第48話 没落貴族、団欒を邪魔される。
「はあ…」
思わずため息が口をついてでる。アムに詰め寄られて以来、毎日だ。足元のグーグーに、ため息を吐くたびに、足の甲を踏んづけられる。
「元気ないねぇ」
学年単位での学習時間、僕は依然と同じくアディと組んでいた。一時、アディはターシャと組んでいたらしいが、戻ったことで元通りになったのだ。そのせいか、クラスメイトとの距離感も元に戻りつつある。これは素直にうれしかった。
今は、彼の苦手な古語の練習である。魔法陣を刻むにも、なぜだか古語のほうが通じがいいのだ。できないと学年が上がるにつれ、大変なことになる。
ただ、彼はちょっと面白い間違え方をする。より複雑な並びや接続詞はほぼ完ぺきなのに、よく格変化や何かの語尾を間違える。
「ん~…考えなきゃなんないことが多いなぁって。あ、そこの格変化が違う。後ろのこれは男性名詞だから、そこの末尾はこっちが正解」
こうなったらいいなぁ、ではなく、より具体的に考えなきゃいけないのだと思い知らされた。しかも、貴族という選択肢の幅が多すぎる。男爵から国王なんて、幅がありすぎるだろう。一体、どうしたらいいのか。思わず知らずため息が増える。
おまけに、アディとターシャに気をつけなきゃいけないとか言われるし。はあ、とまたため息が出て、踏んづけられた。
「あ、そーか。なんとなく中身から女性名詞かと思ってたや」
赤で斜線を引き、正しい末尾を書き直す。格変化は厄介だが、間違えると発動しなかったり暴走したりするから、習得は必須だ。
「ややこしいよねー。女性的なものが男性名詞だったり、中性名詞だったりもするからさ。あ、こっちは複数形になってない」
「うわー。……そういえば、ルースはさ、学校入ってからいろいろあったもんね。それに、あとちょっとしたら期末の準備が始まるし」
複数形で間違ったものに斜線を引き、正しいものを脇に書く。彼の手には乾ききらない赤インクが移り、微妙なピンク色になっていた。
「もうそんな時期なんだ」
ごたごたしているうちにそんな時期なのだ。その日に行って、試験時間に解けばいいというものばかりではなく、準備を重ねてその成果を見せるものもあるので、ひと月ほど前にその手のものは課題が発表される。僕も、この手のものが多くなるはずだ。
「そうだよー。それが終わったら短期休暇だから、ちょっとうれしいよね」
年末年始は基本的には休暇だ。短期といっても二週間ほどある。通常は領地に帰るか王都の屋敷に帰るそうだが、今年の僕はどうなるんだろうか。ルプスコルヌ家に行くにしても、この間、おじい様がいた屋敷なのか、それとも王都にあるという本拠地なのか。
「……寮から出られるのかなぁ。僕」
「大丈夫じゃない? 帰ってきてから、変なこと起きてないし」
確かに、今のところ平穏なのだ。常にアムがついているからかもしれないが。後から聞いたが、アムはかなり優秀な助手らしい。座学と武芸はダントツの一位で、さらに、魔法でも五位以内に入るという好成績だったときいた(魔法は魔力量が絡んでくるので)。
「今のところはね。……うん、後は大丈夫」
彼の書いていた羊皮紙の残りを確認し、太鼓判を押す。これで宿題は大丈夫なはず。あとは彼が清書して提出すればいいだけだ。二人してうーんと伸びをする。次は別の授業が入っている。
「さて、終わりっと!」
「次はヴィルトトゥム先生のかぁ。後、二回で刺繍終わりだって言っていたね」
そして、そのまま別の教室に移動する。すでに、周りからはだいぶ人がいなくなっていた。
「おーい、こっちこっち」
ヴィルトトゥムの授業が行われる教室に行くと、机についたキィとサビーがいた。二人とも、随分と早めに相互学習が終わったらしい。
「早かったんだねー、キィ達」
「まーな。今日はお互い、そんなに気になることなかったから」
「僕も。それよりこっちの方が危険だ」
若干目をすがめて、自身の両手をサビーが見る。ここのところの刺繍で彼の指先は無残なものだった。腫れは引いているが、痕がいっぱいある。この程度では保険医は治癒魔法を使ってはくれないのだ。
「でも、後に数回で終わりだろう?」
「だからだよ。終わるかわからないじゃないか」
珍しく、きっとなった表情でこちらを見る。終わらなかった場合はもちろん成績に響く。後から出してもいいが、限度はある。それが心配らしい。
「僕とキィで手伝うから大丈夫だよ」
「そうそう」
「ぼくも手当ぐらいは手伝えるしね」
三人でサビーを励ます。毎度この時間は沈み込むのだ。ナイフが上手く使えなかったり、針で指をさしたりと、今までの魔法学習とは違っていて、要領を得ないらしい。上級貴族になればなるほど、下ごしらえなどは使用人に任せるので、将来的にはさほど問題ないが、学校にいる間はそれではダメなのだ。
☆
ヴィルトトゥムの授業が終わると、予想通り、サビーの指は傷だらけだった。回を追うごとに改善してはいるが、見事な刺し傷だらけである。
「相変わらずだなあ」
むしろ感心したようにキィが言うと、きろりとサビーがにらみつけた。切れ長の目でにらむと、それなりに迫力がある。
「おおコワ」
「まあまあ、改善しているよ。前よりはさ」
ちょっとツン気味のサビーとそれをたしなめるアディ。さらには茶化すキィとそこにたまに乗っかる僕、となかなかいい組み合わせだと思う。
「ねえねえ、この後も談話室、行くでしょ。今日は新しい軟膏持ってきたよ。ちょっとだけ効き目のいいやつ」
