第十八話 16歳 理想と現実の狭間
―――その1週間後、俺は再びバレン公爵に剣の手ほどきを受けていた。
父に過去の話を聞いていたせいで、少しバレン公爵の前で感傷的な態度になってしまったのは仕方がないと思う。バレン公爵ご自身は、俺の態度に少し戸惑っておられたようだけど、いつも通りに丁寧に指導して下さっている。
そして、俺にとっては何より嬉しいことに、その日初めてバレン公爵との手合わせで一本取ったのだ。
「―――エリック、随分良くなったじゃないか。だいぶ攻撃と攻撃の間の隙がなくなって来た」
「公爵のご指導の賜物です」
俺を手放しに誉めてくれた公爵に、俺はむず痒い思いをしながら礼を言った。
「いや、よく頑張っていたよ。私は君の癖を指摘しただけで、改善する努力をしたのは君自身だろう」
「いや……本当に、公爵のお陰です。有難う御座います」
俺がさらに恐縮した様子を見て、公爵は少し困ったように目を細められた。そして、少し休憩をしよう、と庭園に設置されているテーブルセットへと促された。そこには公爵付きの侍女が既に俺達のために茶と軽食を用意してくれていた。
汗だくになっている俺達は一度、練習着を脱ぎ、別のシャツに着替えた。普段は何気なくしている行動だが、その時ふいに公爵の方を見て俺はあることに気付いた。公爵の首元に、光る物があった。先週父が見せてくれたものとうり二つのネックレス―――タリスマンだ。公爵の物には紫水晶のような石がついている。
俺が公爵の首元を見つめていたことを公爵も気づいたのか、少しばつが悪そうな表情をされ、サッとシャツの襟を締めてしまわれた。
「……これか……昔馴染みに貰ったものだ」
「あ……!そ、そうでしたか!……申し訳ありません!不躾に見てしまいまして!!」
バレン公爵の返答に俺の方が気恥ずかしくなって、おたおたと声を上ずらせてしまう。
「いや、良いのだ。中年男が、アクセサリーなどを身に着けて、さぞ奇異に思ったのだろう」
「そ、そんなことはありません!!」
俺の慌てぶりに、バレン公爵は少し苦笑いでこれ以上の俺の弁解を手で制した。そして、思い出したように俺に視線を向ける。
「……そういえば、君は王女エメセシル様付きの近衛騎士だったな。彼女は普段どのように過ごされているのだ?……聞けば、割と行動力のある活発な姫とのことだが」
何か、遠い彼方を見るような目でバレン公爵は問いかける。
「ああ……、そうですね、たまに、気さくすぎることがありますが、基本的には身分に分け隔てなく接して下さる、心優しいお方です」
たまにルーシアに見せる愛着ぶりさえ除けばね……!と、俺は少しひきつりながら答えた。何にせよ、話題が他に移ったのは俺にとってありがたかった。
「そういえば、一度、国内で姫様のお婿候補探しが行われたのですが、結局国王陛下が気に入る方が見つからなかったようです。あの方のエメセシル様への溺愛ぶりは尋常じゃないですからね……!」
「……そうか」
「あ……、それとユリウス殿下の方は、エメセシル様をどこか近隣王族の方に嫁がせたいようです。外交上、他国との結びつきを強めたいようで」
「……何だと……?」
俺が何気なく口にしたことが、思いがけなくバレン公爵には引っかかったようだ。突然、真剣な表情で俺に鋭い視線を向けて来られた。
「あ、いや、ユリウス様にしてもお妹君のエメセシル様をこよなく愛しておられるので、へたな場所に嫁がせるなんてことはないでしょうけど……!」
俺は、得体のしれないプレッシャーを感じながら、しどろもどろに答えた。しかし俺のそんな様子とは裏腹に、バレン公爵は「そうか……」と小さく呟かれると、顎に手を当てひどく深刻なそぶりで物思いにふけられてしまった。……俺は、何かまずいことでも口にしてしまったのだろうか……?
―――長い沈黙のあと、静寂を破ったのはバレン公爵の方だった。その瞳はどこか辛辣で、見る者を射抜くようだ。
「……君の婚約者は、同じ近衛騎士隊の所属だと言っていたね。もし……」
公爵は俺に、一体何を問いかけようとされているのだろう。公爵が言いよどんだ様子に、俺は何故か妙な胸騒ぎを覚えた。
「……もし、主君の命か、愛する者の命のどちらか一つしか助けられない状況に陥ったとしたら、君ならどうする?」
「……!」
俺は絶句した。なんてことを問うのだろう。
簡単には答えが出せない問いだ。しかも、国のために愛する人を失った過去を持つバレン公爵から紡がれるなら、その重さは計り知れなかった。しかし、公爵の真剣な瞳―――まるで黒曜石のように、深い闇を覗かせる視線が俺に誤魔化すことを許さない。
―――逡巡の後、俺は答えた。
「…………。俺は、どちらも守り切ります」
選ぶなんて無理だ。これでは答えになっていないかもしれない、でも、俺にはこの答え以外ありえなかった。
「………立派な回答だな。……だが、実際の状況はそう甘くない。現実は時に、想いとは裏腹に残酷なものだ………」
非常に苦々しい声音で、吐き出すように紡がれたその言葉は、俺の心に深く、深く突き刺さっていつまでも忘れることが出来なかった―――。