第三話 10歳 剣術訓練
僕達の婚約が決まった後、父からスパルタの騎士修業が始まった。本当なら10歳になるまでは父は、僕を三男らしくのびのび育てるつもりだったようだが、そうも言ってられないとたぶん上の兄二人よりよっぽど厳しく教育されたと思う。剣術に始まり、馬術訓練、地図の読み方、天候や地形に沿った兵法、およそ9歳の子供には理解出来ないような内容まで。
ルーシアとずっと傍にいたくて申し込んだ婚約なのに、そのおかげで僕達は1ヶ月に一度も遊べなくなってしまった。この前なんか3ヶ月ぶりに会えた時、僕の帰り際ルーシアはついに泣き出してしまった。使用人と一緒に癇癪をおこす彼女を宥めるのに、随分苦労したものだ。うう、僕だって君ともっと遊びたいよ。でも、これは僕達の将来のためなんだ、分かってよ。
その最後の面会からまた2ヶ月経った時、僕達が10歳になった頃急に彼女の方から僕の屋敷に訪ねて来た。
久しぶりに会える、と訓練もそこそこに切り上げてエントランスに喜び勇んで向かった僕は、目をひん剥いた。
そこに立っていた彼女は、いつもの可愛らしいワンピースじゃなくて、袖と裾がキュッとしまったシャツとパンツ姿だった。女の子用にリボンで絞られていなければ、男の子の格好をしているかと思ったくらいだ。しかも、なんかその細い手足に似つかわしくない木刀を握っている。
「ル、ル、ルーシア?久しぶり……、どうしたの、それ……?」
目を丸くした僕にルーシアはふふん、と胸を張った。
「久しぶりね、エリック。私もお父様にお願いして、剣術を始めたのよ!」
「はあ?!なんで?!?!」
正直、ちょっと意味が分からなかった。剣術を習う伯爵令嬢なんて、聞いたことがない。
「エクササイズと、護身用のためと言ったら、許して下さったわ!」
「え、ええ?!……ごめん、ちょっと意味が分からないんだけど、なんで護身用に覚える必要があるわけ?」
深窓の令嬢であるルーシアには当然どこに行くにもヴィクセン家の護衛騎士が付いて来る。ルーシア自身が身を守れる必要なんて、全くない。そもそも、女の子のルーシアに剣なんて振り回して欲しくない。
「と、とにかく今日はエリックと一緒に練習しようと思って来たのよ!」
僕からの思うような反応を得られなかったからか、少し焦った様子の彼女は無理やりな理由で開き直った。
「……ええー……やめようよ、僕、ルーシアが怪我するの嫌だよ……。そもそも、いつから始めた訳?」
「一ヶ月前よ!」
「……一ヶ月前……」
ごめん、ちょっとこの時少し、ルーシアって馬鹿だったっけ、って思ってしまった。
どうやって断ろうかなあ、と考えているとルーシアの護衛騎士のノインがまぁまぁ、と割って入った。
「エリック様、うちのお嬢様はエリック様とお会いできるのをそれはそれは楽しみにしてらしたんですよ」
それはそれは楽しみに、という箇所でちょっと頬がピクピクするのは隠せない。僕だってルーシアと会えるのは、理屈抜きに嬉しい。
「それに、ちょっとびっくりしますよ。まぁ、騙されたと思って、少しだけお嬢様に付き合ってあげて下さい」
「……そんな風に言われたら、断れないじゃないか。……ちょっとだけだよ、怪我しない程度になら……」
この時、正直僕は調子に乗ってたと思う。ほんの少し、手合わせをする振りをしてあげたら彼女は満足して、またいつものように女の子の遊びをしようと言い出すに違いない。
どっちにしても、普段の訓練の成果を彼女に見てもらえることも嬉しかった。
―――その1時間後、こてんぱんにのされて地面にのびているのは僕の方だった。
ちょっと待って!たった1ヶ月やそこらしか訓練していないルーシアが、1年近く父上に手ほどきを受けている僕より強いって、どういうこと?!?!
護衛騎士ノインに問い質すと、誇らしげに「うちのお嬢様は天才なんです」と言われた。そんなのってアリ?!?!
何でも、ヴィクセン伯爵家は昔から騎士の家系で過去に名将を何人も輩出している。とりわけ剣術に関してはアルカディア王国広しと言えども、右に出る者はいないらしい。どうりで、テオドール閣下の強さは別格な訳だ。でも女の子のルーシアまでって……遺伝子って怖い。
―――白状します、その日は僕の機嫌が滅茶苦茶悪くなって彼女にろくに構ってあげられなかった。……小さい男でごめん。
それから僕は、前より一生懸命に訓練に励むようになった。僕を落ち込ませたルーシアは、それですぐ飽きるかと思ったのに、前にも増して頻繁に僕のところに遊びに来るようになった。……剣術のけいこと称して。
―――でも正直、本当は彼女に負けっぱなしでもなんでも、僕も彼女に会えるのが嬉しかった。だって、彼女が剣術を続けてくれる限り、僕の修業の時間も彼女と会えるってことだ。それにこの頃はまだ、将来について甘く見ていたし、彼女のことについても侮っていた。
だって、多少お転婆でも、剣術の天性の才能があっても、彼女は深窓の伯爵令嬢だ。
もう少し大人になれば、彼女は剣術よりも覚えなくちゃいけないことが山積みになる。マナー、ダンス、立ち居振る舞い、会話術、歌唱、エトセトラ……。どのみち剣術は続けられなくなる。
前に彼女自身が言ったように、あと1、2年で貴族の子女は公の場以外堂々と会うことも出来なくなる。でも僕らは既に婚約者同士だ。今よりは頻度が減っても、プライベートで会うことも、節度さえ守っていれば何の問題もない。それよりも、年々綺麗になって、立派な淑女に成長する彼女のこれからの方がよっぽど楽しみだった。
―――そんな風に楽観的に、呑気に構えていた自分に、鉄槌を食らわしてやりたい。