第1章 第1話 裏切り
『××トラップダンジョン。
若く美しい女性しか入れず、一度の生還例もないという未知のダンジョンである。
二十層からなるこのダンジョンを踏破すると魔王が如き力を手にできるという言い伝えから挑戦者は絶えず、年間数百人の女性が帰らぬ人となっている』
「……ふぅ」
主人のための簡単な資料をまとめ、いただいた群青の制服を纏って私は自室を出る。噂では主人はあまり頭がよくないらしい。この世界で生きている人間なら誰でも知っているこんなことも知らない可能性がある。それに今日がお互いにとって初仕事。慎重すぎるに越したことはない。
勇者。いや、先代勇者、ノエル・L・ヴレイバー様の訃報が届いたのは一昨日の夜のことだった。
魔王との戦いに敗れ、戦死。この国の人々を数々のモンスターから守り続けた勇者の最期は、言葉にすればたった数文字で収まってしまうものだった。
昨夜国葬が行われ、悲しみに暮れる時間もないままに次の勇者が決められた。
ノエル様の御令嬢、ザエフ・F・ヴレイバー様、21歳。そしてその秘書官にノエル様の遺言に従って私が選出されたのだ。
「失礼します。本日からザエフ様の秘書官を務めさせていただきます、ユリー・セクレタリーと申します。どうぞよろしくお願い致します」
ザエフ様のお部屋に入り、膝をついて頭を下げる。ザエフ様とお会いするのは今日が初めてだ。失礼があっては先代に申し訳が立たない。
「貴様か。母が拾ってきた孤児というのは」
「はい。魔王軍に故郷が滅ぼされ、あわや私もというところに先代に救っていただきました」
顔は見えないが、ノエル様と同じく厳格でありながらも優しいお声だ。今もノエル様を失った悲しみが癒えてはいないが、少し心が軽くなる。
「先代には命を救っていただいた御恩があります。全身全霊をかけてザエフ様に尽くさせていただきます」
「そうか。よろしく頼む」
ノエル様に救っていただいた5歳の頃から私の夢はノエル様の秘書官になることだった。そのためにこの世界のあらゆるモンスター、魔法、トラップ。障害になりえる存在について12年間学んできた。
今は叶わぬ夢だが、それでもこの知識が御令嬢の役に立つなら本望だ。今や私の脳には国立図書館にも収まらないほどの知識が詰まっている。ノエル様が成し遂げられなかった魔王討伐。必ず私とザエフ様で仇を討ってみせる。
「これから私は北へ向かいスライムキャットの群れを討伐しようと思う」
「それは危険です! おやめください!」
ザエフ様の発言に頭を下げたまま声を上げる。猫の耳や尻尾を持つスライムキャットは斬撃を受けると分裂してしまうモンスター。万物を斬り裂く聖剣・勝者の十字架を扱うことができるが、魔法が使えない勇者の一族とは最悪の相性だ。
「そうか。では貴様に最初の仕事を与えよう」
「はっ。何なりとお申し付けください」
よかった、思いとどまってくれた。それに私の知識も役立った。こんなにうれしいことはない。
そして思わず笑みがこぼれてしまった私に、ザエフ様は告げる。
「貴様には××トラップダンジョンの探索には出向いてもらう」
「……は?」
その指令に思わず顔を上げた私の瞳には、尊敬する御方の面影のある顔が映っていた。
「な、なぜ……!」
「私は勇者だ。この国で一番の戦力を持つ、実質的な国王。その命令に背くことは許されない」
「そんな……!」
ノエル様はたとえ命を救っていただいた過去がなかったとしても尊敬に値する人間だった。誰よりも強く、誰よりもお優しい。その姿にどれだけの民が救われたか。
そんなノエル様がザエフ様を表に出さなかった理由がわかった。
横暴で高慢。とてもノエル様の御令嬢だとは思えない。あのお方と同じ顔をしているのが理解できない。だってこれは。
「私に、死ねと仰るのですか……?」
「そうは言っていない。ダンジョンを踏破すれば帰って来られるだろう」
××トラップダンジョンに入り、生きて帰ってきた人間はいない。ましてや私は武術の心得も、魔法も使えない。そんな私が一人で入ったらどうなるかなんて、考える必要もない。でも。
「……かしこまりました」
私はそう頷くしかなかった。おそらく断ればその背中の聖剣で斬り裂かれて私の命は終わるだろう。それだけは嫌だ。ノエル様が私を救った剣で死ぬのなんて死んでも御免だ。
だから私は××トラップダンジョンに一人入っていく。ノエル様にいただいた制服と、遺言に書かれていた言葉を胸に秘めて。
『ユリー。あなたは私の誇りだ。どうかその力をこれから先の勇者に授けてあげてほしい』。
「――申し訳ありません。初めてノエル様のお言葉に背いてしまいました」
そう最期に謝罪し、私は。
××トラップダンジョンをクリアした。