Confesess-1 7
第七章
数弥からのメモリーが提出されたため、邦和重化は、セラスタの人災問題(表向きは海外事業法違反)で、国民から激しい非難を受けていた。
大企業というのは、どのような地味な犯罪でも、罪がつくだけで、すぐに、政局に利用されるので影響を受けやすいのだ。本来の所業がばれたら、こんなものではすまないが、
その結果、責任を取るという形で、社長、副社長、会長の辞任を発表した。逮捕された倉知専務も当然辞任し、常務が副社長に昇格しただけで取締役の半数は会社を去った。
そして、新社長は、数弥の情報通り、旧財閥関係の邦和商事から派遣されたのである。
さて、なぜに邦和商事からかというと、これもまた、競羅の感じた通り、商事そのものが事件に大きく関わっていたからだ。
その新社長、都筑則男は、邦和商事では専務の重職についていた。総務部上がりの人間で、次期社長の候補の一人であった。
彼は、邦和商事の総務部長で名を上げただけあって、確かに、この手のトラブルには慣れていた。今までも、黒い人脈や非合法な手段を使って、敵対する消費者団体やライバル会社を押さえ込んでいたのだ。
商事の海外事業部がリードを取った今回の事件も、当然というか熟知していた。つまり、旧邦和コンツェルンは、今回の、もめ事に終止符を打つつもりで、それを収めるのにふさわしい人物を、重化の次期社長にすえたのである。新社長は、今回も、そのノウハウを使い、色々と関係各所に手回しをした結果、捜査は邦和重化止まりで止まったのであった。
そして、事件自体も、このまま何も起こらなければ、終結をするはずであった。
一方、天美は、その新社長就任のニュースをテレビで見ていた。その後の捜査の成り行きを見るためにつけていたテレビに、その場面が映ったのだ。そのとき、彼女は、
「あっ!」
思わず声を上げていた。何と、新社長は空港にいた一人であった。都筑新社長こそ、真壁を出迎えに来ていた人物であったのだ。
それを見て、彼女は決心をした。その新社長に能力を使うことを、新社長に強善疏を使って、すべてを自白させれば、今度こそ、真相が明らかになると!
翌日、天美は、中央区京橋にある、邦和重化学工業本社ビル正面玄関、向かいの路上で、新社長を見張ることにした。一人でぽつんと立っているのは、よくよく考えてみると、非効率でもあり、おかしな行動なのだが、セラスタ時代とは違い、誰一人、協力者のいない今の立場では、このように一人で行動をするしか方法がなかったからだ。
本社ビル周辺からは、すでに、検察やマスコミ関係の人々の姿は消えていた。事件といっても、単なる商法(表向きだけだが)だけなので、一通り会社が責任を取ったあとは、それ以上追求する、うまみがなくなったからか。
だが、その他の人の出入りはというと、大会社だけあって、社員はもとより、取引先のビジネスマンが頻繁に会社の前を往復していた。
彼女は、それら人物の様子を、注意深く見つめていたが、肝心な社長は、なかなか姿を見せなかった。しかし、待っていた甲斐はあった。
午後六時頃、目的の人物が姿を見せた。重化の新社長、都筑則男だ。
彼は、さすが商事会社の社長候補だけあって、いかにも大企業の顔そのものといったタイプの男であった。身体からは押しの強い精力的な雰囲気がただよい、顔つきは、にこやかでも、その腹の中は、まったく読めないという人物である。
天美は、すぐさま行動を起こそうとしたが、物事はそうそううまくはいかない、新社長は女性秘書に見送られながら、あらかじめ、会社の敷地内に待機してあった自動車に乗り込むと、そのまま車ごと走り去ってしまった。
彼女は、しまった、と思ったが、あとの祭り、やはり、こういうケース、一人での行動は、しょせん無理なのか、目的の人物は目の前から消えてしまった。
それでも、天美は、新社長に能力を使うことをあきらめきれなかった。それほど、コルベの事件が、うやむやになったことが許せないのだ。
翌日も、彼女は同様に向かいの路上で張り込んでいた。だが、昨夜と同じ時間になっても、社長は姿を見せなかった。彼女は心中で弱音を吐いていた。
