5.5─IX
苺さんより3─XVに挿絵を頂きました。
是非一度ご覧下さい。
──現代。
「……それからなんだよ。少女と兄弟子が嫌味を言いあいながらも、お互いを認めたのはね」
ガイアとアスナは紅茶やお茶請けを挟むことも忘れ、その話を聞いてただ目を丸くさせていた。
だが、二人は同時に納得もしていた。何故なら、伝記と呼ばれる物語は"青少年や児童向けに作られたもの"であるからに他ならない。
あまりにも複雑すぎる人間心理や凄惨な描写といった類の物があれば、それは捏造せざるを得ないのだ。
そして、アストリッドは三人がその後どうしたのかという話を続けていく。
「さて……、ここからは色々と世の中が変化を始めていく"大魔法時代"が始まる直前の頃の話になるよ。
魔術式を文字に書き起こすという研究の許可が下りてから数年後、それまで一子相伝で受け継ぐしかなかった"六属性魔法言語"の文字と発音を正確に書き取った研究はすぐに魔法管理委員会に認められて、世に発表された。
……でも、足を止めての詠唱が必要という点と、正しい省略詠唱が出来ないと後遺症が身体に残るってこともあって、新規の人材は中々入ってこなくってねぇ。
その点に目を付けた師匠とその弟子達は、不特定多数の熟練術式使いに調査に協力して貰って、正しい省略詠唱についての研究を纏めてったのさ……」
そこまで語ったところで、アストリッドは「ふぅー……」と長い息を吐き、数秒、沈黙する。
そして──今まで自身のすぐ横に置いていたガイアが見つけた本を手に取ったアストリッドは、それをテーブルの上の上に置き、影の差した表情でこう言った。
「アンタ達は、もう子供じゃない。だから、心して聞いとくれ」
テーブルの上に置かれた、一冊の本──その表紙には、『霊神暦362年13月2日発生 エンデ壊滅事変関連調査報告書纏め』と銘打たれていた。
エンデ壊滅事変。それは霊新暦362年の初秋に発生した、エンデが一夜にして壊滅し、同時にアストリッドを除いた全ての命と多くの知識が失われた、人類史上最悪の事変である。
そして、アストリッドの師匠であるゼノンもまた、その出来事が原因で命を落としているという事が、ゼノンの伝記の最後の方でも語られている。
だが──
「ここから先の内容は、そんな上っ面の文章だけじゃ分からない、紛れもない事実だよ。
……それを、聞く勇気はあるかい?」
この時のアストリッドは、覚悟を決めるのに迷いがあり、その最終的な意思決定を二人に委ねようとしている──そんな風に捉えることが出来たと、ガイアはこの日の日記にそう綴っている。
◇ ◇ ◇
──過去。
二人の関係がやや変化してから更に五年の歳月が過ぎ、時は霊神暦362年、13月1日。
この日、アストリッドは弟子入りして以来初めて自分の元を訪れた実弟・ベルクを屋敷に招き、積もる話に花を咲かせていた。
そんな中、ベルクは気になっていた話題をアストリッドに切り出した。
「そう言えば……手紙にも書いてあったけど、姉さんは今"新しい魔法を創ろうとしてる"って本当?」
「ええ、その通りよ。理論上は発動するはずだから、後は実際に詠唱して効果を確認して、それを論文に纏めるだけよ」
そう言って、アストリッドは前髪の右側をかきあげて耳に掛けた。
この頃のゼノンは、正しい省略詠唱の方法についての論文を完成させ、後は魔法管理委員会に届けるのみと言う段階に至っていた。
そして、その傍らでアストリッドはある日ひらめいた仮説を証明する為に、「とある方法で魔術式を組み合わせ、新しい魔法の概念を作り出す」という研究を行っていた。
すると、アストリッドは目を輝かせながら、鼻息を荒くしてベルクにこう続ける。
「それに、その魔法が問題なく発動すれば、中々増えない術式使いの人材確保が捗るようになるかもしれないのよ!」
「え……そうなの!? それってどんな!?」
その言葉を聞いて、ベルクも思わず目を輝かせる。
ベルクは貴族としての仕事を行うのに精一杯なために魔法を習得するのは諦めていたものの、憧れという興味は未だ強く残っていた。故に、ベルクはその研究の詳細が気になって仕方なかった。
しかし、アストリッドはその首を横に振ってこう返した。
「残念だけど……、ベルクでも、これだけは教えられないわ。発表されるまでのお楽しみね」
「そっか……。でも、姉さんならきっと完成させられるよ」
「ふふっ、ありがとうベルク。私が帰るまでお父様やお母様……、それにあなたや義妹にも苦労を掛けることになっちゃって、本当にごめんなさいね」
