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第二話 9歳 僕らの婚約

 彼女と会うようになって約1年経ったある時、とびきり天気の良い日があって、ルーシアのお母様がピクニックを提案してくれた。もちろん、子供の僕らには付き添いの侍従や警備役の騎士達が一緒だったけれど、初めてのデートだ、と僕は張り切っていた。


 遊びに行った高原で、僕らはまたおいかけっこをしたり、花冠作りをしたり、花畑でごろごろ寝転がったり目一杯遊びまくった。その後、ヴィクセン家のシェフが用意してくれたサンドイッチとマフィンを食べて、眠くなってしまったのはまぁ、お子様だからしょうがないだろう。


 付き添いの大人達が遠巻きに見守ってくれている中、僕らは大きな木の木陰で休んでいた。


 「ねぇ、エリック……大人になったら、あなたは騎士になるの?」


 また花冠を作っているルーシアが、器用に花を編み込みながら呟いた。もう僕の頭にはすでに2つも花冠がのっている。


 「う…うん、たぶん……。僕の父上も騎士だし、僕は三男だから家督継げないし、騎士になって国のために働くんじゃないかな?」

 「……そうなんだ。じゃあ騎士の訓練を始めたら、あんまり会えなくなるのね。……お父様もいつも忙しそうで、月に2、3回くらいしか帰っていらっしゃらないのよ」

 

 少し寂しそうに彼女は言った。僕は不思議に思った。確かに僕はいつか騎士の訓練を受け始めて、そのうち見習いとして王宮に上がるようになるけれど、まだ僕はたったの9歳になったばかりだ。実際にそうなるのはまだまだずっと先のことなのに。


 「心配いらないよ。僕達ずっと友達でいられるよ。だって父上同士が仲いいし、僕大きくなってもずっとルーシアと遊ぶから!」

 

 彼女を元気づけるように僕は大きな声で言った。僕の呑気な笑顔とは対照的に、彼女の顔はまだもやもやしているように曇っていた。


 「……でも、今より大きくなったら、私達今までのようには会えなくなるわ。私は女の子で、エリックは男の子だもの。年頃になったら、男女で遊ぶなんておかしいわ」

 「えーそうなの?……僕、よく分からないや」


 僕にはルーシアがどうしてそんなに、ずっと先のことを心配しているのか分からなかった。今僕たちは一緒にいてすごく楽しい、ずっと先の将来のことはずっと先の将来に考える、それでいいじゃないか。


 ルーシアは僕の反応に少し不満そうだった。しまいには、急に黙りこくってただひたすら花冠を作り続けた。おかげで僕の頭には5つも花冠がのっかってしまった。

 かと思うと、6つ目の花冠を作っている最中、唐突に手を止め小さな声でルーシアが呟いた。


 「…………いっそのこと、エリックが私の婚約者ならずっと一緒に遊べるのにな……」


 聞き取れるか聞き取れないかの小さな声で呟かれた言葉を、僕は最初にピンと来なかった。でもすごく心にひっかかった。それに、婚約者、という響きにすごくドキドキした。

 だって、なんか甘い響きじゃないか。秘密の言葉みたいだ。


 それ以上ルーシアは何も言わず、花冠ばかり作って疲れたのか、大きな木の幹にもたれかかって、船をこぎ始めてしまった。僕は、上着を毛布代わりに彼女にかけてあげた。


 大きな木に僕も背を預けながら、肩をルーシアに枕にされてやることもなく遠くを見ていた。


 今日は、とびきり天気が良い。


 高原を突き抜ける風は、強すぎず爽やかでほのかに草の匂いが漂って来る。鮮やかな草原の緑と、どこまでも晴れ渡る抜けるような空の青さ。きらきらと木漏れ日が反射して、地面ではゆらゆらと木陰が揺れる。ああ、なんて気持ちの良い夏の午後なんだ。


 僕は、さっきの彼女の言葉を一人で繰り返していた。


 ―――いっそのこと、エリックが私の婚約者なら―――


 かあっと僕の耳が赤くなった。やっとその意味が実感を持って僕の中に浸透して来たからだ。


 婚約者になるということは、将来結婚するということ。つまり、一生傍にいるということだ。


 そんな意味のある言葉が彼女の口から出て来たことにすごく驚きながらも、こみ上げてくる嬉しさが抑え切れない。だって、僕も同じ気持ちだと気づいたからだ。彼女とずっと、死ぬまで一緒にいられたらどんなに最高だろう。こんな風に穏やかな午後の日に、二人でお茶を飲んで、木陰で語らって、疲れたら昼寝をする。最高だ。


 ああ、今彼女が寝入ってしまっていて、良かった。この真っ赤な顔の言い訳が出来そうにないから。


 ちらりと、横で平和に眠りこける彼女を盗み見た。大丈夫、すっかり規則正しい寝息を立てて、無邪気な顔を覗かせている。もう、すごい可愛い。

 そこで、僕の中でいたずら心が湧き上がって来た。

 

