第254話 別にここで漏らしてしまっても構わないけど?
それは、ティガーたちが強襲を受けてから約三時間後のことだった。
「──やっと見つけられたね。ここが魔女たちの拠点か。そうは見えないけど」
そこは、魔都デルモンドの中心地の一つ。
専門店の集まるエリアの一角で、アネモネたちはその小さな薬局を見上げて立ち止まっていた。
ムコムゥから借りた黒いローブに身を包み、フードを目深に被って、その顔は怪しげな仮面で隠されている。
「小さいし、狭そうだ。それに人通りこそ少ないけど、ここは他の店も並んでいるような表通りじゃないか。本当にここで合ってる?」
「合っている。さっきから何度も占星術を試しただろう?」
後ろからローズがそう答えつつ、落ち着かない様子で周囲を見渡して、
「それとアネモネ。あまり私たちに話しかけるんじゃない。怪しまれるだろう?」
「フフ、心配のし過ぎだよ」
アネモネは後ろを振り返る。
そこには誰もいない。
いや、正確には誰もいないように見えている。
「うん、ちゃんと上達してるね。キンセンカの聖術も」
「まあねぇ~」
定まらぬアネモネの視線の先、虚空からそよ風のごとき少女の声が返ってくる。
キンセンカが、その透明化の聖術によって姿・気配を完全に断ちつつ、アネモネだけに声が届くように調整しているのだ。
隠されているのはキンセンカ、ローズ、そしてシェスの三人。
みな姿は見えないが、一様に仮面姿に変装していた。
「というわけで、怪しげな仮面の群団は見えてないから心配する必要ないよ」
「いや、誰もいない場所に向かって話しかけているように見えるんだから、充分怪しまれるだろ……」
「ああ、それは確かに」
アネモネは淡白に答えると、キョロキョロ周囲を見渡した。
「ま、誰もいないしセーフセーフ」
「おまえなぁ……」
頭痛でもするかのようにローズは頭を押さえる。
「わかってるんだろうな? これは奇襲なんだぞ? ギリギリまでこちらの攻勢を悟らせない……そのために私たちは隠れているんだからな?」
「まあまあ、ローズさん。いいではありませんか」
深いため息を吐くローズの肩に手を置いたのはシェス。
やはりキンセンカの聖術によって存在を消してはいるものの、しかしローズの肩に置いたのとは逆の手はすでに聖剣の柄にかかっており、抜剣の準備は整っていた。
「拙速でもいいのです、相手が反応できぬほど速ければ。われらの主の正体を探る不届き者たちは、サッサとお縄にしなければなりません。さ、参りましょう」
「んー、姿が見えないのに、声だけでビンビンに剣吞な雰囲気が伝わってくるよ」
アネモネは小さく肩をすくめつつ、困ったように微笑んだ。
「念のため、殺気くらいは消しておいてよね」
内開きの戸を開ける。
古い建物のようで軋んだ音を立てた。
「……いらっしゃい」
不機嫌そうにアネモネを出迎えたのは、カウンターの奥にいる老婆。
薬局は想像通り、左右の壁沿いに並ぶ薬棚に今にもサンドイッチされそうなくらい狭い。
となると、怪しいのはカウンター内にある、奥の部屋へと通じる戸だ。
「あのさ、奥の部屋に行きたいんだけど」
開口一番でその戸を指さして言ったアネモネに、老婆は疑わし気に目を細める。
「誰だいアンタ? その仮面は……?」
「ちょっと火傷を負ってしまってね」
キンセンカが追い払った魔女たちは、聖力によって火傷を負っているという話だった。
もしこの老婆もまた魔女たちの仲間であり、そしてすでにその情報を連携されているのだとすれば、エルフからの追撃でやられた新たな仲間だと誤認してくれる可能性がある。
それに、仮にアテが外れていたとしても、火傷を隠すのに『見せたくないから』以上の理由も必要ないのだから深く追及もされないだろう、という打算からの返事だった。
しかし、
「……なら、何か言うことがあるんじゃないかい?」
「え? ……奥の部屋に通してください?」
「……」
老婆の目つきが鋭くなった。
どうやら求められた言葉ではなかったらしいと、アネモネは頬をかく。
「アネモネ、おそらくこれは符丁だ」
ボソリ。