「良いんだよ、父上とは元々そういう約束だし。
ただ……、その後ろ髪は整えた方が良いと思うんだけど」
そう言って、ベルクは申し訳なさそうにアストリッドの後頭部──結び目が隠れるよう下側でちょうちょ結びにされて纏められた、腰まで届く長さのポニーテールへと視線を移す。
ここ一年半ほどの間、アストリッドは研究に熱中するあまり前髪以外の手入れが疎かになっており、そのポニーテールはボサボサの状態になっていた。
「今日なんだろ? 式典用衣装が完成するの。
最近妻も髪を伸ばしてて僕が手伝う事もあるから、折角だし解かすの手伝うよ」
「別にいいじゃない、試着するだけなんだし。それに、届くと言ってもあくまで最初の試作品だからまだまだ調整が必要だし、ちゃんと発表の場には整えた状態で出るわよ」
ベルクが良心から進言するが、アストリッドはそれらしい理由を言って断ろうとした。
──だが、アストリッドのその返答は、ベルクの中にある何かのスイッチを入れてしまった。
「……ちょっと待って、色々思い出してきた。
姉さんってさ、昔から手先は器用だけど、そういう所があったよね。
朝起きて顔は洗うけど、前髪以外ろくに解かさないから使用人が見つけるまでボサボサのままだし。
花嫁修業のための料理の授業は、食指が全く動かない、教え方が悪いと色々難癖をつけて堂々と寝入りを決め込むし。
挙句の果てには、自分が場所を全部覚えてるからと言って、ろくに私物を片付けもせず、掃除しようとすると"動かさないで!"って大声で喚いて使用人を困らせてたし……」
「ちょ……、ちょっと、ベルク……?」
言葉を紡ぐほどに何やら恐ろしい何かがベルクの中で高まっていく気配を薄らと察知したアストリッドは「逃げたら許さない」というオーラ全開のベルクを前に、その顔を引きつらせる。
「そういう大切な服の試着は、いざ本番になった時に違和感や齟齬が発生しないようにするためにも、髪の毛まで整えないと、真に試着したとは言えないっていうのは、いつも口を酸っぱくして父上から言われていたよね……?」
「…………」
アストリッドはいよいよ目を合わせることが出来なくなり、冷や汗を大量にかきながら顔を逸らしていく。
しかし、その顔が向いた先に、ベルクは二人の間にあったテーブルを素早く迂回して回り込み、その肩をポンと叩く。
「……姉さん、覚悟」
「ひぃっ……!」
その直後にアストリッドの悲鳴が屋敷に響き渡った事は、最早言うまでもないだろう。
そして、買い出しに出ていたマックスと服の仕立て屋を伴ったゼノンが帰ってきたときに目にしたのは、髪の毛が整えられ、服を変えれば間違いなくお嬢様に見えるであろう、真っ白になったアストリッドの姿であった。
「アンタ……ナンデコンナニキヨウナノヨ……」
「いつまでも、不器用を理由に逃げてばっかいられないからに決まってるだろ。
これでも努力してるんだよ?」
気力の抜けた声でぼやくアストリッドに、ベルクは櫛を仕舞いながらため息交じりにそう言った。
そんなことがあった後、アストリッドが衣装作成を依頼した、ゼノンの旧友である老齢の女性ドワーフの仕立て屋が、式典用衣装の試作品と、それに似合う特注の履き物が入っているという二つの箱を撫でながらこう言った。
「実は、型紙を取っていた時にインスピレーションが沸いちゃってね。少し先鋭的なデザインかもしれないけれど、お嬢ちゃんなら間違いなく似合うわ」
「そ……、そうなんですか? まあ、とりあえず着てみないと……。
着付け、お願いしますね」
男性陣を廊下に待機させたアストリッドは、仕立て屋と一緒に自室へと入って鍵を閉める。
不安になったベルクは扉が開いた瞬間にアストリッドの部屋を確認したが、流石に他人を招き入れるとあって押し込み方式で片付けられたのか、見た目だけは整っていた。
汚部屋でないことを確認したベルクは安堵し、ゼノンやマックスと共に、部屋の前の廊下で式典衣装のアストリッドが出てくるのを待つ。
しかし、アストリッドが服を殆ど脱いだであろうという頃に部屋の中から聞こえてきたのは──
「えっ……、何ですかこれ!?」
「何って、私が仕立てた式典用の服よ?」
「そう言う事じゃなくて、流石にこれを着て人前に出るのは……というか、そんなの着て人前に出たら、ただの痴女じゃないですか!!」
「大丈夫よ! 多分きっと恐らくそう遠くない内に、この私のデザインした服が流行する日が来るわ!!