〈もう、昨日の時間、過ぎちゃった。二日続けて現れるなんていう考え、甘かったのよね。それに、よく考えたら、一人でこんなことしてても、昨日みたいに逃げられるのオチよね。といっても、一緒に行動してくれる人なんていないし、これから、どうしよう?〉
義憤にかられ、勢いで動いてみたもを、現実はこのようなものであると悟ったのか。
〈もともと、このこと、あの朱雀っていうお姉さんに教えてもらったのだから、頼ってもいいけど、どうも、いまいち信用ならないし。すんなり、頼み聞いてくれるかなあ〉
と彼女が思案していたとき、新たな動きがあった。昨日、玄関先で社長を見送っていた女性秘書が、その玄関先に姿を見せたのだ。
「昨日の秘書さんだ。これは、あとから社長、来るかも」
と、つぶやいた彼女は、急いで本社ビルに向かった。だが、その間の道路を無理に横断をしたので渡りきったあと、背後から、けたたましい警告音がした。道路を走っていた車に激しいクラクションを鳴らされてしまったのだ。
突然、女性の声がした。
「あなた、危ないじゃないの!」
声をかけてきたのは、天美が見張っていた、その女性秘書である。だが今夜は、目的の都筑社長は玄関先にあらわれることはなく、彼女だけが帰宅をするため、会社前の歩道に出たところであった。
「ごめんなさい、社長の秘書さん」
天美は反射的にそう声を上げてしまった。それに、反応した女性秘書。
「わたしを見て、秘書って知っているということは、あなたは?」
彼女もまた、思わず驚きの声を返したが、すぐに、冷静な表情に戻ると、
「わかった。社長の関係者ね。もしかしたら、お子様かな」
とニッコリして答えた。顔立ちはシャープで几帳面そうな人物である。
「そう見えるのかな」
天美は肯定も否定もしなかった。過去の経験から、このようなケース、はっきりしない答えを返すのが、無難だと判断をしたからだ。その答弁は、やはり正解だったのか、
「そうね、確かに、社長は男の子ばかりと聞いているから、娘さんということはないかな。隠し子っていう可能性も高いけど、あの手帳の文字と時間? となると、この子は・・」
秘書は天美を意味深げな表情をして見つめた。反射的に天美も相手を見つめた。
やがて、秘書が苦笑をしながら口を開いた。
「あなたね。一日、間違えているわ。社長と約束をしているのは明日でしょ」
「えっ、明日?」
思わぬ返答に、天美は面食らったが、秘書はそれを感じず、そのまま言葉を続けた。
「明日なのだから、いくら、渋谷駅で待っていても来るわけないでしょ。だから、ここまで、迎えに来たと思うだけど、そういうことは・・」
秘書の顔がくもってきた。はっきり迷惑という顔である。その態度に、これ以上の会話は、まずいと思ったのか、天美は逃げに動いた。
「わかった、さよなら」
と言い残し、その場から走り去った。その態度に、秘書はあっけにとられていたが、
「まったく、今の子って、あんなの、ばっかりかしら、ちょっと顔がいいからって好き放題なことを! それより、社長についても困ったものだわ。『あ、これね、相手は女子高生で、よく息抜きに遊んでいるんだ!』って言葉、冗談かと思っていたのだけど、本当だったなんて! こんなことがマスコミなんかに知れてしまったら、うちの会社は・・」
と難しい顔になってぼやいていた。
一方、その場を離れた天美も考えていた。今、聞いた秘書の言葉を、
「明日なのだから、いくら、渋谷駅で待っていても来るわけないでしょ」という、その言葉は、成り行きからみても事実であろう。
つまり、言葉に従えば、秘書と会った時間は午後七時頃、その一、二時間前ぐらいの、五時から六時の間に、渋谷駅というところに社長が現れるはずである。
怒った秘書が、社長にくってかかって、中止になる可能性もあるが、そのときはそのときである。天美は渋谷駅について調べ始めた。
そして翌日、夕方五時頃、天美は、その渋谷駅にいた。
「本によると、待ち合わせ場所で、特に、この二カ所、ハチ公前と、モヤイ像が有名なのよね。もし、それ以外だったら、あきらめるしかないけど」
