閑話 夜のお楽しみ
恋愛カテゴリのはずなんですが、糖度が足りないのでは?と思い、挟んだ閑話です。本編の流れには全く関係しておりませんので、お好みでなければスルーして頂いても差し支えありません。
「あっ……またハズレだ」
「……あら、私は揃ったわ」
「こっちも揃った」
「あー惜しい、あと3枚なんだけど」
「あら、私は上がりですわ」
パラッ、パラッと食堂の長テーブルの中央に一組のカードが積み上げられて行く。それと同時に各々の持つカードの数も一組、また一組と減って行く。
そう、俺達は現在ババ抜きに興じているのだ。メンバーは、俺、ルーシア、近衛騎士ケント、近衛騎士ハインツ、エメセシル王女だ。
俺とケント、ハインツが王宮の使用人らの専用食堂で夕食をとり寛いでいたところルーシアを伴ったエメセシル様が現れ、皆でカードゲームをしましょう、と言い出したのだ。
一国の王女が使用人専用の食堂に足を運ぶなんて、などと思われるかもしれないが我らが主君エメセシル様に関しては珍しいことではない。人間離れした美貌の王女ながら非常に親しみやすい素直な性格のお方で、侍従やご自分の近衛騎士らと常に近い距離感で接しておられるのだ。時にこうやって突然使用人らを巻き込んでゲームをされることも、一度や二度ではなかった。
「あー……今回も合わないな……」
「あっ、私あと1枚になったわ」
「俺は上がりだ」
「あ、僕もあと2枚」
「次は誰が先に上がるかしらね?」
今回のラウンドも、俺以外の面々がカードを順調に減らして行く。ちなみに俺はもう3ラウンドもジョーカーを持ったままだ。俺のカードを引くルーシアが絶妙にジョーカーを避けて引いて行っているからだ。
「ああー……」
「やったわ、上がり!」
「おー、ルーシアも上がりか!」
「ううむ……、よし、あと1枚!」
「ふふ、エリックとハインツの一騎打ちですわね」
エメセシル様が楽しそうに俺とハインツの手札を覗き見る。ハインツが残り1枚に対し、俺は2枚、もちろん一枚はジョーカーだ。緊迫の決着の時である。
「よし…………引いてくれ!!……あ、ああー……」
「エリック、もらったよ……!……よし!上がりだ!!」
ハインツの歓喜の声と共に彼の最後のペアがテーブルに放り出される。同時に、俺の敗北が決定した……。
「エリック、何連敗だよ、ほんと勝負事に弱いなぁ」
「エリックは昔から、ババ抜きに弱いのよね」
「うう……、おかしい、なんで俺のところにばかりジョーカーが来るんだ」
マクシミリアンとルーシアが楽しそうに笑う声に、俺はテーブルに顔を突っ伏して唸る。おかしい、誰かが仕組んでいるとしか思えない。
「うふふ、ルーシアとエリックは小さい頃からカードゲームで遊んでいたのね」
「いえ、実は私達小さい頃はお人形遊びとか、お絵かきとか女の子の遊びばかりしてたのです」
「まあ、それでは男の子のエリックは退屈していたんではなくて?」
「それがご覧の通り、カードゲームをしても、剣の訓練をしても私に負けてばかりだったので、彼はすぐまたお人形遊びに戻ろうって……」
「ルーシア……!今、昔の話を細かく言わなくてもいいだろう……!」
俺達の幼い頃のエピソードに興味津々のエメセシル様。見るとケント、ハインツもニヤニヤしながら聞いている。
「あら、今と違って、エリックは昔は可愛らしかったんですのね!」
「どういう意味ですか姫様!」
「そうなんです、だけどいつからか、俺、なんて言葉遣いになっちゃって……」
「ルーシア!」
「でも、いくらガキの頃でも俺は人形遊びなんてしなかったけどなー」
「僕も」
「ケント!ハインツ!」
くっそー、皆して俺を茶化しやがって。すると、ケント、ハインツの意見に何かを思ったらしいルーシアがやけに真剣な様子で俺に顔を向けて来た。
「たしかに、私がいくら男の子も好きそうな遊びをしましょうかって聞いても、君の好きなことでいいって言ってたわ。もしかして、本当は女の子の遊びの方が好きだったのを誤魔化してたの?」
「はぁ?!」
「そういえば、前もバレン公爵に熱い視線を送っていたし……エリック、まさかあなた、心は女性、なんてことはないわよね?!」
「はぁああ?!?!」
まずい、姫様の前で素っ頓狂な声を出してしまった。見ると他にも食堂を利用していた使用人や騎士らが、なんだなんだという表情で俺達に奇異の目を向けている。
ルーシアの奴、よりによってなんてことを言いだすんだ?!?!
