第2章 第23話 理想の場面
「うそでしょ……!」
こんなことがあるなんて……! ××トラップダンジョンを踏破した人間が現れるなんて……!
「ミュー様……!」
究極ダンジョンマスターの権利なんてどうでもいい。でもミュー様が。最上階には氷の中に囚われたミュー様がいる。もし何かされていたら……私は……!
「どうやらぁ……時間切れ、のようですねぇ……!」
「!」
足が掬われる。体勢が崩れる。チューバが巨大ストローを使って息を吸ったんだ。
でもフィアが言っていたような急激な吸引ではない。ゆっくり。ゆっくりと遊ぶように息を吸っている。それでも体重50キロ前後の私を崩すには十分。引きずられるようにチューバの元に引き寄せられる。
「くぅっ……やぁっ……!」
まずい。今の私は正真正銘ただの少女。魔王軍幹部どころかそこらのモンスターにだって勝てない。このままじゃ確実にやられる。
でもチューバの姿は既にボロボロ。鱗は所々崩れ、真っ赤な血が滲んでいる。ダメージはかなり入っているはずだ。なら、もうこれしかない……!
「ごめんなさいっ! 私が悪かったですっ! 許してくださいっ!」
命乞い。私はチューバに完全に屈した。
だがチューバは口からストローを離さない。もっと必死に、もっと無様に……!
「いやぁっ、死にたくないっ! お願いしますっ! 何でもしますから殺さないでぇっ!」
効果なし……。だったら……!
「わたっ、私の友だちに凄い魔力の友だちがいるのっ! その子をあげるからっ! 私は見逃してぇっ!」
「…………」
吸い込みが弱まった……。私とフィアの関係をチューバは知らない。が、おそらくフィアのことだと思っているだろう。それでは意味がない。チューバはフィアにマーキングを済ませてあるから。ならもっと上質な餌を用意してあげる。
「王級魔法。これを使える魔法使いがいたとしたら、どうする?」
チューバの動きが、止まった。
「それは本当ですか?」
「は、はいっ! 絶対連れてくるので私は見逃してもらえませんか?」
超級魔法。それが魔法の最上位だ。フィアは平然と連発しているが、本来鍛えに鍛え抜かれた魔法使いがやっと一発撃てるか撃てないかレベルの魔法。これ以上の魔法なんて理論上不可能だ。
だが理論法則を無視すれば、可能である。超のもう一段階上。王級魔法。これを使える人間がいるのなら、絶対に食べたいはず。
「それが事実だとはとても思えませんが……」
チューバが再びストローを咥える。まだ駄目か。次の手段を考えようとした瞬間、私の全身に何かドロっとした液体が降り注いだ。
「んっ」
「それは私のマーキングです。あなたが嘘をついて逃げようと思っていても無駄。地平線の向こうにいたとしても必ずあなたを捕まえます」
くっ……くやしい……! この私にこんな汚いものをかけるなんて……。絶対に許さない……! でも、これで。
「あ、ありがとうございますっ。では――」
時間稼ぎ、終了だ。
「――さっさと死ね、キモモンスター」
「豪風っ!」
「烈風渦旋っ!」
頭を下げた私の頭上をチューバの身体が通過していく。そして顔を上げた先。二人の少女がこの層に足を踏み入れていた。
「偉そうなことを言っていた割にずいぶんなやられようじゃない?」
「ユリーさんを裸にして汚すだなんて……絶対に許せませんっ!」
「一分くらい巻いてくれたね……ありがとう、助かったよ」
フィアとスーラ。下の階にいる全てのスライムを駆逐し終えた二人が駆けつけてくれた。あの無様な命乞いは全て二人が来るまでの時間稼ぎのため。屈辱に耐えた甲斐があった。
「ユリーさん、早く服着てください! 呪いも解けますよね?」
「あー、そうしたいのは山々なんだけど……」
「そういえばいつも持ってるあの本……どうしたの?」
言いたくない。言ったらたぶん傷つくから。でも今は――。
「……ダンジョンブックは使えない。誰かが××トラップダンジョンを踏破したんだと思う」
私の言葉に二人は異なった反応を見せる。スーラは、
「そう……。てことはあのチート抜きで戦わなきゃいけないってことね」
冷や汗を垂らしながらも、ボロボロの身体で必死に立ち上がろうとしているチューバから目を離さず、どう倒すか考えている。これがこの場での正解だ。何を置いても生き残ることが第一である。なのにフィアは、
「――わたしのせいです。わたしがユリーさんを連れ出したから……!」
敵が目の前にいるのに深く俯き、頭を抱えて呆然としてしまっている。今になってあんなに駄々をこねたことを後悔する。
こうなる可能性があったから私は外出を拒否した。でもそれはあくまで建前。実際はただ単に外に出たくなかったからというくだらない理由が九割を占めていた。
それはフィアだって知っている。でもこうなってしまった以上、罪悪感を抱えざるを得ないだろう。フィアは馬鹿だけどその分とっても優しいから。命の恩人の命を支えるものを自分で奪ってしまったとなったら平然とはしていられない。でも今はそんな場合じゃない。
「落ち着いてフィア。今はチューバを倒すことに集中するよ」
「でもっ! チューバを倒したところでユリーさんは……!」
「だから大丈夫だって。また私がさくっとクリアしてくるから。そうすればほら、全部元通りでしょ」
現実はそんなに甘くないだろう。新たなダンジョンマスターの妨害は必至だろうし、戦闘能力がない人間にはどうやってもクリアできないステージもある。確率的には二割くらいは失敗の可能性がある。だから、
「フィア、私を助けて。××トラップダンジョンの攻略にはフィアの力が必要なの」
私はフィアに助けを求めた。
もう100年前の一人ぼっちだった私とは違う。ダンジョンブックはないけれど、それ以上に頼もしい仲間が私にはいる。
「おねぇだけでいいの? あたしの機動力があれば早々トラップに捕まることはないわよ」
「あれ? スーラって私のこと信じてないんじゃなかったの? 今言ったこと全部嘘かもよ」
「その時はあんたを倒すだけよ。それに! ぜ、全然信じてないってわけじゃないんだからっ!」
「はいはいかわいいかわいい」
気持ちいいくらいのツンデレを聞けたところで、そろそろ始めるとしよう。
「まずはチューバを倒すよ。私たち三人でっ!」
「予定が詰まっちゃったものね。おねぇ、いけるでしょ?」
「……うん。なんかうだうだ考えるのが面倒になりました。謝罪は全部終わって落ち着いてからいっぱいしますっ!」
三対一。これこそが私たちが考えていた作戦の理想形だ。




