第37話 没落貴族、不審物を発見する。
あの後、インヴィと呼ばれた先輩が医務室に連れて行かれ、僕たちは少しの説明を受けて授業は終わりになった。そして、各学年の部屋で待機するように言われる。僕は当然、ターシャと共に一年生の部屋にいった。
部屋にはまだ、誰も来ていない。ほとんどの学生は授業中だ。だが、直にやってくるだろう。
「…………恐ろしかったですわ。わたくし、何もできませんでしたもの」
部屋に行って、しばらくしたのちにぽつり、とターシャが震えた声でつぶやいた。顔色が悪い。懐からお茶を出して勧めるが、断られたのでグーグーを膝の上に乗せる。暖かい生き物はそれだけで心を慰めるものだ。彼女はぎゅっと抱きしめる。
『お嬢、震えてんなぁ。心臓の音が早いぜ』
抱かれててあげて、と念話でグーグーにお願いする。今日は大人しく抱かれててくれるみたいだ。なんだかんだ言って、グーグーは結構優しい。
「ターシャ。僕たちができることなんて、ほとんどなかったんだ。邪魔しなかったのは、最大の功績だと思うよ」
恐惶をきたさなかっただけ、いいと思う。実践演習を行った上の学年ではない。まだ、学校に入ったばかりのひよっこなのだ。
「ルルは冷静でしたわね」
「ううん、冷静になろうとして、いろんな事考えてた。それに、ヒュッタニアの雫、取り出せなかった」
今までだってやってなかったわけじゃない。でも、もっと真剣に杖の制御を学ばなくてはならない。それには、ある程度の破壊に耐えうる場所が必要だ。学長に相談してみよう。
「仕方ありませんわ。それこそ一年生ですもの」
そう言って、少し笑う。顔色がちょっとだけよくなった。グーグーの毛をわしっとつかんでいるけれど。襟元の毛をむしり取られる勢いでつかまれて、グーグーの顔が引きつった。頑張れ。
その時、扉がたたかれ、スティルペースがヴィルトトゥムと一緒に入ってきた。
「ルセウス、パンタシア。今日は大変だったな。ちょっと聞きたいことがあるのだ。ヴィルトトゥムに同席してもらうので、気兼ねなく話してもらいたい」
顔がとても二人とも険しかった。
「まず、疲れただろう。大変だったな。まだ回数をこなしていないのに、あんな目に合うとは」
二人が席につき、ヴィルトトゥムが結界を作動させる。遮音効果のある、結界だ。しばし口を噤んだ後に、スティルペースが労ってくれた。
「ところで…、ワシが渡した茶はルセウス・ミーティアがいれたと聞いたが、確かか?」
「ええ。僕が淹れました。もっとも、注いだだけです」
均等に注いでみんな飲み干した。結構おいしいお茶だった。
「何か、気づいたことはあったかね?」
あの時を思い浮かべ、記憶に残っているものをたどる。特に変なことはなかった。毒消しの匂いがして、多分食中毒の予防なんだろうな、と思ったくらいだ。
「そんなに、変わったことはなかったと思います。ただ、ドメスティカの葉を使ってるから、高価だなって」
ドメスティカの葉はこの国では採れにくいから、やや高価だ。そして、食中毒は確実に防ぐけれど、いささか効果過剰なのである。食中毒予防にはルチャの茶を入れるだけで十分だ。
「そうだ。ワシが作ったのはルチャとハモミラを錬成した茶だ。ドメスティカは食中毒程度では使わんな」
「インヴィはお茶を飲んでいませんでしたね」
二人で顔を突き合わせ、僕らを外に置いて話している。些かムッとしつつも、先ほどから黙っているターシャが気になって、ちらり、とみると、グーグーをぎゅっと抱きしめ、その前で、両の拳が白くなるほど握っていた。
「どうしたの?ターシャ」
彼女は意を決したように先生たちの方を向いた。
「スティルペース先生、わたくし…、少し気になることがありますの」
「何だね、パンタシア?」
「…助手の方、いっぱいの引き出しを開けているようで、二つしか開けてませんでした。アルボルさんは、そこは開けた、といわれて引き出し自体開けてませんでしたの」
彼が開けたのは扉だけだという。何もできなかったと緊張していた割に、よく、聞いていたものだ。
