その頃の ⑥
「さあ、宰相。話し合いをはじめましょうか」
余計な人間を追い出したヴィリロスは挑戦的にリテラートを見つめた。それと同時に今まで抑えていた魔力を開放し、部屋の中に特殊な遮音結界を張る。これで、外からは妙な反響がかかってまともに聴き取れなくなるだろう。盗聴防止だ。
「何を、したんだ。音が変だぞ」
「ああ、すいません。少しいじります」
指を何度か動かすと外の音が聞こえるようになった。音を外には出さず、中に入るようにしたのだ。戦時中、編み出した技だった。
「君は、規格外だな」
「そうしないと生きていけなかったんですよ。死に物狂いで生き延びるとこうなります」
しみじみとヴィリロスはいう。おそらくはそこいらへんの貴族とは比べ物にならないほど死線を潜り抜けている。幼いころからかなり頻繁に命を狙われてきた。睡眠時間と生活力を犠牲にして生き抜いたのだ。
「……そうか」
「さて、宰相。あなたは国王の精神状態についてどう思いますか」
直截な質問に、少し考えこんでから宰相は口を開いた。
「……正直に言えばそろそろ限界だと思っている。君の弟を、皇太子をなくしてから、少しずつ精神が削られていったようだ。身体にも影響を及ぼしつつある」
「それが今の状態を招いているわけですね」
おそらくは戦争前の精神状態であれば、今の問題は起こっていなかった。性格はともかく頭のいい、目端の利く王だったから、王位を簒奪してこの国を治められた。だが、今やそれをほぼ担っているのは目の前の宰相である。
そして、いきなり切り出した。
「あなたには、王位を奪うつもりがありますか」
一瞬、瞠目し、彼は吐き出すように言った。
「滅相もない!」
「本当に?」
「ああ、私は補佐が向いている。それに王位の条件を満たさない。そのつもりは全くないよ」
じっとうかがうように見つめると、それは本心のようだった。彼の顔には疲労がにじんでいる。現王の仕事の大部分は彼の仕事のはずだ。
「満たさない、と言っているということは条件はご存じなんですね」
国王になるには一定の条件がある。王をたおして王座を奪還したところで、王にはなれない。それを満たさなければ。
「ああ。まあ、言えないがな」
誓約をしているから、口には出せないのだ。口に出せば、呪われる。そのことは一応、王家の血をひくものとして知っていた。
「そう。じゃあ、言ってあげましょうか。始祖の血を引いていることが大前提。まあ、この国の貴族であれば、どこかでは入っているでしょうが。で、一.魔力の全属性に適正があること。二.最奥の禁書庫のカギを管理する管理者三人のうち、二人以上の許可を得ること。三.この国の中枢の基盤と結界を支配下に置くだけの魔力があること。まあ、一と二は三を満たすための絶対条件です。禁書庫の最奥に、基盤と結界を示すものがあるから。そして、基盤と結界を支配下に置くことで王位は奪える」
指を一本ずつ伸ばしていき、条件を述べる。ヴィリロスはこのことに関しては誓約をしていないから、いうことは自由だ。
「なぜ、君が知っているんだ?!」
それは、上位の王位継承者と宰相が代々知らされるものである。そして、その王位継承者とは通常王族だ。王族に継承者がいない場合のみ、宰相は筆頭候補に伝えることができる。
「……ルプスコルヌ家にはね、本の墓場といわれるものがあるんですよ」
暇があれば、息子とともにざくざくと掘り出していたのは、そういうことだ。あの家にたどり着いたとき、あまりの希少本の多さに顎を外しそうになった。ルプスコルヌ家らしく、多様な言語の本が眠っており、その中にはこの国では禁書扱いのものもある。
そうして、耳に着けたピアス型の魔法袋に手をやり、そこから本を一冊取り出す。質素な装丁の黒い本だ。手帳くらいの大きさしかない。パラパラを見ると、基盤の構造と、それを奪う手段が書いてある。
「『王になるための覚書 ラーミナ・クシフォス・ソンリッサ・アウルム』。剣王ラーミナが、退位後に書いたものらしいですよ」
裏表紙にそんなことが書いてある。万が一のために残す、と。ルプスコルヌ家王国の守護者だ。
「馬鹿な。そんなものがこの世に出ては!」
「ああ、大丈夫ですよ。資格を満たしていないと、一切の文字は見えませんから。事実、あなたには見えないでしょう」
開いて見せたが、多分彼には白紙に見えているだろう。コラリアにも見えなかった。彼女は(元)聖女なので闇属性がほぼないのだ。それに、鍵の管理者たちから許可も得ていない。
「う、うむ。何も見えないな。だがしかし、そうすると君は許可を得ているということになるが」
「ええ、学生時代にもらいました。コラリアと結婚する前ですが、ルプスコルヌの当主に。保険として、君に許可をやろう、とね。もうお一方からも、同じ理由でいただきました」
二人の管理者は当時の王太子に不信感を抱いているようだった。実際、それは真実だったわけだが、今はそれがヴィリロスの助けとなっている。全く継ぐつもりはなかったのに。
