黒い山羊
「滅びたとは言え他国の有名な大臣の娘であの村でも旗頭のような存在だったのは間違いない。事件の首謀者の一人である暗闇の夜明けの者はこっちの不手際で逃げ出し、自警団団長も目下行方不明。こうなれば誰でも怪しむのも無理は無かろう?」
「確かにそうかもしれませんが、それを俺の嫁さんにすることで解決って言うのも乱暴では?」
「乱暴かもしれんがそれ以上にこっちだけでなく元村の親類縁者が納得し得る人材が居ない」
「俺たちは人身御供ですか?」
「客観的に見れば否定しようもない。そしてお前を男爵に推薦した者たちの中にはこうなることを予見していた可能性も否定しない。だが貴族になるのを承諾した以上、役目を果たして貰う。民の安寧の為に私情を捨てなければならない時もある。これは俺の民でもあるが最早一族に近いお前だからこそ改めて命じる。子爵となりアリーザと婚姻せよ。例え仮初でも綺羅星の如く現れた英雄が面倒を見るなら民は不安要素を一つ消せるのだ」
陛下の言葉が両肩にズシリと圧し掛かる。元の世界で見た上流階級っていうのはもっとやりたい放題で自分と身内のことばかり考えるような連中ばかりだった。国民を害そうが言い訳ばかり並べて賠償金すら払わないような奴らに対して責任を果たせと思ったし、悪態罵詈雑言を心の中で吐いたりもしている。
そう、今正に自分自身がその立場になってしまったのだ。これを拒否するのも可能でそうすれば元の上級階級の連中と同じで責任を放棄し、更に陛下からお呼びがかかることもないだろう。そうなれば自由度は増すが断ったのをずっと抱え、その後起こるかもしれない乱に怯えなければならないと思うと生きた心地がしないのではないだろうか。
と言うか先ずその前にアリーザさん本人の意思を確認しないと。形だけとは言え夫婦ってなるのは人生にとって大きな問題だ。しかもこっちは三十五歳児である。いつの間にか出来た妖精の母親とギルドの宿で二人暮らし。不良債権であるのは間違いない。
「先ずはアリーザさんの気持ちを聞いてからで」
「気持ち云々はどうでも構わん。アリーザが断ればこちらとしては民の不安をそのままにしてはおけない。お前に無理強いするのもしたいからしている訳ではないのだ」
「どうにかしろと言うお方がいるのですよ」
「陛下! お客様です!」
誰なのか聞こうとした瞬間、部屋のドアをノックし兵士が声を上げる。シシリーは何かを感じて急いで定位置に戻りシンタさんが立ち上がって扉を開けると、久し振りに見る人物が立っていて部屋の中をぐるりと見まわした。
兵士がお客様と言ったのは、恐らくこの人物があまり好かれていないからだろう。個人的にはそこまで深い付き合いが無いのでどうしては理由は分からないが。
「宰相閣下、何か御用でしょうか?」
「陛下、御歓談中申し訳御座いません……いやお邪魔でしたかな」
俺を見つけると鼻で笑ってから一礼した。俺は立ち上がろうとすると陛下に手で制止される。
「何か急な用でも御有りで?」
「いえいえ用と言う程のものではございません。そしてもう解決いたしましたようで何より。ジン・サガラ殿御久し振りですな。例の廃村以来」
そう言いながら中へ入って来て近付いて来た。流石に立ち上がらない訳にはいかず立ち上がる。すると横へ座りながら左手を差し出されたので左手で握手を交わす。その際宰相の着ている赤を基調とした高そうなローブの袖が上がって肘の辺りまで見えたが、手首から肘まで黒い毛が少し濃いくらい見生えていた。毛くらい生えているだろうと思うだろうが、それは明らかに人のものでは無かった。
「何か?」
「いいえ何も」
定位置に居たシシリーが俺の胸を指でなぞり”むしして”と書いたので、努めて冷静に何も気付かない振りをして答える。だが正直心の中は大混乱状態だ。その毛が何なのか考えた時に頭を過ぎっただけで確かでは無いが、黒い山羊の毛に見えた。
小さい頃園で見に行った牧場に居た山羊のように、細かい直毛が密集していたのでそう見えただけかもしれないが……。
「座り給えジン・サガラ殿」
「いえ、宰相閣下と並んで座るなど失礼になりますので」
そう言いながら後ろに手を組んでソファの脇に立つ。本当はゾワゾワして鳥肌が立っている腕を見られたくないだけだが。
「ふぅむ。貴族に推薦したのは間違いなかったようですな陛下。今やヨシズミ国の国民よりも彼らの様な外の者たちの方が貴族に相応しい。国を重んじるばかりで世界に目を向けないのは傲慢ですからな。外を第一に考え先ずは我が方から胸襟を開くのが重要」
「国も民あってこそ、民も国あってこそ。自らの国を護る気持ち大切にする気持ち無くして他の国を大事に想えるでしょうか。そのことは国民も分かっていると思いますが」
「今のこの国の若者には残念ながらそのような思慮深さはありますまい。だからこそ国に拘るのです。我が神は御一人おわすのみ。そこに国は必要ありません」
凄いな……一国の宰相が国家不要論を自分が仕える王様の前で唱えだしたぞ。陛下じゃなきゃ斬られても可笑しくない。
「国家不要論と言えば昔父に仕えていた秘書官の一人がそんな話を父にしていたのを覚えています。確かエダンの母親だったと思いますが……宰相の肝煎りでしたな」
「ええ、その者を前国王に紹介したのもエダンの父に紹介したのも私です。母親は良かったのですが息子は駄目でしたね。彼女のように熱心でなかった。その上貴族というものを都合よく解釈していましたから仕方ないかもしれません。結局何も無しえないまま何処へ行ってしまったのも致し方ない」
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