1-10:ボクの過去
それに、一番最初に気付いたのは私だった。
「あっ、楓くん!」
「えっ? あ、ホントだ。久し振りー」
「遅せェーよ、バカ!」
教室に入ってきた楓くんに、私たちは声を掛ける。それに対して、楓くんはうっすらと、疲れたような微笑を浮かべて、片手を振った。
雪くんが、近づいて、肩にパンチした。
「なぁにビビってんだよチキン。あれぐらいで凹み過ぎだろーがよっ」
「……悪かったな、雪人」
雪くんは、返事に満足したのか、笑って、またパンチした。
そのまま楓くんの後ろ側に周ってしまい、楓くんの前には、私と琴美。
「あっ……」
「桜坂、お前約束破るなよな」
「え……ゴメン」
まさか話しかけられるとは思わなかった。でも、楓くんは怒ってなかったから、内心凄くほっとした。
琴美がくすくすと、不快な笑みを零しながら、楓くんに話しかけた。
「三日ぶりだねー楓くん? みんな心配してたんだよー?」
「ゴメン。迷惑掛けて」
やっぱり爽やかで不快な笑顔を見せる琴美。ムカツクなぁ〜……。
「……あのさー、」
楓くんが切り出した。
「……やっぱ、あんま聞かれたくないしさ、昼でもいい?」
「バーカ。今話せ」
……雪くん? ジョークだよね?
「冗談だって。別にいーよ。決心ついてんだろ?」
「一応、な」
「大丈夫だって。別にオレ等そう簡単には引かねーし。最近お前の変人具合を見せてもらったしなッ」
「……オレ、メチャクチャマジメに言ってんだぞ……?」
「ごめんごめんッ、来ちゃん」
私が吹き出したのと同時にチャイムが鳴ったので、バレずに済んだ。
* * *
授業中、ふと楓くんの方を見た。
「え? お前サボりじゃなかったの? マジで風邪?」
「当たり前だろ。オレ、一度もサボったことねーし」
先生の話を完ムシして(それは私もだけど)、他の友達と話していた。
よかった。ムリしてるワケじゃないみたいだから。
自分で決めた、と楓くんは言ってたけど、実際は私たちがムリヤリ決めさせたんだ。楓くんは、もしかしたら、ずーっと秘密にしておきたかったかもしれないし。
だから、私のこと嫌ってるかもなーと思ってた。楓くんが私に、さっき話しかけてくれたのは正直びっくりした。でも嬉しかった。
(なーんか、変な気持ち……)
ほっとするのと同時に、本当にコレでいいのか、みたいな不安がちょっとある。
でも、こうしないと、やっぱり心配だしなぁ。
「――桜坂」
「はいッ」
先生の声。私の返事は、ちょっと声が上ずった。周りで何人かが苦笑してるのが見えた。横目で琴美が吹き出してるのが見えた。
「175ページ、2行目」
「あッ、はーい」
この時、間違えて立ち上がっちゃった。
小学生かって、誰かが言って、クラスが爆笑。
あ〜、思い出すのも恥かしい。
* * *
「千くーん。起きろー」
「うん……ん? あれ、変だな? 二時間目からの記憶が無いぞ?」
「何バカなこと言ってんの? 早く来てって」
「はーい」
教室を見渡せば、弁当を開くクラスメイトの姿が。
「あー……もう昼飯ですかー」
独り言は、空しく消えた。
「早くしてー」
「分かってまーす」
木ノ瀬の声が教室を横切って聞こえてくる。つーか、アイツ声でかッ。
とりあえず、オレの弁当が無いな。購買派だから当たり前だけど。
3人の方に近づいて、報告。
「オレ、今からパン買ってきていい?」
「もう楓くんが買ってきてくれたよ」
「え、マジ? サンキュー楓ぇ。奢りだよな?」
「アホか。全部で840円、今すぐ払え」
高くね? パン3個(焼きそば、メロンパン、サンドイッチ)でその値段は、高いだろ? 高過ぎだろ?
