第十四話 15歳 王太子殿下の警護
俺は指定された通りに、王宮内の王族方の居住区である奥宮の回廊を歩いていた。
アルカディアの王宮は、その機能によって建物内が区分されている。例えば、正面から中央まで続く中央宮は主には政治上外交上の重要な施設、謁見の間、迎賓の間、来賓室など、それに左右に続く左宮は主に文官が執務をするための、右宮は武官が主に国の防衛のための軍議をしたり、騎士や兵士が訓練をするための練兵場があり、各宮の隣接する場所に各部門の役人のための宿舎も併設されている。
近衛騎士隊の一員である俺は、主に王族方の住まう奥宮に近い近衛騎士隊用の宿舎で寝泊まりをしている。……ちなみにルーシアだけは特別待遇で、王女の私室にほど近い場所に専用の部屋を与えられている。まぁ王女殿下を警護をする上で、合理的な理由もあるけどな。
王女エメセシル様の近衛騎士である俺は、普段から奥宮に詰めていることが多いのだが、今日は姫様ではなく王太子殿下ユリウス様からのお呼出だ。
俺はユリウス様付きの小姓に案内されるまま、殿下の私室と思われる豪華な造りの扉の前で立ち止まった。
「王太子殿下、エリック殿をお連れしました」
案内の小姓が、中へと呼びかけると「入れ」という短い返事が返って来た。促されるままに入室すると、意外に簡素な装飾の施された室内に王太子殿下といつかのお茶会で会ったことのある近衛騎士が立っていた。彼はたしか、マクシミリアンという名前だったはずだ。
「王太子殿下、お呼びでしょうか?」
俺は略式の礼で王太子殿下に呼びかける。
「ああ、よく来てくれたねエリック。話に聞いてるとは思うけど、今日は君に頼みがあって呼んだんだ」
王太子殿下は、いつも通り気さくな笑顔を浮かべると俺に席につくように促した。促されるまま向かいになっているソファに腰をかける。王太子様付き侍女が早速俺のためにお茶を運んで来てくれる。その様子を眺めながら、そういえば護衛の数が少ないな、と思った。いつもなら殿下のすぐ側には最低でも2人の近衛騎士と、入り口付近を守りを固める騎士、兵士が4人はいるはずだ。なのに今日は、マクシミリアン以外には入り口に一人兵士を見ただけだ。
「頼みとは?」
訝し気にしている俺の様子に気付いたのか、向かいに腰掛けられているユリウス様は少し意味深な苦笑を見せ、両手を膝の上で組んだ。
「うん、しばらく君に私の元に出張して欲しいんだ」
「出張?」
「つまり、一時的に私の近衛騎士隊に加わって欲しい、ということなんだ」
「?!?!」
俺は言われている意味がよく分からず、思いっきり間抜けな顔で殿下を見つめてしまった。なんで自分の近衛騎士隊を抱える王太子殿下が、妹姫の近衛騎士隊から人員を調達する必要があるんだ。はっ、まさか人事異動か?!思わず顔を強張らせた俺に、その様子を見ていたマクシミリアンが、何だか居心地の悪そうな様子で咳ばらいをした。
「あ、あーあのな、違うんだ。先週から、ユリウス様付の近衛騎士隊のメンバーが相次いでインフルエンザにかかってしまってな、半数が自宅療養中なんだ」
「はぁ?!?!」
なんだそりゃ。いや、そりゃ騎士だって人間だから病気にはなるだろうけど……仮にも一国の王太子の身辺を警護する栄誉を賜る近衛騎士が、揃いも揃って情けないな……。
明らかに呆れ顔になった俺に、マクシミリアンは面目ないとでも言うように苦笑いを浮かべた。
「……お前の言いたいことは分かるぞ、全くもって俺もそう思う。だが、だからといって王太子殿下の警備を手薄にする訳にもいかないし、無理に残った人員だけでシフトを回そうとして結局そいつらもばててしまったら元も子もないだろ?もうすぐ殿下の成人を祝う式典もあるしな……」
「なるほど……、理由は分かりました。そういうことなら、俺には依存ありません。ちなみに王太子殿下はお加減に触りはありませんか?」
弱り果てた様子のマクシミリアンに同情し、俺は申し出を快諾した。俺が殿下の体調について窺うと、本人はまったくけろりとした口調で、いつもながらの実に爽やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとうエリック!それが私は体だけは丈夫に出来ているようで、生まれてこの方大きな風邪もひいたことが無いんだ!」
