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第39話 没落貴族、猫妖精と出会う。


 結界で閉じ込められ、二人の教師が立ち去った頃には、すでに夕刻だった。こうしていても仕方がないと、袋の中をのぞくと、一通り必要なものが入っているようである。かなりたっぷりの食料と、これから寒くなると思ったからだろう、それなりの燃料が詰め込まれていた。多分、屋敷の中に器具などはあると思われる。


「とりあえず、こうしててもしょうがないし、寝床と食事をどうにかしようか」


 最悪、魔法袋の中に寝袋があるから何とかなるが、埃まみれになるのも嫌なので、簡単でいいから掃除をしたい。玄関周りを見ると、この屋敷はあまり掃除されていないようであった。


「そだな。ここじゃ犬でいても意味ないし、人間になってやるよ。手があったほうが便利だろ」


 そう言うと、いきなり人の姿になった。確かに犬の手は使えない。まあ、魔力でどうにかしてしまいそうだけれど。


 変わるや否や、そのまま僕を抱きかかえる。抱えられるのは今日、何回目だろう。十歳児の自尊心を傷つけるには十分である。乳幼児ではないというのに。


「グーグーさぁ、僕、歩けるんだけど」


 足をぶらぶらさせてみたが、びくともしないのが憎たらしい。人間で大人の姿のグーグーはかなりがっちりとしている。僕の時分の中での一番の課題は体格の向上だ。


「知ってるよ。いつも乗ってるから、今日は逆でも構わんだろ。このほうが接地面が多いから、魔力が吸収しやすいしな」 


 満足そうに舌なめずりすると、内部を見るために移動した。余分なものもあるかもしれない。そして、相変わらず、足音も立てないで移動する。犬のくせに。


 屋敷の規模はそんなに大きくはなかった。三階建てに加えて屋根裏があり、使用人用の部屋と貯蔵庫が地下にありそうな、典型的な中級貴族の街中の屋敷(タウンハウス)だ。ただ、グーグーの感じだと、背後にかなり大きな庭があるという。たくさんの植物の気配を感じるらしい。


 抱えられたまま、まずは一番上の三階に行った。通りすがりに魔石に魔力を通していくと、廊下が明るくなる。ずらりと小さい部屋が並んでいるのは居住者の寝室用だろう。一番奥の部屋は主寝室だ。


 シーツも何もなく、マットレスだけがぽつんと載せてある、大きな天蓋付きの寝台が鎮座していた。他の家具に白い布がかけてある。実に簡素なつくりであった。白い布を退かし、大きな長持の中を探ると、シーツや布団は一応あるらしい。


「でっかい寝台があるな。ここに寝るか?」

「そうだね。まあ、一応二階見てからのほうがいいと思うけど。…っていうか、こんなにあるのにグーグー、一緒に寝るの?」


 ほかにも部屋はいっぱいある。主寝室の寝台は大きいけれど、別々に寝ても構わないはずである。犬ならば構わないが、ごつい男と一緒に寝たいとは思わない。犬の時に比べるとやっぱり固いのだ。


「そうじゃないと守りになんないだろが。大丈夫、犬になってやるから」


 犬になるのであれば否はない。ぽかぽかおなかを枕にして寝よう。とりあえず、一旦、風魔法で埃を集め、浄化の魔法をかけておいた。途中でくしゃみが出たので、よっぽど掃除してなかったに違いない。滅多に僕は誇りに反応しないのだ。


 そのまま二階に行ったが、これといったものはなくて、個室と思われる部屋がいくつかあるだけだった。多分客室だ。豪華だが、埃のつもり具合がもっとひどかったので、主寝室を寝床にすることにする。


 それを告げるついでに、厨房に行ってくれとお願いした。たいていの場合、地下にあるから、どんどんと下がっていく。階段を降り切ると、正面の厨房と思しき場所には、木の扉に鉄の取っ手がついている。


「匂いからするとここが厨房だな。…お?」


 妙な声を発し、がちゃ、とグーグーが扉を開けると、そこには巨大な猫がたたずんでいた。茶色の毛織のズボンとベストを身に着け、尻尾に赤いリボンがついている。金色の眼がきれいだ。


「…………………………え、ええと。猫さん?ここには誰もいないって聞いたんだけど」

「猫じゃなくて、猫妖精ケットシーのプントにゃ。ソフィエティア・フォルトゥードに頼まれてやってきにゃ。犬と一緒なんて最悪だけど、ソフィのためだから、我慢してやるのにゃ!」


