2─I
ジーノとの最期の時間から一夜明け、霊神暦713年11月10日。
今日もまた地平線の向こう側から太陽が顔を出し、窓から差し込んだ曙光が部屋を照らす。
振り子時計からパッポ、パッポ、と鳩が出入りを繰り返し、部屋の主に朝の訪れを伝える。
すると、ベッドの毛布がもぞもぞと動き、つむじの辺りにピョコッと寝癖が付いたこの部屋の主──ガイアがゆっくりと身体を起こす。
気持ち良く両手を真上に上げて伸びをすると、眠い目を擦りながらベッドから抜け出し、立ち上がる。
そして、振り子時計から伸びている紐を引っ張ると、6時半に設定した目覚まし機能の鳴き声が止み、時計の振り子の音だけが静かに部屋に響いていた。
そして、まずガイアは顔を洗うために洗面所へと向かうべく、廊下に足を運ぶ。
未だ意識がまどろむ中、壁の取っ手に魔力を注ぐガイア。
魔力の蓄積量に応じて緑色に発光する石が黄緑から深緑の色へと変化したのを確認したガイアは、取っ手の横にあるボタンを押して照明のスイッチを入れる。
すると、廊下の照明が発光し、そのついでにほんの少しだけ眠気が緩和されるような気がしてくる。
そして、やや覚束ない足取りで洗面所へと辿り着くと、今度は水道栓の手前にある取っ手に魔力を注ぎ、十分に魔力が溜まった所で栓を捻る。
ガイアは蛇口から溢れ出したその水で顔を洗い、うがいをしてから水で寝癖を整える。
それから口に残った朝のネバネバ感をスッキリさせるため、自分用に購入した歯ブラシに歯磨き粉を付け、しゃこしゃこと歯磨きを始める。
そうやって未だ眠気が覚めきらないガイアが重い目蓋を閉じながら歯を磨く手を動かし続けていると、不意に自分の右側──洗面所の入り口から人の気配が現れた。
ガイアは一歩左に移り、その人物の為の洗面所のスペースを確保する。
やがて、すぐ隣からバシャバシャと顔を洗う音が聞こえ、うがいを終えたその人物は──
「……誰だお前」
ガイアの聞き覚えのない声で、そう言った。
ガイアも驚いて目を見開き、声の主の方へと顔を向ける。
そこには、濃い紅色の肌と、額に二つの小さな角が生えた種族──オーガの男が立っていた。
大きめの瞳に、不格好にならない程度のたらこ唇という顔付きのその男の身長はガイアより少し上と言ったぐらいで、紅色の肌に良く映える白髪はスポーツ刈りにされていた。
ガイアは寝ぼけた頭を働かせ、シェアハウスの同居初日にシュウが言っていた言葉を思い出す。
『本当はもう二人居るんだけど、今は依頼に行ってて居ないから──』
先程の「誰だお前」という発言から、ガイアはこのオーガの男性が、その二人の内の一人なのだろうという結論に至る。
今回はアスナの時とは違い、ここは町の中。つまり、極めて高い未遂検挙率を誇る検閲を突破した者しか居らず、空からの侵入者を防ぐための町を囲う壁の上では、見張りの王国兵が二十四時間体制で巡回している。
故に、隣のその人物は、アスナのような不審者を見るような目つきではなく、純粋に驚いたと言った様子で目を見開いていた。
そして、少し思考を巡らせた為に妙な間が出来てしまっていた事に気付いたガイアは、すぐに「初めまして」と言おうとする。
しかし──
「あ、もーほふぁひへまひへ」
「……せめて口ん中濯げ」
口の中はとっくに歯磨きによって生成された泡で埋め尽くされており、そんなツッコミを受ける事になってしまうガイアであった。
口の中の物を吐き出して口の中を濯いだガイアは、すぐに改めてオーガの男へと向き直る。
「……失礼しました。俺、先日からこの家でお世話になる事になりました、ガイアと言います。
職業は剣士です」
「あー……、そういや昨夜、なんか薄らシュウから聞いたな……。
俺、昨日は帰り夜遅かったし、眠かったからすっかり忘れてて……」
「すまん!」と言い、オーガの男は両手を顔の前で合わせて頭を下げる。
「いえ、確かに"誰?"ってなるのも仕方ないですよ。
それで……えっと、あなたは?」
「ああ悪い、名乗るのが遅れたな。
俺はトーマス。上級治癒士だ。よろしくな」
そう言って、昨夜遅くに帰宅したという帰還者──トーマスはその右手を身体の前に差し出し、ガイアもそれに応じる。
そして、ガイアは握手をしながら気になったことを質問した。
「上級という事は……、トーマスさん、お幾つなんですか?」
それは、トーマスが言った職業が、「"上級"治癒士」だった事である。
冒険者の職業は、大きく分けて二種類にすることが出来る。
武器を操り、前衛~中衛で戦う「戦士系」と、魔法を使って中衛~後衛で戦う「術式使い系」。
それぞれ四つずつ特徴の異なる「基本職」が存在し、職業毎に反対の系統の職業と相反する関係になる職業が一つずつ存在している。
そして、職業には「基本職」と「上位職」があり、その基本職の後半に当たるのが「上級」と名の付く職業なのである。
更に、複数の基本職を相反しない物同士で組み合わせたり、一つの基本職を専門的に高めることで、それぞれ独自の名前を持つ「上位職」に転職することが出来るのだ。
そして当然ながら、転職を行う為には、転職条件に定められた職業で相応の修練を積む必要がある。
故に、ガイアはトーマスが確実に年上であると言うことを悟り、年齢を尋ねたのだ。
そして、その予想は見事に的中する。
「二十歳だ。
この家の面子だと、一番年上って事になるな。お前は?」
「17です」
「17……アスナと同じか。ま、仲良くやろうぜ。
同じ仕事に身を置く仲だ、何か困ったことがあったら言えよ?」
そう言って、トーマスはガイアの背中を軽めに叩く。
ガイアも笑顔を作り、「はい。よろしくお願いします、先輩」と返したのだった。
曙光:夜明けに差してくる太陽の光。