……確かに、妹のエメセシル様は季節の変わり目ごとに熱を出されるけど、この王太子殿下が体調を崩されたという話は王宮に勤め始めて3年になるが、一度も聞いたことが無い。なるほど、見た目は線の細い、ともすれば中性的ともいえるような美青年の殿下だが、自己鍛錬に励まれているんだろうなと俺は納得する。
「……にしても、あのお茶会で出会った君にこんな事をお願いすることになるなんて、あの時は想像もしなかったよ」
王太子殿下の言われる『あのお茶会』とは、4年前の殿下主催の春の茶会のことだ。そこにルーシアと参加した俺は初めて殿下と近衛騎士マクシミリアンと会ったのだった。あのお茶会で殿下がルーシアの剣術訓練に興味を持たれたことが後々ルーシアが騎士勤めをすることにも繋がったんだよなぁ……そう思うと複雑な心境だ。
「ああ、そういえばやたらルーシアのことを婚約者だと強調してたよな!独占欲むき出しで、殿下や俺をめっちゃ警戒してたよな!!」
何かを思い出したらしいマクシミリアンが、爆笑しながら俺の肩に手を置いた。
「そ、その話はやめて下さい!あの頃の俺はまだ視野の狭い子供だったから……!」
「今はそんなことないってかー?でもルーシアにちょっかい出す奴に殴り掛かったことがあるって聞いたことあるぞ」
「なんで管轄の違うあんたがそれを知ってるんだよ!」
1年前のトーナメントの話まで持ち出されて、俺は赤面する。くそ、このマクシミリアンって騎士なんか気安いな!!
マクシミリアンにからかわれる俺の様子をくすくすと笑っていたユリウス殿下は、まぁまぁという感じで俺に落ち着くよう促す。
「マクシムは人で遊ぶ悪い癖があるんだけど、腕は確かだし私にとっては頼りになる兄のような存在なんだ。それに家族思いで、勤勉なんだよ」
取りなすように言ったユリウス様に俺は未だ赤みが引かない顔を向けつつ、お茶会で聞いたことを思い出した。
「……そういえば、妹がいるんでしたっけ?」
たしか、年の離れている妹がいると言っていた。年が離れていると言えば俺の妹フィアンナも8歳下だし、2年前に生まれたルーシアの弟なんて13歳差だ。貴族の間では年の離れた兄弟も特に珍しいことではない。
ふいに、妹の話になった瞬間それまで人を面白がっていたマクシミリアンの表情がすっと真剣なものに変わった。なんだ?俺、何か悪いことを言ったんだろうか……。
「あの、俺なにかおかしなことを言いましたか?」
「いや……」
歯切れの悪い様子で表情を曇らせたマクシミリアンに、俺は気まずさを覚える。その様子を察したユリウス殿下が、優雅にお茶をすすりつつ代弁するように言葉を引き継いだ。
「……マクシムの妹ニーナは前から気管支が弱くて空気の綺麗な山間部でずっと療養していたんだけれど、2年前にさらに原因不明の難病を患ってね、体を動かすのもつらいらしい。どうも、筋肉や骨の成長を阻害するような病気らしくて、普通の成長痛では考えられない痛みがあるんだそうだ」
「そんな病気が……すみません、俺知らなくて」
デリケートな話題に触れてしまったと分かり、俺はとても申し訳ない気持ちになる。そんな俺の様子に、少し気を取り直したらしいマクシミリアンが俺が謝罪するのを片手で制止した。
「いや、所属が違うお前が、俺の家族のことなんて知るわけないしな。……それに最近、やっと治療薬になりそうな薬草が見つかったし」
「そうなのかい?」
マクシミリアンの言葉に、ユリウス殿下も顔を明るくさせた。この表情は、この二人が主従の関係を越えた友情を築いているのだと俺に強く印象付けた。
「ええ……、まだ可能性でしかないんですけど、どうもバレン公爵が所有する土地の山林に希少な植物が生えるらしくて、そのうちの一部が体の成長を促進させる効能があるらしいんです」
「それは良かった!バレン公爵は滅多に王宮内の行事にも参加されないし、中央政治にも関わってらっしゃらないから王宮に来られることも少ないけど、来週の私の成人式典には列席されると聞いている。
私からもよく頼んでおくよ」
「ユリウス殿下……ありがとうございます」
