第242話 わかり合ってしまう天才たち
「──フゥ……」
詰めていた息を吐き出しながら、読み終えた論文を閉じた。
王都で入手した腕時計に目をやった。
時刻は午前一時……この黒の森にたどり着いたのが正午あたりだったから、およそ半日間ほど俺はこのラボ内の論文を読み漁っていたことになる。
まあ、それも仕方あるまい。
なにせこんなにも──
「お疲れ様です、わが君」
トプリ。
唐突に、俺の影の中から上半身をのぞかせたのはジラドだった。
「とても集中なさっておりましたね。本日はもう休んだ方がよろしいのでは?」
「いやいやいや、まさか」
「え……いえ、しかし」
「まさかだよ……ジラド」
ニッゴォ。
ジラドの方へ顔を向けると、なぜか驚いたように上体を反らされてしまう。
「キ、キウイさま……とても、ご機嫌なご様子……ですね?」
「ああ、そうとも。わかってしまうかね?」
「ええ。なんというかとても、笑顔が……笑顔でして」
「フッ……にじみ出るほどの高揚、か。だろうね。想定以上だった。こんな最高の魔術理論を見せられたら……興奮して眠れやしない」
「そ、そこまでですか?」
「ああ。間違いなくモナルダは天才だ」
断言できる。
黒の賢者モナルダ……彼女は同じエルフのマロウやメリッサなどと比べても異色だろう。
彼らがその実力を含めて賢者と呼ばれていたのだとしても、モナルダはおそらく、その頭脳だけで彼らに比肩できる存在であることに間違いはない。
「彼女はね、われわれが黒癒の書を作ったり、人類が蒸気機関を発明している間に、一人だけ量子という未知の世界で物を考えているのだよ……! 無数の蟲を意のままに操っているのも、考えてみればおかしな話だったが……きっとこの論文にあった『魔力量子コヒーレンス』を応用して個体間の移動エネルギーを限りなくゼロに押さえているからこそだろう」
「りょ、りょうし……? こひーれんす……?」
「フフフ! 人類国家では最近ようやく机上において量子の存在がほのめかされたばかりだといのに、モナルダはいったいどれだけ前からその量子と生命科学のインターセクションに立っていたのだろうね? ますます面白くなってきた!」
モナルダならばいずれ、本当に不死に到達しても驚きはしない。
メリッサがモナルダを追い回したくなる気持ちもわかってきた。
きっと、モナルダの脳内を覗くだけで数千年は退屈しないに違いないだろうから。
「さて、と。オトガイくんはどうしてるかね?」
俺は立ち上がり、凝り固まった腰を伸ばしつつ周囲を見渡す。
薄暗いラボ内に俺とジラド以外の姿はない。
「もうご就寝なされました」
ジラドはそう言って、少し離れた場所、小さく盛り上がったシーツを指さした。
シーツはかすかにゆっくりと上下している。
どうやらオトガイはそこで眠っているらしい。
「そうか。では、起こさないようにしておこう……ところでモナルダは?」
「蟲たちに、この奥の部屋に運ばれていったようです」
「なるほど。向かおう」
「今からですか? さすがにもう寝ているのでは……」
「そんなまさか。彼女とて、今日は神話級ダークヒールの論文が手に入った当日なのだ、色々と試したいことが溜まっているはずだよ」
そうして、俺はジラドを伴ってラボの奥に続いている通路を行く。
一本道の先にあった扉を開くと、そこは多くのガラス瓶が床に並ぶ不思議な空間だった。
実験室だろうか?
