4─XIII
「ここなら、そんなに邪魔は入らないよ」
ガイアの前方を歩いていたイーシスはそう言うと、病院の屋上へと繋がる扉の前で立ち止まった。
これから寒くなるこの時期になると、屋上には余り人が寄りつかなくなる。
そのせいもあってか、扉の窓から見える屋上には、秋の風に吹かれながら煙草を飲んでいる人間が二人居るだけであった。
そして、ガイアの方へと向き直ったイーシスはそのまま言葉を続ける。
「まずは、君の誤解を解かせて貰うよ。
僕は、あの子に劣情を抱いて接している訳じゃ無い……と言っても、信じて貰えないだろうね。
当たり障りの無いぼかした内容で説明するのと、詳しく説明するの、どちらが良い?」
その問いを投げ掛けられた際、ガイアは背筋に緊張が走った。
イーシスの目つき──それは、普段の女たらしな彼からはとても想像できない、こちらを射抜くような鋭い物だったからだ。
頬に一筋の冷や汗が流れ、思わず生唾を飲み込むガイア。
イーシスの鋭い視線が意味する物が、何なのかは分からない。
しかし、それでも──
「後者で、お願いします」
ガイアは、あの少女に深く関わるという道を選んだ。
「……本当に、それで良いんだね?」
イーシスの確かめるようなその言葉に、ガイアは静かに頷いた。
◇ ◇ ◇
──それは、春一番の強風が平原を吹き荒れる、ある晴れた日の事であった。
この日、傭兵のイーシスは姉のイーシャとその夫──義兄のゼンバリー、そして他の同業者の傭兵達と共に、中規模な商隊の護衛を行っていた。
その日は吹き荒れる春一番のせいで、イーシス姉弟他、クーリアの人間は思うように空を飛ぶことが出来なかった。
故に、上空からの偵察は行えず、索敵はビーストの嗅覚と聴覚が頼りだった。
しかし、ずっと精神が張り詰めた状態を保つなど、不可能なことだ。
その証拠に、休憩と見張りを交代しながら行っていたにも関わらず、傭兵一同の精神的な疲労は確実に蓄積していった。
──そして魔物は、張り詰めた空気に綻びが生じたその瞬間を、見逃さなかった。
風下から息を潜め、ずっと様子を窺っていた成体のグランドシャーク達が、一斉に一つの荷馬車へと襲い掛かった。
突然の奇襲に対応が遅れた傭兵達が何人か食われ、現場は騒然となった。
そして、その荷馬車の班から助けられたのは、四肢の一部が欠損した傭兵数人と、荷馬車の持ち主の娘だけであった。
◇ ◇ ◇
「……丁度、僕達の真後ろの班だった。その班が警護を担当していた商人の娘と言ったのが、他でもない彼女なんだよ」
その事を語るイーシスの言葉には、いつものようなやや軽い調子は見受けられなかった。
いつもの笑顔はその顔から消え失せ、口の端をきゅっと結んでいる。
それは、自分の無力さへの怒りか、はたまた守れなかったことへの悔しさか。
衝撃の内容を聞かされたガイアは、何も言う事ができなかった。
そして、イーシスは再び重たい口を開く。
「彼女は不治の病を患っていて、年の暮れまで持つかどうかと言われていてね……。
父親のファルスさんは、彼女の最後の時間を、自身の故郷であるこの地で共に過ごしたいと願っていたんだ。
……僕は、長旅の中で彼女とは結構仲良くなっていたから、せめて彼女の傍に居てあげようと思ってね。
一年限定の期限付きで、冒険者ギルドに転属することにしたんだ」
イーシスが紡いだその言葉に、ガイアは絶句した。
あの少女が僅か十三歳で達観しているように見えた理由。イーシスの転属理由。そして、彼女にイーシスが接触する理由。
それらは全て、決して下らない不純な動機という言葉では片付けられないものであった。
「……春に、出ていくんですか?」
言葉をどう返したらいいのか分からず、ガイアはややズレた質問をしてしまう。
だが、イーシスはその混乱を察し、その内容のおかしさを指摘せずにこう言った。
「ああ、そのつもりさ。
年が明けて暫く経った頃になったら、姉さん達が迎えに来る手筈になってる。
そして……、この町を出て、僕は世界中のまだ見ぬ可愛い女の子達と知り合いたいんだ」
おどけた調子でそう答えたイーシスに、ガイアは心の中で静かに感謝する。
そして、「大丈夫。僕が誘導するから、落ち着いて」とでも言うかのような視線をイーシスから感じ取ったガイアは、そのまま今の言葉に対する返しを行う。
「本気で結婚したい人は居ないんですか?」というガイアのその質問に対し、イーシスは溜息交じりの笑いを浮かべた後「それを、君の口から僕に尋ねるのかい?」と言い、それを聞いたガイアは思わず頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
すると、その様子を見たイーシスは、静かな声でこう言った。
「……アスナちゃんさ。
まあ、結果は君も知っての通り、見事なまでの玉砕だったけどね。
お陰で、この町を心置きなく出る事が出来そうだよ。
女の子の幸せを第一に考えるのが、僕の信条だからね」
イーシスは自嘲するかのように笑い、静かにそう言った。
