1-07:心境の逆転
何の前触れも無く、雪人は家に上がってきた。まだ誰も居ない1階を素通りして、2階に上がってきて、オレの部屋を蹴り破るように入ってきた。
そして、呆然とベッドに座っているオレに対して、いきなり掴みかかってきた。
「な、なんだよッ!?」
「うるせェ!!」
ワケの分からないまま、掴まれた右肩を、思いっきり押された。オレはベッドに倒れこむ形になる。
雪人は息を荒げたまま、しかし、必死に自分を抑えているような、苦悶した表情でオレを見下ろしていた。
「はぁっ……はぁっ……」
マラソンでもしたかのように息を切らせている雪人。オレは、まだ頭を混乱させたまま、ベッドから起き上がった。
「オイ、雪人。いきなり何だよ、何か用か?」
「……来」
オレの質問に答えず、雪人は俯き気味にオレの名前を呟いた。そして、いきなり顔を上げると、その怒りに満ちた表情で、オレに拳を振り下ろした。
「ぐっ……!!!」
鈍い音がして、オレは呻き声を立てて、再びベッドに倒れこんだ。
雪人が、また怒りを抑えた喋り方で、オレに言う。
「……聞いたぜ。お前のこと。木ノ瀬から、な」
「……どのことだよ?」
オレがそう答えた途端、オレの腹に衝撃が走った。
「ごふッ……!」
「ああ!? 分かってんだろうが!!」
雪人の右手が戻され、オレは腹を押さえてながら地面に落ちた。
それを見て、雪人がイライラした口調で言う。
「……率直に言うぞ。お前、屋上の外で何してたんだよ?」
「……!?」
雪人の言葉に、オレは転がるのを止めた。腹の痛みも、少し遠ざかった気がする。同時に、耳鳴りがし始めて、オレの思考が曇り始めた。
「……オイ、楓、どうした? 早く答えろよ?」
「……雪、人。それ、誰から聞いた?」
ちっ、と舌打ちが聞こえた。
「誰からならさっき言ったぜ? それに、今はもう、そんな問題じゃねェよな?」
「……」
床に座るオレに、雪人は立ったまま、上から喋る。
「オレが聞いてんのは、お前が屋上で何してたのか、だけなんだよ!!」
「っ……」
雪人は、冷たい声で聞いた。
「言えよ。ホントのこと」
「……」
「言えって。早く。ホントのこと言えば、それで終わりだろ?」
「……」
それでも話さないオレに、少しだけ嫌味に聞こえる声で、雪人は聞き続ける。
「なぁ、ホントは違うんだろ? 自殺なんて嘘だろ? お前、ホントはそんな、屋上なんて行かなかったんだろ? そうだよな? な?」
「……」
「そうだって、言えよ……何か、言えよ……楓ッ!」
「ッ……!」
オレの肩を掴んで言った、最後の言葉は大声だった。それなのに、オレは、顔を上げる事すら拒んだ。
「シカトかよ……あーあ、分ーったよ、このバカ」
そう言って、オレの肩から手を離すと、雪人はドアの方を向いた。
「明日、もう一回聞くからな。その時に、ちゃんと、オレに教えろよ」
ドアの開く音、外を歩く音、閉まる音。そして、耳鳴り。
オレは、しばらくその場所に、ベッドの傍の床に蹲ったまま、じっと動かなかった。
* * *
「……っ、朝か……」
いつの間にか、眠ってしまっていた。ベッドの上に座っていて、明日のことを考えていたはずなのに。気がつくと、変な体勢で眠ってたみたいだな。
「……やっべェ。何にも考えて無ェや」
頭を触ると、ボサボサの髪の毛。寝癖がついた髪は、鏡で見ればそれなりに笑えるものかもしれない。しかし、今のオレは笑ってる場合じゃない。
「……」
オレは、ベッドに座ったまま、膝を抱えて、俯いた。
* * *
先生が入ってきても、楓が居ないことに気付いた私は、罪悪感がこみ上げてくるのを感じた。
楓からムリヤリ理由を聞き出そうとしたのは、私。親友だって知ってる雪くんにそれをバラしたのも、私。昨日の約束を、たった一日で破っちゃったのも、私。
「……」
私は気にしないようにしたけど、クラスに1つだけの空席は、何だかとても目立って見えて……。
* * *
昼休み、琴美が雪くんを引っ張ってくるのを、私は情けなく見つめていた。ただ突っ立ってるだけの私を見て、琴美がわざと心配そうな顔で聞いてきた。
「どうしたの沙夜? そんなに彼氏のこと気になる?」
だけど、それに対して疲れた表情しか返せない私を見て、流石に琴美もホンキで心配し出した。
「沙夜、ゴメン。ホント気分悪いの? 保健室一緒に行く?」
「ううん……大丈夫だから、アリガト」
そう言って笑顔を見せると、琴美も安心したように、雪くんのところに向かった。それに私も着いていき、近くの席に座る。
