宰相閣下と黒い山羊
邪魔しないように外へ出たところ、兵士が一人立っておりこちらに声を掛けてくる。中庭で宰相閣下が待っていると言うので、さっそくそちらへ向かった。そういえばいつもなら陛下と共にいるはずなのに、今回は居なかったなと今さら気付く。
「どうやら間に合ったようだな」
中庭に出てみたら巨大な黒い毛の山羊が仁王立ちしており、こちらに声を掛けてくる。まったく敵意を感じないどころか見た目に反してとても穏やかで、ふぅと一つ溜息を吐くと胡坐を掻いた。
中庭で宰相閣下が待っていると言うから来たが、こんな巨大な生物がいるとはと思い驚いていると、わからんかと顔を指さし言ってくる。あいにくそんな強面の知り合いはいないなと思ったが、かなり前に宰相の腕が一瞬だけ毛むくじゃらに見えたことがあった。
「まさか……宰相閣下ですか?」
「やっと気付いたか。お前にはとっくのとうに見破られているかと思ったがの」
巨大な生き物は微笑みながら段々と縮んで行き、同じくらいの背丈になると宰相閣下に変化する。なにか魔法を使ってらっしゃるのですかと問うと、魔法みたいなものだと言う。本来であれば最後の最後までこの手は隠しておきたかったが、国の命が掛かっている時に出し惜しみは出来なかったと宰相は話す。
どうやら暗闇の夜明けは、宰相が変身できることを掴んでいた節があるらしい。曰く最初からこの城を狙って来た男が、被害を出したくなくば化け物一人が出て来ればいい、そう言い放ったようだ。男で空に浮けて襲撃者と言えば、恐らくシンラしかいない。
相手はシンラだと思われますと告げると、ならば呪いに囚われし羊の件で気付かれたのかもしれんと言った。どういった関係があるのかと尋ねたところ、少し昔話をしてもいいかというのでお願いする。
「ワシは元々さっきのが本来の姿で、長い時を生きた結果として人間族に変身する能力を得たのだ」
人間族に変化したのは、アルブラムの影響があったかららしい。弱くて狩られるだけだった種族が、あらゆる者たちを退けて安息の地を手に入れた。偉業を目の当たりにし、人間族とはどういう生き物か知りたくなって変身したようだ。
まだこの大陸に人間が少なく、ヨシズミ国建国を目指していた陛下の祖先と出会い意気投合し、以降姿を変え何代にもわたり支えてきたと言う。本来の目的を忘れ世代が進むにつれて愛着を抱いてしまい、命ある限り彼の一族を支えたいこの地に骨をうずたい、そう願いながら生きてきたと宰相は語る。
もはやそれは人間と変わらないのではと告げると、今まで見たこともない穏やかな笑顔で彼は微笑んだ。なにか嫌な予感がしたので気を探ってみたところ、生命維持にもギリギリなくらい減っており、兵士を呼び医務室へと言うも止めるよう言われた。
もう十分生きたしこれから先は新しい者たちの時代だ、と優しい御爺さんの顔をして話す。
「最後にジン・サガラ、お前に頼みがある」
「……聞けることであれば」
「なに、国を頼むなどとは言わん。お前にはお前の行くところがあるだろうからな。頼みとは他でもない。我が一族の末裔であるアンナ、あれの夫を助けてやってほしいのだ」
ここに来て明らかになることが多すぎて混乱する。アンナさんとは呪いに囚われし羊事件の時に出会った、ヨシズミシープをこの国にもたらした一族の女性で、クライド・イシワラさんの年の離れた奥さんだ。
父親エダンの呪いによって獣人になりかけていたが、事件を解決すると元に戻れた。あのアンナさんが宰相閣下の末裔とは驚きだけど、理由はあれど王族であるクライドさんと結婚できるのだから、末裔と言われればそうなのかもしれないなと納得する。
クライドさんを随分と見掛けていないがどこへ行ったのかと聞くと、偵察の任務に当たっておりラの国から帰ってこないらしい。
「あれはしぶとい故、死ぬことは無かろうが」
どうやらこちらにとって嫌なことのフルコースを、ラの国では振舞ってくれるようだ。苦しめるための準備は万全だなと思うと苦笑いするしかない。
「宰相閣下、自分は神ではありませんので必ず救うとはお約束できませんが、全力を尽くさせて頂きます」
「それでよい。お前のような人間はこの先いつ出てくるか分からんし、この戦いで負けるようであれば人間族もおしまいだろう。出来れば最後まで見守りたかったがな……」
自らの手を見る宰相は徐々に体全体が薄くなり、光の粒子になって足元から消えかけている。人ならざる者が人になり、寿命を歪めた結果だろうと寂しげに笑った。長い間お世話になりましたと感謝の言葉を伝えると、最後に握手をと求められ近付き手を差し出す。
「わずかでもお前の足しになると願っているよ」
宰相が完全に光の粒子となり形を失った後、握っていた手に気が流れ込んでくる。彼がどれだけこの国を愛していたか、自分が何をすれば国が纏まるのか考え続け尽くして来た、その思いも一緒に流れ込み涙がこぼれた。
まだ声を上げて泣く訳にはいかないとギリギリ踏み止まり、袖で涙を拭い中庭を後にする。もうすぐヨシズミ国を襲う災難は去り、さらなる飛躍を遂げるべく歩み出す。出来ればそこに自分以外の人を一人でも多く残しておきたい、そのために宰相閣下から受け取った力を使わせてもらおう。
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