三十一話 間にあわせのことば
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何もない空間をただ風が吹き抜けた
朧気な意識でそれだけがわかった
力の供給が切れて普通の大きさとなった猫を抱きかかえ、オハギは眠っているユベシの元へと行った
アオはコガネに目配せすると、私の横を通ってテント群へと歩き去る
コガネは呆然と立ち尽くす私の肩にそっと手を乗せた
それだけのことなのに、私は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた
地に伏す前にコガネに抱き止められたが、どんどん狭まっていく視界では彼がどんな顔をしていたのか分からなかった
でもきっと、読めない無表情を浮かべているのだろう
彼の心に、思いを馳せた
目が覚めたとき、私はオキナの布団に横たわっていた
それは朝と同じで、全部が夢だったような心地になる
布団の横には慌てて着替えたような脱ぎ散らかされた寝間着がある
旅行に使うような大きなキャリーケースは半開きで、中から数枚の白衣が覗いていた
昨夜飲み干したジュースの空き瓶と紙コップが端の方によせて置いてある
そこにはそれしかなかった
けれど確かに人の生活していた跡が見える
私はそっとテントを出た
周囲は嫌なざわめきに満ちていた
それは決して大きな音ではなくて、木の葉が擦れるような、虫がさざめくようなそれだった
私はそれらを横目に、会議テントへと入った
長机には私以外の四人がいた
誰も何も話さない
ユベシはただ泣いていた
オハギは静かに小さな猫を撫でていた
アオは机に突っ伏していて顔が見えない
コガネは私に気付くと安堵したように少しだけ顔を緩めた
「二人は凍らせて別の場所にいる 誰かを見送るときは残りの全員でって決めていたから」
私が口を開くより先にコガネは二人の所在を明らかにした
オハギがそれにぴくりと反応し、猫は主人を慰めるように尻尾を振った
「じゃあ、行こうか」
呟いたアオの顔は一瞬だけ泣き腫らしたそれだったが、薄い砂とともに常へと戻った
使命感に染まっていた瞳は、その色を失したままだった
解凍され血が拭われただけの凄惨な姿の二人に、それぞれ短い別れを告げた
離れた位置からコガネが魔法を放つ
「聖炎」
赤い炎は二人を包み、さらさらと砕けるように灰へと変えた
細い煙は鈍色の空にのぼり、やがて静かに見えなくなった
ふと周囲を見渡せば、同じような煙がそこかしこから立ち上っている
私達はまた、会議テントへと踵を返した
「俺達は、仲間をきちんと見送ることができた それすらできなかった連中だってたくさんいるんだよね」
ぽとぽとと溢されたアオの言葉はテントに響いた
「そうだな ノブナガ隊長の方も酷い被害がでたと聞いた」
答えたコガネの瞳には深い後悔が見えた
それは、一体何に対したものだろうか
「それが、それが何だっていうのよ!どいつもこいつも私達が救援に来ていればってそればっかり!ギリギリの所で勝ったのに、仲間を、オキナとコナシを失ったのにっ」
ユベシは椅子を跳ね退けながら立ち上がり叫んだ
「落ち着いて、ユベシ 本当は皆も分かってるわよ 現状で最善を尽くした結果が今なのだと」
オハギは悲しげに、しかしはっきりと言った
確かにそうなのだろう
ただぶつけようのない痛みをまぎらわせようとしているだけ
けれど、それでも、割り切ることなどできはしない
『私達はどこで間違えたのかな』
それは何度も繰り返された疑問だった
ユベシの顔は大きく歪み、また大粒の涙をこぼし始める
払われた犠牲の上に私達の今がある
生きたいという祈り
異世界への憧れ
純粋だった想いは血濡れた今を生み出した
そしてこの先も、それは続いていく
この世界は変質してしまったのだから
「誰も、最初から正しい道なんて選べない 大切なモノを失って初めて気付くんだ 今が間違っているということに 俺達は今までただこの変わってしまった世界で生きようとしていた でも、それももう、終わりだ」
コガネの、迷いに満ちていた瞳はもう無かった
ただ一つを見据えて進もうとしている
あの日、死にたくないと願った私のように
「全ての元凶は間違った術式で偶然召喚してしまった魔王の核のせいだ それさえ倒せば、世界を元に戻せる」
ユベシとオハギは驚いた顔でコガネを見ていた
魔王の核とは何のことだろうか。
『コガネは、どこまで知っているの?』
情報が、どこかで意図的に操作されている。
コガネの表情が読めない
彼は何かをひたすらに隠し続けている
それが、この世界の真実なのだろうか
私は何を、信じればいいの




