第五話 12歳 国王陛下の申し出
「……父上、今、なんて言ったんですか?!?!」
朝食でダイニングに家族全員が揃っている時に聞かされた父の言葉に、僕は素っ頓狂な声を上げた。
上の兄二人が、クロワッサンを頬張りながら食卓テーブルに手をついて立ち上がった僕を、目を丸くして見ている。年の近い僕ら3人兄弟は本当に見た目が父そっくりで、皆薄い金茶色の柔らかな髪に、青みがかった灰色の瞳をしている。まだ涎掛けが離せない妹のフィアンナだけが、母上似だ。
「だから喜べ、エリックお前がエメセシル王女殿下の近衛騎士隊の見習いとして、来月から王宮に上がれるようになったんだ。これはすごいぞ、なんとテオドール閣下がお前を推薦して下さったんだ」
「その前です!父上、たしか、今ルーシアも近衛騎士見習いに決まったと言いませんでした?!」
呑気に息子の抜擢を喜ぶ父の態度に、いらいらしながら僕は怒鳴った。フィアンナがその僕の剣幕に泣き始めてしまう。
「そうだぞ、だからどうした?……すごいなぁ、二人して名誉なことだ!」
「ルーシアは女の子です!!」
父は僕の怒鳴り声に顔をしかめ耳を押さえつつ、何を当たり前なことをといった表情をした。
「そうだな、さすがテオドール閣下のご令嬢だ。剣術の才能も随一じゃないか」
「女騎士なんて聞いたことありません!!なんでルーシアが!!いくら剣の腕が立つって言っても、彼女にとってはあくまで習い事の一環で……」
「その習い事感覚の令嬢に負けっぱなしなのは、どこのどいつだったっけー?」
「そうだそうだ、100連敗更新したらしいじゃないか!」
「ルーシア嬢にも、エリックと手合わせしても面白くないって言われているんだろ?」
「えー、だせー!」
「兄上達は黙っていて下さい!!」
面白そうに僕を茶化す兄達を黙らせ、僕はなおも父上に食って掛かる。
「今回の事は、国王陛下たってのご指名なのだ。ルーシア嬢の剣の腕前を耳にされた陛下が、愛娘の王女エメセシル様の護衛に同性の騎士がいると良いと仰せられてな。ほら、男の騎士だと、さすがに寝室や湯殿までは警護出来ないだろう」
「今までの女性王族だって同じでしょう!っていうか、そもそもルーシアの剣術のこと、国王陛下やユリウス殿下に広めたの父上じゃないですか!何てことしてくれたんですか!!!」
「いやぁ、だって息子が婚約者と仲睦まじく精進し合っているって自慢したいじゃないか」
「いっぺん死んで下さい!!」
「お前、父親になんてことを!」
大げさに嘆いて見せる馬鹿父は置いといて、僕は朝食もそこそこに食卓を離れた。父は騎士の心得を教え始めた当初こそ厳しく僕を躾けていたけれども、僕の剣の腕が上がるにつれて本来の少しお調子者の、家族に甘い父親に逆戻りしてしまった。そもそも父は騎士としての実力より、人柄で出世したような人だからな……。
「エリック!どこに行く!お前今日は、歴史の先生が来るだろう!!」
「勉強なんてしてる場合じゃありません!!ヴィクセン家に行ってきます!!!」
父の制止する声を無視し、僕はむりやり馬車の用意をさせた。
―――ヴィクセン家に辿り着いて、出て来た執事にルーシアへの面会を申し入れると何故かいつも通されているルーシアの私室じゃなく、テオドール閣下の執務室に通された。そこには、テオドール閣下と、正式な訪問用ドレスに身を包んだルーシアの姿があった。
「エリック!」
僕の先触れのない突然の訪問にルーシアは目を丸くしていた。
「エリック、丁度良いところに来たな。お前も来なさい」
見ると、テオドール閣下も正式な騎士装を着ていた。
「テオドール閣下!ルーシアが近衛騎士見習いに指名されたと聞いたんですが!」
いつもなら怖いルーシアの父上に、自分から許しも得ず話しかけるなんて出来ない。でも今の僕には、そんなこといちいち気にしていられなかった。
「そうだ、今から国王陛下、王女殿下に謁見を許されている。お前も見習い候補として指名されている、黙って付いて来るのだ」
そう言うと、テオドール閣下は有無を言わさず僕とルーシアをヴィクセン家の馬車に押し込んだ。
数ヶ月前の王太子殿下のお茶会で王宮に招かれたとはいえ、入場が許されたのは会場だった中庭と一部の回廊だけだ。本当に王宮に上がるのも、ましてや国王陛下に謁見するなんてことも当然初めてだ。ヴィクセン家の従者が僕用にも、間に合わせで礼装を準備してくれ、僕はバタバタで身支度を整える。
テオドール閣下、ルーシアと乗り込んだ馬車内の空気は重く、とても普段通りにルーシアと気安く話が出来るような雰囲気じゃない。隣り合って座っていた僕らは、お互いに手を固く握っていた。
「―――テオドール・ヴィクセン、ルーシア・ヴィクセン、エリック・カーシウス!入場を許す!」
