第九話 13歳 彼女の決意
昼食の後の休憩時間、俺は一人練兵場にいた。王宮内の練兵場は、見習いも含め、騎士や兵士が24時間鍛錬に使うことを許されている。普段は必ず数人が利用しているのに、この日は珍しく俺以外に利用者がいなかった。恐らく、複数の部隊で恒例の大規模軍事演習をしているんだろうな。
俺は筋力トレーニングをしたり、一人で素振りをして汗を流していた。まぁ、地味な作業だけど、こういった日々の積み重ねがいつか身を結ぶと信じてる。実際力の強さだけなら、同年齢のやつには負けない自信もついてきたし。小一時間もそうやって過ごしていたところ、新たな利用者が現れた。ルーシアだった。
珍しいな、ルーシアが自主鍛錬なんて。
「ルーシア、どうしたんだよ一人で。お前も、トレーニングするのか?」
「……ええ、ちょっとね。エリックも一人なの?」
「ああ、今日は誰もいないみたいだ」
俺はそう短く答えると、彼女と二人きりなのを意識しないようにまた無心で素振りを始めた。ルーシアも剣の型を確認しているのか、一人で疑似戦闘訓練を始めたみたいだ。
お互いに邪魔をしないように、特に言葉は交わさない。
しばらくして、ひとしきり日課を終えた俺は鍛錬を終え、脇の水飲み場に行き水分補給をする。冷たい水が気持ちいい。それにしても、汗をかいたシャツが纏わりついて気持ち悪いなぁ、俺は特になんも考えず、シャツを脱ぎ給水場の蛇口をひねり頭から水を被った。とたん、「きゃー!!」という悲鳴が聞こえた。な、なんだ?!
俺が驚いて、声のした方を見ると顔を真っ赤にしたルーシアが俺から目を背けるように首を横に向けていた。
「き、急に脱いだりしないでよ!!びっくりするでしょ!!」
「……え?……ご、ごめん。汗で気持ち悪かったから、つい……」
「早く服着て!!」
「わ、わかった!」
ルーシアに怒鳴られて、俺は訳も分からずまた汗臭いシャツを着る。何なんだよ……、もう。ルーシアだって救護訓練も受けてるんだから、男の裸なんて見慣れているだろうに。
腑に落ちない気持ちで俺が首をかしげていると、ルーシアも給水場の方に歩いて来た。
「……エリック、体がおっきくなって来たね」
「……そう?まだ背はそんなでもないと思うけど、ほら、お前とあんまり変わらないだろ?」
実際、俺とルーシアの背丈はまだ頭半分も違わない。
「私は背が高い方だから……。腕とか、肩とか逞しくなってきたなぁって思う。……それに、最近声出しにくそうね」
「ああ……確かに、最近ちょっと声が低くなって来たような。声変わりってやつかな?」
「エリックはどんどん変わって行くね……、考え方も、大人びて来たっていうか。落ち着いているっていうか」
「……そんなこと、ない、と思うけど」
否定しつつ、ルーシアの口からそんな風に俺への評価が出て来たことに俺は嬉しさを隠せなかった。俺からすれば、最近のルーシアの成長ぶりの方が眩しいくらいなのに、人の評価と自己評価は違うということなんだろうか?そんなことを考えつつ、俺は少し体を休めるようにモルタルの壁に背をもたれさせて、地面に座り込んだ。すると、ルーシアも遠慮がちに俺の横に腰を下ろした。
「……私ね、エリックがどんどん遠くに行っちゃうようで、怖かったの」
「……え?」
思いもよらないルーシアの言葉に、俺は思わず彼女の横顔を見つめた。ルーシアは目線を地面に落としたまま続けた。
「……ウェスティンで狼に襲われた日に、エリックに怒られて、すごく自分が恥ずかしくなったの。エリックはもうとっくに自分の責任を理解してたのに、私は中途半端な気持ちで大事な役目を引き受けてたんだって気付いて……。私達同じように育って来たのに、いつの間にか立っている場所が全然違ったんだなって」
「そんなこと……大げさだよ。俺も、あの時は言い過ぎたって、反省してる」
「エリックは間違ってない……、あの時エリックが叱ってくれなかったら、私いつまでも甘えたままだったから」
「ルーシア……」
「ねぇ、エリック……」
ルーシアは何かを言いかけて、ためらうように言葉を切った。琥珀の瞳が恐る恐る、という様子で俺に向けられる。
「私のこと……嫌いにならないでね」
少し泣きそうな声で言われた言葉に、俺は驚いて目を見開いた。俺がルーシアを嫌いになるなんてこと、あるはずもないのに。
「なるわけないだろ……!お前は大事な幼馴染で……婚約者だろ」
「……同士が決めた、ね……」
俺の言葉に彼女は何故か泣きそうな、今にも壊れてしまいそうな笑顔を浮かべた。その唇が何かを呟いたのに、あまりにもか細い声で俺には聞き取れなかった。俺が「え?」と聞き返すとルーシアは頭を振り、それを制した。その代わり、何か強い意思を秘めたような瞳で、俺を真っ直ぐに見つめて来た。
「……エリック。私、もう迷わないね。これからは、ちゃんと近衛騎士の一人として、姫様を守り通すって誓う」
「ルー、シア……」
彼女の真摯な瞳に、俺の心臓はぎゅうっと掴まれたように縮こまった。まるで、最初に国王陛下に騎士になることを依頼されて、ルーシアが返答をした時のように。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
「分かった……俺は……お前の選択を応援する、よ」
俺はからからに乾いた舌で、やっと言葉を紡いだ。鉛でも入れ込まれたように、胸が重くなる。でも、それを表に出さないように無理して笑った。だって、どうして俺に反対出来る?ルーシアが、自分の意志で決めたのなら、それは婚約者であっても口を出していいはずない。それに、きちんと自分の使命を受け止めたルーシアを、誇らしくも思う気持ちだって混在していた。
思えば、彼女を騎士にしたくないというのは、俺の勝手な都合であり、エゴだ。彼女を箱の中に閉じ込めて、誰にも見せたくないなんてとんだ思い上がり野郎だろう。彼女には彼女の考えがあって、彼女を大切に思うなら、俺はそれを尊重するべきなんだ。……たぶん、それが正しいんだ。
ぴちゃん、と蛇口から一滴零れ落ちた水滴の音がやけに耳に大きく響いた。