その頃の…③
「久しいのぉ、ヴィリロス・フィリア」
十数年ぶりに再会した母親である国王は、至極、嫌そうにそう言った。昔からヴィリロスは、この母親と馬が合わない。勝手に捨て置いたくせに、親としての権利だけちゃっかりいただこうという根性が気に入らないのだ。
息子の優秀さが気に食わないのに、そのおこぼれにはあずかろうとする。失敗すればすべてを押し付け、利益だけを持っていく。常になんて盗人猛々しいやつなのだろうと、思っている。
決定的な出来事が十二年前の追放だったが、これで会わずに済むと清々したものである。親と子と言えども別の人間である。相性というものはつくづくあるものだ。つまり相性が悪かった。これに尽きる。
「直答を許す。顔を上げよ」
一介の貴族がそう言われては顔を上げざるを得ない。顔を上げると、目の前には虫けらを見るような目で見る、自分に似た、けれども幾分きつい顔立ちの壮年の女性がそこにはいた。若いころはずいぶんと美しい女だったと聞く。今だって顔立ちはいいだろう。だが、眉間の皴と不機嫌そうな表情で台無しである。
まだ年齢が一桁のころは、それで少々傷つくような繊細さを持ち合わせていたが、三十も半ばを過ぎればその程度で傷つくことこそ、馬鹿らしくなる。何しろ、ヴィリロスには愛すべき妻と子がいるのだ。十分である。
「国王陛下のご尊顔を拝し奉りまして、恐悦至極に存じます」
ごくごく優雅に、そして何の問題もなく礼をして見せたヴィリロスを、国王は、それはそれは嫌そうに、鼻でバカにしたように笑った。何をやっても気に食わないのだ。
「ふん!卒のない挨拶で つまらぬ奴だ。…ところで、お前の妻のコラリア・ルプスコルヌはどうしたのだ」
今日、隣にコラリアはいない。少々気になるとことがあったので、プラテアド家に置いてきた。あそこならば、襲われても少々時間が稼げるから、持たせた移動用の札で実家まで移動できるだろう。義母がいない今、プラテアド家は全面的に協力してくれている。
「コラリアは長旅の所為か、少々体調を崩しておりまして、宰相殿に申しあげ、登城を控える許可をいただきました」
本当は一瞬の旅だが、それができると知っているのはごく一部の身内の身である。もちろん油断ならないと知っているこの女には言っていない。
一方で宰相は合理主義なだけあり、証拠を示せば病人を国王の前に出すようなことはしない。万が一流行病であったらば、大変なことになるからである。
実質、この宰相のおかげで国は回っていた。昔と異なり、今の彼女に国を切り回すだけの力はない。弟息子を亡くしてからの彼女は、気鬱の気があり、気分の上下が激しいらしい。
「あのような田舎では碌な交通手段もないだろうからな。おお、いやだ!田舎の匂いが染みついているようではないか。のう、リテラート」
国王は傍に侍らせていた宰相にそう呼び掛けた。この国の中心である王都の経済は、地方の食料と産業で成り立っているのだが、そんなことは意識の外らしい。
「その田舎のおかげで食料が賄われておりますので、何とも言いかねますな」
裏にその田舎出身の重臣が控えていることを知っている宰相は、しれっとそんな風に言う。彼と王配のみが、そのような軽口を許される相手であった。
「つまらぬ奴じゃ。まあ良い。ヴィリロス・フィリアさえいれば、とりあえずはことが足りる」
口車に乗らなかった宰相にご立腹らしい。吐き捨てるように捕らえよ、と彼女が言う。そのとたんに立っている場所に魔法陣が起動し、足止めを喰らう。もちろん、逃げることもできただろうが大人しく、捕まることにした。
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とらえられてから数十分後、宰相がノックも何もなしに部屋を開けて入ってきた。宰相ということで問答無用で入って来られるらしい。身体検査も何もなかった。
「久しぶりだね、ヴィリロス・フィリア・セレスティン・アウルム=プラテアド=ルプスコルヌ君」
「お久しぶりですね、リテラート伯爵。昔のようにヴィリロスで結構ですよ。さて、この状態の理由を聞きましょうか」
魔力の補助で立ち上がり、一応宰相に着席を進めてみせた。長椅子や客用の椅子などという、余分な家具などなかったが、それでも礼儀というものである。
「おや、では失礼」
宰相は遠慮なく腰かける。ほかに座るところがないので、寝台ではあったが。
与えられた部屋はごく簡易で粗末な部屋なので、選択肢はない。一般的な感覚からは十分にまともであるが、国王と大貴族の継承権を持つ人物に対して監禁するにはみすぼらしい。何しろベッドがおいてある一部屋と浴室を兼ねた洗面所しかないのだ。
