第1章 第12話 思考
「大掃除――」
先端に毛の束を持つ木製の棒、モップを手元で回転させる。そして振りかぶると、前方に向けて勢いよく振り下ろした。
「――泡波っ!」
現れるのは泡の大波。だが当然こんなもので勇者を倒せるわけもない。これは目くらましだ。
「テレポートゲート!」
そして私は床に置いたダンジョンブックを拾ってフィアの腕を引き、まずミューから距離を取る。フロアの端、ジュエルシェルの背後に。勇者の一族は気配を察知する能力に優れているが、人の視力じゃ見られないこの位置なら時間は稼げるだろう。もっとも全方位飛翔斬ぶっぱされたら話は別だが、貝の中に女性が捕らわれていることをミューは知っている。いざとなれば無関係の人だろうと斬り裂くだろうが、さすがに最終手段のはずだ。そう信じるしかない。
とりあえず作戦を練らなければ始まらない。そもそも得物がモップな給仕衣はこの戦いでは不利だ。両手を使わなければいけない以上ダンジョンブックを手放さなければならないんだから。しかも魂の転職はダンジョンブックと直結している魔法。クローズ状態にすることができない。だからさっきはダンジョンブックを床に置いたが、そんな余裕がもう存在するはずはない。私は一度魔法を解除し、元の秘書官服に戻す。
ミューの一番厄介な攻撃は万物を斬り裂く聖剣に他ならない。まずはこれをどうにかしないと。剣を床に落とす……そんなトラップはいくらでも存在するが、ここで厄介なのは魔法の存在。木の魔法が三本目の腕になりうるのかが問題だ。
剣を落としたとしても蔓を使って剣を振るうことが可能なのか。魔法が使えない時代の聖剣しか知らない私では判断のしようがない。これが使えるとなったら最悪だ。遠近両用の斬撃に伸縮性まで加わったら対処のしようがない。でも作戦を立てるのに最悪の事態を想定するのは鉄則。可能だと仮定して続けよう。
というかそもそも木の魔法しか使えないというのは本当か? 初級しか使えないということも嘘かもしれない。考えてみればそうだ。初級術で縛りつけただけでベラベラと限界を語るほど勇者は愚かか? ブラフだと考えるのが妥当だろう。
駄目だ、さすがに情報が少なすぎる。魔法を使えることが勇者をここまで強くするとは……!
「フィア、使える魔法の種類は?」
とりあえずこっちの武器を知っておこうと私の横でぽけーっとした顔で座っているフィアに訊ねる。
「私は攻撃魔法しか使えませんっ。全部ぶっ放せば問題解決なのでっ」
この子馬鹿だとは思っていたけど想像以上に馬鹿だった。せっかく魔法適正のある魔法使いって職業に就いてるんだからもっと補助魔法を……いや今はそれよりも作戦だ。
フィアは連射系の魔法を覚えていたはず。それで様子見をして……いやフィアが危険すぎる。なら私が囮になってフィアがトドメを……それも駄目か。中級魔法じゃ最高級の鎧を着たミューに対して決定打にならないし、そもそもフィアの攻撃じゃすぐに回復されてしまう。
ならモンスターを大量に召喚して物量作戦で……くそ、これも駄目だ。召喚している間にあの無敵の剣に斬られて終わってしまう。
考えがまとまらない。私はこんなだったか? 作戦の立案は秘書官の仕事。完璧に学んでいたはずなのに……この100年サボりまくっていた私が憎い!
「あのー、嫌ならわたしがやりましょうか?」
無意識に舌打ちを繰り返していると、突然フィアが馬鹿みたいな笑顔で手を挙げた。
「やるって何を?」
「あの方を倒すのをです。やりたくないからそんなに悩んでるんでしょう?」
「いやそういうわけじゃないけど……」
この子の馬鹿みたいな顔と言葉に思わずイラっとしてしまうと、私の気持ちに全く気づいていないフィアがドヤ顔を作った。
「やりたくないことは誰かに任せればいい、簡単なことです。わたしなんていつも妹に……」
「本音を言えば戦いたくないよ」
ミューを殺したくない。あの人はノエル様の血を引いている。そんな御方を傷つけるなんてしたくない。その気持ちはやっぱりどう取り繕っても変えられない。
「でもそんなこと言ってる場合じゃ……」
「大丈夫ですよ」
フィアの表情は依然としてドヤ顔だ。知性の欠片も感じない。それでもなぜか任せてみたくなる。
「全部、ぶっ放せばいいんです」
この、馬鹿みたいな発言に。
「ユリーさん、空間転移系魔法を使えますよね?」
「空間転移魔法? ……あぁ、使えるけど」
正確には魔法じゃないし、ダンジョン内では空間転移魔法は使えないけど訂正するだけ無駄だ。フィアの言葉に頷く。
「ならわたしの杖を拾ってもらえませんか? そうすればあの人を確実に倒せます」
「杖って……」
最初に出会った時も言っていたけど、どこまで武器に依存してるんだ。そもそも魔法使いは武器を必要としない職業。補助のために杖を持っている人は多いけど、たったそれだけでミューを倒せるわけがない。
「まぁいいけど……どこで落としたの? 特徴は?」
「触手がすごい襲ってきましたっ」
「いっぱいあるね。もっと具体的に教えて」
「えーと……なんかベタベタする液体を纏ってましたっ」
「触手系はほとんどそうなんだよ。他には?」
「その……恥ずかしいのですが……ちょっと、ちょっとですよ? 気持ちよくなって……」
「粘液を出す触手は全部それ!」
そんな緊迫した状況に似合わない会話を繰り広げていると、突然。空気が張り詰めた。まさか……ばれた?
「もっと特徴的なのは!?」
「えと……そうです、口の中に入ってきた触手がベロを吸盤で吸って……!」
「テレポートゲート!」
「飛翔斬!」
私がヨダレダコという答えに至ったのとほぼ同時に、ミューが技を放った声が聞こえた。魔法陣に腕を突っ込み、それを掴んで勢いよくフィアに手渡す。その瞬間、貝が炸裂した。
「くぅ――っ!」
だが私の身体が傷つくことはなかった。もっとも魂の転職を解除していたので斬られても心以外は問題なかったのだが、それでも私の身体は無事なままだ。その代わりに貝があった場所には滝のように巨大な水柱が立っていた。
「まさか……これをフィアが……?」
「そうです! すごいでしょう?」
天井へと突き刺さるように登っていく滝を眺め、フィアが笑う。すごい……なんてもんじゃない。だってこの規模の水は、上級魔法の域すら超えている――!
「間一髪斬撃を押し上げることができました。急いでいたのでこの程度しか使えませんでしたが……」
そう語ると床に出現していた魔法陣が消滅し、水が重力に負けて落ちてくる。その水飛沫を浴びる彼女の右手には身体の3分の1程度の長さの木製の杖が握られていた。その先端には渦を巻くように木が変形しており、中心には紅く輝く宝石がはまっている。これは……!
「宝樹アムダと……魔石サンドラ……!」
図鑑でしか見たことがないが、間違いない。どちらも伝説級の代物だ。
「あなた、一体……?」
「貴様、何者だ!」
震える私の声と同時に、水が晴れた先からミューが叫ぶ。当然だ。あんな高等術に加え、この伝説の杖。たかだか16レベルの魔法使いが扱えるものではない。
そんな私たちの当たり前の疑問に、馬鹿はただ魔法を唱えるだけで返す。
「超巨大岩っ!」
そう。辺りを覆い尽くすような、馬鹿みたいな威力の魔法を。




