第十七話 16歳 バレン公爵の過去
テオドール閣下の推薦を頂き、あらかじめ伺いを立てていたバレン公爵への剣術指南の申し込みはその2週間後了承を頂き、俺は今日指定された通りに王都内にあるバレン公爵のお屋敷に向かっていた。
聞くところによると、バレン公爵は基本的には領地に滞在されていて、王都のお屋敷には年に数日しか戻っていらっしゃらないらしい。今回は旧友であるテオドール閣下たっての依頼ということで、俺のためにわざわざ王都のお屋敷まで移って下さったのだと言う。本当に恐縮なことだ。
王宮からも、王都の貴族の屋敷が並ぶ区域からも少し離れた場所に広大な敷地を有しているバレン公爵は、その敷地に立派なお屋敷を構えられている。高い白亜の塀に囲まれたそのお屋敷は、内部に木々が密集するように植えられているためか、外側からは様子が窺い知れない。大きな鉄製の門扉も非常に豪華な造りで、さすがは王家の血も引く公爵家だ。門のところには、大きな公爵家の家紋のプレートがその存在感を主張している。
執事のクラウスに取次をしてもらっている間馬車内で待ってると、割と間を置かず門は開かれ中への進行を許された。車寄せでまで来て馬車を停め、外に出るとバレン公爵家の執事らしい男が俺を出迎えた。
「エリック・カーシウス様でございますね?すでに主人が、庭園内の訓練場で待っております。ご案内しましょう」
恭しく頭を下げられ、俺から上着を預かったその執事に促されるまま、俺は緊張しながら屋敷の敷地内の奥へと足を進めた。
良く手入れをされた庭園を抜けると、その奥にタイルの敷き詰められ簡易的な屋根の設けられているエリアがあった。傍には水飲み場も設置されており、一時的に上着や武具を吊ることの出来るフックも壁に造られている。どうやらここが訓練場のようだ。
そこに、一人の長身の男性が立っていた。シャツとズボンだけのラフな格好をされているが、あのよく整えられた灰色の髪、野性味を感じさせる髭、優雅な立ち姿はバレン公爵その人に違いない。
「エリック・カーシウスか」
「はい、本日はお招き有難う御座います。カーシウス家が三男エリックと申します」
俺は一度片膝をつき、恭しく礼をする。数代前に臣籍降下されているとはいえ、元は王家に連なる血筋のお方だ。一介の伯爵の息子がおいそれと口をきける相手ではない。
「堅苦しいのはやめてくれ。私はただの退役軍人だ。それに、君のお父上アイザックには過去に世話になった。何よりテオドール殿の頼みとあらば、断る理由はない」
「は……恐れ入ります」
意外なほど穏やかな表情で声をかけられ、俺は恐縮して背中を縮こまらせていた。雄々しい見た目に反して、非常に丁寧で紳士的なバレン公爵に俺は早くも心動かされていた。なんて、なんて恰好いい方なんだ、まさに俺の理想だ。あながちルーシアに指摘されたことは間違いでもなかったかと、俺は内心変にドギマギしていた。
「気にしないでくれと言っただろう。さて、お互いを知るのは後からでも良いだろう。時間が惜しい……早速始めようか」
うわぁ、その爽やかな笑顔……惚れる!
