第35話 芽生える自我
エメラルダのダークヒールを開始して三十分。
どうにか体の凝りや頭痛の原因を取り除くことは成功した。
「んむぅ……パパ、こっこ。こっこして……」チュッパ チュッパ
診察室のベッドの上で、エメラルダはスヤスヤと眠りに就き、ときおり寝言をつぶやきながら景気よく指をしゃぶっていた……俺の親指を。
決して、俺がくわえさせたわけではない。
エメラルダが施術の途中から、診察とダークヒールのために魔力を流し込んでいる俺の手を『あたしのクマさんっ』という寝言とともにひったくって抱き着くと、ねぶり始めたのだ。
しかも頑なに放そうとしない。無理やり引き剥がそうにも俺の腕力では敵わないうえ、『めぇーめっ!』と怒られてしまう。俺の親指なのだがね?
「まあ唾液は唾液で貴重なデータ……として扱っていいのだろうか? まあ、今さらか」
正直、それを期待してさせるがままにしておいたところはある。
なにせエメラルダの生体には本当に興味が尽きないのだ。
……ケガも病気もしない " 完全な生物 " である可能性、か。
結論から述べると、エメラルダの身体は不死に近いことが推察できた。
一定時間、体の一部に魔力を流し続けてもその細胞の数がいっさい増減しないのだ。
ゆえに、それに気づいた俺が最終的にダークヒールで作用を与えたのは、いわゆる " 理性 " をつかさどる場所──大脳皮質である。
……疲労などのストレスをいち早くキャッチする大脳の表層を覆うその各部位を、ダークヒールで活性化させ電気信号の流れをスムーズにさせてやるだけで、見事に体の筋肉の緊張や血管の拡張は落ち着いた。
本当におもしろい。
まだまだ未知の部分がたくさんだ。
「……そうだ。定期健診制度を導入しよう。そうしよう」
気になる魔族やモンスターを見つけ次第、アミルタのペットであるミョルと同じように、月に一度でもいいからウチに通ってもらうことを制度化してしまえばいい。そうすれば徐々に生態を解明していける。われながらナイスアイデアだ!
「フフフ……」
俺がそうしてほくそ笑んでいると、
「おぎゃ……」
エメラルダがパチリ、と。その目をボンヤリと開けた。
「おや、お目覚めですか、エメラルダ様」
「んむぅ……あら、やだ。私……いつの間に眠って……」
エメラルダは目をパチパチと瞬かせつつ、それからその口元に自らが抱き寄せている俺の手、そして自らの口でしゃぶり尽くした俺の指を見るやいなや、ゆっくりとその拘束を解いた。
ムクリと上体を起こして、コホンと咳ばらいをする。
その顔は髪の青色とは対照的に真っ赤になっていた。
「──アラヤ院長、その……わ、私もしかして寝ている間に、何か粗相でも……」
「いえ、別に──」
粗相というほどのものでもないだろう。
「──ただストレスの蓄積により幼児退行してずっとオギャオギャバブバブおっしゃりながら私の指をチュパチュパねぶっていただけですよ。どうということは」
「ア──アァァァ──ッ! 全部やらかしてたァァァ──ッ!!!」
エメラルダは真っ赤になった顔を覆うやいなや、その背の六枚の翼をピンと張って、俺の視認速度を遥かに超えた機敏さでベッドから飛び降りて逃げようとする。
が、しかし。
鉄と鉄がぶつかり合うような音が響いたかと思うと、エメラルダのその動きは止められていた。
〔うぁぅ……うぅ……〕
ゾンビ・クイーンが、エメラルダのその肩へと両手を置いて行動を妨害していたのだ。
「……!? このゾンビ、いつの間に……! それに、私と同等の力を……!?」
いつの間に診察室にいたのか、それは俺もわからない。
ビキニ・アーマー? とやらで本来は動けば立つはずの鎧の音も聞こえないし、生者特有の息遣いもないので、いつの間にか後ろに立っていた、なんてことがよくあるのだ。
しかし、今回このような行動に出た理由は何となくわかった。
「ゾンビ・クイーン、エメラルダ様を放しなさい。彼女は私を攻撃しようとしたわけではないよ」
〔うぁ……〕
俺が言うと、ゾンビ・クイーンはその手をエメラルダの肩から放し、俺の後ろに回る。
それを見届けてから俺はエメラルダへと頭を下げた。
「エメラルダ様、申し訳ございません。彼女たちゾンビは、どうやら私のことを守る習性ができているらしく……」
「……そう、なのね」
立ち上がった状態のまま、エメラルダは敵を分析するような鋭い視線をゾンビ・クイーンへと向けていたが、やがて俺の方へと向き直ると、彼女もまたペコリと頭を下げてくる。
「私の方こそ取り乱してしまって、申し訳ありません」
「いえいえ」
「優秀な護衛ですね。彼女がいれば、きっと " かの戦地 " でも安全でしょう」
「……そう願います」
エメラルダが暗に示しているのはエルデン奪還作戦のことだろう。
もうその決行日はあと二週間というところに迫っていた。
……まあ戦地に行くといっても、俺自身が最前線に出るということはない。タイミングを見計らって " 命令 " を下すだけの簡単なお仕事のハズだ。そんなに危険なこともないだろう。
「それでは……私はそろそろ」
エメラルダは背を向けると、診察室のスライドドアを引こうとして、
「あの……アラヤ院長?」
「はい? どうかいたしましたか?」
「その、えっと……ま、また来てもいいかしら? 頭痛とかが再発したりしたらですけど」
「ええ、もちろんですとも」
「あの、頭のナデナ……マッサージみたいなものを、またやっていただけるの?」
「そうですね。頭痛に効くものができるかと」
「そ、そう……よかった。ではまた、アラヤ院長」
エメラルダは少し頬を朱く染めつつ、どこかホッとしたように息を吐いて診察室を後にした。
「ふぅ……少し肝が冷えたぞ、ゾンビ・クイーン」
俺は大きく息を吐くと、いまだ俺の後ろで直立するゾンビ・クイーンを振り返った。
「助けようとしてくれたことは感謝するよ。だが、エメラルダ様の機嫌次第では処分されかねないんだ。気をつけてくれたまえ」
そう言ってその肩をポンポンと叩く。
まあ、こんな風にコミュニケーションを取ってみても通じはしないんだがな。
〔ヴァ……マスタァ……守ル……〕
「……んん?」
あれ?
いまコイツ、しゃべったか???
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次のエピソードは「第36話 【Side:王国】 聖女アルテミス」です。
明日もよろしくお願いします!