「……どうしよう、そんなこと今まで考えもしなかったわ。でも、そうなら私と婚約しているのは申し訳ないわね……!!」
「ちょっ、おい、そんなわけないだろ。全くの誤解だ!!」
真剣に両手を頬にあて考え始めてしまったルーシアに、俺は真っ赤な顔で声を大にして否定する。その様子をエメセシル様は目をぱちぱちさせながら見守り、ケント、ハインツはさらに目をニヤニヤさせている。
「……違うの?」
「当たり前だろ!!!俺にそんな趣味はない!!!姫様の前で変な誤解を招くようなことを言わないでくれ!!!!」
再度大声で否定すると、ルーシアははっとしたように「そうよね、姫様がいるものね」と、どこで納得しているのか分からないが、一応俺を信じることにしたようだ。いや、君に疑われるのが一番堪えるんだけどね……!!
「まぁまぁ、エリック、怒鳴って喉が渇いただろう?ビールでも飲むか?」
それまで面白おかしく俺達の様子を見守っていたケントが、食堂の奥から数本のビールを手に戻って来た。
「まぁ、エリックもお酒を嗜むんですのね」
「……はーはー、怒鳴って喉が痛くなった……。ええ、社交界デビューしましたから、時折頂くことがあります」
公的にはこの国の成人年齢は18歳だが、15歳で社交界デビューをしたあとは慣例的に、特に貴族の男は酒を嗜む場面が増える。
本当は時折、どころじゃないがあまり品が良いとは思えなかったので、俺は少し誤魔化しながらエメセシル様に答えた。ケントの申し出は有り難かったので、俺は素直に1本受け取る。次いで、ハインツも1本受け取り栓を開けて行く。
ゴッゴッと俺が勢い良く瓶を空けていく様を興味深そうに見ていたルーシアが、「いいなぁ」と一言呟いた。
「私まだ、一度もお酒を頂いたことがないのよ」
「ルーシアも飲んでみるか?」
ケントに1本差し出されると、ルーシアは一瞬ためらったようにそれをまじまじと見つめた。
「ルーシア、無理するなよ。今日はお前はまだ任務中だろう?」
「……そうよね」
俺が声をかけると、ルーシアは残念そうに頷く。すると、
「あら、良いのではありません?今は私の周りに皆おりますし、ルーシアだけ仲間外れは可哀そうですわ」
という、エメセシル様のルーシアを援護する声が俺達に向けられた。
「で、ですが……姫様」
「良いのよルーシア。私の事は気にしないで頂戴」
ニコニコと笑うエメセシル様の言葉にルーシアはまたしばらく悩み、ケントの前に並べられている瓶とエメセシル様の顔を見比べ、また真剣な面持ちで考え込んだ結果……。
「……少しだけ、味見させて頂いても宜しいでしょうか」
と、おずおずと呟いた。
―――1時間後、食堂のテーブルに顔をうつぶせて寝息を立てるルーシアの姿があった。
っていうか、滅茶苦茶弱いな?!たった1本のビールを空けただけだぞ?!?!
