序─I
想像を絶する衝撃が全身を襲い、彼──差光大地の意識は、一瞬で闇の中へと葬られた。
全ての感覚が失われ、養子縁組によって巡り合った義理の父母との思い出が、走馬灯として浮かび上がる。
もう、何も感じられない。
虚無に全ての感覚を奪われた大地は、自らの命が終焉を迎えた事を悟る。
思い出すのは、死の直前に、黄昏時の闇の中から飛び出して来たトラック。
あの交差点は見通しが悪く、以前から接触事故が多発していた──が、現代人の性か、大地もまた"その当事者になるなどとは微塵も予想していない大多数の内の一人"であった。
だが、"死後というものはこんなにも思考することができるものなのだろうか"という疑問が、ふと彼の脳裏を過ぎる。
もし本当にそうだとすれば、この後自分はどうなるのだろうと考えを巡らせる事が大地の数少ない楽しみと化すには、そう時間は掛からなかった。
突然視界が開け、目の前に現れた閻魔大王から審判を下されるのだろうか。
はたまた、一切の記憶を失い、新たな生命として生まれ変わるのだろうか。
一切の感覚が遮断された闇の中、ただ一つ残された自由──思考を駆使し、大地は様々な可能性に思いを馳せる。
だが、妄想に思いを馳せていたその時、突然自分の感覚が次々と蘇って行くという感覚を覚えた大地は狼狽え、混乱する。
何が起きているのか分からぬまま暫くの時が過ぎ、自分の身体がどこかに投げ出されたということを知覚した大地は、目蓋を恐る恐る開いてゆく。
そして、視界に飛び込んできたその光景に、彼は思わず息を吞んだ。
何故なら、自分が立っているその場所は、なにやら厳かな神殿のような空間──そのど真ん中に位置する場所であったのだから。
だが、大地は「こんな時こそ落ち着け」と自分に言い聞かせながら何度も深呼吸し、どうにか戸惑う心を落ち着かせたところで、冷静に現状を分析しようと試みる。
そうしてまず最初に感じたのは、自分の身体の違和感であった。
服装は上下共に黒い単色の物に変化し、中肉中背だったはずの肉付きは、程良く引き締まった細マッチョへと変貌を遂げていた。
その事実に少なからず恐怖を感じた大地は、足下の円台にある水が張られた溝の水面に、自らの顔を映して顔つきを確認する。
しかし、そこに映った自分の顔はほんの少しスマートになってはいるものの、死ぬ前の物と何ら変わらぬままであったことによって杞憂に終わった。
その事に安堵した大地が次に行ったのは、周囲の状況把握であった。
まず、大地はこの神殿らしき空間の、中央に存在する円台の上に立っている。
そして、その円台を囲うように、周囲には六つの台座が存在している。
その台座からはそれぞれ自分が乗っている円台に道が続いており、大地はその内の一つへ乗り出そうとする。
だが、円台から出ようとした途端に見えない壁に阻まれ、やむを得ず足での捜査を断念する。
それもあって、今はそれ以上の情報は望めぬ状態となっていた。
だが、大地が「これから自分はどうなるのか」という言い知れぬ不安に苛まれていた、その時である。
『────し、もしもーし! 聞こえてるー!?』
「……っ!?」
突然頭に響いた女性の声に驚き、大地は咄嗟に立ち上がって周囲を警戒する。
すると、先程の声とはまた別の、男性の声が響く。
『上だよ、上。俺達が見えるか?』
そう言われ、大地は頭上へと視線を移す。
そこには、それぞれ別々の色に光っている六つの球体が、自分の円台を取り囲む六つの台座の上へと徐々に降下し、それぞれの台座の上へと降り立つ。
赤、水、緑、黄、茶、青の光をそれぞれ発しつつ、それらの球体状の生命体は、驚愕してへたり込む大地を"観察"していた。
目がどこにあるのかは分からない。だが、大地はその六つの球体から注がれる視線を、確かに感じていた。
すると、言葉まとまらぬ大地の頭に、六人の声が交錯する。
『あら……、もしかしてこの子、驚いてない?』
『完全に驚かれてるね……。それに、私達の姿も中途半端にしか見えてないみたい』
『ふむ、どうやら本当に眠っているようだな』
『そうみたいね……』
『仕方ねぇよ。今の俺達にはこれが限界だ』
『どうする? 一か八か、望みを託すか?』
口々に言い合う六人の声に、大地は混乱する。
だが、このままでは何も分からない。大地は勇気を振り絞り、大きく一言。
「あの、すみません! ちょっといいですか!?」
大地のその声に、六人の声が静まり返る。
すると、茶色の球体が、大地に向けてゆっくりと口を開いた。
『……はい、何なりとお尋ね下さい』
「ええと……、ありがとうございます。あの……それで、俺はどうしてここに辿り着いたんでしょうか?
あなた方はどちら様で、ここはどこなのでしょうか?