「なぁ楓。ちょっと高くねェか?」
「手間賃200円を計算に入れとけよ?」
そうきたか、コイツ。引き篭もってたクセに全ッ然変わってねェな。
* * *
結局、雪人はオレに200円を払わなかった。まぁ、ジョークなんだけど。
木ノ瀬が気を利かせてくれて、オレ達は屋上近くの階段でメシを食べることにした。
雪人と木ノ瀬が購買のパン、オレと桜坂は弁当。
「……」
「……」
しばらく、沈黙が続いた。多分、3人とも、オレのタイミングで話してくれるのを待ってるんだと思う。
オレは、いつでもいいと思ってたけど、実際こうなってみると、結構ためらいとか、そうゆうのがあった。
でも、話さないと終わらない。
大した理由じゃないってのもあって、タイミングがよく分からない。
「……なぁ」
「っ! けほっ、けほっ!」
「うわっゴメン」
オレが切り出すと、丁度桜坂が玉子焼きを飲み込もうとして、むせた。木ノ瀬が心配そう……というより、若干ニヤけた顔で背中をさすった。
「けほっ、けほっ……ご、ごめん、大丈夫」
「……」
桜坂が苦笑した。目の下にクマが出来ていた。
「……オレの、昔のことなんだけど……」
桜坂が、笑うのを止めた。雪人と木ノ瀬も、食べるのを止めた。
3人とも、オレの方を見た。
少し間を置いて、オレは続けた。
「……ちょっと、変な友達が居てさ」
* * *
扉の外で、冷たい風の打ち付ける音がする。
楓くんは普通に、ちょっとゆっくり目で話している。
「オレ、ソイツと会うまで、あんまし友達居なかったんだ」
今も少ねーけど。そう言って、楓くんは自嘲の笑みを浮かべた。
だけど、目だけは全然笑ってなかったから、私たちは笑い返せなかった。
「ネクラで、誰とも目ェ合せられなかったんだ。イジメとかは受けなかったけど、逆に話しかけてくる奴もゼロだったしな」
「でも、何でか、アイツだけは、話しかけてきたんだよ」
悲しげな笑み。どうでもいいような口調。でもそれは本当は、気持ちを押さえ込んだ口調。
「ソイツ、イジメられてたんだ」
「でもソイツ、別にオタクとかそーゆーのじゃ無くてさ。なんか、ソイツもあんまり周りと合せない奴だったんだ」
「結局浮いちゃってさ。それで、イジメみたいなの受けてた」
相も変わらず、私たちは一言も喋らないし、楓くんは話し続ける。
「いいヤツだったよ、アイツ」
風の打ち付ける音が、一瞬強くなって、また元に戻った。
「全然普通だった。オレにとっては。全然イジメられるようなヤツじゃなかったのに、なんで、あんなコトされてんだろうって、本気で思った」
「アイツと話してるうちに、なんか楽になった。学校行くのもイヤじゃなくなったしな。カラオケも、アイツと行ったのが最初だったし」
「それで、だんだん気持ち明るくなってきて。別の友達も何人か出来た。女子とも普通に喋れるようになった。でも、」
楓くんは、そこで言葉を切った。言いづらそうな顔で、口を開いた。
「オレ、アイツに頼ってばっかりで、全然気付いてなかったんだ」
* * *
話したくないとずっと思っていたことを、今、話している。
3人とも、笑わずに聞いてくれて、それだけでオレは安心できた。
「オレが他のヤツと仲良くなってく内に、アイツとはあんまり話さなくなった」
「他の奴等、全員、アイツと話そうとしなかった。オレがいい奴だって言っても、全然ダメでさ、逆にオレの方がなんか、騙されてたって言うか」
「結局、アイツとは話さなくなった」
また、言葉を切る。
話すのが辛い。思い出すのが辛い。
それ以上に、この話が3人に笑われるんじゃないかと思ってしまうことが、何よりも辛い。
「アイツのイジメは、ずっとヒドくなってたのに、気付いてたのに、無視してたんだ」
話の終わりが読めたかのように、雪人が顔を背けた。
木ノ瀬と桜坂は、不安な表情で、こっちを見ている。
3人とも、笑っていない。
