第七話 13歳 ウェスティン離宮にて
俺たち二人が、エメセシル様付き近衛騎士隊の見習い騎士に抜擢されて初めての夏、国王一家の休暇のため西の保養地ウェスティンに訪れている一行の中に俺達も同行させて頂いていた。
ウェスティン離宮は、煉瓦造りの小規模の洋城で、広大な緑地と小さな森に囲まれている、景勝地だ。
国王陛下や王太子殿下、その他同行の貴族らは狐狩りや乗馬を楽しんでおられるが、まだ11歳のエメセシル様にはそんな大人の娯楽は楽しめない。そんな訳で、大人達が離宮を留守にしている間、居残りとなったエメセシル様が午後の時間に離宮の庭園で遊ぶのがここ最近のパターンになっていた。今日も例によってエメセシル様を警護する近衛騎士隊達と一緒にいたんだけど、例によって王女様の大のお気に入りになったルーシアは、任務中にも関わらずエメセシル様にねだられるまま一緒に遊んであげている。
……まぁ、微笑ましい光景だ。貴族のお嬢様が二人、庭園できゃっきゃっと走り回っているだけなんだし。
二人はさっきから、庭園に植えられている花の香りを嗅いだり、チョークで石畳に絵を描いたり、ボール遊びをしたりしている。その無邪気に楽しむ様子を、俺は他の先輩騎士達と一緒に見守っていた。
皆その平和な光景に相好を崩しつつ、滞在を始めて数日が過ぎたための気の緩みか、騎士同士でチェスに興じたり本を読んだり寛いでいる。
「……二人とも可愛いよなぁ、ほんとの姉妹みたいだ」
近衛騎士の一人ケントがしみじみと呟いた。彼は俺よりも3歳上の16歳の赤毛の騎士で、たしか去年正騎士に昇格したばかりだと聞いた。どうものんびりした性格みたいで、実家の父や兄達を彷彿とさせるそのキャラクターから俺は親しみを抱いている。
「ルーシア、任務中なのに完全に仕事だって忘れてますよね……」
俺が少し呆れた口調で返事をすると、ケントはまぁまぁと片目を瞑って見せた。
「そう言うなよ、まだルーシアだって13歳になったばかりだろ、実家を離れて慣れない生活をしているんだ、たまには子供らしく遊んだらいいさ」
「俺も13歳ですけど」
「ああ、お前達って同い年だったよなぁ、いつもお前が真面目くさって大人ぶってるから忘れてたよ」
そう言うと、ケントはまるで子供扱いするように俺の頭をくしゃくしゃに撫でまわした。まだ成長期に入っていない俺の背は小さくて、のっぽのケントの胸くらいしか到達していない。「やめて下さい!」ともがきながら、手を払いのけるとケントはニコニコ笑っている。
「はは、まぁそう急いで大人になろうとするなよ。ほら、お前も洋ナシのパイ好きだろ?たしかシェフが今日のティータイムに焼いてくれるって、侍女が言ってたぞ。そろそろ時間だし、ちょっくら厨房に見に行こう。切れ端の一つくらい貰えるかもしれないぞ」
急に制服の襟根っこを掴まれ、ケントに離宮内に引っ張られそうになる。俺は手足をバタバタさせながら抵抗する。
「ちょっと、姫様達から離れたらまずいですよ!」
「大丈夫大丈夫、他の騎士達も見てるし、姫にはルーシアが付いてるしな。天才美少女剣士ってか、はは」
……結局、年上の騎士の力には敵わず俺は足を地面に引きずられながら、厨房まで連行された。くそぅ、早く大人になりたい。
―――厨房で焼き立ての洋ナシパイを一足先に堪能した俺とケントが庭園に戻った時、何やら他の騎士達が慌てたように庭園内を走り回っていた。
「おい、どうしたんだ?」
ケントが同僚の騎士に呼びかけると、真剣な表情で振り返ったその騎士は驚くべきことを口にした。
「まずいことになった…俺達が目を離した隙に、エメセシル様とルーシアがどっかいっちまったんだ」
「なんだって?!」
「!!」
片手で頭を押さえ、弱ったようにその騎士は続けた。
「ほんの一瞬だったんだが…二人とも体がまだ小さいからな、植木とかに隠れてるんだろうと手分けして探しているんだが、なかなか見つからなくてな。…まぁ、敷地内から出てはないと思うが……」
「マジかよ、敷地内っつってもまぁまぁ広さはあるぞ……って、おいっ?!エリック、待て!勝手に行くな!!」
俺は二人の会話が終わる前に、既に駆け出していた。焦ったケントの呼び止める声が聞こえたが、構ってなんていられない、二人を探しに行かなくちゃ!