―――果たして、テオドール閣下の評する通りバレン公爵の指導は今まで受けたことが無い程、明確かつ的確だった。彼は最初に軽く手合わせをしただけで俺の戦い方の癖や、剣の振り方のパターンを見抜いてしまった。そして、その動作がどういう理由から来るのか、または敵がそれを封じるためにどういう攻撃をしてくるのかを理論的に説明をしてくれた。とてつもなく分かりやすい。なるほど、確かにテオドール閣下の言う通り、玄人であれ素人であれ、無意識の動きについては理屈が分かってないので改善することは難しい。教えることも然りだ。力やスピードの差は、体を鍛えることによって多少の改善が出来るが、未自覚の癖については、自分では手を付けようがないからな。
バレン公爵は、先に俺の弱点を懇切丁寧に説明してくれ、その後敵に突かれやすい反撃パターンを何度も実践にて教え込んでくれた。なかなか、生来の癖を改善するのは一筋縄には行かないが、自覚しただけでも大きな一歩と言えるだろう。本当に公爵に感謝だ。
―――その日から、俺はバレン公爵の承諾を頂き、休みの度にご師事を仰ぐことになった。
2ヶ月も経った頃、俺がたまたまカーシウスの屋敷に立ち寄っていたところ父も勤めから帰宅し、偶然居合わせることになった。近頃は俺も兄達もそれぞれ王宮に勤めに上がるようになって、家族同士が屋敷内で顔を突き合わせることはめっきり減ってしまっていた。
「父上、お久しぶりですね」
「おお、エリックか!うむ久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「父上もお変わりなく」
12歳で屋敷を離れたせいで、俺は当時のように砕けた調子で父と話すことに気恥ずかしさを覚えるようになっていた。なんとなく、勤務中のような畏まった調子になってしまう。……実の父親なのに変だな。
しかし父本人はさして気にしていないようだ。うむ、とまたいつものお穏やかな表情で目を細め頷くと、侍女を呼びお茶の準備をさせていた。俺の分も用意させているようだ。
「ときに息子よ……最近バレン公爵の屋敷に足繁く通っているというのは本当かな?」
「ぶっっっ!!!!」
俺は盛大に茶を噴き出した。
「ち、父上!!変な言い回しはしないで下さい!!!剣の稽古をつけて頂いているだけです!!!!」
この人は、俺がルーシア一筋なのを知っているだろうに、こうやって人をからかうのが悪い癖だ!!
「それについて指摘しただけだが、何かおかしなことを言ったか?……まぁ、いい。私は驚いているんだ。あの人嫌いの公爵が、わざわざお前に稽古を授けて下さるなんてなと」
「……謙虚な方だという印象は受けましたが、とても人嫌いには見えませんでした」
確かに実際にお会いする前は、耳にしていた噂などから、勝手に気難しい方というイメージを抱いていた。しかし、お会いしてみると驚くほど気取らない、丁寧な方だと思った。誠実なお人柄が覗える。
「いや、確かに実直で謙虚な方だというのは私も同感だ。あの方は昔から、身分に関わらず部下思いの方であったしな。戦場でも、ご自分が危険を冒してでも部下を助けられていたことをよく覚えている。あの方に命を救われた者も決して少なくはないだろう」
「本当に、立派な方ですね」
父のバレン公爵への敬意も、言葉のトーンからよく伝わって来る。現役を退かれて既に十何年も経っているというのに、こうやって周囲に慕われているというのはよほど素晴らしい活躍をなさったのだろう。でも、そこまでの人格者であり実績もある方が、なぜ若くして引退を選ばれたのだろう?今でも、ご自分を鍛えることは怠っておられないようだし、仮に今現役復帰されたとしても並みの騎士よりよほど活躍されるだろうに……。
「……父上は、何故バレン公爵が王国軍を去られたのかをご存じなのですか?」
父の口ぶりから、彼らが十数年前の戦争時浅からぬ交流があったことを感じていた。以前は父が公爵について話してくれていた内容を、どうせ噂の延長だろうと話半分に聞いていたが、改めて知りたいと思った。俺が問うと、父は少し遠い彼方を見るように天を仰ぎ、神妙な面持ちをした。