 ぴんぴんと尻尾を立てて、自慢げに言う。その様子からすると、案外機嫌は悪くないようである。ついでにあちこちにとぶ話を頭の中で整理すると、要するにソフィエティアが僕を心配したので、先にこの屋敷に忍び込んでいたらしい。


 グーグーの鼻はヴィルトトゥムと同じ香水を身に着けてごまかしたらしい。気づかなかったらしいグーグーは悔しかったらしく、仏頂面をしている。気配を消すのは十八番にゃ、と自慢げに胸を張った。


 こうして僕は、猫妖精とグーグーと微妙に仲が良くなさそうな二人(?)とともにしばらく一緒に暮らすことになった。

 

―――――――――――――――――――――


 プントは有能だった。寝室の準備をして来いと僕ら追い出すと、その間に袋の中身を確かめ、さっと整理をして、立派な夕飯を作ってしまった。しかも、結構おいしい。味は猫ベースならしく、かなり薄めだったが、おいしくいただけた。


 バカ猫だの生意気だの言っていたグーグーだったが、夕飯を食べてあっさりと毒舌をひっこめた。口に合ったらしい。


 そして、今、僕の上に二人で寝ている。横じゃない。上だ。


「お、重い…」


 翌朝、のしかかる重量で目が覚めた。妖精や精霊は、質量を調整できると読んだことがあるのだが、この二人は肉体があるせいか、ばっちり重い。しかもこの猫妖精は巨大なのだ。質量の調節ができるならば、してほしい。


 プントには別の部屋を用意したはずだったが、夜中に温かさを求めこの部屋にやってきた。そこは猫である。そして、僕は犬を枕にするつもりだったのに、枕にされている。


 ……納得いかない。


「プント、グーグー。起きてよ。重いってば」

「んに~?まだ、明け方にゃ~。ソフィならいつも寝てるのにゃぁ」


 夢うつつでごろりとプントが僕の腹の上で寝返りを打つ。頭蓋骨があばらを直撃し、かなり痛い。もう少し肉をつけよう。僕には肉が必要だ。


「くかかか……」


 グーグーはいびきをかきながら腹を出しながら寝ている。どちらもピンク色の腹がとてもかわいいが、重かった。それでも、二人につられて二度寝し、結局起きたのは、いつもよりも遅い七時になったころであった。


「そうだ、これを渡しておくのにゃ。ヴィルトトゥムに、きちんと勉強させるように言われているにゃ」


 朝食後、プントが顔を洗いながらそう言った。放っておくと好きなことしかしなさそうだから、とヴィルトトゥムは計画を立てていたらしい。首に下げている首輪チョーカーから、くるりとリボンで結ばれた羊皮紙を取りだしてきた。魔法袋の一種なんだろう。


「ええと…。一日目、午前中…杖の練習……。午後…杖の練習」


 一日目から、三日目までにはそれしか書いていない。下には、知識は一年生としては十分なので、とりあえず、きちんと杖を扱えるようにしろ、と書いてある。しかも、自作ではないほうで、と。赤のインクで書かれ丁寧に波線まで引いてある。やらなければならないと思っていたことを言われると、なんとなくむかつくから不思議だ。


 この屋敷の裏手には庭があり、どうせ整備する予定だから、建物以外破壊を気にせずに思う存分やれという。今まで、破壊するのが怖くてできなかったから、ちょうどいい。学長に爆発が起きても大丈夫な場所を聞こうと思っていたところだ。


「三時には終わっていいって書いてあるから、あとは探検しようっと。昨日、あんまり見れなかったし」


 と、いうことでプントが掃除や洗濯、炊事をやってくれている間に、僕はようやく本格的に杖の修業を行うことにした。

________________________________


 ちょっと張られている結界だけでは心配だったので、グーグーに結界に沿って障壁を張ってもらった。裏庭はぐるりと石垣がめぐらされており、その後ろにはたくさんの樹々が立っていた。すぐ裏が海だから、防風林かもしれない。


「えっと、杖をまずふるって、なじませる…」


 前に言われたことを思い出し、じんわりと魔力を杖に流しながら、ぶんぶんと振ってみた。どれぐらい降っていいかわからなかったので、腕がくたびれるぐらいまでぶんぶん振るうと、なんだか手となじんでくる。なるほど、グラキリスが言っていたことは本当だったようだ。反発がなくなってくる。


