5.5─III
翌日、アストリッドは昨日に引き続き、村民達と共に田植えに勤しんでいた。
しかし、その胸中は「心ここにあらず」と言った状態であった。
──今わしの立てている仮説が正しいと証明されれば、魔法は特別な物では無くなる。誰もが、当たり前のように日常で魔法を使える時代が来るんじゃ。
昨夜、昼間の弟に使った魔法の件を聞きに行こうとした際に、図らずも聞いてしまった祖父・ゼノンの衝撃の発言。
それは正に、世の中の在り方が大きく変わる──大革命と言っても過言ではない程の内容であった。
そして、それが実現した世の中と言うのは、一体どんな世界なのだろうか。
(魔法が、特別では無くなる……。
そんな時代が、本当に……?)
クーリア以外の種族でも、自由に空を飛べるようになるのだろうか。はたまた、マーマン達と共に水中遊泳を行えるようになるのだろうか。いや、むしろ全て叶ってしまうのではないだろうか。
考えれば考えるほど、そのワクワクは百倍にも千倍にも膨らんでいく。
しかし──
「嬢ちゃん、しっかりしろ! 手ぇ止まってんぞ!」
「ぅひゃいっ!?」
背後から突然飛んできた注意を促す声に、アストリッドは思わず変に甲高い声を上げてしまう。
その声の方へと振り向くと、そこには微妙な表情をしたジュードが立っていた。
「……悪ぃ、何か気になる事でもあったのか?」
「い、いえ! ごめんなさい、少しぼーっとしてて……」
「そうか……。頼むぜ、明日までに全部終わらせなきゃなんねえんだからよ?」
「はい……」
ついつい妄想に現を抜かしてしまっていた事を反省し、アストリッドは作業を再開する。
しかし、その心に宿った高揚感は、既に消しても消せない物になってしまっていた。
「……あの、ジュードさん」
自分の持ち場へ戻ろうとするジュードに対し、アストリッドがそれを恐る恐る引き留めると、ジュードは「どうした?」と言いながら足を止め、振り向く。
「その……、田んぼの事とは関係ない事……いや、もしかしたら関係してくるかもしれない事なんですけど……」
「……?」
アストリッドにしては要領を得ない発言に、ジュードは首を傾げながらも耳を傾ける。
「その……ジュードさんは、皆が魔法が使える世界になったとしたら……、どうしたいですか?」
その問い掛けに、ジュードは顔をしかめて数秒、押し黙る。
そして、苦い顔をしながらこう言った。
「……魔法ってのは、昨日嬢ちゃんとこの爺さんが坊ちゃんの泥落としに使って見せた、アレみたいなもの……だよな?」
ジュードの問い掛けに、アストリッドはうんうんと頷き──そして、何故ジュードがそんな顔をしたのか、気付いてしまった。
「……悪ぃ。俺には魔法ってのがどんなもんなのか、見当すら付かねぇ……」
詫びるよりも早くジュードにそう言われてしまい、自分でも何を言っているんだろうとアストリッドは赤面する。
そもそも魔法が一般的に普及している物では無いというのに、冒険者でも傭兵でもない一般市民に魔法のことを尋ねること自体が間違っていたのだ。
だが、ジュードはそこで言葉を止めず、こう続けた。
「ただ……、俺達の仕事が楽になったり、検閲の精度が上がって安心に暮らせるようになるんなら、魔法ってのが使えるようになってもいいんじゃねぇか……なんてな。
どの道、俺達がやることは変わんねぇってことよ」
その返事を、アストリッドは目を丸くさせて聞き入っていた。
アストリッドはこの時、先の見えぬ道に光明を得たような心持ちになっていたのだ。
個人的な望みと、"アストリッド・クランマーベル"としての務めを果たす事。
それを両立させるためにはどうすれば良いか──その答えのきっかけは、ジュードが漏らしたその一言にあったと言う。
「……ジュードさん、ありがとうございます。お陰で、悩みが解決できそうです」
意外なことで礼を言われたジュードは、思わずその笑顔と所作に心を奪われそうになる。
俺も後少し遅く生まれてたらな──そんな邪な念が脳裏に浮かんでしまうほどに、その少女は美しかったのだ。
「そりゃ結構だが、礼を言われるようなことはしてねぇよ。
それより、とっとと終わらせちまおうぜ」
「ふふっ、そうですね。終わらせてしまいましょう」
ゼノンは、あと三日もすればこの村を発ってしまう。
それまでに、やるべきことをしなければならない。
貴族として生きるために半ば諦めかけていた、魔法に溢れた人生を送りたいという願いを叶えるために──。