真の腕利きの仕立て屋は、常に時代を先取りするものなのよ!!」
「嫌ああああああああ!!!」
と、何が起こっているのか心配になる会話と、恐らく無理矢理着替えさせている事によるドスンバタンという物音。
アストリッドの悲鳴と仕立て屋の高笑いが数分間、何度も何度も響き渡り──そして、とうとう部屋の鍵が明けられる音が廊下に響き渡る。
「ほらほら、隠さない! 堂々と胸張って歩きなさい! 本番と同じように!!」
「いえ無理です! 流石にこれを見せるのは無理──」
嫌がるアストリッドの声が聞こえたのも束の間、扉は勢いよく開け放たれ、背中から突き飛ばされたアストリッドが前のめりになりながらその姿を現す。
そして、バランスを取るために隠そうとしていた個所から腕が離れ──顔を上げたタイミングで、無防備な全身の姿が晒される。
「な……っ!?」
「……ほお」
「……っ、……ッ!?!?」
ゼノン、マックス、ベルクの三人は、仕立て屋が仕上げた「先鋭的な衣装」に身を包んだアストリッドを見て、三者三様の反応を示す。
黒色と臙脂色の二枚で構成されたフリフリの腰巻きと、丈が膝小僧の上まである、冒険者として無駄なく引き締まった筋肉を持つ美脚をより一層際立たせるための特注の履き物──ロングブーツとの間から顔を覗かせている絶対領域。
この大陸の大きな離島に存在する国──ブージン王国の"着物"から着想を得て改造したと思われる、肩と上腕を露出させた振袖。
そして、最も恥ずかしい部分は覆い隠しているものの、肩はおろか、胸の谷間とへそ周りの腹筋が前から丸見えになっている、上半身に纏ったマント。
その姿は現在でこそ一部容認されているものの、当時の時代の人達にとってはあまりにも先鋭的過ぎるデザインであり、刺激が強すぎたのだ。
「お主と言う奴は……、わしの孫娘をッ、痴女に仕立てるつもりかぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
あまりの痴態にゼノンの怒りは一瞬で頂点を超え、鼓膜が破れるかと思う程の大声で、ゼノンは仕立て屋をガミガミガミガミと怒鳴り散らす。
「へえ……、いいね、似合ってんじゃねぇの?
サシ飲みで相手する店なら間違いなくトップになれるだろうよ。何なら、特別に俺が指名してやってもいいぜ?」
数か月は弄るネタが出来たという事を、隠そうともせずに存分にほくそ笑むマックス。
(ぶふ……っ、ぶぼふっ……、ぶぱっ……!)
全ての要素があまりにもドストライク過ぎたのか、はたまた同じ衣装を自分の妻に着せた妄想でも行ったのか、ベルクに至っては、手で塞いでもせき止めきれないほどの大量の鼻血を勢いよく床に噴きつけていた。
「私……、もうお嫁に行けない……」
アストリッドは涙目になりながら、今日と言う日を静かに呪った。
しかし、そんな事など些末な事に過ぎない程の絶望が翌日に現れることになるなど、誰も知る由など無かったのは言うまでも無い。