……それとも、もしかして、ここが死後の世界なんですか?」
自分を気に掛けてくれるだけのを気配りをしてくれた事に感謝しつつ、大地は自分が知りたい事を、矢継ぎ早に質問する。
大地から投げ掛けられたその質問を聞いた六人は、暫し沈黙。
そして──
『……分かりました。突然このような事になり、さぞ混乱しておいででしょう。
只今の質問について、私の方からお話しさせて頂きます』
茶色がそう言うと、それを他の五人も承諾する。
そして、そこから紡ぎ出される言葉の数々に、大地は驚き続ける他無かった。
まず最初に、ここは死後の世界ではなく、大地の居た世界と"異なる次元の世界"に存在する場所であるということ。
死んだ大地の魂を六人が見つけ出し、用意した身体にその魂を宿らせ、"転生"させたと言うこと。
自分達はかつて、この世界の人間と協力して"悪しき者"と戦い、激戦の末にそれを退治したということ。
しかし、その"悪しき者"の復活の兆候が、自分達の異次元世界に現れ始めているということ。
その悪しき者を再び退治する時に備える為、魂の波長が合う大地の魂が選ばれ、今ここに立たせたということを──。
『その為に、どうかお願いします。我々の世界で発生している復活の兆候の源を探し出し、来たるべき時に、我々と共に戦って頂きたいのです』
それら全ての説明を終えた後、茶色は改めて自分達の願いに協力するよう申し出る。
しかし──
「事情は分かりました……。でも……」
大地は、言葉に詰まっていた。
六人──恐らく、異世界の神であろう存在が居るその世界は、所謂"剣と魔法の世界"。
魔物が蔓延る、言わば「常日頃から熊や猪、もしくはそれ以上の存在」に襲われる危険を孕んだ、そんな世界である。
第一、そんな世界で生きていけるかと問われれば、ハッキリ言ってどこをどう掘っても大地にその自信が沸くことは、まず無い。
だが、大地はだからといって、死にたいと言うような自殺志願者でもなかった。
すると、その不安を察したのだろうか。赤色が大地にこう言った。
『お前の助けになるよう、俺達からも最大限の"加護"を授けるから……、頼む。
今頼める人間は、本当にお前しか居ないんだ』
本当にそうなのだろう。悲しげな声でそう言われ、大地は加護を受け取ることを条件に、半ば仕方ないと言った様子で、その六人の申し出を承諾する。
そうして、大地は説明を受けつつ、それぞれ二つずつ、合計十二に渡る"加護"を授かることとなった。
『私達の都合に巻き込んじゃって、本当にごめんね。でも、あなたならきっと大丈夫』
「いえ……、こちらこそ、こんなに沢山の加護を授けて頂いて、ありがとうございます。
ここまでして頂けなかったら、恐らく絶対に引き受けなかったと思いますから……。
本当に、ありがとうございます」
そう言って、大地は青の球体、並びに他の五人に向けて、深々と頭を下げた。
だが、その直後。突然何かを思い出したかのようにハッとした緑が、大地にこう言った。
『いけないいけない、君の名前を聞いてなかったよ!』
そう言われて、大地もまたハッとする。
聞きたいことと入ってきた情報が多過ぎて、自己紹介がすっかり後回しになっていた事に気付いた一同に、笑いが起こる。
「大地……、差光大地と言います」
すると、六人は見えない首を傾げる。そして、真っ先に口を開いたのは、赤色であった。
『サコウ・ダイチ? ダイチって変な苗字だな……。ってことはお前、ひょっとしてボンボンか?』
「いえ、差光が苗字です。後、うちは普通の一般庶民です……」
『彼は異世界の住人だ。我々の世界とは勝手が違う』
大地が素早く訂正のツッコミを入れると、余り喋らない水色がそれに続いた。
『成る程なぁ……。あ、でもそのままの名前じゃ怪しまれるかも知れねぇから、命名変更の儀もやっといた方が良いよな?』
赤がそう問い掛けると、他の五人も同意する。そして、その意味に気付かない大地でもなかった。
「じゃあ……、少し安直かも知れませんけど、"ガイア"でお願いします」
それを承諾した六人は、合図に合わせて一斉に魔力を練り始める。
すると、六人の周囲にそれぞれ見たことも無い文字列が浮かび上がり──その文字列は六人の周囲から飛び立つと、大地が立っている円台の見えない壁をすり抜け、大地の身体へと入っていった。
命名変更の儀が終了し、ガイアは再びお礼の言葉を述べる。
そして──
『それではガイア様、そろそろ"転移の儀"へと移らせて頂きます。
心の準備はよろしいですか?』
茶色にそう告げられ、大地──もとい、ガイアは頷くことで、承諾の意を返す。
後に、何冊にも渡る長編小説として編纂され、異世界の人々に読み継がれて行く事となる伝記『魔法剣士ガイア』。
彼が転生先の異世界で辿った軌跡の物語は、こうして幕を開ける事となった。