「……あれは、今振り返ってもお気の毒な出来事だったな。当時、現国王陛下のお妹君、王女ルクレツィア様とバレン公爵は、恋仲であらせられたのだ。……実際は、真偽のほどは分からない噂だ、しかし戦場にいた者は皆、バレン公爵が姫君に浅からぬ想いを抱かれていたことを知っていた。当時、敵国であるトルキア帝国の勢いはすさまじく近隣諸国を次々と侵略しては領土を拡大していた。我が国の三倍もの領土を持つ、トルキアの戦力は絶大だった。もし国が墜ちれば王族であるルクレツィア様のお命は間違いなくないだろうと、バレン公爵は誠に獅子奮迅の活躍をなさったのだ。もちろん、テオドール閣下の絶対的な剣技も兵士に力を与えたが、効果的な戦略を繰り出すことにおいてバレン公爵の右に出る方はいなかった。あの方の、驚異的な指揮の下、我が国は奇跡的な勝利を収めたんだ」
「……すごい、話ですね」
聞けば聞くほど、頭が下がる。そんな偉業を一体他に誰が出来ると言うのだろう。
「だが―――、現実はあの方に残酷な結果をもたらした。一度は退けたとはいえ、再び侵攻されれば二度は退けられないかもしれない。それほど、兵力の差は大きかったのだ。そこで、当時の王太子殿下は、つまり現在の国王陛下だが、トルキアと不可侵条約を結んだのだ。―――妹姫、ルクレツィア様をかの国に嫁がすことを条件として」
「―――そんな!」
俺はあまりのことに絶句した。想い人のために戦ったのに、その想い人を敵国に貢物にされたということか……、なんて惨いんだ。
「……トルキアは我が国と、文化も宗教も、政治のしくみも完全に異なる。この国では、一夫一婦制が原則だが、トルキアはそうではない。ルクレツィア様は、皇帝の5番目の妻として嫁がれたのだ。まだたったの17歳という若さで。非常に愛情深く朗らかな方だったが、かの地でよほど苦労されたのだろう、嫁いでたった3年の内にお体を壊し亡くなられてしまったのだ」
……なんてことだ、俺には口に出来る言葉もなかった。あまりにも、残酷な出来事だ。もし、俺が彼の立場でルーシアを失ったのなら……俺は魂を彷徨わせてしまうかもしれない。
「バレン公爵が軍を退役されたのは、ルクレツィア王女が亡くなられた同じ年だ。きっと、辛い現実に耐えられなかったのだろうな……」
「……」
父の言葉に、沈痛な面持ちで押し黙ってしまった。父も、昔を思い出したのか少し感傷的になられている。
「……それももう、20年近く前のことになるのか……月日が経つのは早いものだな。……そういえば、あの当時戦場に赴く騎士、兵士の間で非常に流行っていたことがあってな」
一度、しみじみと思い出を噛みしめるように呟いた父上だが、急に何かを思い出したのか、打って変わったように明るい調子で立ち上がると、いきなりキャビネットをごそごそと探り始めた。俺はきょとん、とした調子で父を見つめた。父が取り出して来たのは、小さなプレートのついたネックレスだった。……これは、タリスマンだろうか?
「あったあった。ほら、このタリスマンを恋人や夫婦同士で交換をしあっていたのだ。自分が相手に贈る方に、自分の瞳と同じ色の石をつけてだな……」
父に差し出されたそのタリスマンをまじまじと見る。そこには、銀製の小さな細長いプレートに細かな装飾と、小さな丸い青い石、そして『たとえ死が二人を別つとも、魂は永久に共にある』と小さな文字で刻印されていた。なるほど、戦場に行く騎士が恋人に永遠の愛を誓い贈り、恋人も騎士を永遠に想い続けると自分も返したのだろう。……ん?……その実物がここにあるってことは……。
俺が、疑うような目で父を見ると、父は照れたように目尻を下げた。
「いやぁ、私とお前の母は二人とも青い目をしているだろう。いつもどっちがどっちのか分からなくなって、フェリシティには怒られていたなぁ」
……知るか!!!!
盛大にのろけられた俺は、心の中で叫んだ。実の両親の恋愛話なんて、聞いていて背中が痒くなって来る!!!