実を言うと、俺には心当たりがあった。昨日同じように遊んでいた二人が、庭園の裏から繋がる森のことを話していたからだ。エメセシル様が去年来た時に、秘密の入り口を見つけたんだとルーシアとこそこそ話をしていた。その入り口はたしか、バラ園の向こう、季節違いの花木が植えられている区域だ。
大急ぎでその区域に足を踏み入れると、今はあまり手入れの行き届いてなくてやや鬱蒼としている、植え込みのツタが生い茂っている先に古ぼけた木製の扉を見つけた。その扉はやや外側に開いている。方向的にも、森に続いていそうだ。
ためらうことなくその扉を抜けると、思った通り、あまり舗装されていない小径が森まで続いていた。
「姫様ー!ルーシアー!」
大声で呼び掛けながら森に入ると、「エリック―?」と声が帰って来た。ルーシアの声だ。
一目散に返事の来た方へ突き進む、少し奥に入ったところに手を繋いで森の中を歩いている二人の姿を認めた。俺はさらに速度を上げて二人に追いつく。
「エリック!よくここが分かったのね」
ルーシアは俺が息を切らして駆け寄って来る様子を見て、特に慌てた風でもなく小首をかしげた。姫様も目をパチパチと瞬いて、至っていつも通りだ。
「二人共、駄目ですよ!勝手に庭園から離れて敷地から出たりしたら!皆二人を探しているんですよ!」
俺が少し強い口調で言うと、二人とも悪びれもせず無邪気に笑った。
「大丈夫よ、奥まで行かないわ。姫様が、少し行った先に綺麗な泉があるって仰るから、ちょっと見に行くだけよ。見たらすぐに帰りますよね?」
「そうよ、もうすぐ近くだから。本当に水が水晶みたいに透明でキラキラしていて、奇麗なのよ。ルーシアに見せたいの、ね、いいでしょう?」
そう言ってまた二人でずんずん歩いて行く。俺は慌てて二人を追う。
「駄目だったら、子供だけで森の中に入るなんて危ないって!!」
「いたぁっ!」
グイっとルーシアの手を引っ張って引き止める。ルーシアと手を繋いでいた姫様の体も引っ張られ、バランスを崩した彼女は尻もちをつく。
「ちょっと、エリック乱暴よ!姫様、大丈夫ですか?」
「あ、す、すみません姫様」
姫様を助け起こすルーシアに一睨みされる。さすがにエメセシル様まで転ばせてしまって俺も少しやり過ぎたかな、と思わず謝る。
ぷりぷり怒る仕草を見せたルーシアは、「姫様行きましょ!」とエメセシル様の手を引いてまた奥へと歩き出す。ご丁寧に俺にべーっと舌まで出して。くそぅ、正しい主張をしているのは俺だよな?!
―――と、その時だった。
俺の正面、二人の背後にある茂みの奥から、ガサガサと草木が擦れ合う音がした。その音に伴って、鬱蒼と生えている背丈の高い草が大きく揺れた。何かいる?!
茂みを大きくかき分けながら現れたのは、俺らの背丈と同じくらいの大きさの狼だった。グルルルル……と、喉を鳴らしながらこちらの様子を窺うように、ゆっくりと這い出てくる。
「「きゃーっ!」」
少女二人が飛び上がりながら一斉に悲鳴を上げた。狼は二人に向かって唸りながらそろそろと近づいて来る。
「やだぁ!来ないで!」
恐怖に竦んだルーシアが後ずさる、と同時に後ろのエメセシル様にぶつかりバランスを崩して二人して地面に転んでしまう。やばい、狼がその様子を見て、一気に茂みから飛び出して来た!
「やめろっ!」
俺は思わず、近くにあった石を狼目掛けて投げた。ひるんだらしい狼は、石をよけようと横に飛んでまた様子を窺うしぐさを見せた。
ルーシアも、姫様もガタガタ震えて身動きが取れないみたいだ。
「ルーシアっ剣を抜くんだ!」
俺は自分も剣を抜いて、二人の元に駆け出した。すっかり腰を抜かしているルーシアに俺の呼びかけは届いていないようだ。
狼は、二人を交互に見比べてより体の小さいエメセシル様の方に視線を定めた。その細長い口から、ハッハッと舌を出して荒い呼吸をして、端には鋭い牙がぬらりと覗かせている。
パキッ、と踏み折られた小枝の音に、少女二人はビクッとして思わず悲鳴を上げながら体を縮こまらせてしまう。それが狼に隙を見せてしまったようだ。
「駄目だっ!!」
エメセシル様目掛けて飛び込んで来た狼に、間一髪間に合い間に割り込んだ俺は無我夢中で剣を払った。
一瞬早く俺の存在に感づいた狼は飛び退り、咆哮を上げ俺達を威嚇した。
「エリック!!」
悲鳴を上げたルーシアに、俺は一喝した。
「馬鹿ッ!姫様を守るんだ、剣を抜けっルーシア!!」
狼に斬りかかりながら俺は叫んだ。野生の狼はすばしっこく、戦闘慣れしてない俺じゃ全然攻撃を当てられない。
俺に叱咤されて覚束ない手元で剣を抜こうと試みるルーシアだけども、手が震えて剣を鞘から抜くことが出来ない。これじゃ戦力になりはしない。
俺を素早い動きで翻弄しながらも、狼はちらちら姫様の様子を窺っている。やっぱり狙いは姫様のようだ!
