第240話 お論文《たから》に囲まれて
黒の森。
足元で蠢く蟲たちの上に足を踏み出していいものかどうか、俺たちが逡巡していると、
「あ……そ、そうでしたね。みなさんは歩くんですものね……ウッカリしていました……」
申し訳ありません、と。
どこか卑屈ぎみに笑ったモナルダは、俺へと指を向けた。
魔力が集中する。
「っ! わが君っ!」
モナルダの指から俺めがけて放たれたのは何かしらの魔術。
それを、俺を庇うようにして前に出て受けたのはジラドだった。
宙に舞う火山灰のように黒い霧がジラドの体を包み込んだ。
すると、
──ザァーッ。
ジラドの足元から、またたく間に蟲たちが逃げていく。
「む、蟲避けの魔術です……みなさんにおかけしますね」
「ああ。頼むよ。それで問題ないね? ジラド、それにオトガイくんも」
「……ハッ」
「あ、あーしも入んなきゃダメ……? ダ、ダメだよねぇ……?」
ジラドはなおも警戒の様子は崩さず、オトガイは渋々といった様子でため息交じりに頷いた。
あとはボグだが……
「ズゴゴゴ……」
先ほどから全身を蟲たちに覆われたまま、ズゴズゴ魔力をすすっているようだ。
「モナルダ、申し訳ない。あちらのスケルトンのボグ殿だが……すでに君の使役する蟲たちの魔力を吸ってしまっているようでね……」
「あ、はい。問題ないですよ……不快でなければ、それで。その程度で蟲ちゃんたちが減ることはないので……」
「そうか。まあ、それならいいのだが」
もしかしてこの黒の森では、蟲の数を一定に保つための繁殖から死までのサイクルまでをも完全に管理できているというのだろうか?
だとしたら、完璧なビオトープだ。
そちらも興味深い……
などと思っているうちに、俺とオトガイにもまた蟲避け魔術がかけられる。
「そ、それでは、行きましょう……私の研究所へ」
相変わらず蟲たちの上に寝そべって運ばれるがままになっているモナルダにうながされ、俺たちは森の奥へと進んだ。
* * *
ラボは、森の奥。
崖になっている場所にポッカリと空いた小さな洞窟の中にあるらしかった。
そこは一目見るからに狭く、暗い。
大型モンスターの巣穴と言われても頷けるような、そんな雰囲気があった。
そして当然、無数の蟲が出たり入ったりを繰り返し、コールタールの川が流れているようにも見える。
「ひぃ……ッ!」
予想通り、背後で総毛立ったような悲鳴を上げるオトガイ。
ガシリと。
俺の服の裾を掴んでイヤイヤと首を横に振り始める。
「ただでさえアレなのにっ! こんな狭い場所に入って四方八方を蟲に囲まれろってっ!? あーし待ってる! お外で待ってるぅっ!」
「私の護衛に来てくれたんじゃなかったのかね……?」
「でも、ムリなものはムリィ……!」
泣きべそをかいたみたいな声だった。
実際、その目の端には涙が浮かんでいて、現時点でも相当ムリをしていることがうかがえる。
さて、どうしたものか……。
この黒の森の真ん中で置き去りにするのもちょっと気が引けるのだが。
「だ、大丈夫ですよ。あの入り口は魔術で作ったカモフラージュなだけですので……」
地べたにほど近い場所から、モナルダはそう言って指を振るう。
すると、洞窟の入り口が震え始めた。
そして、その姿を細かな蟲たちに変えていく。
蟲たちが一斉に去って、その崖に現れたのは俺たちが悠々と通り抜けられそうな大穴だ。
パチンとモナルダが指を鳴らす。
すると、洞窟内が常夜灯がつけられたかのような薄暗いオレンジ色の光に照らし出される。
「安心してください。ラボ内に蟲たちはあまりいません……研究の妨げになってしまう場合がありますので……」
「ホ、ホントにぃ……!?」
「は、はい。本当に。あまりいません」
オトガイはいまだ小刻みにその肩を震わせつつも、
「じゃ、じゃあ入るぅ……」
弱々しくコクリと頷いた。
果たしてオトガイは気づいているのだろうか?
