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第25話 没落貴族、犬にも別の顔があると知る。

 目の前に現れた青年は、どこか子どもっぽさをはらむ不思議な雰囲気を纏っていた。癖のある黒い短髪に、白い肌。目はグーグーと同じ金と赤である。


 大きくきゅっと吊り上がった目に、高い鼻梁。僕たちと同じ人種にも、サビーに流れる血にゆかりの人種にも見えるような不思議な顔立ちだ。


 肉付きがいいというのではないが、骨格はかなりがっしりとしていた。そこに見事な筋肉がついている。そして、目の前にはかなりご立派なものがぶら下がっていた。


「そうじゃないかと思っていたんだ!あの出てきた時の変容の仕方。普通の魔犬とは思えなかったからね。この目で見れるだなんて…」


 うっとりとした目でグーグーを見つめる先生は、服装も相まってかなり怪しい。性的思考には頓着しないが、あの目つきをした人はもれなくやばい人である。


「あのー。グーグーさ、とりあえず服着ない?……先生も落ち着きましょうよ。全裸の男が目の前にいたら、普通、捕縛ものです」


 痴漢、と叫ばれて攻撃されても仕方ないと思う。それに、僕は、どうせ見るならば女の人の裸の方がいい。ばきばきに割れた腹筋よりも、丸みを帯びたふわふわおっぱいの方が素敵だ。僕の子のみだけど。


「全裸?……ああ、そうか。しばらく犬のまんまだったからな。ここ、数十年服着てなかったわ」


 今まで全裸であることに気づいていなかったように言う。確かに、犬が服を着てたら変だろう。貴族の女性の間では着せることもあるというが、着ていない姿が一番素敵だと思う。


「人間ってのは毛が無いから不便だな」


 自分の姿を見回し、ぱちん、と指を鳴らす。すると、やや時代がかった衣装をまとったグーグーが現れた。父の着替えよりも素早く、そして手の込んだ衣装を着ている。


「素晴らしい!ああ、素晴らしい!これは、亡国ルドゥン風の衣装だね。数十年前に流行った様式だ」


 前にグーグーがいたところもルドゥン風だった。何か所縁があるのだろうか。


「……それにしても、魔法生物って人間になれるんだね」


 よほど力のある魔法生物は人になれることがある、と以前本に記載があったのは覚えているが、本当だったらしい。と、いうとグーグーはかなりの力があるということになる。


「いや、ルプスコルヌ君。普通はこんなに滑らかに人に変身しないし、流暢にしゃべることも少ない。人の姿を借りているだけだ。よほど力を持っていなければね。スクートゥム君のカウダがそれに近いけど」


「カウダ?あいつは精霊化しかかってるからな。もう十年くらいしたら、完全になるんじゃないか?」


 カウダってすごかったんだー、と思わず感心してしまう。確かに僕の知っている飛び猫とカウダは違っていたし、しっぽが一本ではなくて何本もあった。まだ僕はあの素敵なしっぽに触れられていない。


 ヴィルトトゥムは僕らの会話の間にも、矯めつ眇めつあらゆる角度からグーグーを眺めていた。少しの間付き合っていたが、嫌気がさしたらしく、


「つーか、座ってもいいか、俺」


 そう言って冷たい目でヴィルトトゥムを見下ろした。


________________________________


「で、なんでグーグーは僕を抱えてるわけ?」


 どっかりと長椅子に座った後、脇に座っていた僕を、先ほどやられていたみたいにグーグーは抱えた。そのままお茶を飲み始め、僕の手にも湯飲みを握らせたので身動きできなくなった。


「いつもと逆もいいだろが」


「十歳なのに…」


 ぶーたれると後頭部に鼻をつっこまれ、くんくんされた。確かに僕がいつもやっていることである。微妙な気持ちだ。


 ――― いやだったのかなー。


「さて、じゃあ本題に戻ろうか。……昨日のことは感謝する。自分ではきっと間に合わなかったよ」


 一人がけの椅子を運んできてそこに座ると、先ほどまでの浮かれた様子は鳴りを潜め、教師としてヴィルトトゥムは感謝の意を示した。パゴニのような姿でやられるとちょっと笑いそうになるけど。


