩んでいるうちに、ゴルゴン少尉がハッとしたように息を呑んだ。
「シュワイゼン中佐は、この拷問官の役目を通じて俺に情報収集の仕事を経験させ、ゆくゆくはエリートたちの集う王国軍情報部に引き抜くつもりなんじゃ……!」
「…………その通りです!」
俺は指をパチンと鳴らし、力強く肯定してやった。
なんだかゴルゴン少尉は都合のいい解釈をしてくれているようだ。
「さすがです。よくぞお気づきになりました、ゴルゴン少尉」
俺は一つ深く息をする。
なんとかして、話をつなげて魔族が殺されてはいけない流れへと持っていかねばならない。
「いいですか、ゴルゴン少尉。シュワイゼン中佐は、あなたに "教育係" の仕事を任せたいとお考えです」
「教育係……? いったいなんのっ!?」
これから説明しますよ、とばかりに俺は鷹揚にうなずく。
実際はいま、現在進行中で考えをまとめている最中だ。
「シュワイゼン中佐が……王国軍情報部に新部隊を作るそうです」
話の流れに矛盾がないかを頭の中でチェックしながら、俺は怪しまれないように言葉をつむいでいく。
「魔族を "生かさず殺さず" に、情報を引き出す拷問部隊を。そして、その部隊での教育係に、ここで経験を積んだあなたを任命しようとしているのです」
がんばってウソにウソを重ねていく。
もはや、後には退けない。
「……デ、デマカセを言ってるんじゃねーだろうなぁっ!? なぜおまえがそんなことを知っているっ!?」
「ここに来る途中の鉄道内で、シュワイゼン中佐が他の高官の方々と話していらっしゃるのを私が自ら聞きました。『ゴルゴン少尉は拷問官として優れた資質がある。今後に大いに期待している』と」
「ちゅ、中佐が……俺のことを……!?」
「ええ。嘘だと思うのであれば、後日確認なさってみるといい」
堂々と言ってみせた。
無論、なにもかもが真っ赤なウソである。
「とにかく、ですよ。ゴルゴン少尉、今あなたは中佐に試されている立場なのです」
「っ!」
「中佐がダークヒーラーの私をあなたの元に連れてきた意味を、少尉はどうお考えですか?」
「魔族を……治すためだ」
「その通りです。にもかかわらず、あなたがここで魔族の拷問に失敗して殺してしまえば、中佐はどう思うでしょう?」
「……大失態だ。中佐は俺に失望して……教育係に任命される出世の話もなくなる……?」
ゴルゴン少尉はその額にフツフツと冷や汗を浮かべ始める。
「わっ、わかった! そいつを早く治してやってくれっ!」
「承知しました」
内心で俺はホッとする。
どうやら俺のとっさのデマカセは、ゴルゴン少尉の信用に値する説得材料になったらしい。
俺はいつも通り、魔族へとダークヒールをかける。
「……しかし、俺はどうやらおまえのことを勘違いしていたらしいな」
ポン、と。
ゴルゴン少尉はその手を俺の肩に載せてくる。
え、なんだ?
「間一髪のところでミスを犯さずに済んだ。感謝するぜ」
「……いえいえ、当然のことをしたまでです」
いつもはドブを映しているようなくすんだゴルゴン少尉の瞳が、なぜかキラキラと輝いている。
「改めて名乗ろう。俺の名はゴルゴン・スヴェトラチャ。これまでは殴ったり蹴ったり、散々に扱ってすまなかったな、キウイよ」
「え? あ、はぁ……」
「これから俺はな、キウイ、おまえを信頼に値する "相棒" として認めようと思う」
ガシリ、と。
ゴルゴン少尉が俺の手を握ってきた。
なんだかわからないけど、どうやら俺は必要以上の信頼をされてしまったらしい。
……まあ、信頼されている分にはいいか。
「そうですか、いやぁ、とてもうれしいです」
俺は心にもない言葉を作り笑いして言うと、ゴルゴン少尉のその手を固く握り返す。
どうぞ改めてよろしく、と。
……早ければ明日、あなたは死ぬことになるんだけれどもな。
なにせ、この魔族の処分を避けるために下手なウソをついてしまった。
ボロが出る前に亡命の計画を実行に移さなくてはいかない。
その拷問部屋の魔族の治療を終えると、次は魔国幹部の拷問だった。
その治療時に、俺はいつも通りメッセージを残す。
内容はこうだ。
"計画決行は明日の拷問終了時。明日の治療時、心構えができている場合は人差し指を三回続けて折り曲げよ"
……さてさて。
明日は大変な一日になりそうだ。