耳のすぐ側でアネモネにだけ聞こえる小ささでささやかれる声。
それはローズのものだった。
「奥に進むためには合言葉か、あるいは何か見せるモノが必要なんだろう」
「そんなことを今言われてもなぁ……」
「なんだい? 何か言ったかい?」
老婆が、威圧感たっぷりに問いただしてくる。
だいぶ疑われ始めているらしい。
「ただの冷やかし目的なら帰ってくんな。火傷の薬なら他を当たるんだね」
「別に薬は要らないよ。でも、そうだな……」
しかしそんな老婆に気圧されることもなく、アネモネは少し考えるようにアゴに指を当てると、それからパッと表情を明るくして、
「せめて、トイレを貸してほしいんだ」
両手を腰に当て、堂々たる一言を放つ。
呆気にとられた老婆を、しかし気にした様子もない。
「火傷がヒリヒリして膀胱を刺激していて、今にも粗相しそうでね。思わずこちらの薬局に入ってしまった次第だよ」
「……アンタ、ふざけてんのかい?」
「まさか。もう、あと十歩も動けそうにない。これも人助けと思って私にトイレを貸してよ」
ブルリ、と。
震えてみせるアネモネに、老婆はあからさまに嫌そうな顔をする。
「ならさっさと言うべきことを言うんだね」
「だからこうして、恥を忍んで頼んでいるじゃないか。それでもなお、頑なに通さないと言うんなら──」
アネモネはフッと。
ニヒルに、口元だけで微笑んで老婆を見据えた。
「──別に、ここで漏らしてしまっても構わないけど?」
「……!」
うろたえるように、後ずさる老婆。
これまで長い年月をこの薬局と共に歩んではきたのだろうが、客に失禁された経験はないようだ。
「……チッ」
舌打ちすると、老婆は奥の戸を開いた。
勝利を確信したアネモネは、内股ぎみに、しかし穏やかな表情でそちらへと足を進める。
が、しかし。
──バタン。
老婆は自らがその中に入ると、早々に戸を閉めた。
「えっ」
ガチャリ。
ついでに鍵も閉められてしまう。
「……あれ?」
「おおいっ! アネモネがバカなことばかり言ってるから逃げられたじゃないかっ!」
ローズの、か細い悲鳴がアネモネの耳をつんざく。
「なんだよ『漏らしても構わんが』って!? そんな脅しがあってたまるか!」
「いや、店内で漏らされたら迷惑だろうな、って」
「そりゃ大迷惑だろうけどもッ!!!」
もはや透明化のことを忘れているのだろうローズの声量に、アネモネはため息を吐きつつ、
「まあもうこうなっちゃったら仕方ないよね。力技で開こうか」
ローブの内側から取り出したのは、聖杖。
白い輝きを放つそれに宿る術式は、あの西の賢者メリッサが極めた神術 <引き寄せ>の劣化版の聖術だ。
だが、それでもなお威力は充分。
「ギャアアアッ!?」
奥の部屋から、老婆の体が砲弾のような勢いで戸を突き破り、アネモネのもとへと飛んできた。
「さ、これで戸は開いたね」
術式を切り替え、アネモネは自身の足元へと転がった老婆へと聖杖を向ける。
すると、幾何学模様の描かれた光の輪が、老婆の体を身動き一つ取れないようギュッと締め上げた。
「なっ、いったいなんなんだい、アンタはッ!?」
「そうだなぁ……言うなれば報復者、かな」
「……?!」
キンセンカの術式の範囲から歩き出て、続々とその姿を現すローズやシェスたちを見て、そしてフードをとったアネモネの尖った耳を見て、老婆はその目を大きく見開いた。
「アンタら、エル──ッ!」
しかし、その口もまた、最後まで言葉を紡ぐことなく光の輪によって閉ざされる。
「手早く片付けましょう。外で <運送班>も待っていることですから」
先頭を歩み、破られた戸の奥へと進んでいくのはシェス。
そうして、氷眠の姉妹たちへの攻撃は始まったのだった。
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次のエピソードは「第255話 ピクニックじゃないんだぞ!?」です。
次回は2/11(水)更新予定です。
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