「エライなじむまでに時間かかるな」

「うーん。この木がもともと魔木だからかなぁ。魔力抵抗があるのかも」


 芝生にごろりと寝ころびながら、グーグーは干し肉をかじっていた。実際は犬じゃない、と言っていたが、普段犬型をしているだけあって、肉に特に目がない。無駄に美形なくせに、これだと実家の近所の中年狩人と変わりがなくて、がっかりだ。


「ああ、なるほどな。俺らは杖なんぞ使わんからわからんが、暴れ馬に乗るようなもんか」


 馬もなじませて、乗りこなすまで時間がかかるしな、という。魔木だから、多少なりとも意志的なものがあるのかもしれない、と言った。


「よし!馴染んできたぞ。ええと、呪文、呪文。やってみよう」


 足元に置いておいた、初級の教科書を見る。芝生が乾燥気味だから、水を出すならいいかだろう。炎も雷も、悲劇が起きる可能性がある。


「≪来たれ、恵みの雨よ≫」


 先になじませてあるから、今回は小川が流れる程度の意識で魔力を流す。だが、流した途端、ずるっという感じで引き出された。


 そして、数秒後、頭上にもくもくと灰色の雲が出現し、ドッシャーンとばかりに、局地的豪雨が発生した。全身びしょぬれになり、鼻にも水が入る。苦しい。


「ぶっへぇ!ふっぶしゅるぅっ! ≪止め!≫≪止め!≫」


 鼻に入った水に刺激され、くしゃみをしながらも慌てて止めた。何とか止まったものの、乾き気味だった僕の周りには泥と水ででろでろだった。


「ふははは!お前、制御下手だなぁ!」


 転がってグーグーが笑う。だが、そのまま腕を上すと、僕のびしょ濡れの服も地面も、きれいに乾いていた。一瞬で。さすが高位精霊を自称するだけある。


「笑ったのはむかつくけど…ありがとう」

「どーいたしまして。つーか、その杖、今までとちがって、今日は馴染んでんだろ。そうしたら、そもそも流れやすくなってるよな。流す意識しないでやってみればどだ?」


 先に道をつけていれば、流れやすくなっているので、無理に流す必要がないのでは、という。その杖は媒体として非常に優秀なのだから、もっと気楽に力を入れずにやってみろ、と言われた。


「うーん、わかった。やってみる」


 流すことをせず、ただ持っただけにしておく。そして、同じように呪文を唱えると、今度は狙った位置に雲がわき、ささやかな雨ができたのだった。


「やったぁ!ありがと、グーグー!」


 思わずうれしくてグーグーに抱き着く。横になったままだった彼は意外だったらしく、僕という衝撃を受けて転がった。


 そのままゴロゴロと転がり、建物の壁にぶつかる。ドーンという音がして、レンガにひびが入った。障壁が建物には張ってなかったのか、物理には弱いのか、衝撃だ。


「うわあ、どうしようっ。ヒビ入っちゃったよ」


 僕の下敷きになり頭を打ったグーグーを内心は心配しつつ、建物も心配する。借りている建物に損害を与えてしまった。どうしよう。いくらくらいかかるんだろう。()()()()は大丈夫と書いてあったから、建物を壊したらヤバイ。


「お前は、もう少し、俺の心配をしてもいいと思うんだが」

「悪いとは思うけど、僕、弁償できるかどうか、そっちのほうが頭がいっぱい」


 君、丈夫そうだし、と言う。実際、頭はこすっているが、埃一つ、ついていない。多分、彼は常に体に薄い結界を張っている。


「お、お前ひどい奴だな」


 端正な顔が引きつった。そのままがーがー文句を言い始める。


「悪かった、悪かったよ。ごめんって!……あ、れ?」


 クッション代わりにしたグーグーの上に乗りながら、レンガを眺める。通常ならばその後ろには木の骨組みなどがあるはずだ。だが、その後ろは奥に続くかのようにほの暗い。


 彼の上から退き、四つん這いで壁の前に行ってレンガを少しづつ外す。すると、恨みがましそうしていたグーグーが後ろからのぞき込んでくる。


「どかすか?」

「うん。これ、変だよね」


 よし、というと手をすっと動かす。レンガがどんどん外れ、僕の横に積みあがっていく。すると、その下には、人ひとりがようやく通れるほどの、真っ暗な空間が広がっていた。


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