そして、その信条と普段の行動の齟齬に違和感を覚えたガイアは、「結婚を申し出てくれた人たちとの別れは、心残りが出来ない方が良いと?」と尋ねる。
すると、イーシスの口から飛び出したのは──
「それもあるけど……、正直に言うと、僕は結婚というものをするのが怖いんだよ」
──という、予想だにしないものであった。
そして、イーシスの告白は尚も続いていく。
「けど、アスナちゃんには、その恐怖心を乗り越えてでも結婚したいって思わせてくれる魅力があったんだよ。
……それで、例の銀髪のあの子から貰ったこれに、僕との二人の姿絵を入れたかったんだけど……」
イーシスは寂しげな顔でそう言いながら、上着の内ポケットに右手を入れ、チャラ、と音の鳴るそれを取り出して見せた。
それは、チャームが開閉式になっており、開いたその場所に薬や家族の姿絵などを入れておく装身具──楕円形の"ロケットペンダント"であった。
そして、手のひらに乗せたそれを見つめながら、イーシスはこう言った。
「"あなたに家族が出来た時に使ってほしい"って言われて渡されたんだけど……、持ち腐れになってしまいそうだったから、僕は返そうとしたんだ。
でも、"それを見ると父の死に際を思い出してしまうからいらない"って言われちゃってね……」
「お父さんの事を……?」
「ああ……。
これは、彼女の父親……ファルスさんが、この町であの子との姿絵を入れるつもりだったらしいんだ。
それでも、僕が持ってるのは悪いから返そうとはしたんだけど……、"それなら、あなたが好きなように処分して"って言われちゃってね……」
イーシスはそう言うと、寂しげな瞳でペンダントを開く。
そこには、何も入っていない。ただ真っ新な内側があるだけだった。
「そうだったんですか……」
あまりに衝撃的な事実を聞かされ、ガイアはそう返す事しか出来なかった。
お互いに何も言い出すことなく、沈黙が二人の間に訪れる。
そして──その沈黙を先に破ったのは、イーシスの方だった。
「……ガイア君、一つ頼みを聞いてくれないか?」
「何ですか?」
ガイアがそう言い終わると、イーシスはロケットを握りしめ、その右手をガイアの方へと突き出し、こう言った。
「僕じゃあ、このロケットをどうすることも出来ない。
だから……、僕から君に、これを託したい」
「え……?」
「これは、君がいつか、アスナちゃんと家族になった時に使ってほしい。
アスナちゃんにフラれた男からの選別だと思って、貰ってくれないか?」
突然の申し出に、ガイアは困惑してしまっていた。
第一、イーシスが勘違いするような方法を仕掛けたのは事実だが、別に付き合っているわけではない。
ガイアは、理想の相手と結婚する相手が同じとは限らない、という分別が付いている男だった。
故に、ガイアは嘘を貫くべきか、真実を話すべきか迷ってしまっていた。
すると、イーシスはそんなガイアの様子に気付いたのか、こんな言葉を投げかけた。
「君達が付き合ってないのは、薄々気付いているよ。
その上で、僕は将来君がアスナちゃんの彼氏になるだろうと思って、これを渡そうとしてるんだよ」
「え……?
え、えっちょ、待って下さい! 気付いてたんですか!?」
「君達二人の"距離"は、明らかに恋人のそれでは無かったからね」
「そうでしたか……。
じゃ、じゃあ、俺が将来アスナと付き合うだろうって言うのは……?」
「それは、"現時点ならその可能性は十分にある"って事さ。
実際、彼女が僕の告白からの逃げ道として君が彼氏であるという嘘を利用する際、彼女には抵抗というか、嫌だと思うような気持ちが殆ど無かったように見えたんだ」
アッサリと述べられたイーシスの見解に、ガイアは驚きを隠せなかった。
だが、多くの女性と親しい関係になったイーシスの言葉だからこそ、その内容には説得力があった。
「……そう、なんですか?」
「そもそも異性で、意中にない相手と組もうなんて考えに至るかい?
彼女は、君の事が嫌いではないから組んでくれたんだろう?
現に今、彼女と組んで一番近くにいる男は、他でもない君じゃないか。
だから僕は、アスナちゃんが幸せになることを願う事も含めて、これを君に渡したいんだよ」
イーシスの言葉を受け、ガイアは暫し沈黙する。
そして、イーシスから差し出されたロケットを、その手に持っていた本を一旦預かってもらう形で受け取ると、ガイアはそれを病院着のポケットへと入れた。
そして、預かった本を返しながら、イーシスはこう言った。
「可愛い彼女を密かに狙ってる男は多いからね……。負けるなよ、彼氏候補君」
「……はい」
「……じゃあ、僕と言う格好のきっかけがあることだし、その本を置いたら彼女に会いに行こうか」
そう言って、イーシスは静かに歩き出す。
それは、ガイアとイーシスの間に、友情のようなものが結ばれた出来事であった。
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