1─IV
その日、ガイアは朝から姿を消したアスナを探して、街中を駆けずり回っていた。
皆が未だ目覚めやらぬ早朝の時間に行動を起こした為か、目撃情報は皆無。だが、それは同時に外出用の検閲受付が閉まっている時間でもある。
故に、アスナが城下町のどこかにいるという事だけは確定事項であった。
捜索が行き詰まる中、ガイアふとあることを思い出し、その場所を訪れる。
そこは、北西部の施設エリアに存在する、アスナが育った場所──修道院であった。
葬儀のために殆どの人が出払っていた修道院には、雨の日でも子供達が運動できるよう、地下に運動用の空間が設けられている。
ガイアは、「アスナがそこでジーノと訓練を行っていた」という一昨日のフェズの話を思い出したのだ。
修道院に残っていた女性の修道士に事情を話し、ガイアはその地下室の扉の前へと続く階段を降りて行く。
そうして扉の前に辿り着いたガイアは、そっと扉に耳を当て、中の音を探る。
そして──扉の中からは、誰かのすすり泣く声が、途切れることなく響いていた。
「……アスナ?」
ガイアは優しく三回ノックした後、その扉の向こうの存在──アスナに声を掛ける。
すると、途端にすすり泣きが途切れ、「ガイア……?」と困惑気味なアスナの声が響く。
「……もうすぐ、始まるぞ」
ガイアはあえて理由を聞かず、声を掛ける。
しかし──
「分かってる……、分かってるの……。
でも、やだ……。行きたくない……」
嗚咽混じりに発せられたその声に、ガイアの脳裏に、遠い日の記憶が蘇る。
生みの母親が死んだ時、幼き日の自分が取った行動を。
そして、今この時になってようやく自覚した、激しい後悔の念。
故に、ガイアは──
「何で、行きたくないんだ?」
確信に至るための、重要な問い。
アスナのこの行動が、師匠の死を受け入れたくないという気持ちから来た物であるのかどうか、確かめる必要があった。
そして、扉越しにアスナの声が響く。
「どうして、別に親しくもないあんたに話す必要があるのよ……」
しかし、その返事は、とてもそっけない物。
だが、アスナが言うことも最もだということを、ガイアは理解している。
今の二人の関係はただの「協力者」であり、別に親しいという訳ではない。
そんな相手に、自らの弱さを語る理由など、確かにどこにも無い。
しかし、同じような行為に走ったガイアだからこそ、そんな冷めた関係だけで終わらせたくないと、そんな願いが心のどこかにあったのかも知れない。
ガイアの口が自然と動き、言葉を紡ぎ出す。
「"皆が死んだ"って認めたみたいになるのが嫌で……、それが、怖いんだよな?」
「っ!?」
ガイアのその言葉は図星だったのか、アスナの戸惑いの声が扉越しに響く。
心の底にあった後悔の涙が、幾つもガイアの頬を伝ってゆく。
「俺も……、今のアスナと、同じ事をしたんだ」
「え……?」
そこから語られたのは、ガイアの過去。まだ彼が父親からの虐待すらも受けていない、無垢な少年だった頃の話。
ガイア──もとい、大地が六歳だった頃、大地の生みの母親が事件に巻き込まれ、死んだ。
そして、大地は棺の中の母親を見てもその現実を受け入れることが出来ず、逃げ出した。
それは文字通り、現実からも、式場からも。
その後、父親から虐待を受けるようになった大地は、近所の住民の通報によって施設に保護され、特別養子縁組を組んで新たな家族に引き取られた。
当然ながらその土地から離れることになった大地は、産みの母親の墓からどんどん疎遠になっていった。
その内墓参りに行かねばと思いつつも、その死を認めてしまう事に対する恐怖は、ずっと残り続けていた。
そして、いつしか大地は新しい家族との日々の思い出をその上に重ね、その恐怖から無意識に目を背けるようになっていた。
そして、ガイアの口から語られるその言葉を、アスナは黙って聞き続けていた。
「……もう、今となっちゃその墓を訪れることも出来なくなって……、"行っとけば良かった"って、後悔してる。
確かに、その為の勇気を出すこと自体難しいかも知れない。
でも……、今そこで向き合っておかないと、きっとその事を引きずることになる……。
だから、知り合ったばかりの俺が言うのも何だけど……」
その口から語られた言葉に、嘘など無い。
涙を流しながら話すガイアに、アスナは何も言うことが出来なかった。
そして、とうとうガイアが、最後の一言を紡ぎ出す。
「その……、隣に、居るからさ……」
そこまで言って自分の言葉に恥ずかしさを覚えたガイアは、そこから先は何も言わなかった。
