第145話 【Side:ハーデス】遭遇。王国への帰り道にて
~【Side:ハーデス】~
「行きは団体で帰りは独り、いやはや、寂しいものですなぁ」
歌うように口ずさんで馬を歩かせるその男は、王国教会副主席であるハーデス。
ハーデスは後ろで繰り広げられている戦いとその戦火を振り返ることもなく、世界樹の集落の西側に拓かれた街道を悠々と進んでいる。
……まったく、メリッサ様の思いつきに振り回されるのもひと苦労なことだ。
ハーデスは左手の甲に視線をやりつつ、内心でため息を吐く。
そこに刻まれているのは黒い十字架の聖印。それはメリッサとの契約の証である。
メリッサを裏切ったならばハーデスの体はまたたく間に燃え上がることだろう。
「文句は言いませんよ。聖者でありながらにして神の炎に焼かれたくはありませんから」
きっとハーデスの内心も思い通しであろう、この世で最も神に近いその存在へと呟いておく。
まあそれはそれとして、これから王国に戻るまで、また長い道のりを行かなくてはならないことを考えれば憂鬱なことには変わらない。
……せめて道中に撃ち殺せるモンスターの数匹くらい出てくれれば、退屈しないで済むというものを。
しかし、それも叶わない。
ハーデスの進むこの街道はマロウが人間たちを招く──いや、人間たちに『拝謁を許す』ために作ったものであり、マロウの構築した聖術結界によって防護もされているためモンスター一匹すら通らないのだ。
そう、そのはずだった。
しかし、
──ガサリ、と。
街道の隅の茂みから、草木をかき分ける音がする。
ハーデスはとっさに背中のライフルケースを下ろすと、素早く愛銃を取り出し、その茂みへと向けて構えた。
それは弾の装填まで含めて五秒もかからない早業だった。
……獣かなにかか?
ハーデスが馬を止め、わずかたりとも銃身を揺らさぬように息をひそめていると、
「……おや、これはなんと」
茂みを割ってハーデスの前へと現れたのは見事な鎧をその身にまとい、唯一無二の王国の聖剣をその背に差した男──勇者アレス・イフリートその人だった。
アレスはジロリと馬上のハーデスをにらみつける。
「戦線から離れたこんな場所でいったい何をしているんだ、ハーデス」
「……それはお互い様でしょう、アレス様」
それはハーデスにとって想定外の遭遇だった。
なにせ、アレスのことは戦場に置いてきたつもりだったのだ。
だから、てっきりキウイのお付きの女騎士か魔国幹部ウルクロウに殺されているものだとばかり思っていた。
「まあお互い無事でなによりですな」
ハーデスはそう言うと、構えていたライフルを下ろした。
それから敵意はない、とアピールするように肩をすくめてみせる。
「西方エルフ戦線はもうダメでしょう。魔国の総力が集まっているようですから。私は王国教会副主席の身……命を無駄にするわけにも行かないので先に撤退させてもらっていたまでです」
「……」
「アレス様も同じでしょう? まだ戦い自体は終わっていないのにここにいるのですから」
アレスはそれには答えぬまま、ジッとハーデスに視線を向けていた。
しかしそれは単に図星を突かれたというような表情にも見えない。
「……ハーデス、おまえは確かこう言っていたな」
「は?」
「神話級ダークヒールなど机上の空論だと。そして、実際に使えるはずもないだろうと」
「……ええ、確かに言いましたな」
「では、 <アレ>はなんだったんだ?」
アレスの指すそのアレというものが、ウルクロウへと施していたダークヒールのことだというのは明白だった。当然、ハーデスもそれを目にしている。
「ウルクロウが生き返った後、キウイ・アラヤに掴みかかっていたあの聖職者たちは二人とも、外傷もないのに、まるで魂を抜かれたかのように死んでいたぞ」
「……ははぁ。それが件の神話級ダークヒールだったのでは、という話ですか」
ハーデスは深く考え込むようなフリで腕を組む。
そして組んだ下の手を懐へと入れる。
「まさか実在するとは。私もそれは想定外でしたよ」
「本当にか?」
「ええ本当に。あの聖女アルテミスもその存在には否定的で──」
「アルテミスはもう、死んでいる」
ハーデスの発言を途中でバサリと切るように、アレスが言葉を重ねた。
「あのとき神話級ダークヒールの生贄になったのだから当然だ」
「……ははぁ、それはなんとも、誠に残念ではあります」
「本当に知らなかったのか?」
「もちろんですとも。神話級ダークヒールの実在を知ったのもの今ですから」
「となると、シュワイゼンが王国に対してウソを吐いていたということになるな。アルテミスが生存しているという目撃証言はヤツのものだ」
「……そうなりますな」