彼女はそうつぶやいた。幸いというか両地点の間は近いらしく、彼女はその二つの地点を、ひっきりなしに往復し交互に見張ることにした。一人でいる限り、このような行動を取るしかなかったからだ。
その行動は裏切られることなく、彼女がモヤイ像近くに三度目にたどり着いたとき、目指すべき相手、都筑社長がいた。
イタリア製の高級背広を着こなした社長は、像前のロータリーの手すりにもたれて立っていた。まさに、今到着したばかりなのか。そろそろ、待ち合わせ時間らしく、腕にはめているローレックスをチラチラと見つめていた。
その様子を見ながら、天美はほくそえんだ。この大勢の人混みの中、社長がセラスタ事件の知っていることを洗いざらい暴露し始めたら、もう、どんなことをしても、もみ消せないだろう。これで、コルベの事件も表面化し、犠牲になった人たちの無念もはれると。
そして、そのための行動は、なあに簡単なことだ、セラスタでのときと同様、相手に近づいて、ただ触れるだけでいいのだ。それだけで、相手はすべてを暴露する。
今回は最高に楽なケースであった。相手は、天美と同年代の少女が来るのを待っているのだ。たとえ、別人だとわかったとしても、向こうは必ず触れてくるはずである。
考えが決まった天美は、即、行動に移ろうとした、
とまさに、そのとき、都筑社長の持っていた携帯端末のランプが光り出したのだ。
合図に気がついた社長は、ロータリーから前方に向かって進んだ。
そこには、右手に携帯を持って笑っていたカーディガン姿の少女がいた。年は天美より二つぐらい上か、 社長が合流をすると、その少女は社長の手を引っ張り、そのまま、雑踏の中を路地方面に向かっていった。
天美はくちびるをかみしめた。今、一歩の差で、本命が来てしまったのだ。
だが、落胆をしているわけにはいかない、すぐさま、次の行動を始めた。
行動と言っても、ただ、相手の様子をうかがうだけである。彼女が尾行するなか、社長たちは、本通りを道玄坂の方に下って行き、交番前の大きな交差点を右に曲がった。
その後、彼ら二人は手を取って、ネオンが輝いている建物が乱立する路を歩いていた。そして、ネオ・ブルーム、と英語で表記された建物の中に入っていった。
二人が中に入ったあと、残った彼女は考えていた。尾行をあきらめるか、それとも続けるかという二つの選択肢であるが。
結局、続ける、と決心をすると、ネオ・ブルームの前で待つことにしたのである。
でも、これは、客観的に見たら、ある行動を示している態度であった。
目の前の歩道は、さすがというのか、カップルの通行が多かった。
ポツンと、店の前で立っている天美を横目に、カップルの女性は露骨に嫌悪感を示し、男性単独または男性だけのグループは、色目をしながら通り過ぎていった。
そして、やはり、天美の存在が気になったのか、モーションをかけてくる男もいた。
先ほど、通り過ぎていったサラリーマン風の男性の二人組が戻ってくると、そのうちの一人、グレーの背広を着ている男性が興奮した口調で声をかけてきた。
「き、君、さっきから、そこにいるけど、い、いくらなのかなあ」
「いくらって?」
「何を言ってるのかな? 君とやる値段だよ」
「わったしは違うけど」
天美は否定をしたが、男は、なおも尋ねてきた。
「とにかく、いくらなら、相手をしてくれるのかな」
「わったしは、違うと言ってるでしょ。人、待ってるだけなのだけど」
その天美の言葉に反応したのか、
「やっぱりか」
ここで、もう一人の眼鏡をかけた男性が声を出した。その男性は、相方に向かって、いさめるように言った。
「おい、もうよせよ」
「何だよ、口説いてる最中なのに」
グレーの背広の男性は文句を言ったが、眼鏡の男性の口調は冷静だった。
「聞いただろ、人を待っているって。だから、さっきも言っただろ、この美形、僕たちの予算で、何とかなる相手じゃないから、やめとけと」
「確かに、そうだけど」
「だいたい、こんな、かわいい子が、中ならともかく、ここにいること自体が、おかしいのだよ。これ以上、かまっていると、とんでもないことに巻き込まれるぞ」
「そ、そうだな」
グレーの背広の男性は、眼鏡をかけた同僚に腕を引っ張られて去っていった。