俺達はまたあの後、別のカードゲーム―――七並べをしたり、ポーカーをしたりしていたんだが、瓶を半分ほど空けたくらいからルーシアの目がだんだん座って来て、たまに舟をこぐようになり、俺が心配して声をかけた時にはもうその声は耳に届いていないようだった。そして、気だるい様子でテーブルに両腕を投げ出すとそのまま寝入ってしまったのだ。
その様子をあっけにとられて見ていた俺達。
「……おい、マジかよ。ルーシアってこんな酒弱かったんだな」
「ほんとだね、ほんの数十分のうちに寝入っちゃうなんて」
「誰にでも弱点ってあるんだなぁ」
俺とハインツ、ケントがひそひそと呟きながらお互いに目くばせをする。
「……どうする?部屋まで送って行こうか?」
と、ケントがルーシアの肩を揺さぶり、まだ意識があるのかを確認しようとした時。俺は、がしっとその手を掴んだ。
「……先輩、ルーシアは俺が、部屋まで送ります。ルーシアは、俺の、婚約者なんで」
その俺の気迫に、ケントの口元がひくっと歪められるのが見えた。
―――結局エメセシル様をケント、ハインツに任せ俺はルーシアをおぶり彼女の私室へと向かって歩いていた。
背中に彼女の柔らかな胸の感触が―――
―――しない。制服の下に着込んでいるであろう鎖帷子のせいで。
俺は内心ガッカリとしつつ、しかしそれでも俺の首に回された彼女の両腕の温もりや、たまに首筋に感じる彼女の息遣いだけでも身悶えするようだった。変態とか言わないで欲しい。好きな女性の前では男は皆同じことを思うはずだ。……たぶん。
ルーシアの部屋に着き扉を開けると鍵もかけられていなく、すんなりと室内に入れた。
彼女の部屋に入るのは初めてではないが、まだ数回程度だ。婚約者同士とはいえ年頃の男女が同じ部屋に入って行く様子を見られることは、あまり世間体が良いとは言えない。
王宮内の彼女の部屋は、ヴィクセン家の彼女の私室に比べぐっと落ち着いた、まさに大人の女性の部屋と呼べるような品の良い調度品や装飾でまとめられたものだ。
寝具を置くスペースが、入り口から見えないように厚手のカーテンで仕切られている。俺はそのカーテンを押し開け、さらに奥へと入った。ここまで来たことはそれまでにはない。心なしか、悪いことをしているような、そわそわした気持ちになって来る。
ルーシアを起こさないように注意深く丁寧に、彼女の体をベッドに横たえる。平和そのもの、といった様子でルーシアは穏やかな寝息を立てている。ふいに、幼い日の思い出がよみがえる。そうだ、俺がテオドール閣下にルーシアとの婚約を直談判した直前に、今日みたいに彼女の可愛い寝顔を見て、彼女を好きだと自覚したんだった。あの時は、ただひたすら彼女を可愛いと思ったけれど、あれから6年も経ってより彼女を大切に愛おしいと思うようになった。
あの時は、彼女に内緒でキスをしたんだっけな……。
そこまで思い出して、俺はかっと顔を赤くした。そういえば、俺達はあのキスから、婚約したこと以外で何も進展してないな……!
こんなことでいいんだろうか?相思相愛の婚約者同士が、年頃になってもこんな健全な付き合いのままでいいんだろうか。いや、よくない!少なくとも、キスくらいは許されるはず……!!
そう考えた瞬間、あの日に聞いたテオドール閣下の言葉が頭を過ぎった。
『……婚儀が終わるまでは、娘に指一本触れることは許さぬ。傷物にされては堪らんからな。…………良いな?』
バレるか?いや、バレなければいいのか?でももしテオドール閣下の耳に入ってご不興を買おうものなら……、ルーシアとの婚約を破棄されてしまうかもしれない!!
さーっと青ざめた俺は、しばらく悶々と腕を組んだまま迷った。ルーシアは相変わらず、幸せそうに行儀よく眠っている。
その滑らかな頬に、少しだけ指先で触れてみる。起きる気配はない。指先から、電気が走ったように、愛しさが込み上げて来る。
少しだけ、少しだけだ―――。
意を決し俺は、そっと、彼女に顔を近づけ―――。
「―――まぁ、お嬢様どうされたのですか?!」
―――勢いよく開けられた仕切りのカーテンの音と甲高い女の声で、硬直した。
ルーシアの頬に手を当てたまま固まった俺と、入って来た女―――ルーシアの侍女マリーの目線がぶつかった。
「あ、いや、その、仲間内で少し酒を飲んでな!酔った彼女を介抱してたんだ!!」
「まぁ!エリック様がその場にいながら、お嬢様にお酒をお勧めしたんですか!!」
勢いよく彼女から離れた俺が慌てて答えると、マリーはつかつかと大股で俺達に近づきわざとらしい仕草でルーシアの服の乱れがないかチェックを始めた。有無を言わさぬ彼女の気迫に、俺は思わず両手を上げ後ずさる。やがて、主人の無事を確認したらしい?マリーは俺に慇懃無礼な笑顔を向けた。
「エリック様、お嬢様をお運び下さって、どうもありがとうございます。もう、私の方でお世話致しますからどうぞお戻りになって下さい」
「いや、でもルーシアがしんぱ」
「エリック様?旦那様に言いつけますよ?」
「……戻ります」
迫力の侍女に俺はやりこめられ、あっけなく白旗を上げた。
―――俺はこの日、俺とルーシアの間には、テオドール閣下という絶対的な壁のほかにも障害が立ち塞がっていることを悟った。……まぁ、ルーシアの意外な一面が知れただけでも、良しとするか。
ルーシアの侍女マリーは、きちんと自分の気持ちを直接伝えることもせず、あさってな方向にばかり努力しているエリックに不満を持っている、という設定だったりします。