ゲオルグ・バレン公爵。お二人の会話に出てくるその人物について、俺は記憶を辿った。確か、約15年前の帝国トルキアとの戦争でテオドール閣下に肩を並べる活躍をされた英雄と聞いたことがある。現国王陛下の従兄君でもあり、武人としても有名で非常に勇猛で優秀な指揮官であったらしい。しかし、戦争が終結したその数年後、突如として軍を退役されて、かといって中央政治に関わるでもなく領地経営だけに専念するような隠遁生活を送られていると聞く。俺やルーシアの父上と同世代だからまだ30代半ばだったと思うが、若くして表舞台から姿を消された公爵を惜しむ声は今でも絶えない。
バレン公爵が当時どうしてそういった決断をされたのか理由は定かではないが、噂の一つに当時公爵が今は亡き王女殿下、現国王陛下のお妹君ルクレツィア様と恋仲だったからではないかという話がある。ルクレツィア様は、トルキアとの戦争が終結して不可侵条約を結んだ時にその証としてトルキアに嫁がれた。しかし、嫁がれて間もなくかの地で亡くなられたと聞く。その彼女の死を悼んで、慎ましく生活されているとのことだ。
……噂の情報源である父上の話は正直眉唾だが、バレン公爵が未だに独身を通されていることや、滅多に公式の場に姿を現さないミステリアスな方なのは確かだ。当然王宮に上がって僅か3年の俺はまだお目にかかったことはないが、テオドール閣下に並ぶほどの武人だったバレン公爵に興味を引かれるのは禁じ得なかった。
―――ユリウス様の警護を始めて数日、俺は殿下の勤勉さに舌を巻いていた。まず、読む本の量が半端じゃない。俺も、貴族の端くれとして最低限の教養は身につけているつもりだし、時間がある時に勉強もしているが、とにかく殿下は読む書物の内容も多岐に渡るし、その読み進めるスピードが並外れている。マクシミリアン曰く、「殿下は本の虫だからな」だそうだ。
お側に仕えるようになって、俺はユリウス殿下の人柄についても新しく知ったことがある。殿下は柔らかい物腰、優しい雰囲気に反して結構、現実主義だ。王太子権限での決済を下す際に、あの微笑みを保ったまま、役人の報告のあらをとことん追及してる姿を何度も見た。頭がいいからか、辻褄合わないことをすぐ見抜いてけっしてうやむやになさらないのだ。国王陛下も、いい加減そうに見えて結構目ざとい人だと聞くしな。そうでもないと、国民の上に立つなんてことは出来ないんだろう。
そうそう、ユリウス殿下の話で印象的だったことがある。エメセシル様の将来の配偶者の事だ。
「―――ところでエリック。君とルーシアは、恋愛結婚ということになるのかな?」
「な、なんですか急に!お、俺はそう信じていますけど……」
突拍子もない話の切り出し方に、ずっこけそうになったのをよく覚えている。
「貴族社会では珍しいケースだよね」
「まぁ、そうですね」
「羨ましい話だけど、私やエメセシルはそうはいかないな」
「……え?」
俺は急に真面目な表情で言ったユリウス様をぽかん、と見返した。ユリウス様は、そんな俺に一つ頷いて腕を組み合わせられた。
「……もう、何年も私とエメセシルの婚姻に相応しい相手を厳選しているけれど、なかなか見つけられないでいる。これが結構難しい選定でね、ただ身分が釣り合えば良いというものでもない。権力が偏り過ぎてもいけない。本人が役目に相応しい資質を持っているかも重要だ……それに比べて、当人同士の相性や性格は二の次になる。もちろん、あんまり破天荒なのは困るけど」
「……はぁ」
「……父上は、エメを溺愛するあまり、彼女が好きな男なら身分を問わず嫁がせてやりたいと考えているようだけど、残念ながら私は賛同できない。王族の婚姻は、国のあらゆる方面に影響を及ぼし過ぎる、感情だけで決めてはいけないんだ。……私は、自分がこのアルカディアを統治する時に諸外国と強い協力関係を築きたいと考えている、そのために、エメセシルの嫁ぎ先に外国の王族も視野に入れているんだよ」
妹想いだと思っていたユリウス様の言動に、ひどく戸惑った。家族愛よりも、統治者としての価値観を優先させると言い切ったユリウス様に、正直、空恐ろしささえ感じた言っていい。俺が何も返せず、固まってしまっているのを見て、ユリウス様は少し苦笑いをした。
「……誤解しないでくれ、もちろん、私はエメセシルを愛しているよ。彼女が不幸になるような嫁ぎ先をあえて選ぶことはしないさ」
そう言うと、ユリウス様は一つ深いため息を落とし、窓の外の遠くを見つめた。