そしてそこには、やはり寝そべりながら研究を続けるモナルダの姿。
「わ、わあっ? キウイ……?」
「モナルダ、読み終わったよ。君の魔術理論と、量子の存在を前提とした魔力学について。控えめに言って感動した」
「は、早いですね……? もっと、数年はかかるかと……」
「今のところ私の人生は有限なものでね。そんなに時間をかけてはいられないんだ。ところでモナルダは今何を……ほう」
モナルダが今ままで覗いていた瓶へと俺も視線をやってみる。
その中でウゾウゾと蠢いているのは、一匹のミミズのような虫。
その隣の瓶には、動かなくなった同じ虫。
「……け、経過を見ていました。他の虫を生贄に、神話級ダークヒールでよみがえらせたこの虫の様子を……」
「む、まさかもうあの術式をモノにしたのか? さすがだな」
「は、はい。まだ虫だけにしか試せていませんが……。非常にわかりやすい、教本のような論文でした……」
「それはよかった。しかしだな、今の神話級ダークヒールについてだが、」
「は、はい。そうですね。今のままでも悪くはありません。ですが……」
モナルダは遠慮がちに俺をうかがいつつ、
「か、改善の余地が、ありますね。特に──」
「うむ」
モナルダの言いたいことはわかっている。
「魔力量子もつれを作り出せば、魂を術者自身の体に経由させず、ろ過作業もスキップできるようになる、そう言いたいのだろう?」
「……! は、はい。その通りです」
「だが実現可能か? そのまま魂を転送させると肉体との不一致が──」
「か、関係ないかと。魂もまた量子と仮定すれば──」
「なるほど、意図的に魔力量子ジャンプを──」
「そ、そうです。器を用意すれば魂も──」
「「非連続的にあるべき形に変化する」」
「そういうことか」
「そ、そういうことです」
パッ、パッ、パッと。
互いのひらめきが言葉よりも先にイメージとなって、直接脳内に伝わってくる。
そうなるともはや、言葉を交わす必要もない。
「──私が理論を組もう」
「──わ、私が実験します」
ちょっと不死の研究の前に、分業して神話級ダークヒールを組み直そう。
俺が一つの大きな理論を組み立てている間に、その細かな部品となる小さな理論の実験をモナルダにはしてもらう。
たぶんこの二人でなら、数時間程度で終わるだろうから。
──この時の俺もモナルダも、知る由もない。
その俺たちによる、まるで高次元から生命を遊戯的に扱うようなこれらの閃きの連続は、とどのつまり、創造主の境内に枠を描いて走り回る領域侵犯であり、そしてまた、生命技術的な特異点を生み出してしまっているということに。
* * *
そして、二時間半が、まるでまばたきの間のように過ぎ去っていく。
「フム。なかなかに良いのでは?」
「す、素晴らしき結果です……!」
ウゾウゾウゾ。
二つの瓶で、今度は逆側の虫が生き生きと動き、もう片側が絶命している。
魔力量子を用いた神話級ダークヒールはあまりにもスンナリと完成した。
「やはり、二人で取り組むと早いな……」
「で、ですね……この調子なら、もしかしたら本当に不死の研究も──」
と、言いかけで。
ふわぁ、と。
モナルダが大きなあくびをした。
「ね、眠気が忌まわしいです……今日はこのまま、神話級ダークヒールで用いた理論を、不死の研究に立ちはだかる扉の鍵穴へと挿し込んでみたい、のに……」
「君も私も、今日は他分野へと足を踏み入れたのだ。脳が疲れて当然……そうだ」
そういえばモナルダにもう一つ見せておきたい発明があったのだ、と思い出す。
俺は急ぎ持参したカバンを持ってくると、そこから緑色の液体で満たされた瓶を取り出した。
「キウイ、それは……?」
「ポーションだ。これもまた、最近魔国で発明してもらった面白い代物でな」
俺はグラスを二つもらうと、少量ずつポーションを注ぐ。
「飲むことでダークヒールが発動する」
「の、飲むことで……!? 聞いた事がありません……!」
「ぜひ試してみるといい。疲労回復にもちょうどよかろう」
俺はチロッと舐めるに留める。
舌先がすぐにビリッとする。
……これ以上はやめておこう。
「そ、それでは……」
モナルダはおそるおそる、ポーションをひと口。
そして、その目を見開いた。
「これ……! 本当にダークヒールがっ!」
その体はダークヒール特有の薄紫色の光に包まれていた。
「しかも、脳疲労まで、しっかりと回復されていく……!」
「フッ。そこは私が特にこだわった部分なのでね。発明者には無理を言ったものだ……」
最初の試作品は傷と病気によく効くタイプだったのだが、個人的には疲労回復もあると嬉しいと考えて要望を出したのだ。
まあ、俺はどっちみち摂取はできないのだが……。
それは今後のメリッサの聖術的な応用研究に期待するとしよう。
「どうだね? これをお供にすれば、徹夜作業も捗るというものだろう?」
「こ、これ、どこで入手できますか……!?」
「現状はまだ流通していない。だが、気に入ったのなら後日優先して手配しよう」
「ぜ、ぜひっ……!!!」
その表情を輝かせ、モナルダは何度も頷いていた。
俺もまた、なんとも誇らしい気持ちだった。
……。
──このとき、絶好の診察チャンスが訪れていたことに俺はまったく気が付いていなかった。恐らくは疲労で頭が回っていなかっただろうが。大きな失態である。
「お、面白い国なのですね、魔国とは」
モナルダは感心してポーションを飲み干すと、
「こ、こんなにいいものと巡り合わせていただいては……わ、私も何かお礼をしなければ、ですよね……」
「私は君の論文との出会いがあったので、充分報われているが」
「い、いえっ、それはお互い様ですので……」
モナルダはしばらく考え込むと、パッと閃いたように手を打った。
「こ、この黒の森における、とびきりのリラクゼーションをご提供させてはもらえないでしょうか……?」
「リラクゼーション?」
「き、きっと気に入ってくれると思います……」
モナルダは確信に満ちた、そんな微笑みを浮かべている。
まあモナルダほどの人物が言うリラクゼーションなのだ。
論理的にも体感的にも、素晴らしく有効的な休息方法に違いない。
「いったいどんなリラクゼーションなのだね?」
「は、はい……ジェリーワーム浴です」
「!?」
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次のエピソードは「第243話 風呂キャン研究者が行きつく先…」です。
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