「だが、そのウソはヤツにとってどれだけのメリットがあるものだと思う?」
アレスは言葉を続けつつ、ユラリ。
ハーデスの方へと歩み寄ってきた。
「敵軍の中から俺を助け出した、というだけで十分な戦功のはずだ。だというのに、わざわざ死んだ聖女が生きているという虚偽の報告を織り交ぜた理由は?」
「……さあ、わかりかねますが」
「今回のキウイ・アラヤの抹殺計画、集められた勇者部隊の面々が、なぜおまえを含め聖職者ばかりだったのか。シュワイゼンやおまえは少数精鋭だの、俺たち個々への援助要員だのと建前を並べていたようだが、結局はキウイ・アラヤへと神話級ダークヒールを使うためのエサを与えるだけの結果となったな」
「……」
……ああ、よくない流れだ。
ハーデスはアレスの言葉へと耳を傾けつつ、懐の内側に差し込んである拳銃を握りしめていた。
ガチャリ。
静かに撃鉄を起こす音が小さく体に響く。
「何よりも、あれだけタイミングよくキウイ・アラヤを連れ去ったあのエルフはいったい何者だったと思う? 俺にはわかる。一瞬だったが、あの強大な聖力はマロウに匹敵するほどのものだった。ならば賢者のものでまず間違いない。そしてそれがマロウではないのなら、ウチの王国教会の上層部もたびたび世話になっているとか聞く、西の賢者メリッサか」
勇者アレスが深く、深く息を吐きながら背中の聖剣の柄へと手をかけた。
「内通していたんだろうな。シュワイゼンと……そして、おまえとも」
「何を仰いますやら」
「言い訳を聞くつもりはない。だが、真実を話すというのなら手心を加えてやらんでもない」
「……」
さて、どうしたものかとハーデスは心の中で独り熟考する。
部外者にメリッサ様のことを明かせば、それは裏切りと捉えかねられない。そうなればハーデスはアレスの一刀を待たずして死に果てるだろう。
ならば、迎え撃つか?
王国内で最強の戦士、アレスを。
……早撃ちには自信がある。そして今ならまだ剣よりも銃が有利な距離だ。
だが、それでも実力は五分でいいところだろう。
聖剣を持つことによって研ぎ澄まされた勇者の反応速度は、弾速を凌駕するものだと聞く。
ではどうするか。
「……わかりました。お話ししましょう」
ハーデスは念のため拳銃を握った手は離すことなく口を開いた。
「とはいえご了承いただきたいことがあります」
「なんだ?」
「私にはとある禁忌があり、特定人物に関する言及ができません。それを侵せば私は神の炎によって燃え果ててしまうことでしょう」
「ああ……そんなことか」
──カチャン。
「それについては、もう心配することもない」
勇者の背中の鞘が鳴った。
聖剣が納められた音だった。
「えっ……?」
ハーデスの体の正面が、燃えるように熱い。
そして赤い。
ただしそれは炎のような明るい赤ではなく、この夜の森に似つかわしいドス黒い赤だった。
──いつの間にか、ハーデスの体は袈裟斬りにされて血が噴水のようにあふれ出していた。
「なっ……んでっ……!?」
ドサリ。ハーデスの体が落馬する。
それに驚いてか、馬は一頭で走り出していってすぐに見えなくなった。
「『手心を加えてやる』と言ったな。あれはウソだ」
再び聖剣の柄に手をかけた勇者が歩み寄ってくる。
「西の賢者メリッサが裏にいることがわかったなら、それでいい。もうおまえに用もない」
アレスによる不可視の飛ぶ斬撃により斬られたのだと、そのときになってようやくハーデスは理解した。
「……っ!!!」
ハーデスは、落馬したときにともに落ちていたライフルを素早くつかみ上げるとアレスへと向けた。だが、
──ザシュッ、カチャンッ。
ライフルを持つハーデスの腕が地に落ちる。
その音よりも先にアレスの聖剣は鞘へと戻っていた。
「アルテミスの死を踏みにじった者たちすべてが憎い。キウイ・アラヤも、おまえも、賢者も、そして賢者に骨抜きにされた王国も、何もかもが」
「待て……待ってください、アレス様、少し話を──」
次に飛んだのはハーデスの首だった。
ゴロンと地に転がったそれを小脇へと蹴飛ばして、アレスはふっと息を吐いた。
「こんな命じゃ、何一つ埋まらない……」
そしてアレスは歩き出した。
黒く燃え上がる憎しみを瞳に宿して。
──その後、王国勇者アレス・イフリートは歴史の表舞台からその姿を消すことになる。
死体こそ見つからなかったものの、西方エルフ戦線の戦死者としてハーデスらとともにその名を連ねることとなった。
いつもお読みいただきありがとうございます!
次のエピソードは「第146話 完全勝利と戦後処理」です。
次回は6/2(月)更新予定です。
よろしくお願いいたします!