暫くドア越しのすすり泣く声だけが響き、ガイアは次の言葉が出てくるまで待ち続けた。
そして──
「……一つだけ、お願い」
扉越しに聞こえたアスナの、涙で掠れた声。
その声に、ガイアはただ一言「うん」と返す。
──私の……、隣に居て……。
扉の向こうから微かに聞こえたその言葉を、ガイアが断ることはなかった。
それから暫く経って、アスナは道場から姿を現す。
顔には涙の跡が残っていたが、その足取りに迷いは無い。
だが、修道院の外へと向かう途中、アスナがふと口を開く。
「……ねぇ、笑わずに聞いてくれる?」
「何だ?」
「私……、もう一度だけでいいから、師匠に会いたいよ……。まだ、教えてもらってない事も沢山……」
そこまで言ったところで、アスナは両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。
服の袖で涙をぐしぐしと拭うアスナを見て、ガイアは何も言わずにポケットからハンカチを差し出す。
アスナも黙ってそれを受け取り、両目を覆って涙を拭う。
そして、アスナが涕泣するその姿を、ガイアはそっと視界から外した。
その嗚咽は暫くの間、修道院に響き続けていた。
◇ ◇ ◇
時は少々遡り、葬式の前日、霊神暦713年11月5日の早朝。
修道院の神父や修道士の面々に混じり、立派な身なりをした二人の男と、一人の屈強な男が、その場所で何かを待っていた。
そして、現場に派遣されていた遺体回収班が帰還し、遺体安置所に三つの棺が運び込まれる。
棺の窓を開け、その顔を確認した一同は、せめて安らかに眠るようにと祈りを捧げた。
「こうして遺体を見ても、未だに信じられないな……。まさか、ジーノ殿がこうなるとは……」
祈りを終えてそう零したのは、アインハルト王国の現国王──グラウス・アインハルトその人である。
そして、その傍らに控えていた大臣はそれに対し、こう言った。
「陛下……、私とて、信じたくない気持ちは同じにございます。ましてや、誰もが同じ思いを抱きましょう。
ですが、きっと誰よりもお辛いのは……」
大臣はそう言って、屈強な肉体を持つその男へと視線を移す。
その男は、若い二人の男女の冒険者の遺体を確認すると、その場で泣き崩れてしまった。
「……誰よりもお辛いのは、他でもない兵士長でございましょう。何せ、三人の内の二人を失ったのですから……」
「ああ……。暫く、そっとしておいてやろう」
「……それがよろしいかと」
それから暫くの間、一人の男のむせび泣く声が、遺体安置所に木霊し続けていた。
やがて、兵士長はその場から立ち上がり、グラウスと大臣に「お見苦しい所をお見せしてしまいました」と頭を下げる。
後のことを修道院の皆様に任せても良いかとグラウスが尋ねると、兵士長はいつもの張り詰めた表情に戻り、「はっ!」と敬礼を行うのであった。
安置所を後にしたグラウスと大臣は、城にあるグラウスの書斎に足を運んだ。
そして、椅子に腰掛けたグラウスは、大臣に向けてこう言った。
「それでは大臣、詳しい報告を頼む」
「はっ。アドル殿からの報告によれば、今回の一件は七体のコボルドの群れによるもの。群れで突然襲いかかられ、四体を討伐したものの、その四体目とジーノ殿が相討ち。同行していたそのお二人も、その戦闘の渦中でお亡くなりに……。
ですが、通りがかった若い剣士の男が残りの三体を倒し、ジーノ殿のお弟子様だけは唯一助かったそうです。その若者は検閲に合格し、今はアドル殿のギルドで加入の手続き中とのことです。
死亡に至った過程は以上になりますが……、そのコボルドについて、少々奇怪な報告が一つ」
大臣のその最後の言葉に、グラウスは眉をひそめる。
「奇怪な報告?」
そう聞き返すと、大臣は「はい」と言い、報告を再開した。
「何でも、そのコボルドは、傷を受けるとそこから黒い瘴気を噴出させ、すぐに傷が治ってしまったそうなのです。
ただし、首を切り落としたり、心臓を潰したりさえすれば、流石に即死したそうですが……」
「フム……、確かに奇妙だな。だが、ジーノ殿がただのコボルド程度に打ち負けるとは到底思えん。
その異変について優先的に情報を集めるよう、各種ギルドに打診しておこう」
こうして、「黒い瘴気」に関する情報収集が開始されることとなった。
そして、"英雄"ジーノを死に追いやったこの一件は世界中に衝撃を与える事となるのだが、それはもう少し先の話である。
涕泣:涙を流して泣く事。