「君は引き出しとは反対側にいただろう。見ていないのになんでわかる?」
いぶかし気に問われ、緊張した彼女はまたぎゅっとこぶしを握る。あまり先生に意見したことが無い様だった。
「……わたくし、ヨクラートル家のアドラルとは従弟ですの。あちらの家庭の事情で一緒に育ちました。同じような教育を受けています。…だから、音の違いは分かるのです」
彼女は、実に正確に音を聞き分ける耳を持っているらしい。それによると、引き出しの音は二種類。位置や中身のつまり具合で音が異なるという。言われてみれば、いっぱいは言った引き出しと、空っぽの引き出しでは音が違う気がする。
「そうか、ヨクラートル家は音楽系の家だったな。そうすると、わざと見つからないふりをした、ということか?だが、ルセウス・ミーティア、お前がワシにヒュッタニアの雫を渡したな」
「あ…はい。正確には、そこの…ちょっと苦しそうな犬ですけれども…」
薬を持ってきたのは、グーグーである。彼らが慌てていた前後だ。どうしよう、と思っている間に持ってきた。本当のところを聞きたいが、どうしたものだろうか。
「ああ、護衛の役目をしているというお前の魔法生物だな。話が聞きたいな。通訳士を呼ぶか」
数は少ないが、魔法生物の通訳士はいる。だが、本当のところはグーグーは話せる。どうしたものか。思案しつつ、すがるような目をターシャに抱えられているグーグーに向けた。
≪あー、んじゃ、俺が精霊になりかけの魔法生物のふりしてやるよ≫
それならばさほど不自然ではないだろうという。お前ならばそう言うこともある、と受け入れられるだろう、といわれた。失礼な!
「あーあー…。俺、話せんだけど」
可愛らしい犬の姿のまま、いきなり人のように話し始めたグーグーにターシャはショックを受けたようで、そっと手を放す。心なしか引いているようだ。
「なんと、おぬし、なりかけか!貴重な魔法生物だのぉ。いや、うらやま……うぉっほん!して、何を見たのじゃ」
ヴィルトトゥムの咎めるような視線を受け、グーグーに問いかける。なんだか、グーグーに目を付けられたんじゃないのかなぁ。ちょっと、いやな予感。
「ヒュッタニアの匂いをたどったら、一番下の引き出しに入ってたんだよな。上で人間がバタバタしてるから、引き出し空けてこいつに持ってったってわけ。ガキの前で死人が出るってのはよくねぇだろ」
したり顔でグーグーが言う。いつか特技は暗殺、と聞いた気がするんだが、何を良識ぶっているのか。
「グーグー、君は何か変なにおいをかぎませんでしたか?」
「寝てたし、菓子をわけてもらったからよくわかんねーけどさ、前の羊皮紙と似たよーな匂いがしたなぁ。薄いけど」
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僕とターシャは解放されたが、あの後、二人は急に話を打ち切って、出て行ってしまった。学長のところにでも行くのだろうか。そして、他の一年生はまだ帰ってこない。
「耳、いいんだね」
「そうね。わたくし、アディよりも耳がいいの。それが、ちょっと面倒なんだけれど」
少し悲しそうにターシャがうつむく。本当は彼よりも耳がいいのはまずいのだそうだ。悲しそうにしつつも、それでもさっきよりは顔色がいい。
「おまえさあー、母ちゃんみたいに気にしすぎるなよ。面倒見すぎだぜ。自分のこと、気にしてやんな」
開き直ったグーグーは、すっかり犬らしさを捨てて、肘をついて寝ころんだ。犬の関節じゃ、痛いんじゃないかな?不思議な格好をするもんだ。
「……この犬、口悪いわね」
「むくれんなよ、小娘。グローボみたいだぜ」
グローボはつつくと膨れ、針を出す魚だ。ターシャの頬はまんまるぷっくりと膨れていた。つんつんした様もちょっと似ているかもしれない、と思ったのが伝わったのか、僕と目があった途端にターシャは目を吊り上げた。
「あら、そう、ほーほほほ!パグナスにグローボって言われたところで痛くもかゆくもなくってよ」
