第3章 第7話 格
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イユ・シエスタは油断しない。
それが優秀な秘書官の条件ではあるが、それ以上に死にたくないからだ。
イユの優先順位は、まず一番にお金。お金がなければ生きている意味がないからだ。次に雇い主。生きてもらわなければお金を払ってくれる人がいなくなる。そして三番目に自分の命。ここまでがイユにとっての最低限の条件であり、それ以外にはそこまで興味がない。
イユが自身の魔法と制限呪を晒したのは、その三つが既に担保されているからだ。ユリーにもう勝ち目はない。最警戒と言われていたフィアは倒したし、正体不明の少女も撃ち抜いた。たとえユリーが何か奥の手を隠し持っていたとしても、この瞳があればいくらでも対処できる。
そう。見えてさえいれば問題ないのだ。
「がっ……!」
突如イユの右側面に衝撃が走り、逆側に大きく吹き飛ぶ。
「悪いけど、あたしの移動手段は脚だけじゃないのよ」
宙を飛びながら、イユは自身に何が起こったかを知る。脚を撃ち抜いたはずのスーラがユリーの正面で体勢を崩していた。
(フライメイル……! 着けてたのには気づいてたけど、使いこなせてるなんて……)
脚を動かさずに、魔力だけで宙を飛べるのがフライメイルの特徴。それを使ってイユに体当たりを仕掛けたのだ。
(いや、今はそれよりも)
このまま飛ばされれば壁際に仕掛けられている数多の器具に捕まってしまう。が、もちろん対処は可能だ。
空中にいようが、視界に魔石弾がある限り天使の翼は使える。現在イユが発射した魔石弾は三発。一つはユリーの正面、もう一つはフィアの真後ろ。そしてそのちょうど真ん中に一つ。
だが今視界に入っているのは、フィア付近のもの以外の二つ。だったら転送先は一つだ。
「天使の翼」
ユリー、スーラの追撃を避けるための中心の弾との位置交換。これで敵二人との距離は取れた。もうめんどうくさいから電弾で痺れさせるか。そう決めて位置を交換した次の瞬間、
「がぁっ……!?」
イユの視界が揺れた。
「ぁ……へぁ……?」
そしてじわりとした痛みが頭頂部を襲う。それだけではない。脳が揺れたことで足元がおぼつかなくなり、思考も鈍っていく。そして何より、視界がチカチカと光っている。
「タネさえわかればちょろいよね」
視界は寸前のものさえ見えないが、ユリーの声がすぐ真正面からする。
(この女……イユちゃんの転送先を予測してあの変な武器で頭を殴ったんだ……!)
初めて見た時から、なんとなくむかつく感じがするなと思っていた。いかにも真面目そうな雰囲気。しかもダンジョンにいた時も秘書官服を着続けていたらしい。お金のために秘書官をやっているイユとは対角に位置する人間。当然気に入るわけがない。
そして今。自身の動きを読まれて攻撃を受けてしまった今。ユリー・セクレタリーのことが嫌いで嫌いでたまらない。
(でも幸い帽子がクッションになって致命傷には至ってない。なんとか距離を取って撃ち抜――)
ただの鉄の棒を振るうしかないユリーと、遠距離武器に加え、位置交換まで可能なイユ。二人の差は歴然だ。だが、
(いや、殺せなかったんじゃない。殺さなかったんだ……!)
強い攻撃ほど無効化されてしまうこの××トラップダンジョンでの経験が、その差を容易に覆した。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「あっ、ぐっ、やっ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ただ単純な十手での殴打。それでもただの人間であるイユを殺すには十分だった。
「ぁ……ぐっ……え……?」
十発近い攻撃を受けたイユの身体から突如として痛みが引き、同時に視力も戻る。
(詰めが甘いって話はほんとみたいだねー。怒りに身を任せて殺しちゃうなんて)
優秀な秘書官の条件。それは、
「後ろ、見てみたら?」
油断しないことである。
「猛――」
「!」
ユリーに言われ、反射的に後ろを向いてしまうイユ。しまった、と後悔したのも束の間、すぐにそれが正解だったと気づいた。
(フィア・ウィザーの感電が解けてる!)
電気が引き、立ち上がって魔法の詠唱を始めているフィア。猛級魔法なら、イユの後ろにいる二人を傷つけず、加えて殺さない程度のダメージに抑えられる。
「天使の翼っ!」
だが見させてしまったのがユリーのミス。制限呪によって瞳を強化しているイユには、全ての動きが常人の五分の一程度の速度で流れていく。後出して対応が可能だ。転送先は、フィアの後ろに転がる魔石弾。
「フィア、後ろ!」
「――火っ!」
「烈風渦旋っ!」
三人の声が聞こえたのはほとんど同時。ユリーの指示に一片の迷いもなく従ったフィアがイユの転送先を捉え、加えてスーラがイユめがけて飛び蹴りを放っている。逃げられない二か所からの攻撃。
(普通の人間ならねっ!)
ユリーの付近に転がっている三つの魔石弾。どこかに飛べば攻撃は避けられるし、ユリー一人で全てを抑えるのは不可能。
「エク――」
詠唱を始め、気づく。
銃弾がユリーの足元の一発しかなく、そのユリーの持つ十手の先に××トラップダンジョン製の縄がかかっていることに。
(まさか……この攻防の中、二つの銃弾を回収! イユちゃんからは見えないよう隠し、強制拘束の条件に当たらない武器で縄を手に入れた……!?)
このまま転送しなければ火に焼かれ、飛び蹴りを食らい、後方にある拷問道具に捕まる。かといって転送してしまえば、××トラップダンジョン製の縄に捕まって動けなくなってしまう。同時に敵の一人を転送したとしても、どちらか片方の攻撃を受ける。
イユの時間は常人よりゆっくり進んでいく。これにより思考を回し、相手の裏をかくのがイユの戦法だ。
「ゃ……ぁ……」
だが逃げ場のない今現在。その能力は、恐怖の持続にしかならない。
「えくれあ……」
時間にして数秒。イユにとっては十数秒。彼女が選んだ敗北は、
「いらっしゃい」
「やだぁっ……!」
ユリーが持つ縄での拘束だった。
 