「まあ、単刀直入に言おう。いくつかの要因が重なって、君が必要となっている。それと場合によっては元・聖女、コラリア・ルプスコルヌの力もだ」
ぴくり、ヴィリロスの眉が動く。聖女の力が必要、とは穏やかではない。だが、ヴィリロスと婚姻したことで、聖女ではなくなったはずだ。実質はともかく対外的には。
一般的に、聖女は生娘でなくなることで力が失われるといわれている。それが、彼女がそしりを受けた理由の一つである。これまでの聖女と呼ばれる人々は僧籍に入り、祈りに人生をささげるのが常だったのに、お前は、と何度罵られたことか。
心底、余計なお世話である。
人の人生に口出しされるいわれはない。正直、稀代の魔術師だの、勇者だの、聖女だのと言った妙な肩書はくそくらえと思っていた。今でも思っている。
後から周りが勝手に言って祭り上げただけで、言われた当人で納得しているものは誰一人としていなかった。最初こそ有頂天になったものもいたが、次第に困惑していった。
勝手な理想を押し付けられて、勝手に期待されて、勝手に失望される。その繰り返しに、一部の人間は病んだ。当時勇者と呼ばれた男は、戦争が終わった後、出奔している。ヴィリロスでも行方を知らない。
「何とも勝手ですねぇ。そちらの都合で追い出しておいて、必要だから囲う。だから、うちの息子の入学を許可したわけですか。態のいい人質だ」
尤も、本人はそんなことも知らずに、自分の速度で歩んでいるだろう。実のところ、囲い過ぎたきらいがあるから、少しいい機会ではあると思っている。
「それもあることは否定しない」
そこでいったん口を閉じ、思わせぶりにこちらを見つめなおしてくる。こういう言い方をするときには大概裏に何かがあるのだ。そして、ヴィリロスはその内容に予想がついていた。田舎者かもしれないが、情報はかなり持っているほうだ。
「勿体ぶりますね。まあ、どうせシャルム関係でしょう」
そういうと、ふっと彼は皮肉気に笑い、そうだ、とつぶやいた。当然その答えを予測していたようであった。
「……隣国が代替わりし、シャルムの残党とくっ付いてきな臭い。いざというときのために彼女が必要だ」
シャルムの魔術師の得意は死霊術。聖女の力が非常に有効である。そもそも、聖女なんてものはなく、光の属性と呼ばれる珍しい力が強いだけだ。闇の属性と共にこの二つの属性は持っているものが少なく、さらに使いこなすのも難しい。そのために普通はあきらめてしまうそれを、彼女はあきらめず、努力によって制御を身に着けたのだ。
「ずいぶんと都合のいい言いぐさで」
「それにもう一つ。隣国との間に対シャルムの結界を張れるものがいなくなった」
シャルムが得意な死霊術に対する特殊な結界で、複雑で何重にも重なるものだ。一つ間違えると無効になる。そして、一気に書き上げねばならない。だが、同時に魔法陣を展開でき、それを継続できる力がある者は稀で、何人かで行うのが一般的だ。しかも、相当に息があっていないとならない。
「カコエンツァ師はどうなさったんです?前の結界は彼女張ったはずだ」
マガリア・カコエンツァは魔法陣に関しては第一人者で、弟子も大勢いたはずである。ただし、王家に対して反抗的だったので、先の大戦でずいぶんと弟子は減った。そのあとは育っていないのだろうか。
「何分ご高齢でね。魔力的には何とかなっても、体力的にきついと仰せだ。それに君は彼女のご使命だよ。君ならば複数人でなく、一人で書きあげられるとね」
余計なことを、と小さく毒づく。カコエンツァは幼いころ、プラテアド家にやってきてはヴィリロスに魔術の手ほどきをした人だ。彼女しかヴィリロスのことは指導できなかったろう。気が強く、頭が回り、書物を読めばたいていのことをこなす少年を御せるのは、第一人者だけだった。生半可な知識があると、穴をついてコテンパンにするというのが、幼いころの彼である。
「そして、それも大事だが、その前に必要になる人がいる。隣国との交渉に必要なのだ。君たちは、いわばそれを引っ張り出すためのエサだ」
「随分と直截的だ」
「ああ、だが、こういえばわかるだろう。ランプロス・ベッルス・ルプスコルヌを引っ張り出したい」
ランプロス・ベッルス・ルプスコルヌ。現在は隠居して表舞台から消えたルプスコルヌ家当主であり、元は王家の禁書庫の門番。コラリアの父であり、ルセウスの祖父である。
そして、嘗ては王国の懐刀と呼ばれた、有能な男であった。