謁見の間の前で扉の守りを固めている、王国騎士が内側からの近習の号令に扉を開いた。
こんなに緊張したのは12年の人生で初めての事だった。首から背中にかけて僕は汗びっしょりで、せっかくヴィクセン家の執事が用意してくれた礼装の襟が濡れてしまったほどだ。
テオドール閣下の後をルーシアと二人で付いていくと、謁見の間の奥の玉座に国王陛下、そのすぐ横に王太子殿下が座られていた。
国王陛下は王太子殿下をそのまま大人にしてさらに威厳を足したような、若々しい見た目の方だ。まだ30代になったばかりだと聞いたことがある。
「テオドールよく来てくれたな!おお、その少女がお前の一人娘のルーシアか!会えて嬉しいぞ!」
「お招き頂き、恐悦至極に御座います。……ええ、仰せの通り我が一人娘、ルーシアと、その婚約者エリック・カーシウスで御座います」
「おお、エリック!お前も良く参ったな!」
国王陛下はわざわざ玉座から降りて、僕とルーシアの肩を抱いた。それを少し苦笑しながら、ユリウス殿下も壇上から歩み降りて来る。
「ルーシア、お前は幼い見た目によらずなかなかの剣の使い手と聞いておるぞ、さすが剣聖の娘だな!!」
「え、う、あ、いえ……!」
満面の笑みを浮かべた国王陛下に頭を撫でられ、ルーシアは目を白黒させている。あちゃー…、せっかく綺麗に結われてたルーシアの栗色の髪が台無しだ。
「父上、ルーシア嬢が困っているでしょう。離してあげて下さい」
「おお、それはすまなかった!」
ユリウス殿下の助け舟で陛下からの熱い歓迎から解放されたルーシアは、明らかにホッとした顔をして髪を手櫛で整え直している。
「ルーシアよ、既にテオドールから聞いている通りだと思うが、そなたに折り入って頼みがある!我が娘王女エメセシルの近衛騎士として仕えてはくれないだろうか!」
国王陛下の直々の申し出に、ルーシアはハッとして神妙な顔つきになる。その様子に僕は心臓がキュウッと縮こまるようだった。
ルーシアの琥珀の瞳はどう返事したものか、宙に迷う。
「ルーシア、急なことで驚かせたよね。父上は我が妹のことを、それこそ目に入れても痛くない程可愛がっているんだ。親友のような存在が彼女を常に守ってくれればいいと、前々から思ってらっしゃった。そこに妹と年の近い君が優秀な剣の使い手と聞いて、身分からも王女の側近くに仕えるのに問題ないし、ぜひ頼めないかと考えられてね。……私も先日、私の茶会に来てくれた君を見て、君は年齢の割に大人びているし甘ったれな妹にもぴったりだと思ったんだ。将来的に難しければまたその時に断わってくれたらいいし、どうか引き受けてもらえないだろうか?」
「あ、あの……」
ルーシアの瞳が僕の方に困ったように向けられる。お願いだ、断ってくれ、と僕は心の中で祈った。
「不安だろうが、ここにいる君の婚約者エリック・カーシウスも来月から見習いとして王宮に上がることはアイザックから了承貰っている」
……父上、僕の意思確認する前に勝手に決定事項にしないで下さい!……そりゃ、前から近衛騎士に憧れてるとは言ってたけど……!ルーシアが巻き込まれるのなら話は別だ、と僕は内心憤慨する。
「エリックも……」
自分の中で確認するようにルーシアが僕の名を口にする。ルーシア、冷静になって欲しい、僕は男の子で、君は女の子だ。いくら婚約者で幼馴染だからって、まさか働く場所まで一緒にする必要なんてないんだから!
「……分かりました、お話をお受けします。お力になれるか分かりませんが、精一杯頑張ってみます」
真剣な様子で、ルーシアは言葉を一つ一つ噛みしめるように返事をした。テオドール閣下のいつもの厳しい顔が、さらに眉根を寄せられて険しくなった。
―――ルーシア……僕は、彼女の返事を聞いて、絶望的な気持ちになった。生真面目なところのある彼女が今回の話を断わるのは難しいと予想していたけど、でも、よりによって国王陛下と王太子殿下の前で宣言しちゃったんだ、この答えは絶対に覆せないと、子供の僕でも分かる。
「そうか!!引き受けてくれるか!!ルーシア、誠に感謝するぞ!!であれば、すぐにエメセシルに会ってもらいたい!王女の居室への入室を許可する、おい先に誰か、王女に新任の近衛騎士見習いが二人訪問すると伝えてくれ」
喜色満面の笑みを浮かべた国王陛下は、再び僕らをぎゅぅっと両腕で抱き寄せ、嬉しそうに侍従を使いにやった。ルーシアの顔を見ると、口を一文字に引き結び、自分の選択を一生懸命受け止めているようだった。
速やかに王女エメセシル様への目通りが許された僕らは、促されるまま謁見の間を後にした。
カーシウス家の父息子達は基本的に見た目も性格もそっくりです。エリックもルーシアのことがなければ、おおらかにのびのび育つ予定でした(^^;