第110話 ハードワーカーの心を癒そう!
魔国幹部にして魔王秘書のエメラルダが、鬱っぽいらしい。
それはなんとも一大事である。
「鬱……まあ確かに、これまでの魔国の状況と、魔国幹部にかかる負担を考えれば発症してもおかしくないでしょう」
なんでも以前に話を聞いたところによれば、ほとんど一ヶ月近く不眠で働いていた時期もあったらしいし、そんなの人間基準で考えれば不眠どころか精神崩壊を引き起こしていてもなんらおかしくないレベルだ。
……まあ、魔族は基本的にフィジカル全振り種族が多いからなぁ。知性的な一部の魔族に負担が寄せられてしまうのは仕方ないのだが。
「それでですね、キウイ」
エメラルダはモジモジ、ソワソワと。
少しその顔を赤らめながら、
「き、聞いたところによれば、鬱症状には " 誰かに頭を撫でてもらう " というのが効くのだとか」
エメラルダはどこか恥ずかしそうに両手の指を絡ませながら言う。
「ですからその、私もそれで症状が良くなるのであれば、その、恥を忍んでですよ? またキウイに頭を撫でてもらえたらいいのかなぁ、と」
頭を撫でてもらえると鬱が治る……?
ほうほう、なるほど?
「──まあよくある民間療法ですな。効果ないでしょうね、それは」
「えっっっ?」
ポカンとするエメラルダ。
期待していた治療法が無駄なものだと言われ、ショックなのだろう。
だが俺は一人のダークヒーラーとして、患者を癒す身として、医学的根拠のない民間療法に踊らされて大事な患者に適当な治療を施すワケにはいかないのだ。
「おそらく他者からの同情と共感を得ることによって精神的苦痛が和らいでいるだけ……つまりはただの現実逃避による一時的な効能か、あるいは民間療法を信頼する心が生み出すプラシーボ効果ですね」
「んっ? えっ? あ、いやその……」
「残念ながら鬱は、鬱になってしまった原因を取り除かないことには根本的解決には至りません。エメラルダ殿の場合、原因は長時間労働でしょうな」
俺はスラスラと。
こういうケースもあろうかと用意しておいた意見書フォーマットにダークヒーラーとしての所感を記入する。
「本来であれば抗うつ薬をお出ししたいところですが、残念ながら魔国では入手できないものですので。まずは長時間労働の改善を直属の上司……魔王陛下に掛け合って見ましょう」
「エッ」
「診断と改善策を意見書にまとめましたので、私の方から魔王陛下に送り、必要であればその場で相談してみましょう。もし有給休暇など余っていらっしゃるのであれば、今はそれを消化して休養を──」
「ちょっ、ちょっと待ってくださるっ!?」
慌てたように、エメラルダが俺の言葉をさえぎった。
「べ、別にそこまでして解決を図ることではないのよ? ただね、ちょっと鬱っぽいなーと思っただけでね?」
「いえ。鬱をナメてはいけません。精神的な病は一気に症状が進行することもあります。早期に自覚症状に気づけた今、早急に対応策を考えねば」
「そ、そうじゃない……そうじゃないのよぉ……!」
ウルウル、と。
エメラルダの紺碧の瞳が揺らぎ始め、その顔は赤い。
……魔王への忠義と自らの不調。その狭間での葛藤、だろうな。
相当、悩みの根は深いようだ。
しかし、魔王ルマクに相談するのがそんなに嫌なのだろうか、エメラルダは。
魔王ルマクは気さくな王だと思っていたのだが、実は内弁慶でエメラルダに対してはオラオラ系なのか?
俺自身、それほど多くの時間をとって魔王ルマクと過ごしたわけではないので、まだその人となり……いや、性格の全てを把握できているわけではないから、どうにも判断がつけ辛い。
……ウムム、どうしたものかな。
「ねぇねぇ、キウイせんせー。『ウツッポイ』ってなぁに?」
俺が悩んでいると、アミルタが純粋なまなざしで俺の顔を見上げてきた。
「ウツボ? ウツボの仲間?」
「海洋生物ではないよ」
「だよね。言ってみただけー。じゃあなぁに?」
「鬱とは……常に気分が落ち込んでしまうことだよ」
「フーン? じゃあ遊べばいいのにっ!」
アミルタはそう言うと、手をパンパンと叩いてから急激にしゃがみ込む。かと思うとピョイッとジャンプをして、
「これ知ってるっ? " パンピョイ " ッ!」
「パンピョイ? 知らないな。何かの遊びか?」
「うん! あのねあのね、ルールがあるのっ!」
アミルタの説明をまとめると、つまりこういうことだった。
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<パンピョイ>
ルール:
1.みんなで同じタイミングで手を叩き始める。
2.それぞれ好きなタイミングで、
手を叩く代わりにしゃがむ。
3.しゃがむタイミングが被ったら負け。
ぴょいっと一回ジャンプする。
4.誰もしゃがむタイミングが被らなかった
場合、一番最後にしゃがんだ人が負け。
ぴょいっと三回ジャンプする
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「ねっ? おもしろそうでしょっ?」
「ほう……そんな遊びがあるのかね」
「絵本の中の子どもたちがやっててね、すごく楽しそうなの。これをやれば絶対に落ち込まないと思う。だからね──いまからキウイせんせーとエメラルダさん、それに受付のウサリーさんも呼んで、三人でやってみたらっ?」
「「えっ???」」
俺とエメラルダは思わず顔を見合わせた。
……だって、子どもの遊びをこの診療室でやる? しかもアミルタを除いた大人だけで?