モナルダは蟲が『いない』とは言っていない。『あまりいない』と言っているのだから、少なからずはいるはずだということに。
……言わぬが華か。
怯えて背中にくっつかんばかりに密着してくるオトガイを伴って、俺は寝転んだ状態で蟲たちに運ばれていくモナルダの後を追った。
洞窟内を進みつつ、静かに天井を見上げてみる。
灯りとなっているのは、その体の腹部を光らせているワームだった。
ボグは洞窟には入らず、外でジッと待機して蟲たちに包み込まれながらズゴズゴしていたので、そのままにしておく。
彼の性質上、微量ではあるがそれでも蟲たちの魔力を補給し続けることのできる外にいた方が都合がいいのだろう。
「ようこそ、私のラボへ……」
そしてたどり着いた洞窟の奥で、ようやくモナルダは蟲たちの背から降りてその体を地面の上に横たえた。
そこは、周囲に蟲の姿もなく、思った以上に整然とした場所だった。
アラヤ総合医院と同じサイズくらいのその空間、壁や地面はむき出しの土ではなく、切り出した石が敷き詰められてタイルのようになっており、机や椅子などの家具も揃っている。
特に本棚の数が多く、あらゆる壁面を覆い尽くしていた。
しかし紙の本の量はそこから溢れるほどで、実際、地面に積み上げられているものも多い。
……ん?
違和感を覚えた。
なんで紙の本が、こんな森の奥にあるのだろう?
地面に積み上げられている本のうちの一冊を手に取ってみる。
何かしらの動物のなめし皮が表紙に使われた、古いが、それでも確かにしっかりと綴じられた本だ。
著者名はない。
「これらは、いったいどこで入手したものなのかね?」
「あ、それは、ぜんぶ私のラクガキを綴じたモノです……見苦しくてスミマセン……」
「なっ……」
俺はグルリと部屋全体を見渡した。
地面から天井近くまでそびえる本棚一台に所蔵できる本はおよそ四百冊ほど。
それが十数台あり、さらにそこに収まり切らない本まであることを考えると……およそ数千、いや万に近い本があるはずだ。
「この本、全てを君が書いたのか……!?」
「は、はい……本と呼べるような代物ではないと思いますが……」
そう言うと、モナルダは照れたようにソワソワと寝がえりを打つ。
上体を起こす気配はもはやない。
どれだけ無精を極めているのやら……まあいい。
俺は試しに手に持った一冊の本をめくってみる。
ペラッと。
「紙は古いが、保存状態はいいな……これだけの量の本を、いったいどうやって虫干ししているのだ……?」
「いえ、定期的に、 <蟲這い>を」
「蟲這い?」
「む、蟲たちを、本の間に這わすんです。それで、紙を食い散らかす紙魚などを食べてもらっています……」
「……万能だな、蟲」
さて、肝心の資料の内容はどんなものだろう?
本に目を落としてみる。
章立てや目次はなかった。
一ページ目から、活版印刷も何もされていない、手書きの文字と図形が躍っている。
……ふむふむ。ちょうどさっそく蟲の魔術に関する記述のようだな。生活的利用についての研究か。なるほどなるほど、興味深い。
ペラッ。
……魔術の独自理論のクセがすごいな。パッと見た限りでは読み解けん。しかしなんとも興味深い……!
ペラッ。
ペラッ。
……。
ペラッ。
ペラッ。
ペラッ。
「……あ、終わった。ムフー……確かに一冊の本としては内容にまとまりがないな。だが非常に面白い。どれ、続きは……」
こっちの一冊かな???
ペラッ。
あ、一匹ページの間で挟まって動けなくなってる蟲発見。
つまみ出してやろう。
ピョイッと。
さて、続きは──
「ちょいちょいキウイっち!」
オトガイの手が俺と本の間に割って入ってくる。
「なんだね? 今、いいところなのだが」
「いや、『いいところなのだが』じゃないし。キウイっちさぁ、このモナっちに話があって来たんでしょ? それを先に済ますべきじゃないの?」
「…………ああ、確かに。そういえば」
「忘れてたのっ? もぉー!」
オトガイはため息交じりにその頬を膨らませる。
残念ながら言い訳のしようもなかった。
俺としたことが、本来の目的を見失うとは情けない。
咳ばらいを一つして、俺は居住まいを正す。
「モナルダ、実は今日は、君へと頼み事があって来たんだ」
「は、はあ……なんでしょう……?」
「ダークエルフである君を診察させてほしい。体の隅々を」
モナルダはキョトンとしていたかと思うと、ハッと、愕然としたようにその口元を覆った。
むっ?
なんだというのだろう。
もしや、ちょっと急すぎる依頼だったろうか……?
「デリカシーなさ過ぎ……ってか、魔国との友好関係についての話を先にするべきじゃね?」
背後から聞こえてくるのはそんなオトガイの呆れ声。
あ、そうか。
俺たちが黒の森に訪れた建前はそっちだったっけ。
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次のエピソードは「第241話 仲良し大作戦~診察に至るため~」です。
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