第237話 そういう生き物(けんきゅうしゃ)だから
「キ、キウイっち、それマジで言ってる?」
神話級ダークヒールの論文を黒の森の地面──ワシャワシャと動く黒い蟲たちの上に置いている俺へと、オトガイが正気を疑うかのような目を向けてくる。
「落ちてる論文を読みにくるって? この……虫の森の賢者が?」
「黒の森だよ」
「もう虫の森だよこんな場所っ!」
鳥肌が立つ肌を隠すように両手でさすりつつ叫ぶオトガイ。
だが、いちおう俺の護衛という自覚は捨てていないのだろう、俺の側から動きはしない。
上体はのけぞっていて、少しでも黒の森から離れたそうにしているが。
「大丈夫? 論文、食べられちゃうんじゃないっ?」
「問題ない。この虫たちはぜん虫……紙を消化できるような器官は持っていない」
紙を栄養にできる虫は限られる。
ワームたちは自然の分解者……雑食性で、動物の死骸や腐った植物を主な栄養源にするはずだ。
「まあ見ていたまえ。この論文のデキはなかなかのもの……賢者の興味を引かないはずがない」
「いや、論文の中身がどーとかじゃなくてさぁ……」
オトガイは何か言いたげだったが、結局言わずに大きなため息を吐いた。
「まあ、いいや。百歩譲って賢者が引き寄せられてくるとするよ」
「? なぜ百歩譲る必要があるのだ?」
「その黒の賢者って、メリっちとかの侵入者を警戒してこの魔境を用意しているんだよね? じゃあさ、私たちも隠れてなきゃダメじゃね?」
「……フム。それは確かに」
釣るのは魚じゃないのだ。
エサをぶら下げたら無警戒に食いついてくるほど愚かな賢者はいないだろう。
「では、木陰に潜んで様子を見るとしよう」
「そーだね……まあ、あーしはあんまり期待してないけど」
なおも論文トラップの効果を疑問に思っているらしいオトガイを連れ、俺たちは近場の大木の影に隠れることにする。
腰を落とし、蟲たちの上に載せられた論文を見張った。
「ジラド、君の視力が頼りだ。しっかり目を凝らしてくれ。きっと反応はすぐだ」
「ハッ! どのような細かな変化であっても、決して見逃さないようにいたします!」
「いやいやいや、ゼッタイ何も起こらないでしょ……」
ジッと。
俺たちは息を殺し、そして論文を置いたその場を見張り続けた。
すると、
「……わが君」
五分後。
ジラドが静かに耳打ちをしてくる。
「論文の周辺、明らかに蟲の数が増えております」
「なんだと?」
俺は目を細めて、凝らしてみる。
しかし、相当に微細な変化だからだろう、俺には何もわからなかった。
「オトガイくん、君には何かわかったかね?」
「……しょーじき、あの蟲の群れは直視に堪えんって……キウイっち」
オトガイは気分悪そうに上を見上げていた。
どうやら頼りにできそうにはない。
そしてさらに五分後。
「ホウ。さすがに今度の変化は俺にもわかったぞ」
黒の森、その地面が波打つように、奥側から何かを運んできている。
一面の黒が山を作り谷を作るその様子は、大きな一体の影のバケモノの内臓が動くかのようだった。
メリッサが『森全体が死にながらに生きている』と評していた意味もわかるというものだ。
「わが君、アレをご覧ください」
ジラドが指さした先、そこにできつつあったのは一つの大きな黒い塊。
黒い蟲のカタマリだ。
それはさながら蟻塚のように小さな山を成し、人一人分の大きさにまでなると、
──ヌルッ。
その中から吐き出されるようにして飛び出してきたのは、腕。
褐色の細い手が緩慢な動作で伸ばされ、そして掴む。
俺の論文を。
「ウ、ウソ……! マジでキウイっちの言った通り……!?」
「やはりか。無数の森の蟲たちが、何かしらの方法で情報を伝達しているのだろうな」
「わが君、あの中に何者かがいるのは確かです。捕まえに行きますか?」
「……いいや、まだだ」
俺は腰を浮かしかけたオトガイ、そしてジラドを制止する。
この状況は、釣りでいうところの『浮きに反応があった』という段階に過ぎない。
魚がエサをつついている……それだけだ。
まだエサを、その奥に付いている針を呑み込むに至ってはいない。
「グッと堪えて待つのだ。チャンスは必ずやってくる」
「しかしわが君、このままでは論文を持ち帰られてしまうのでは……?」
「フッ……いや、それはない」
断言できる。
こうして地面に落ちている論文につられてやってくるような者たちの行動なら手に取るようにわかるとも。
そういった者たちが、あの神話級ダークヒールの論文を一目見て『これはいいな。よしよし。落ち着ける場所に持ち帰り腰を据えてじっくりと読もうじゃないか』なんて思うだろうか?
いいや、そんなはずはない。
──ザァーッ!
潮が引くように、山を成していた蟲たちが一斉にそこから離れていく。
そしてその山の中から現れたのは、ペタンと地面に座り込む一人の女エルフ。
その両手でしっかりと掴んだ論文へと、褐色の肌の奥で輝くヒスイの瞳を走らせて、夢中で文を追っているようだ。
「フッ。だろうな。そこに面白い論文があったならば場所など関係ない。読み終えるまでその場からテコでも動かないモノだ……われわれのような生き物は」
俺も王都にいた頃、気になる本を見かけた時はその場で読みつくしてしまったものだ。
懐かしいな。
いったいそれで何店舗の本屋から出禁を喰らったことか。
まあ、今はそれはともかく、だ。
「さて、行こうか」
俺は立ち上がり木陰から出ると、ボグ・チェルノを隣に伴いつつ黒の森へ──モナルダの元へと向かう。
モナルダは俺たちの接近に気づかない。
よほど論文に没頭してくれているらしいね。
執筆者冥利に尽きるというものだ。
とはいえ、心苦しいが読み終えるまで待っているわけにもいかない。
「君が黒の賢者──モナルダだね?」
「ッ!?!?!?」
モナルダは弾かれたようにバッと。
声をかけた俺の方へと向く。
その表情はメリッサのように、賢者らしく、理知的で、そして怜悧なまなざし──
「わ、わあ……っ」
──ではなかった。
「なっ、なななっ、なっ……んですかっ? 誰、ですか……!?」
モナルダが俺たちへと向けるその大きな垂れ目は怯えに満ち、額は冷や汗でビッチョリ。
むき出しの細い薄い肩と伸ばすがままの長い黒髪は、プルプルと震えていた。
「……突然失礼した。私はだね──」
「あ、こ、困りますぅ……」
俺が一歩足を踏み出そうとすると、モナルダは人差し指を俺に向けて言った。
「そ、それ以上近づいて来られたら、殺しちゃいますので……」
その指先には、スモッグのような灰色の魔力が宿っていた。
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次のエピソードは「第238話 自分の足で歩いたら負けかなと思っている」です。
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