そう言って、グーグーのほっぺたをぎゅいーッと引っ張る。犬型のほっぺたの割にはよく伸びた。ちなみにパグナスは鼻のつぶれた犬で、暖を取るためにご婦人に人気がある。
「ひてえなっ!ほのほむふめっ!!」
「やめてあげて、ターシャ。これで悪気ないんだから」
睨みつけ、最後に一回、ぎゅいーっと引っ張ってから離した。その途端、身をひるがえし、グーグーが壁際の個人棚が積んであるところに逃れる。
「あー、痛って~。バカ力め!……ってか、ちょっと待て」
鼻を急にクンクンさせる。ひくひくと動きが活発だ。そのあたりを歩き回る。個人の箱型の入れ物が、教室の後ろには積んである。必要のない教科書やちょっとかさばるものを置くのだ。
「……薄い魔力だ!あの、微妙な薄い魔力の匂いがすんぜ!」
そこにあったのは、オケアヌス兄妹の荷物だった。
確かに、オケアヌス兄妹の上のキィは、前回僕が狙われたと思しき時も被害に遭っている。今度は何なのだろうか。妹の方はとばっちりかもしれない。
「変なにおいする?」
「まあな。薄いのと混じってんので、判別しにくいけどなぁ。つか、あとちょっとであいつらも帰ってくんだろ。その前に、ちょっと覗いてもいいか?」
思わずターシャと顔を見合わせるが、入ってきて、妙なことが起こっても嫌だ。その前に対処したほうがいい。
「……確認、しておいた方がよろしいですわよね」
「うん。鐘がなるまで、あと十五分くらいかな。確認したほうがいいね」
そう言うと、グーグーにお願いして見分してもらう。鼻をクンクンさせ、前足で棚を軽くひっかく。教科書がいくつか積んである下に、何かがあるようだった。
このようなものは、魔力で引きはがすよりも、物理的にはがしてしまった方がいい。魔力が下手に混じると作動したり、消えたりしてしまう。
「僕が持ち上げようか?」
「いや、おまえじゃない方がいい。そっちのターシャだっけか。嬢ちゃん、教科書、ちょっと持ち上げてくんね?」
確かに、僕と似た性質の力が狙われているのならば、作動してしまう可能性がある。かといって、グーグーが人に化けるのもいけない。人になれる魔法生物は非常に貴重で、それがばれるのはまだ避けたいようだった。
「わたくしがするんですの?男性の仕事でしょう」
あまりグーグーに良い感情を持っていない彼女が、以前の僕に対するような態度で言った。教科書って、まあ、確かに力仕事なのかな。そこまで重いわけではない気がするけれど。
「おっまえ、時代錯誤な女だな。こいつがやったらやばい可能性があんの。んじゃ、持ち上げないんだったら、あのじーさんとヴィルトトゥム呼んできてくれ」
「…わかったわ。持ち上げるわよ。ちょっと言っただけじゃない」
事情があるのだと悟った彼女は素直に了承する。感情が行動に直結しやすいだけで、決して依怙地ではないのだ。
彼女は床にしゃがみ、まず、キイの、それから妹のオケアヌスの教科書を取り出した。そこには白い、短冊状の紙が一枚ずつある。
「ルル、お前、魔法袋の予備持ってんだろ。その口開けて、床においてくれ」
言われて腰につけている袋の一つから、予備を取りだし、口を開けて床に置いた。そして、僕は少しそれから距離を取る。
「ターシャ、それをべりっとはがして、この中に入れてくれ。魔力は使うんじゃないぞ」
「ええ、分かったわ」
一気にそれを二枚引きはがすと、指先でつまんでポイと袋に入れ、ついている紐をきゅっと縛る。
「も一つ。……お前の荷物置き場、あんのか?」
「あるけど、なんも入れてないよ。全部持ち歩いてるから」
一応覗いておいた方がいい、ということで見てみると、箱の天井部分に、べったりと二枚も札が張られており、これまたターシャがはがして、袋に入れた。
「これ、早く持って行った方がいいわ」
「ああ、そうだな。行くぞ、ルル」
早く、これをヴィルトトゥムたちに持って行った方がいい、ということで、僕とグーグーは彼の部屋に行くことにした。駄目だったら学長室に行けばいい。
ちなみにターシャは、興味がある部活動のようなものがあるということで、そちらに向かうようだった。あんなことがあった後にやるんだろうか?