 そおっと、彼女の小さな手を握ってみる。全然気づいて起きる気配はない。


 僕は、彼女をむやみに揺らさないように注意しながら恐る恐る顔を近づけた。僕の前髪が彼女の鼻先にかかっても、彼女は目を覚まさない。

 

 その無防備な、可愛らしい唇に僕はそぅっと自分の唇をくっつけた。ほんの少し触れるくらいで、時間もほんの数秒くらいだったけど、僕にとってはこの上なく甘くて、とびきり特別な瞬間だった。

 そのあと凄い悪いことをしたような気持になったのと滅茶苦茶恥ずかしくなって、誤魔化すように一人でやたら「うわー」とか「あー!」とか頭を掻いたりしたけれど。


 彼女は知らない。これは僕だけの秘密だ。僕達の、甘酸っぱいファーストキス。


 その後目を覚ました彼女は、昼寝の前に会話したことなんてもう覚えていなかったのか、また元気においかけっこをねだって来た。勝手に色々いっぱいいっぱいになっていた僕はちっとも彼女を捕まえられずに鬼になってばかりで、面白くない、と彼女に怒られた。ごめんね。


 ピクニックの次に、彼女の屋敷に遊びに行けた時、丁度テオドール閣下は休日で在宅だった。例によって僕の父上と難しい話をしていた閣下に、僕は意を決して切り出した。


 「テオドール閣下、僕とルーシアを結婚させて下さい」


 テオドール閣下の前でいくつも書類を広げて、意見を聞いていた父の顔が僕の発言に子供の僕でも分かるくらい、血の気が引いて行った。

 テオドール閣下の、普段から厳めしい皺を作る眉がさらに顰められた。


 「エ、エ、エ、エリック……な、な、何を急に言い出すんだ」


 父上が呆れるくらいオロオロと僕と閣下の顔を交互に見る。その書類大事なやつじゃないの?そんなにクシャクシャに握り締めて大丈夫かな?


 「…………すまぬな、耳が遠くて聞こえなかった。もう一度言ってくれるか」


 テオドール閣下のいつもよりさらに低い声が、いつもより凄みをまして僕に向けられた。


 でもこの時何故か僕は、まるでスーパーパワーに満ち溢れていたかのように、ちっともひるまなかった。たぶん、何より彼女が希望してくれたことが強く僕の背中を押してくれたんだと思う。


 「はい、僕がルーシアを好きなので、大きくなったらルーシアと結婚させて下さい」

 「エ、エリ、エリック!ちょっ…おまっ…ほ、本気で言っているのか?!」

 「父上、その書類大事なものじゃないんですか?破れそうですけど……」

 「うわぁ!しまった!陛下にも回さないといけない稟議書が!……って、そうじゃないだろエリック!」

 「父上、落ち着いて下さい」


 僕達親子が目の前でわぁわぁ騒ぎ立てるのを、テオドール閣下はいつもの5割増しの強張った気難しい表情で沈黙を貫いていた。その様子に、処刑される手前の罪人のように顔を青ざめた父が、むりやり僕の頭を掴み下げさせようとする。ちょっと、背中が変に曲がるからやめて下さい!


 「……貴様、本気か?」


 まだ9歳の子供相手に貴様呼ばわりはないだろうと思うけど、相手が相手なので僕は父を跳ねのけ大きく頷いた。


 「本気です」

 「……貴様に娘を守れるか?」


 守るって一体何からだろうと思いつつ、テオドール閣下の至って真面目な雰囲気に僕も神妙な顔でもう一度頷く。


 「守ります」


 なおも父が口を挟もうとして、今度はテオドール閣下にギロリと睨まれ、父は硬直してしまった。それからたっぷり15分くらい重苦しい沈黙が流れた。


 「………良かろう……。暫定ではあるが、貴様を我が娘の婚約者と認めてやろう」

 「本当ですか?!」

 「ただし!」


 喜びに沸いて声を弾ませた僕を大きく遮るように、テオドール閣下は言葉を区切った。


 「言っただろう、暫定だ。他にふさわしい人間がいれば、解消することもあり得ると思え。すなわち!」

 「は、はい……!」

 「……婚儀が終わるまでは、娘に指一本触れることは許さぬ。傷物にされては堪らんからな。…………良いな?」

 「………は、………はい……心しておきます………」


 先日の彼女との内緒のキスを思い出して、僕は背筋にやたら汗をかきながら返事をした。最後に射殺すような眼光で睨まれた。こ、怖い……!!


 とりあえず仮でということだったけど、こうして僕らの婚約は決まった。


 その日、あとから彼女の部屋に遊びに行った時に僕達の婚約が決まったと話した時、ルーシアはびっくりした顔をした。

 もしかしたら、嫌だったかな?と不安になって彼女に聞いた。


 「ううん……、ちょっとびっくりしたけど、エリックなら嬉しいわ!」


 彼女の満面の笑みを見て、安心したのと同時に、爆発しそうに嬉しかった。そうだ、僕達はれっきとした婚約者だ!


 ―――その日、帰り際の馬車の中で、それまで見た中で一番真剣な顔をした父が、明日から騎士の修業を始めるぞ、と僕に言い渡した。


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