第3章 第17話 最強の魔法使い 2
「ひぃっ、来ないでくださいっ!」
「…………」
フィアとキョンシーのキョンは追いかけっこをしていた。
時間が経ち、興奮状態も収まってきたフィアだが、それでも頭はまだぼんやりとしている。魔法というのは基本的にランクが上がるほど頭の中で組み立てる術式が複雑になっていく。それを全てなんとなくでやっていたフィアは、マタタビのせいでそのなんとなくができなくなっており、現在初級以外の魔法が使用不可になっていた。
「……あのさ、私が言うことじゃないけど、この状況間抜けすぎない? たぶん他のみんなはすごい真面目に戦ってると思う」
「しょうがないじゃないですかっ……ぜぇ……こんなことになるなんて思ってなかったんですもんっ……ぜぇ……」
フィアたちが飛ばされたフロアには床一面ベルトコンベアが敷き詰められていた。そしてベルトコンベアの終点の肉壁には多くの女性が蕩けた顔だけを出して悶えている。体力がなくなり、ベルトコンベアのスピードに負けた者は肉壁に永遠に閉じ込められてしまうのだ。
「しんどい……しんどいですぅ……!」
フィアは霧霞族だということを差し引いても体力がない。たとえ万全だったとしてもいずれ肉壁に取り込まれてしまうだろう。
ユリーがこのフロアにフィアを送ったのは、殺せないキョンを肉壁に封じるためだ。フィアに体力がないことはわかっていたが、強力な魔法を撃ち込んで吹き飛ばせばすぐにキョンを倒せると考えたのだが、ユリーはフィアの馬鹿さをまだ舐めていた。まさか魔法が使えなくなるなんて思っていなかったのだ。
「初級魔法しか使えないあなたに勝ち目はない。諦めてキョンシーになったら?」
「魔法が使えない……? だから何だってんですか。ユリーさんに任された以上、わたぶへぇっ」
ベルトコンベアとベルトコンベアの間に足が引っかかり、勝手に派手に転倒するフィア。
「いたた……って、やばいですっ! 壁がめちゃくちゃ近いですっ!」
「…………」
「ぎゃーっ! 捕まっちゃいましたっ! たすけてくだっ、ひっ、なんかぬめぬめして……んっ、これっ、やぁっ」
「……よくわからないけど、これで私の勝ちだよね」
ベルトコンベアに身を任せ、肉壁に閉じ込められたフィアへと近づくキョン。フィアの身体は顔と前に大きく飛び出た胸以外の全てが肉壁に埋まっており、ぐにゅぐにゅと動く壁と粘液に悶えていた。
「これが人間の限界。ちょっとのことで焦るし、体力だってなくなる。でもキョンシーになれば全部思うがまま。余計な感情はなくなるし、性欲だってなくなる。どう? キョンシーになりたいって泣いて頼むのなら助けてあげるけど」
フィアの下までやってきたキョンは、フィアの胸を掴むことによって肉壁に捕まることを避けている。そして一押しすれば、フィアの顔は完全に肉壁に沈むことになるだろう。
「申し訳ないんですけど……んっ、この服、趣味じゃないんで……ぁっ、お断りします」
「それが余計な感情だって言っている。やっぱり人間は愚か。私のママとパパもそうだった」
「あの……っ、なんか回想に入ろうとしてませんか……ぁっ。いま、聞ける状況じゃな、ぁっ、ぁっ」
「人間だった私は両親に殺された。私の家は少し特殊だったから。昔からの慣習で跡継ぎは一人と決められていた」
「んっ、なんか肉壁の動きがはげ、ぁあんっ」
「代々跡目は長女。私がなる予定だった。でも私より妹の方が優秀だった。だから何の意味もない慣習に従うために邪魔な私を殺すことに決めたらしい」
「んっ、これっ、きちゃっ、くぅっ、やっ、ぁっ」
「パパに首を絞められて私は死んだ。そんな私の身体はひっそりと森に埋められた。そこにモンスターが現れ、私の中に入ってきた」
「ぁっ、も、だめっ、いっ、い、ふぅっ――――!」
「キョンシーとして生まれ変わった私はそのまま両親を殺した。本当は殺すつもりはなかったけど、襲ってくるから返り討ちにした。でもそんなに心は痛まなかった」
「っ、またっ、くるっ、とまらなっ、ぁっ、ぁっ」