琴美と雪くんは弁当(雪くんは購買のパンも)を机に出してたけど、私はなんだか食欲が無くて、弁当も開けなかった。
「沙ぁ夜ぁ……。食べないの? やっぱり気分悪いんじゃない?」
「ううん……大丈夫」
「さっきから、そればっか……。ねぇ、そんなに楓くんのこと、心配なの?」
「……」
琴美の言った言葉は、いつものような私をからかう声じゃなくて、純粋に私を心配する声だった。
――だから、もう忘れてくれ。気持ちに整理ついたら、多分、話すから。
「実は、昨日……」
何も変わらないだろうと、私は、昨日楓に言われた事を、2人に話した。
* * *
その短い話が終わると、2人とも、考えるような表情で、顔を見合わせた。
「沙夜、そのことで落ち込んでたの?」
「う、うん……」
正直に答えると、溜め息をついて、琴美は呆れながら言った。
「沙夜、アンタ、メンタル弱過ぎ。そんなコト心配してたらダルくなるよ?」
「えっ、でも……聞きたくないコト、ムリに聞いちゃって……それに、雪くんにも言っちゃったし……」
「いや、オレに言うのは当たり前だろ。つーか、一番初めにオレに言って欲しかったんだけど」
「で、でも……」
「そうだよ、沙夜。それに、これを初めに聞き始めたのはアンタでしょ、このKY女」
「うっ……」
2人は、私の悩んでいた理由を一蹴すると、すぐに本題に入った。
「ねぇ、千くん。 楓くん、どうだったの?」
「ダメだよアイツ。なんか全然、なんも話さねェしさ、超シカトしてくるから諦めて、明日聞くって言って戻ってきた」
「じゃあ、何もわかんないワケ? はぁ〜、それじゃ意味ないじゃん?」
「そんなん分かってるって。でも、アイツなんか鬱過ぎて意味判んないし――」
私は、2人の会話を聞きながら、ただただボーッと考えていた。
(そんなんじゃ、楓くんは教えてくれない)
楓くんと同じような経験のある私には分かる。いや、もしかしたら分かってないのかもしれないけど。
こうゆう時は、多分、ムリヤリ聞いたりするのは、ダメだと思う。
(私、しつこく聞かなきゃよかった)
私がしつこく聞いたせいで、楓くんも逆に話し辛くなってしまったかもしれない。しつこく話させようと追い詰めたせいで、余計に怪しまれたのかもしれない。
(ホンキで、心配してただけなのに)
昔のある日、私は、絶対に人を止めるって、そう決心したんだ。
でも、私は自分が思った以上に覚えがよくて、頑固だったみたいで、お陰でこんなことになってしまった。
助けられなかった、ただただ傍観者だった頃には、もう戻りたくなくて。
――嘘つくなよ! アンタ、自殺するつもりだったでしょ?
だから私は、あんなに躍起になって、問い詰めちゃったんだ。
どうしたらいいか判んなくて、それでも、自分でどうにかしたくて。
(ゴメン、楓くん)
やっぱり、私はKYだった。自分で問い詰めたくせに、これからどう接したらいいのか、判んない……。
* * *
「ちっ……電源切りやがって……引き篭もってんじゃねェよ……!!」
学校の帰り、オレは楓に電話したが、3回とも留守録にすら繋がらなかった。
桜坂はあの後も体調が悪そうで、木ノ瀬と一緒に保健室に行っていた。戻ってきたときは元気そうだったが。
ただ、オレと木ノ瀬が、楓に聞きに行こうとすると、桜坂は何故か反対していた。
「……オレ、KYだったのか?」
ふと、そんな考えが浮かんだが、すぐに頭から消えた。
「……楓、何してんだよ……?」
* * *
「はぁ〜。あ〜、眠い〜」
ベッドに横になった私は、沙夜にメールしようと思ってケータイを開いた。
ピッ、ピッ、という電子音がして、メールを打ち終えた私は、送信する前に、ふと沙夜のことを考えた。
「な〜んか今日の沙夜、変だったな〜」
沙夜とは今年知り合ったので、あまりまだ深いことは知らない。でも、私は沙夜が嫌がることとかは言ってないと思う。多分。
でも、沙夜があんなに暗くなったのは初めてだし、何か心配だなぁ……。
とりあえず、私は書いたメールを少し直して、送信した。
ピッ
『沙夜ー♪? おきてる??? なんか今日あんま元気なかったケド? なにか心配あったら、私にナンデモ相談してね♪♪♪ 無料♪♪♪』
返事は、2分ぐらい経って、帰ってきた。
ピッ
『琴美ー??? 心配かけてゴメン……でも大丈夫だから♪ また明日ねー』
「沙夜……昼と同じこと言ってる……」
私は、昼間と同じことを、聞いたのかもしれない。
しかし、昼間と同じく、私は沙夜の気持ちを理解できてない。
ふと、私はKYだったんじゃないかと、そう思ってしまった。