「ア、アミルタ様? あのですね、遊びにさそっていただくのは光栄なのですが、そういったものは大人がやるものでは……」
「でも私、いっしょにやってくれる友達がいないもん。それにいまの私はお風邪で動けないし。だから一度だけでいいから、まずは誰かがやってるところを見てみたいんだもん……」
「あっ……」
エメラルダが、気まずげに押し黙った。
そうだったのか。
アミルタは明るいから、友達も多いものだと俺は思っていたのだが……
あるいは、魔王の娘だからこそなかなか自由に外で友達を作る機会がないのか。
……ふむ。それならば。
そのとき、俺とエメラルダの視線がしっかりと交わった。
「エメラルダ殿。少しやってみようではありませんか。そのパンピョイとやらを」
「そ、そうですねっ! そして今度、お風邪が治って元気になったアミルタ様も交えていっしょにやれるようにしましょうかっ!」
俺とエメラルダの言葉に、アミルタはパァッとその表情を明るくした。
「わーいっ! やっと本物のパンピョイが見れるんだぁっ!」
アミルタは歳相応にバンザイをして喜びをあらわにする。
ふむ、しかしアミルタ。
これは実のところ、かなりナイスなアシストだぞ?
実はこの一件、アミルタをおもんばかっての行動かと思わせつつも、しかし俺独自の狙いもあった。
──鬱には、軽度の運動が効く場合があるのだ。
しかしその運動の効果には個体差があって、エメラルダにいかほどの作用があるかはわからない。ゆえに、この機会を使って検証しようと思う。
本人に知らせないのにも当然理由がある。
……エメラルダ殿は、プラシーボ効果を強く受けそうな個体。俺はそう判断する。
先ほども民間療法に頼ろうとする傾向があった。
あらかじめこれが治療の一環だと教えてしまっては、思い込みによる作用が出てしまうかもしれない。
ゆえに、水面下で試すのだ。
「クックック……では、やろうではないか、パンピョイをなぁっ!」
* * *
「──ぜひゅっぜひゅっぜひゅっ……!!!」
急激な運動による過呼吸。
それが今、俺を襲うものの正体だった。
「あ、あの……キウイ先生? 大丈夫ですか?」
「ぜひゅっ……ぜひゅっ……ぜひゅっ……」
ウサリーやエメラルダ、それにアミルタがものすごく心配そうに俺をのぞき込んでいた。
無論、大丈夫ではない。
運動不足の体に、パンピョイの運動量は激し過ぎた。
というか、よくよく考えたらこの遊びって、ただの突発的ジャンピングスクワットではないか? そりゃあキツいはずである。
「キウイせんせー、足プルプル」
これは痙攣というのだ、アミルタ。
おそらく三日くらいはまともに立てないだろう。
「と、とりあえずキウイ、横になってください。ほら、私のヒザを使いなさい」
「ぜひゅっ……」
エメラルダに膝枕をしてもらい、俺は仰向けに横になって天井を見る。
「対処法はわかってらっしゃると思いますけど、ゆっくり息を吸って吐いてを繰り返してくださいね、キウイ先生」
「ぜひゅぅーっ、ぜひゅぅーっ……」
エメラルダの膝の上。俺はエメラルダに頭を撫でられつつ、ウサリーの指示の元で介抱されていた。
……俺はいったい、何をやっているのだろう??? 診察室で受付と患者に介抱されるダークヒーラーとは???
それから三十分ほどゆっくりして、ようやく俺の症状は改善した。
エメラルダの鬱症状はどうやら今回の軽度の運動で改善したらしく、「くれぐれも魔王陛下には内密に」とのことだ。
アミルタは、
『キウイせんせー、ちゃんと体力もつけなきゃダメだよー?』
などと、もっともなアドバイスを俺に残してミョルを抱えて帰っていった。
……あの子、もしや俺に運動させようと? いや、まさかな。
たまに大人な一面が垣間見える気がするアミルタと、その付き添いのエメラルダを見送ると、今日はなるべく早く寝て体を回復させようと、俺は決意を固めたのだった。
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次のエピソードは「第111話 アラヤ教団の誕生」です。
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