「馬鹿な両親だったけど責めるつもりはなかった。だって人間は馬鹿な生き物だから。周りの目や自分のプライドのような余計な感情に身を任せて生きている。そんな哀れな生き物、人間以外にいない。……聞いてた?」
「はぁっ……はぁっ……。だから、聞けないって、言ったじゃないですか……」
キョンが気づいた時にはフィアの顔は快楽に蕩け、ピクピクと痙攣して悶えていた。息も絶え絶えの状態で、それでもフィアは言う。
「つまり……モンスターが入ってきても自我を失わなかった人間すごい、って話ですよね……?」
「違う。やっぱり人間は馬鹿。特にあなたは」
もうこの馬鹿と話すことはない。そう思ってキョンが胸から手を放そうとしたが、
「うだうだ言ってましたけど結局あなたは人間がうらやましいだけでしょう?」
「全然違う」
全く的外れなフィアの言葉に、胸を掴むキョンの力が強くなる。
「人間なんて最低。疲れるし、怪我したら痛いし、最後にはどうせ死ぬ。でもキョンシーになれば……」
「みんなでごはんを食べて、おいしいのが人間ですっ! 死があるからみんな今を一生懸命に生きるんですっ!」
それは図らずも100年生き続けてきたユリーを全否定する言葉だったが、そんなことに気づけるわけもないフィアは続ける。
「家族になって、つながりを作って、後の世代に託してきたから今の人間がある。ただ死なないだけの存在なんて何の価値もありませんっ!」
「だったらあなたにも価値はない。だってあなたはこの肉壁の中でたった一人死ぬこともなく永遠に苦しむのだから」
まさかこんな状況にあっても尚自分が生きて帰れると思っているのだろうか。だとしたら底なしの馬鹿だ。今度こそキョンは胸から手を放し、ベルトコンベアを歩いていく。
余計な感情を捨て、敗北者に意識が向いていないキョンは気づかない。
「竜王の紅玉」
フィアのとっておきの魔法に。
「火っ!」
その声でフィアが魔法を使ったことに気づいたキョンだったが、歩みを止めることはない。しょせん初級魔法だし、腕は肉壁の中。そんなもので脱出できるなら誰だって……、
「……は?」
そう考えていたのに、振り返ってしまった。とんでもない何かが爆ぜる轟音が背後で鳴り響いたから。
「よかったです。肉壁もベルトコンベアもちゃんと壊れる仕様で」
「……どうやって抜け出した?」
さっきまで自身の近くにあった肉壁とベルトコンベアが粉々に砕け散り、生の壁や床が出現している。その中心では杖を構えたフィアが蒸気を纏って立っていた。
「わたしの弱点、知ってますか?」
キョンの質問に質問で返してくるフィア。
「頭。……あと近接戦闘」
「そうです。火力が足りないんです」
「は?」
会話が噛み合わない。むしろこの女には火力しかないはずだ。強力な魔法をぶっぱするだけの未熟な魔法使い。そう思っていたのに、印象が一気に変わった。
フィア・ウィザーは舞っていた。
「もっと火力があれば。あなたの死なない身体も殺せるような火力があれば、こんなところで苦戦することもなかった」
頭の悪いことを口走りながらバトンのように手首をくるくると回し、その場で優雅に回るフィア。脳筋としか思っていなかったフィアからは想像できないほどにその動きは優美で、警戒態勢をとっていたのに思わずキョンは見惚れてしまっていた。
「だから開発したんです。難しいことを考えなくても、ぶっ放すだけで勝てるように」
ここでようやくキョンは気づく。フィアの杖の先端にはまっている鮮やかな紅の魔石から、桃色に輝く球体が出現していることに。
「でも失敗しちゃいました。やっぱり攻撃魔法以外は難しいですね。だからなるべく使わないようにしていたんです」
その桃色の球体はフィアが回転するごとに数を増し、フィアの周囲を取り囲んでいく。
「原初の魔法――竜王の紅玉」
まるで竜が塒を巻くかのように。
「なんせこの魔法は、ひどく頭を使う」
最後に杖を高く放ると、回転しながらそれを受け取り、ドヤ顔を浮かべた。




