第六話 12歳 王女との出会い
王宮のだだっ広い廊下の赤絨毯の上を歩きながら、僕は重苦しい気持ちに満たされていた。何人もの先導の騎士に連れられて、まだ子供の僕らが物々しい行進をしている様子に、王宮内で働いている侍女や、使用人達が遠巻きに何事かと見ている。
「ねぇ、エリック、大変なことになっちゃったね」
「ねぇ、エリック、王宮って広いね」
「ねぇ、エリック、王女様ってどんな方かな?」
「ねぇ、エリックたら!」
ルーシアが僕に何やらこそこそ話しかけてきているのは分かっていたんだけど、正直これからのことに頭がいっぱいの僕はそれを右から左に聞き流してしまう。ついには機嫌を損ねたルーシアは僕に話しかけることを諦め、ツン、とした表情で今度は逆に僕に全く話しかけなくなった。
それでも、いよいよ王女殿下との初対面が近付くと僕らは二人とも緊張して、ルーシアは僕の腕にしがみついた。
「王女殿下、エリック・カーシウス、ルーシア・ヴィクセン両名をお連れしました」
「入ってもらってちょうだい」
先導の騎士が問いかけると、王女の私室の閉ざされた扉の奥から、幼い高い声が帰って来た。
ほどなく扉が開かれると、そこには太陽の光がたっぷり取り入れられた明るい雰囲気の部屋が広がっていた。続き部屋になっていて、寝室は奥にあるんだろう。扉からすぐ入ったところは、簡単な応接間のようにもなっていて、いかにも女の子が好みそうな明るい色の花柄のカバーが掛けられたソファとテーブルがあった。
そのソファにちょこんと姿勢よく腰をかけている少女を見て、僕は固まった。
物語の妖精がそこにいるのかと思った。
黄金の巻き髪、エメラルドグリーンのつぶらな瞳、透き通るような白い肌に薔薇色の頬、形の良い唇はほのかに紅い。この世のものとは思えないくらい可憐な美しさを持つ少女は僕らを見ると、ふふっと花がほころぶように微笑んだ。
ルーシアの存在も忘れて、僕はしばらくぽけっと見惚れてしまった。僕だけじゃなく、ルーシアも目を丸くして立ちっぱなしになっていた。
「ルーシアね?」
睫毛に縁どられた大きな瞳をぱちくりとさせて、その少女は小首をかしげた。細いあごにあてた指先まで、まるで陶磁器のようになめらかできれいな形だった。
「は、はい…ヴィクセン伯爵テオドールが娘、ルーシアと申します」
王女に話しかけられて、ようやく少し我に返ったルーシアが淑女の礼をする。だけど、ルーシアが姿勢を戻す前に、ソファから立ち上がった王女殿下が一目散にルーシアに駆け寄り、抱きついた。
「嬉しい!とっても会いたかったのよ!!これから私のお友達になって下さるんでしょう?!昼も夜も一緒にいられる友達なんて、夢のようだわ!!」
「……きゃっ?!?!お、王女殿下?!?!」
「ねぇねぇ、いつから王宮に見えられるの?これからは王宮内の宿舎に移られるんでしょう?ああでもたしか、女の子用の部屋はないはずよ、この部屋から近い場所にあなた用の私室を用意させるわね。私ずっとお姉様みたいな存在が欲しかったのよ、ルーシアはお人形遊びはお好き?これからいっぱい遊びましょうね!!」
「え、は、いや、あの!」
いきなり抱きつかれて、仰天して悲鳴を上げるルーシア。王女はルーシアが訳わからずにオロオロしているのにも構わず、矢継ぎ早に言葉を続ける。その言動に僕もあっけにとられる。…あの国王にしてこの王女あり、やることがよく似ていると思った。
ルーシアにぎゅうっとしがみつき、背伸びをしながらルーシアの頬にすりすりと自分の頬を寄せる王女殿下を見て、僕は何とも言えない複雑な気持ちになった。
「王女殿下!僕はカーシウス伯爵三男、エリックと申します!」
ルーシアから王女を遮るように間に入りつつ、僕は名乗りを上げた。僕によってルーシアから引っぺがされた王女は、あなたいたの?というような表情で僕を見て来る。最初からいたんだけどね!
僕はルーシアを隠すように、王女の正面に立つ。
「……これはお初お目にかかりますわ、エリック様。あなたも私の騎士になって下さるんですってね、どうもありがとう」
気を取り直した王女は僕にきちんと淑女の礼をしてくれる。……言葉の語尾が素っ気ないのは気のせいかな。
「いえ、王女殿下の近衛騎士隊の末席に加えて頂けて光栄の至りです。これからは、僕ら王女殿下に全身全霊でお仕え致します」
ルーシアとの扱いの落差に少しイラッとしていた僕は、少し大人ぶって大げさにかしこまった。しまいには、まだ正式な騎士でもないのに片膝をついて王女殿下の手の甲にキスまでした。…本音では、もうこうなりゃやけくそだ!、って気持ちだったけど。
その僕の様子を後ろで見ていたルーシアが、ひどく不安そうな顔をして見ているのに気づく余裕は、その時の僕にはなかった。だって僕もこれから180度変わるだろう生活に頭がいっぱいだったんだ。
だから、僕のやけっぱちなこの言動が後々長くルーシアを苦しめることになるなんて、思いもしなかったんだ。
―――王女の私室を退室した後、帰りのヴィクセン伯爵の馬車の中でも、僕らはほとんど会話をしなかった。ルーシアは俯いたまま黙りこくっていたし、僕は窓の外の少しずつ茜から藍色に変わって行く夕暮れの景色を睨み付けていた。
その時に僕の胸を占めていた思いは、早く、誰よりも早く大人にならなくちゃ、というものだった。無邪気で呑気でいられた子供のままじゃもういられないと思った。
騎士見習いとして、王宮勤めをするということは、ルーシアはもう普通の貴族のお嬢様には戻れない。今まではちょっとくらいお転婆をして、木刀を振り回して怪我をする可能性はあっても、本当の意味で彼女自身が危険な目に遭う可能性はほとんどないと言って良かった。どれだけ彼女が剣の腕を上達させても、彼女が実戦でそれを使うことはない。あくまでも彼女は守られるべき深窓の伯爵令嬢で、彼女がどこに行こうとも、ノインのようなヴィクセン家の護衛騎士が常に彼女の警護をしていたのだ。
でも、これからは、彼女自身がエメセシル王女を守る立場になる。―――場合によっては、命を懸けてでも。
僕自身、騎士の家系の三男に生まれて、いつか騎士として王宮に上がると思っていた。近衛騎士という立場に憧れてもいた。でも、それは僕は男だから、危険なことがあっても構わないと思っていた。
でも、ルーシアのことなら全然話が別だ。彼女も近衛騎士見習いに選ばれて、僕は全然喜べなかった。―――だって、彼女こそが僕の本当に守るべき、ただ一人のお姫様なんだから。
―――誰よりも、強くならなくちゃ、と僕は強く強く誓った。王女様をルーシアが守るなら、その彼女ごと守れるように。
そう、僕の―――俺の、子供時代はこうして終わりを告げたんだ。