それを見送り、僕たちもヴィルトトゥムの元へと向かう。
≪すごいよね、ターシャ一所懸命で。僕、そんなにやる気ないなぁ≫
≪お前はなんかもっといろんなことに興味、持ってもいいかもな。興味が偏りすぎだ≫
そんな風に話していると、すぐにヴィルトトゥムの準備室の前につく。すでに何度か通っているから慣れたものである。
そして、部屋の戸を叩こうとすると、グーグーに止められた。
≪ちょっと待て。話声がする。ヴィルトトゥムとスティルペース、あとは学長か。全員いるぞ≫
≪じゃあ、ちょうどいいじゃないか≫
≪いや、お前のことを話している≫
そう言うと、グーグーは僕の後頭部に頭をごつんとぶつけた。ちょっと痛い。犬型のくせに(?)石頭である。
だが、一瞬の後、一気に室内の様子が頭の中に再現される。
そこには、深刻な顔をした教師三人がいた。
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「何かしら、この学校で起きているのは確かだわね」
リューヌ・カタリナは沈痛な面持ちでそう告げた。毒物混入の可能性がある、とスティルペースとヴィルトトゥムに呼び出されてここに来たのはついさっきだ。
各学年の責任者にはすでに、ただいまの授業以降のすべて授業中止の通達がなされていた。この後に、緊急の職員会議がなされる予定である。
「前回がキュアノス・オケアヌス。今回がインヴィ・ノエートンか。マニュ、なにか共通点があると言っておったろう」
わりに仲がいいのか、下の名前でスティルペースが呼びかける。スティルペースは、かなり古参なのか、学長にも一歩も引いていなかった。
「ええ。両方とも全属性が平均的という共通点があります。ノエートンの方はオケアヌスに比べると大分微弱ですが。しかも、両方の授業にルプスコルヌが出ている。けれども、何というか、ルプスコルヌはすべて被害を被っていません」
ルセウス・ミーティアはかなり規格外の生徒である。以前、自分に差し出されたものの貴重さを思い、リューヌ・カタリナはため息をついた。あれを自力で手に入れたのであれば、相当の能力の高さだ。下手すると上級魔術の水準に達している。
「運がいいってこと?」
ちょっとだけ茶化すように彼女が言う。本心では、そうでないことは分かっていたが。
「いや、ルセウス・ミーティアは、かなりの力の持ち主だ。おまけに見た目が貧弱な割に、心身が一般貴族に比べて極めて頑健だ。あの様子では、もしかしたらヴィリロスにでも毒にもならされているかもしれん」
実際のところ、ルセウス・ミーティアは知らぬうちに毒にならされていた。父にではなく母にだが。幼い頃は多少の腹痛を覚えたものだが、今では少々の毒では感じなくなっている。だから、本人の認識としては小さい頃はおなかが弱かった、くらいである。
「その可能性もありますね。とにかく、あの子は規格外だ。あと、あの犬ですが、あれはかなりの力の持ち主です。守護として届け出がされていますが、その力を十分に持っています」
「ああ、なりかけだったの。おそらく、アーギル・ルヴィーニのカウダと並ぶほどの力の持ち主だ」
それを聞き、リューヌ・カタリナの眼は見開かれた。アーギル・ルヴィーニがカウダと契約できたのは彼女の情けによるところが大きい。カウダはこの国屈指の力を持つリューヌ・カタリナや国王の依頼をはねつけるだけの力がある魔法生物だ。納得しないと契約はしてくれない。
「あの犬もほだされたということ?」
「いいえ。グラディウスによれば強制契約が成立してしまったとのことでしたよ。あの人がルルと一緒に買いに行ったそうです。つまり、あの子にはそれだけの力があるということでしょうね」
ふう、とため息をついて、リューヌ・カタリナはソファーに沈み込んだ。
「何が狙いなのかがわからないのが困ったもんだね。あの子が目的かと思っていたけど、全属性が欲しいのかい?」
「その可能性もあるだろうて。たまたまそこに居合わせたにしては、効率が良すぎるがの。それに、ワシの助手がなぁ…」
解毒薬を見つけにくい細工をしていた自身の助手を思い、ため息をつく。室内が暗い雰囲気に包まれたとき、部屋の戸が四度叩かれた。