男たちが去ったあと、天美は思っていた。
〈まったく、どういうつもりなの? わったしを、間違えるなんて!〉
と腹を立てていたが、これは、どう考えても彼女が悪いのである。
その後も、先ほどと同様である。カップルの男性は、天美を横目で気にしながら通り過ぎ、男性だけのグループも、声をかけたいな、と思いながらも、その気持ちを断念させ、残念そうな顔をして通り過ぎていった。
だが、おとなしい男とばかりは限らなかった。ついに、たちの悪い人物が現れた。
その男性は、天美を見つけると千鳥足で向かってきた。いわゆる泥酔状態である。そして、その泥酔状態の男性は、彼女の、すぐそばに近づき、酒臭い息をかけて言った。
「お嬢ちゃん、さびしそうだね。おっちゃんが遊んであげようか」
「そんな、ヒマないのだけど」
天美は顔をしかめながら答えた。
「そう言わずに、退屈なんだろ。おっちゃんが、なぐさめてあげるよ」
酔っぱらいは、まあ、酔っぱらいだからであろうが、しつこかった。
「だから、お断りって言ってるでしょ」
「いいじゃないか。どうせ、他の男を待っていたのだろ!」
強引に天美の腕をつかんだ。そして、いやがる彼女を、目の前の建物、ネオ・プルームに連れ込んだのだ。
男は、なおも、彼女の手を無理矢理引っ張り、建物内のエレベーターに向かった。
「こうなったら、仕方ないかな」
天美はつぶやくと同時に弱善疏をはたらかせた。その結果、能力に墜ちた酔っぱらいは、弾かれたように彼女の手を放した。
酔いが覚めたのか、あとは、きょとんとした顔である。そして、彼女の、
「帰って!」
と言う言葉を聞いて、飛んで帰るように、そこから退散した。
泥酔状態の男性が、ホテルの中から立ち去るのを確認した天美は、
〈本当に、いやになっちゃう。酔っぱらいは、どこにもいるんだから〉
顔をしかめていた。セラスタにいたときも、何度も同じ目にあったのであろう。だが、やっぱり、こういうことになったのは、ある意味、彼女が悪いのである。
〈さて、このあと、どうするかだけど、やっぱり、中にいた方がいいかな、外に出たって、また、変な人に声かけられるだけだし。あの社長、ここにいるんだし〉
と思った天美は、フロント前に用意されている、ソファに座って待つことにした。
やはりというか、彼女は、出入りするカップルの好奇の的となった。
男の客は、ほとんどが、彼女の横を通り過ぎていくたび、にやついた顔で見つめるし、女の客は、相方の男の態度を見て急に不機嫌になるのだ。
そして、その都度、敵意のある目つきをして、天美をにらんで去っていった。中には、それが原因で別れたカップルもいた。彼女も罪のある行動をしているものである。
ついに、見るに見かねたのか、フロントが天美に向かって近づいてきた。フロントといっても、ブースに男性が一人いるだけであったが、
ルームキーは自動販売機で出てくるため、部屋からの苦情で、その処理に行くか、延長のお客がいた場合、その料金を徴収するぐらいの仕事であった。あとは防犯か、
フロントは、ソファに座っている天美に遠慮げに声をかけてきた。
「あのー、お客様」
「どうしたの?」
「申し訳ありませんが、他のお客様の迷惑になりますので、ご退席を願いたいのですが」
早い話が邪魔だから出て行けという言葉だ。
「わったしが、どうして?」
天美は尋ねた。
「見たところ、お客さんは十八才未満ですね」
「そう、十五才だけど」
「あのー、お客様、日本の法律で十八才未満の女性は・・」
軽い咳払いをしながら、フロントは言葉を続けた。
「なんと申しますか、金銭で成人のお方と、身体のやりとりをしては、いけないということをご承知でしょうか?」
「日本は・・」
彼女は、思わず、『日本はそうなの?』と、答えようとしたが思いとどまった。かわりに、
「確かにそうだけど」
無難な返事を返した。
「わかっていらっしゃるなら、当ホテルへの入室は遠慮願いたいのですが」
「そうなの、だったら、さっき、部屋に入った女の子、十八才以上なのね。どうみても、そう見えなかったけど」
「それは、あくまでも、あなたの主観でしょう。当ホテルは、あくまでも十八才未満はご遠慮申し上げています」