この間の軟膏に、バン=マリの秘薬をちょっぴり混ぜてみたのだ。まだ余剰があったし、治癒薬よりは弱いけど、効果はあるからいいのではないかとふんでのことだ。ためしにヴィ先輩の切り傷に塗ってみたら、翌朝には傷がふさがっていた。
「本当か? それは助かる。あ、後、刺繍をちょっと見てくれないか」
「もちろん。手当てしている間に見るよ。後ろの始末でちょっと迷ってたもんね」
後ろの糸の始末も採点の対象なのだ。僕はそこまできれいではないけれど、キィのなんて、裏と表がきっちり同じ模様になっている。表裏一緒だと、効果が二重になるので強固で安定したものになる。
キィのは普通はそんな風にはなかなかできないというほど、非常に見事なものだった。ついでに言えば、妹のマール=ぺルラはもっときれいで、しかも色彩も豊かなものを作り上げていた。彼女は貴族でなくとも、魔道具職人として生きていけるんじゃなかろうか。
「俺も見てやるよ」
「ついでに僕のも見てみて」
ほら、とアディが袋からちらつかせた刺繍は、表は結構いいが裏はかなり悲惨だった。これは、みんなでお互いのものを確認したほうがよさそうだ。
「ああ、助かる。……ちょっと待っててくれ。菓子をおごる」
談話室にたどり着くと、入り口にある売店でサビーが立ち止まる。ここでは金額に応じて色々なものが買える。状態保存の陣が浮いた箱の中に入っている焼き菓子や氷菓子、生菓子などは、その分上乗せされるがかなり味のいいものだといっていた。高いから、僕は食べたことないけれど。
「わー、うれしい! じゃあ、席取っておくね」
「あ、僕、お手洗いに行ってくる」
サビーは売店、アディはお手洗いにそのまま分かれ、僕たちは開いている机を物色していく。手前の方はすでに上級生に占められていたが、奥の方に六人掛けが空いていた。ちょっと広いが、刺繍をするのにはもってこいだ。
「ここにしようぜ。広いし、いい感じだ」
周りには一、二年生しかいないので、気が楽である。うん、と頷くと、場所取りを兼ねてキィは刺繍の道具を取り出していった。僕はついでに軟膏と手当の道具が入った箱も取り出す。
「それ……」
「あ、綺麗でしょ。もらったんだー」
それは、呪いの元が入った例の箱だった。最近手当の機会が増えたので、一式全部入れてみた。不審人物を釣るのにもいいと思っている。
「ちょっと傷があるけど、見事な細工だな」
「うん。もともとちょっと傷ついていたうえに、なんだか飾りがあんまりいい言葉じゃないらしくって、くれた人が削ったんだけど、それでも見事だよね~」
ぱか、と空けて中に入っている薬や傷絆、包帯なんか見せる。改めて中にはうちで作ったちょっと特別な別珍を張ったので、固いものを入れても音は立たないようになっているし、魔法も発動しにくくなっている。
「すごい。かなり素材もいいものみたいだ」
ちょっと自慢気に見せていると、盆の上に人数分の氷菓子が乗ったものを持ったサビーがいつの間にかいた。さすがに目が肥えている。
「らしいよ。傷がなかったら、僕が使うのはもったいないって」
意外に工芸品に造詣が深いらしいプントにいろいろとうんちくを聞かされた。素材も装飾もかなり見事だという。僕のような子どもが持つものじゃない、と言われた。
「しかも、この別珍、水鏡綿の糸、使ってるだろう。この光沢で外部からの干渉を跳ね返す、一級魔法素材だぞ。大体、一単位これくらいの値段だ」
こそこそ小声でそういいつつ、キィが指で数字を書く。えっと思うくらい高かった。普通の別珍の二十倍くらいする。
「す、すごいんだねぇ」
「……ルルは、色々無頓着すぎだと思うが」
思わず感心していると、サビーにたしなめられた。だって、水鏡綿は自家栽培しているから、そんなに貴重だと知らなかったのだ。確かに栽培するのはちょっと難しいけれども。
「そうかなぁ」
「まあいいよ。とりあえず、これ食べないか?」
置いた盆の上にある氷菓子を示しながら言う。保存箱から出た菓子は、室温でちょっとばかり溶けかけていた。そこにアディが帰ってくる。
「なになに~? わぁ、おいしそう!」
「だろう? みんなで食べよう。今日のお勧めだそうだ。食べてくれ」
その言葉に、僕も含めてみんなの目が輝いた。
「手当先じゃなくていいの?」
「ま、この間よりはひどくないしな。それに、溶けてしまう」
「だなだな。冷えてるうちに食べようぜ」
上に載っていたスプーンをキィが配り、一つ一つサビーが器を差し出してくる。
もちろん、食べない選択肢はない。治療はいったん中止とばかりに、箱のふたを閉める。
「ん~~っ! 冷たくっておいしい」
アディが実においしそうに食べる。小動物みたいでちょっとかわいい。
「あったかい部屋で食べる氷菓子っていいだろう?」
「うん。おいしい!」
甘くて冷たいものがのどを通っていく感覚が気持ちいい。羊の乳とサーレップの香りがする。サーレップには滋養強壮に効果があるから、風邪をひきがちな秋口にはいいのかもしれない。
その時だった。パンっと乾いた音がして、次の瞬間にはアムのローブが僕の前に掲げられていた。おかげで視界が遮られている
「な、なに?」
アムのローブの陰から机を見ると、箱の周りにきらきらとした粒子が漂っており、学友たちは机から体を少し離していた。
「……今、誰かがこの箱に干渉しようとしたんだよ。とりあえず、現場を保全するかぁ」
厳しい顔をしつつもどこかのんびりとした口調でアムが言う。
また、事件は起きたのだった。




