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第十二話 14歳 銀の簪(かんざし)

 「……ねぇ、一体どうしてこんなことになっているわけ?」


 端が切れて腫れている俺の口元に、消毒液を浸した脱脂綿をあてながら、ルーシアは呆れたように呟いた。


 いてて、消毒液がすごい滲みる。


 「何で、トーナメントに出場した私より、観客席で見ていたはずのエリックが怪我をしているのよ?しかもレイドリックと乱闘って!」


 わざとか、ぐりぐりと脱脂綿を傷口に刷り込むように力強くあてて来るルーシアに、俺はつい体が逃げるように離れてしまう。すると半眼になったルーシアに「動かない!」と、顎をひっつかまれ固定された。


 「……ちょっと意見の相違があっただけだよ」


 俺は憮然とした口調で返事をした。正直、レイドリックと乱闘したことはもうすでに俺の中でどうでも良くなっている。それよりも、テオドール閣下の捨て台詞とか、ルーシアにこうやって手当てをされている事の方が、もう、なんというか、よっぽど辛い。


 「もう、14歳にもなって小さな子供みたいな喧嘩しないでよ、恥ずかしい」


 いや、ごもっともです。


 薬箱の中身を片付けながら、ルーシアは口を尖らせた。


 ここは、今回ルーシア専用に用意された控室だった。本来、トーナメント出場の騎士達は、共用の広めの控室を用意されそこで着替えたり、トレーニングをしたりするのだが、さすがに女性であるルーシアを一緒くたに押し込むわけにはいかない。彼女が、将軍の娘で上位貴族ということもあり、特別に用意されたのだ。そこで俺はルーシアに治療してもらっていた。彼女付きの侍女や小姓も人払いしており、今は俺たち二人しかここにはいない。


 「……ルーシアも今回は残念だったな」


 唐突に切り出した俺の言葉に、ルーシアは不審そうに眉をひそめる。 


 「何が?」

 「いや、3回戦まで行ったのに、優勝逃しただろ」

 「別に最初から狙ってないわよ」


 呆れた口調のままルーシアはパタン、と薬箱を閉じる。そして、元々置いてあった戸棚の中に戻しに行って、また俺の斜め向かいの席に腰掛ける。その時、一つに結ばれたルーシアの栗色の髪が、さらりと肩から前方に流れ落ちて来た。


 俺はぼんやりそれを眺めて、奇麗だな、と思った。


 胸の下くらいまで伸ばされた癖のない真っ直ぐな髪は、痛み一つなくどこまでも艶やかだ。


 考えてみれば、ルーシアは俺達と同じ騎士の訓練を受け、毎日エメセシル様の警護に追われているはずなのに、ちっとも女らしさを損なわない。よく手入れされた髪はもちろん、多少剣だこが出来ている指先も裂傷の一つも残っていないし、屋外訓練で日に焼けているはずの肌も相変わらず白く滑らかだ。どれだけ彼女が陰で努力しているのか、想像に難くない。その上、最近になってうっすらと化粧もするようになって、その美しさは益々磨かれて行っている。


 そりゃ、浮世離れしたエメセシル様の美しさには敵わないけれど、それでも俺にとって彼女は誰より魅力的で、眩しいくらいだ。


 そんなことをぼんやり考えていた俺は、完全に無意識に、肩から零れ落ちた彼女の髪を一房すくい上げて、口元に持って行っていた。


 「エリックっ……?!?!」


 ルーシアの焦ったような声で正気に返って、俺がルーシアの髪に口づけていたことに気付く。


 かあーっと顔に熱が集まって来る。なんだこれは、何をしてるんだ俺は!


 「い、いや、悪い…!」

 「あ、謝らなくてもいいけど……!」


 見る見るうちにルーシアの顔も赤くなって来て、二人で真っ赤な状態で押し黙る。うわ、いやな沈黙だ。


 俺は誤魔化すように、何かうまい言い訳を探して目線をウロウロさせているうちに、彼女のその髪を束ねている髪留め?のようなものが見慣れない物になっていることに気付く。


 「ルーシア、その髪のやつ……」


 銀製の、歪な形のそれを指さす。銀細工の楕円のプレートのようなものに、細長い串のようなものが刺さっている。


 「あ、この簪(かんざし)のこと?正騎士に昇格したお祝いにお父様に頂いたのよ」


 ルーシアが、顔を傾け首筋を見せながら、簪と呼ばれたその髪留めのようなものを指さす。俺に見せようとしているのか、おもむろにその串部分を外す、するとばさりと艶やかな髪が広がり、ルーシアの肩に落ちた。

 それを俺に寄越そうとして、ルーシアは「いたっ!」と小さく悲鳴を上げた。???な、なんだ???


 見ると、串をプレートに差し戻すはずみで手のひらに串の先が刺さってしまったようだ。


 「だ、大丈夫か?」


 俺は驚いて、ルーシアの手を掴み、手のひらを広げさせる。ちくりと刺さったところから、ぷつりと血の紅い珠が浮き出ている。


 「随分先が尖っているんだな……、危なくないか?」

 「ちょっとね……、でもお父様に頂いた、お守りのようなものだから」


 ルーシアの言葉に俺は首を傾げる。確かに、見た目は繊細な造りで綺麗な髪留めだ。でも、そんな取り扱いに注意が必要なものをなんで、テオドール閣下は贈ったんだろう。閣下は、武骨な方だけど決して鈍い方じゃない。こんな先の鋭い物を娘に贈って、ルーシアが怪我をすることを考えなかったのだろうか。


 そこまで考えて、俺はハッとした。テオドール閣下の意図に、簪に込められた彼の想いに、気づいたからだ。ルーシアはお守りのようなものだと言った。それが意味することは―――


 ルーシアは王国唯一の女騎士だ。彼女は日々、王女エメセシル様を守る任務に就いている。今は、この国の情勢は安定していて、国内においても国外との関係においても実際に緊迫した状況に陥る可能性は、限りなく無いに等しい。でもそれはあくまで今、この瞬間だけだ。明日のことは誰にも分からない。今は平和なこの国だって、ほんの十数年前までは他国との戦争状態だったんだ。もし、また内乱や戦争が勃発した時、騎士である俺達は戦場に行くことを免れられない。そして、もし女騎士が、戦場で敗れるようなことがあった時には、男では考えられない悲惨な事態をもあり得る―――?!


 テオドール閣下は、そんな極限の状況まで想定して愛娘にこの簪を贈ったのだ。娘の名誉を守るために。


 その事実に思い至って、俺は絶句した。


 ルーシア自身、これをお守りと称したということは、テオドール閣下の真意に気付いているんだろう。


 俺はギリリッ、と奥歯を噛みしめた。


 ―――好きな女に負けっぱなしで情けないとか、悔しいとか言ってる場合じゃない。それを茶化されて、カッとなっているような男じゃ駄目だ。彼女より強いとか、弱いとか、どんな状況だって関係ない。俺は彼女を何が何でも守らなければならないんだ。


 ―――………つまらぬ男だ。


 先ほど、テオドール閣下に突き付けられた言葉を思い出す。


 彼の言う通りだ。なんてつまらない男なんだ。小さなプライドを刺激されたくらいで、我を忘れるなんて。俺は誰よりも冷静に、どんな時でも正しい判断が出来るようにならなくちゃいけない。敵を倒すことだけが強さじゃない。精神面でも、俺は変わらないといけないんだ。


 「エリック……?どうしたの?」


 ―――急に黙りこくった俺に困惑したように、ルーシアは肩を落とした。


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