フロントは威厳を持った態度で答えたが目には落ち着きがなかった。
「変だなー、彼女、制服みたいなもの着てたのだけど」
「あれは、制服ではありません。私服です。彼女は、ああ見えても、十八才以上なのです」
「本当に?」
その天美の疑いの目に、
「お客様の中には、その、これまた言いにくいのですが、相手が女子学生の制服を着ている方が、楽しいと申しましょうか。そういうものなのです」
フロントは、しどろもどろであった。
「でも、何しても、わったしは、ここにいるつもりだから」
「困りましたね、そういう気でしたら、警察に連絡をしませんと」
「警察に!」
「さようですね。当ホテルに・・」
その二人の会話中、新たな二人連れが建物の中に入ってきた。二人は年の差カップルというのか、七十代の浴衣姿の男性と、二十代の派手なドレスで着飾った女性である。
浴衣といっても、うすっぺらなものではなく、朽葉色の正絹地に金糸で牡丹の刺しゅうがしてある特殊仕立てであった。
この浴衣姿の男性は芝垣金光といい、俗に総会屋と呼ばれる、経済上昇研究所のトップであった。女性は、どこかの高級クラブのホステスという感じだ。
芝垣は天美と口論をしているフロントに向かって声をかけた。
「あのう、すまんが」
「はっ! お客様、何でしょうか?」
フロントは反射的に返事をした。
「そこの、君と話してる少女のことだが、すでに、誰かの指名待ちかね?」
「さあ、わたくしどもではわかりませんが、おそらく、そうじゃないでしょうか」
そのフロントの返答に、芝垣はうなずくと、浴衣のたもとに手を入れ、錦で織られた財布を取り出すと、中から五枚の一万円札を取り出た。そして、
「もし、その相手という男が来たら、わしに、すぐ連絡をしてくれ」
とフロントに握らせた。
「えっ、ですが」
フロントは戸惑いながら答えたが、
「どうも、年のせいか、先ほど、警察とかなんとか聞こえたのだが、ここは、面倒なことに巻き込まれているのかな」
芝垣はギョロリと見つめながら答えた。その不気味な眼光と、手に握らされたお札に、
「そうですね。この子は当ホテルとは関係がありませんので、お客様のお好きなようになされてもかまいませんね」
フロントは思わず承知したのである。
芝垣は次に、一緒に中に入った連れのホステスのところに向かった。そして、財布から一万円札を十枚程度取り出すと、彼女に向かって言った。
「君も、すまんが、今日は、これで引き取ってくれないか」
もともと、お金だけの関係であるのか、そのホステスは、芝垣にニッコリと微笑むと、建物を出て行った。
その様子は、天美をライバルとは見ていない証拠である。つまり、気まぐれ的な行動で、女子学生と遊ぶことにした、と判断をしていたのであろう。
芝垣は、その連れのホステスが出ていったのを確認すると、あらためて天美のところに近づいた。そして、同様に、財布から数枚の一万円札を取り出し誘ってきた。
「どうだい、この金で、わしと一緒にというのは」
天美は無視をした。関係がない人物だから、当然であろう。
「そう言わずに、今から、わしと部屋に行こう。何でも好きなもの買ってやるから」
芝垣はなおも、ねばった。
「そんな気、ないのだけど」
「気がないのなら、どうして、こんな、場所にいるのかな?」
「どうしてって、わったしこそ、どうして、理由をそっちに、言わなければならないわけ」
天美はにらみながら答えた。さすがに、社会に害をなす大物総会屋ということまでは、見抜けなかったが、自分に対する害意は感じ取っていたからだ。
その態度を見て芝垣は思っていた。
〈ほほお、わしに対して、こんな態度を、これは、ますます、ものにしたくなったわ。他の男を待っているのだと思うが、そいつには、わたせんな〉
ついに、彼は強行な手段に出ることにした。芝垣は何も知らない強みというか、天美の右腕を左手でつかんだのだ。そして、強引に迫ってきた。
「さあ、わしと来るんだ! どうせ、他の誰かと、楽しむつもりだったのだろ」
「放してよ! そっちなんかに、かまっているヒマなんてないのだから」
天美は叫んだが、芝垣は彼女の腕を放さなかった。