俺の攻撃を躱した隙に、狼は姫様に飛び掛かる。俺はとっさにその尾を思いっきり引っ張った。尾を引っ張られ動きを封じられた狼は、体をくねらせ俺に食いついて来た!
「うわぁっ!」
「エリック!」
狼の巨体に体当たりされ、俺はもんどりうって倒れ込んでしまう。何とか剣で牙を押さえることが出来たけど、力が強くて姿勢を長く保っていられそうにない。獰猛な鳴き声が鋭い牙の隙間から漏れ出て、狼の唾液が俺に滴り落ちる。前足が俺の上体を押さえつけ、爪が肩に深く食い込んで来る。くそっ、もう駄か?!
再び俺に噛みつこうと、狼が牙を剥いた時―――。
「エリック!伏せろ!!」
声がしたと同時に、飛んで来た剣が狼の胴体横に突き刺さった。どう、と狼が勢いよく横に倒れたおかげで体にかかっていた圧力から解放される。
「今のうちに止めを刺せ!!」
その言葉に突き動かされた俺は、無我夢中で倒れている狼の首元に自分の剣を突き立てた!
大きく体を跳ねさせた狼は、ピクピクと痙攣して、それから動かなくなった。
「エリック!……大丈夫か?!」
加勢に来てくれた、ケントが俺に駆け寄って手を貸してくれた。見ると、いつの間にか駆け付けてくれた先輩騎士達が、王女様を抱かかえて保護していた。ルーシアはその横でまだ座り込んだままだ。
近衛騎士達の登場に安心した二人は、大声で泣きじゃくっていた。
「よく頑張ったな……もう大丈夫だぞエリック」
ケントに背中を叩かれ、俺はやっと助かったんだと、実感する。初めての実戦に、今更足ががくがく震えて来た。
「エリック……怖かった、エリックが死んじゃうかと思った」
ようやく立ち上がれたらしいルーシアが泣きながら、俺に覚束ない足取りで近づいて来た。だけど俺は―――厳しい視線を投げかけ、俺へと伸ばされたその手を振り払った。
ルーシアが小さく悲鳴を上げ、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。大きく瞬きをした瞳から一瞬涙が引っ込む。
「……なんで剣を抜かなかったんだ、お前は騎士で、姫様を守る立場だろ!!」
「……っ!」
きつい口調で詰問した俺に、ルーシアが鋭く息を呑んだ。
「そもそも、お前が勝手に姫様と庭園を離れたりしなければ、こんなことにはならなかったんだ。お前は騎士として、姫様を止めなきゃいけなかったのに、逆に一緒になって危険に飛び込んだんだ!」
「エリック、違うの、私がわがままを言ったから!!ルーシアを責めないで!!!」
俺の剣幕に驚いて、エメセシル様が泣きながらルーシアを庇う。俺はそんな姫様にも一喝する。
「姫様は黙っていて下さい!!俺の言ってること、分かるかルーシア!?」
「……っ……ご、ごめんなさい……!」
ルーシアは瞳いっぱいに涙を溜めて、俺に謝る。でも、俺の気持ちはこれくらいじゃ収まらなかった。駆け付けてくれた先輩騎士達も俺の様子に困惑して、俺とルーシアを交互に眺める。
「遊びでやってるんじゃないだろ、姫様を守る覚悟が出来ないなら、騎士なんて辞めちまえ!!」
「……!!」
「エ、エリック……。も、もうその辺でいいだろ、ルーシアだって反省しているさ。俺達も、姫様から目を離したのが悪かったんだし……」
先輩騎士の宥める声に、俺はようやく押し黙って唇を噛みしめる。ルーシアは、ひどく興奮した様子で小刻みに震えながら、口を一文字に引き結び零れ落ちる涙を何度も乱暴に拭っていた。でも俺は泣いている彼女に甘えることは許さなかった。
―――白状すると、ルーシアを叱り飛ばした時、純粋に怒っている気持ちだけじゃなく、本当は個人的な願望が含まれていたことは、否定出来ない。
怖い思いをしたルーシアが、俺にも滅茶苦茶に怒られて気持が折れて、騎士の道を諦めてくれたらいいと、そんな想いが入ってなかったとは言わない。……だって、いつまたこんな危険に巻き込まれるか分からない。今回はアクシデントだったかもしれない、でも王族の警護をするということは、常に危険と隣り合わせだ。いくら天性の剣の才能を持っていても、戦う覚悟が無ければいつ命を落とすかも知れない。
ルーシアに二度と危険な目に遭って欲しくない。
ルーシアに騎士としての覚悟を説きながら、本音では彼女が怖気づいて役目を辞退してくれることを願っていた。狡いとは分かってる。でも、君には守る立場じゃなく、守られる立場でいて欲しいんだ。
―――だけども、俺の気持ちはルーシアには届かなかった。彼女は騎士を辞めなかった。その代わりに、その日を境に俺に甘えることも涙を見せることもなくなった。