「俺がやった方が手っ取り早いからな。妙な魔力が混じってたし」


 危険だと思ったからやったのだといった。一応契約者の僕を守ったらしい。なるほど。大した、魔法生物だ。


「それ!そのことが聞きたくて、君たちを呼び出したんだ。検証した結果、彼の燃やした残骸から、オケアヌス君以外の魔力も感じられたんだよ。判別はできない程度だったけどね」


「それ、グーグーもさっき言ってました」


 来る途中に言っていた。それで考え込んでしまったのだ。あの時、ほかの班員と違って、確かにキィは一人で作業をしていた。


「薄すぎてわからねぇほどに魔力は薄めてあった。しかも燃えちまったからわからねぇが、おそらく条件が合う魔力に反応するように仕込んであったんだろな」


 仕込んであった魔力は大したものじゃない、と言った。だが、混ぜると危険、という相性があるのだという。しかも、痕跡をうっすらと残しつつ、判別できない程度に薄めている。つまり、相当な手練れだということだ。


「…無差別かぁ。厄介だな。あれは廉価版の、あまり質の良くない羊皮紙で、備品部から大量に持ってきたものなんだよ。再生羊皮紙なんだ。……それにしても、あんまりなじみがない術だね。昔の技術だろうか」


 あれは助手の青年が運んできたが、教師の許可を得た者であればだれでも出入りできる場所で保管されている。やろうとすれば、誰でもできたということだ。


「あれは、この国が制圧したシャルムの上級呪術師が得意としていた術だ。ただ、古代の呪術師は普通に使っていたから、古文書を読み解く力があればなんとかなる。ただし、禁書級だがな」


 おそらくはこの国の禁書庫にもあるだろう、と言った。国王所管の、最高機密が詰まった僕のあこがれの書庫である。数百年前の国力が最高の時に権力に有無を言わせて、時の権力者が古今東西の禁書や貴書、奇書などを集めた世界最高峰の図書館であった。


「それを恨んでる人が入り込んでいるってことなの?」


「そうとは限らないね。責任を押し付けるためにわざとそれを装ってるってこともあるよ」


 そう言いながら、ヴィルトトゥムは茶菓子を出してくれた。春の果物を貴重な砂糖で漬けこんだ贅沢な菓子だ。


 出された途端、貴重なそれをグーグーはわしづかみにして口に放り込んだ。もったいない。


「ほら、お前も食え。口開けろ」


 唇に、フラーグムの砂糖漬けがぎゅうぎゅうと押し当てられ、仕方なく開けると、甘ったるいそれを口の中に突っ込まれた。舐めて、表面の砂糖が取れると、水分が抜けてねっちりとした中身が現れる。中身は思ったよりも甘酸っぱくておいしかった。


「……それとな、アレ、無差別じゃない。多分お前を狙ったもんだぞ、ルル」


 もう一個突っ込まれたフラーグムをむぐむぐと咀嚼していると、そういう声が頭の上から降ってくる。


「えっ?」

 

 上を思わず見上げると、手元の湯飲みが落ちそうになり、グーグーが魔力で浮かせてくれた。


「どういうことかな?」


「こいつとキィは魔力の見かけが似てるんだ。キィもこいつと同じで、あらゆる分野に魔力が行き渡っている。平均的にどの性質も使えるんだ。珍しいだろ。ただ、こいつの力は強すぎで、相手の魔力を上書きしちまった」


 得意を作るのはいいが、どれも平均以上には使えなくてはいけない、と父に躾けられたので、僕はどの性質の魔力も使える。どれも滞りなく使えるように、滑らかに継ぎ目なく使えるようにと練習してきた。


 あとでそれを言うと、ヴィルトトゥムは珍しいことなのだ、と言った。ヴィーの奴め、とも言っていたが。


「今年が相当珍しいんだよ。そういう学生は本当に数が少ないからね。つまり、そういう情報には触れられなくて、でも学園内を行き来できる手練れってことか。難しいね。とにかく、ルプスコルヌ君。これから、グーグーなしで出歩くのは禁止だ。外出も当面禁止だよ」


「ええっ!」


 初めての外出はすぐそこに迫っていたというのに、僕は学園に捕らわれの身になってしまったのだった。


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