「なぜ、急に王位を簒奪する気になったんだ?」
「腹が立ったんですよ。自分にも、この国にも」
部屋に閉じ込められた時点では、情報を奪うだけ奪い、途中で結界とこの部屋をぶっ壊して、逃げる気だった。その場合、一生潜伏生活であるが、妻子は外国に逃げればどうにかなる。
関わり合いになるとろくなことがないから、いつもそんな感じだった。接触を避けるように逃げていた。だが、よく考えてみると、それはあまり理不尽すぎやしないか。
逃げ回って、妻子と離れて、それでどうなる。損をするのは自分と家族だけではないか。そこで、ヴィリロスは捨てていたと持っていた貴族としての常識に根底では縛られていたことに気づく。
『貴族に生まれたからには王と国には尽くすもの』
しっかりと刷り込まれていたわけだ。急に馬鹿らしくなった。そして、今まで気づいていなかった自分にあきれた。だから、奪ってやろうと思ったのだ。
「それに、誓約ですね。すぐにではないが、このまま閉じ込められていれば、僕は死ぬ。呪いと誓約の相乗効果でね。だから、考えた」
「……誓約の文言は、ディヴィナ陛下と交わしたのだったな」
「ええ。『ヴィリロス・フィリア・セレスティン・アウルム=プラテアド=ルプスコルヌは以下の条項に関して国王ディヴィナ・アロジェンティナ・アウデンス・アウルムと誓約を交わす』と」
婚姻の際の条件だったものだ。法律家のもと交わした誓約である。誓約は本人同士でかわすこともあれば、立場でかわすこともある。
「つまり?」
「名前は記述されているものの裏に真名が隠されているから、離縁して名前が変わったところで変更できない。でも、立場は?」
立場を誓約に組み入れ、その立場が変わった場合、ゆがめられ、効力が弱くなる。そこをついて破棄することも可能になるのだ。相手よりも魔力が高ければ。そして、ヴィリロスの魔力は類を見ないほどに高かった。
「……国王、でなければ変えられる、ということか」
「ええ、真の国王とはこの国の基盤と結界を支配するもの。現段階ではあの人が支配している。だから、奪えばいいんですよ」
「そうしたら、君が王になるぞ?!」
「真の意味ではね。でも、表向きに仮初の王が立つこともありましたよね、歴史上。あなたが王位を望めばその仮の王になってもらってもよかったんですが」
そのこともラーミナの本には書いてあった。その王は血統上、王にはなれなかったが、力はあった。だから、真の王となり、表向きに仮初の王を立てた。
「うまくいけば、シャルム向けの境界結界の張り直しもさっくりできますし。僕が魔国に出向くこともできるようになります。魔国向けには僕が一番いいでしょうね。そして交渉に親父殿、ルプスコルヌ家当主と引っ張り出すことも可能でしょう。動きますよ、そろそろね」
「……ルプスコルヌが本来の意味で動くか」
一角狼の角は、国王の喉元まで突きつけられているということだ。つまり、首の皮一枚しか残されていない。
「もう、王都内には来ているでしょうね。数日内に登城の申し入れがあるでしょう」
城内のネズミを使役して情報を集めたところ、彼の元部下がこっそりと動いているという情報があった。多分、フォルトゥードとグラディウスが動いたんだろう。
「そうか……そうなんだな。なぜ、私に言う?」
「あなたは、この国のことを真実に思っていると感じたからですよ。だから、あの王のもとで踏ん張っている」
王への忠誠は薄いが、国への忠誠は強い。個人に忠誠を誓っているものよりは信頼がおける。
「……では、決行はいつにする」
「後、数日でひと月経ちますね。その前に、謁見が用意されているでしょう?」
足の状態から、そろそろ誓約が呪いに影響を及ぼし始めていることを感じていた。
「ああ、そうだ。そこでか?」
「ええ、ですから、人払いを」
目撃者としての観客は必要だが、多すぎても邪魔になる。
「成功の見込みは?」
「だてに閉じこもっていたたわけじゃないんですよ。仕掛けは上々です」
だからこそ、長く滞在したのだ。ヴィリロスがあと一文字入れれば、ほぼすべての結界と基盤が支配下になる。規格外と言われたのは大げさでも何でもない。まあ、いささか本人が思っているよりはお育ちがいいのだが。
「了解した」
「ああ、裏切らないでくださいね」
「もちろんだ」
そういって、宰相は立ち去る。
裏切らない保証はないから、もちろん布石は打ってある。国のことを真に憂える宰相だが、下半身にいささか問題がある。
そこからあたりを付け、奥方のほかに愛人をかこっていることを突き止めた。何かあれば、それが奥方に行くことになっている。
もともと婿養子だから、彼にとってはかなりの痛手だろう。あとから、懐に入っているものに気づけば、うかつなことはできないに違いない。
「さあ、どう転ぶかな」
次代に、息子に行く前に解決しておかなければ。
覚悟を決めたヴィリロスは、ひどく楽し気な表情をしていた。