彼女は、先ほど簿酔っ払い同様、こういうときの御用達の能力、弱善疏を使おうと決心した。だが、まさに、それがはたらこうとした瞬間、
何か合図のような音がして、ホテル正面に、設置されていたエレベーターが下りてきたのだ。すぐに扉が開き、中から、その人物の姿が見えた。
標的である都筑社長だ。一緒に入った女子高生を連れていた。
芝垣は、その都筑の姿を見て苦笑した。
〈社長さん。相変わらず、おさかんですな〉
都筑の方も、芝垣の姿を見つけると目を丸くしていたが、同様に苦笑をすると、軽い会釈をし始めた。その様子から見ると、二人には因果関係があったであろう。
天美は弱善疏をはたらかせるのを中断させた。今はそれどころじゃないのだ。目の前の標的に能力を使うのが先決である。
手を引っ張られたまま、天美は、その都筑社長に近づいた。そのあと何と、
「助けて! この男の人、しつこいの」
社長に向かって、助けを求めたのだ。
突然、見知らぬ少女に声をかけられて、都筑は戸惑っていた。だが、やはり、根が若い子好きである。天美の顔を連れの女学生と見くらべると次のセリフを。
「芝垣さん、ちょっと、強引ではないのかね!」
「おや、新社長さん。では、この子は君のものだったのかな?」
芝垣は不機嫌そうな顔をして答えた。
「いや、違うが」
「それなら、わしの勝手だ。関係のないものは口をはさまないでくれないか」
「確かにそうだが、この子は、いやがってるじゃないか」
「では、都筑君。わしに本気で意見をする気なのかな」
芝垣はじろりと都筑をにらんだ。フロントの男性と同様、その眼光にたじろいだ都筑は、言葉が詰まった。
「そういうわけではないのだが・・」
「では、どういうわけかな」
芝垣の突っ込みに、
「仕方がありません、まあ、見なかったことにしておきましょう」
都筑は一応はそう答えたが、未練たっぷりな感じである。
「では、助けてくれないのね」
天美は芝居めいた口調で懇願した。だが、相手がよほど、都合が悪い相手なのか、
「気の毒だけど。仕事の世界にはいろいろとあってね」
都筑はそう言って彼女の前を通り過ぎて行こうとしたのだ。ここで、意を決した天美、
「そういう意地悪なこと、言わずに!」
と言うと、今にも彼女の前を通り去ろうとする、都筑の手首を左手でにぎったのだ。
「あっ! こいつ、何をするんだ」
連れの女子高生が叫んだ。知らない少女が、急に交際相手の手をにぎったからである。
そして、怒って天美に近づこうとした。それより前に、天美は、
「これで、ようやく、セラスタの人たちの恨み、はらせることができる。そのために、ここで、あっなたの悪事、しゃべってもらおかな」
と決めゼリフを言うと強善疏を注いだのである。
能力に屈した都筑は、セラスタ事件について自白をし始めた。同時に彼女の背後から、もう一つ大きな、だみ声が聞こえた。
その人物は芝垣である。彼もまた、天美をつかんで、はなさなかったために、強善疏の対象になってしまっていたのだ。
つまり、この強善疏は半日に一度しか使えないが、彼女に、触れている人物が複数いたら、それら全員に効果があるということである。
天美は、肝心な社長の自白を聞こうとしていたが、その前に、怒り顔をした女子高生が立ちふさがってきた。彼女は、天美に向かって、
「あんた、社長に、ちょっかいをかけること、やめてもらえる」
とふくれっつらをしながら、にらみつけてきた。
このまま、この場にとどまったらまずい状況である。天美は、その女子高生に向かってニッコリと笑うと、きびすを返して、その場から逃げ出した。
「おい、まて、コラ!」
女子高生は反射的に声を上げたが、徐々に、あたりが、あわただしくなるのを感じると、
〈これは、やばいよ、あたいも逃げなきゃ〉
と思ったのか、都筑社長を置いて慌ててホテルをあとにした。
一階に残ったのは、天美の強善疏によって自白をしている都筑と芝垣、そして、一連の騒動を、目を丸くして見ていたフロントの男性である。
彼は、二人の自白しているセリフを聞き、背筋がうすら寒くなった。その場から、逃げ出すように受付席に戻ると、すぐさま警察にダイヤルを回していた。