「それで、アイツ、オレに助け求めてきたんだ。何となく分かってたけど、アイツも前のオレと同じで、友達なんて居なかったんだ」
「メールで、『一緒に帰ろうぜ』って、たったそれだけだった。他のヤツと遊びに行く約束あったから、断ったんだ」
「気付かなかった」
気付くわけ無いだろ。
あんなに、強かったアイツが。
あんなに、カッコよかったアイツが。
「オレの断り方も悪かった。『一人で帰ってくれ』って、そんなヒドいメール返したんだ。そしたらアイツ、次の日から学校来なくなってた」
桜坂が小さく息をした。あとの2人はじっと、動かない。
「次の日も、その次の日も、来なかったんだ」
声が震えてるのが分かった。
「メールしても、全部ダメだった」
今も、アドレスがケータイに残っている。
「一週間経っても、全然来なくて、」
雪人がこっちに顔を戻した。
「一ヶ月ぐらいで、やっと来たと思ったら、ソイツ、」
あの日と同じ、屋上に打ち付ける風。
「教室に行かずに、屋上に行ったんだ。そして、鉄の柵越えて、オレ、謝ろうと思って追いかけて、追いついたら、そいつ、何にも言わなくて、こっち見もしなくて、それで、」
* * *
「……」
「……」
結局あのあと、楓くんは早退した。
ムリに思い出させること無かったのに。私のバカ。
「……」
琴美も、さっきからずっと黙りこくっている。
すっかり雪の溶けた道を歩いて、風の音もしない空の真下で。
私たちは、ゆっくりと、暗い気持ちで歩いている。
「……楓くん、泣いてたね……」
「……うん……」
琴美に言われると、それが頭の中で再生される。
その、楓くんの友達が『どうなったのか』を話し終えた後、楓くんは、私たちから目を背けて、反対側を向いた。
あとで見ると、ちょっとだけ、濡れてた。
「やっぱ、聞かなかったほうが、よかったかな……?」
「……」
琴美が聞いて、私は黙った。
「ねぇ、沙夜……?」
「……なに?」
「……なんでもない」
「うん……」
何だか、フクザツな心境だ。
楓くんに聞いた。話して、泣いた。私たちは楓くんの理由も知った。
――オレ、当たり前だけど、まだアイツに謝ってないんだ。
楓くんは、自分が悪いって、ずっと思ってる。
屋上に居たのも、気がついたらそこに居たらしい。
それが、彼を探しているのか。彼を思っているのか。彼を追おうとしているのか。
楓くんにも、私にも、わかんない。
「……」
屋上に行って、ただ、彼のことを考えてたんだって、楓くん言ってた。私は、もう疑えなかった。悲しそうな顔、声、目。
それを見ても、私は何にも言えなかった。楓くんが早退したって聞いて、私は自己嫌悪したけど、やっぱり何も出来なかった。
他の人のトラウマ聞き出して、しかもフォローできない。
最低だけど、なら、どうしたらよかったの?
もう、私はどうしたらいいのか、わかんなくなってしまった。
* * *
「……決めた」
「沙夜?」
突然呟いた言葉に、琴美が首をかしげた。
「私、明日、楓くんに謝る」
「……急、だね」
「うん。今決めたから」
琴美は、『やれやれ』みたいなポーズをした。
「沙夜。空気読んでる?」
「え?」
「なんか、沙夜の言い方だったら、かなり重いことみたいに言ってるみたいに聞こえるんだけど」
「……実際、重い話じゃん」
まったく、というように嘆息してきた琴美。
「トラウマの話だよ? できれば触れて欲しくない話題だよ? 謝って、思い出させるぐらいなら、もう話さないほうがいいよ」
「……」
すぐには反論できなかった。
琴美の方が、正しいのかも、しれない。
でも、私は、もうちょっと話したい。
ただのエゴだけど。
「……沙夜?」
「うん……琴美の言うとおりなんだけどさ。やっぱり、明日謝るよ」
「……」
琴美は呆れたように、言った。
「……K、Y」
「……知ってる」
私が微笑むと、つられて琴美も苦笑した。